【 バスより軽い車はない 】
◆fSBTW8KS4E




67 :No.13 バスより軽い車はない (お題:雨宿り) 1/2 ◇fSBTW8KS4E:08/03/02 17:04:08 ID:lLU8+sUO
「バス、来ないですね」
 向かいに座っているサラリーマンが呟いた。座っているのに疲れて、停留所の待合室から顔を出し、道の向こうを見た。
真っ直ぐなアスファルトを雨粒が叩いている。
「そうですね、いっこうに来る気配すら見せてくれませんよ」
「雨やみませんか?」
 サラリーマンは会話のなさに耐えられないのか、さっきから僕が答えればすぐに質問を出してくる。
「ザーザー、ってやつです」
 待合室の窓を閉め、また席に着く。昔の校舎のような安い木造で出来た待合室は、座るのと同時に少しきしみ、むせた匂
いが広がった。
「この大雨でスリップでも起こしたのでしょうか?」
「さあ」
 少し面倒になって、簡単に呟く。気分を害したのだろうか、サラリーマンは少し黙っていた。
「ザーザーって言えばですね、私にも娘がいるんですけど」
 と、彼は財布から写真を出して見せてきた。僕は可愛いですね、と呟き笑って見せた。
「でその娘がこの前の雨の日に、窓の外を指さしていったんですよ。『パパ、雨がフォンフォン降っているよ』って」
 僕は目を閉じて、外の音に耳を澄ます。
「確かに、聞こえなくもないですね」
「そうでしょう、私は自分の娘ながら、誇らしくって」
「いい話ですね」
 彼は嬉しそうに、写真をしまった。そして、こっちを見てきた。僕も何か話した方が良いのだろうか。
「じゃあ、僕は雨じゃなくて、バスのことでも話しましょうか」
「バスですか。まだ来ませんしね。バス来ず、話すバスのハナス」
 彼の駄洒落に呆れながら、頭の中では京子の声が響いていた。
「僕の彼女よく言っていたんですけどね。彼女はデートに行くときとかは必ず『バスより軽い車はない』なんて言ってバス
に乗りたがるんです」
「バスって結構大きいですよ」
「ええ、そうなんですよね。例えば飛行機が飛ぶ理屈って知ってますか?」
「いや、わからないです」
 彼は少し考えてから、そう答えた。
「僕もあまり知らないんですけど、彼女曰く、人がいっぱい乗れるから、だそうです」

68 :No.13 バスより軽い車はない (お題:雨宿り) 2/2 ◇fSBTW8KS4E:08/03/02 17:04:28 ID:lLU8+sUO
「人がいっぱい、ですか」
「彼女は人と動物の違いを、夢が持てるかどうかだと考えています。夢は大抵大きくて、輝いていて、でも重くなく軽いも
の。そしてその夢を持った人がたくさん乗れるのだから、飛行機は空を飛べる、だそうです」
「でも、鳥は飛べてますね」
 彼が思いついたように言う。僕はその姿が先生に褒められるのを待っているような小学生に見えて笑ってしまう。
「僕もそういったんですよ。そしたら、鳥の中には小さい人がたくさん住んでるのよ、なんて言われて。じゃあ鶏の唐揚げ
食べてればいつか人も飛べるんじゃない? って聞いたら、彼女から近くに置いてあったマグカップが飛んできました」
「会ってみたいですね、その人と。面白そうです」
「もうすぐ、会えますよ」
 そう聞くと、彼は言葉の意味を探り、現実に引き戻されたのか、下を向いてしまった。
「まあ、そんな理由で彼女はバスを好んだんですね」
 話し終えると、また雨の音が響き渡った。ファンファン、ファンファンと。
 都内では、毎日二百から三百ほどの数で交通事故が起こっている。そしてその中から一人か二人、命を落とす人がいる。
彼女はその一人か二人に番が回ってきてしまった。今日と同じ大雨の日で、一般車がバスを待っていた彼女に突っ込んでき
たのだ。飲酒運転と、スリップの起こりやすい悪路だったのが引き起こした事故だった。
「雨、やまないですね」
 今度は僕から口を開いた。
 ガラス戸の向こうに見える、停留所の時刻表。そこに書かれた「交通事故死」の文字をゆっくりと声に出してみた。
「娘さんに会えなくなるのは辛いですか?」
「いえ、妻と娘が助かったんですから、何も望みませんよ」
 最初に彼にあったとき、彼は仕事帰りに家族が迎えに来てくれて、そこで事故にあった、と教えてくれた。
 僕は自殺だった。バスに向かって飛び出した。彼女の言うとおり、僕はよく飛んだ。これで君にまた会える。
 通りの向こうから、クラクションの音が聞こえた。来ましたね、と声に出さず僕らは顔を合わせる。
 そして着いたバスに、僕らは乗り込んだ。一番後ろの長いすに、少し離れながら腰を落とした。
「このバス飛びますかね」
「僕は、バスが飛んでほしいと願っていますよ。一種の夢です」
 それからバスは、身体を震わせながら走り出した。僕たちは後ろを振り返る。ほらね、と小さくなっていく待合室を見て
笑った。
「バスより軽い車はないんですよ」



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