【 人魚とマルゲリータ 】
◆oA9PivZTHU




9 :No.02 人魚とマルゲリータ (お題:病) 1/4 ◇oA9PivZTHU:08/03/01 23:03:59 ID:YBnQmty5
 たかしが帰ってこない。だから、私はピザを壁にぶつけたい。 
 今すぐにぶつけたい。本当は宅配のお兄さんにお金を渡す時ぶつけたかった。
お兄さんの集金のビニール製の袋にピザをねじ込みたかった。でもお兄さんは帰ってしまった。
もうねじ込めない。だから、この湿り気と落ち着きかけた熱気を帯びる箱をあけて、片方の掌で持ち、
支えきれなかった円の外側、重力にたえきれずだらしなく垂れだすピザのチーズが少しでも床につく前に、
私の全人生を腕にこめて、思い切り壁にぶちあててやりたい。
 たかし。
 私の顔は今きっとこのどろどろに溶けたピザの脂より醜いんでしょう。
それにこの体はぶくぶくと太ったピザのミミよりだらしなく、黒光りしたオリーブよりはちきれそう。
そう思うんでしょう。なのにどうして、私がいる時に、私しかいない時にこのピザを頼んだ。
私が食欲を抑えることにどれだけ躍起になってるか知ってて、
どうしても耐えられない時はコンビニで百円の干し昆布を買って口の淋しさを紛らわす様を側で見てて、
それでもこういうことをするのか。私の一連の行動が滑稽でどうしようもなくて嘲ってこういうことを企んだのか。
私がピザの意味を知ってるってわかってて、やったのか。きっとそうだ。
だって、私に太ってるねと、そういったのはたかしだ。
痩せてる子の方が好きと言ったのは紛れもなく、三ヶ月と八日前のたかしだ。
 たかし。
 でもわかってる。私はこのピザを投げない。だって壁が汚れる。その処理をするのが面倒だ。
嘘だ。私は、このピザを投げられるほど勇敢じゃないだけだ。たかしは、私がピザを投げないことをよくわかってる。
 ふと、匂いが立ち込める。私は泣きたくなって、ふと自分が宅配のお兄さんの帰った後から
寸分も動かずに立っていることに気付いた。私は持っていたピザを左腕に抱きかえて玄関のドアを開けた。
 途端に鼻がツンとした。冷気が、顔を取り巻いて、それから突然の眩暈に襲われた。ここのところ眩暈が酷い。
視界は暫くして落ちついた。私は一旦部屋に戻ってコートを取ろうかとも思ったけれど、それも面倒くさいので、
結局部屋でしか着ないユニクロのへんちくりんなザクロ色のフリースと、山口に移る時兄から奪った
へんちくりんな黒ズボンのままでアパートを出た。
 昨日の昼、もう春になるねといったのは私だ。今その言葉を撤回する。でもその撤回すべき相手が今いない。
ピザをぶつけたい。

10 :No.02 人魚とマルゲリータ (お題:病) 2/4 ◇oA9PivZTHU:08/03/01 23:04:18 ID:YBnQmty5
 黒く塗られた安い鉄の階段を降りアパートの裏に回る。家を二軒通りすぎる。そこはもう瀬戸内海だ。
瀬戸内海と道路の間はコンクリートの堤防が続き、その堤防沿いに少しだけ歩けば、そこは私はお気に入りポイントだ。
私は夜の海を眺めながら一息つくと、堤防の淵にピザの箱を置いた。淵は頑丈に、幅広に作られていて、
ピザの箱を置くのに丁度よかった。私は、ようやくピザの箱を開けた。マルゲリータだった。
私はもう、怒りのあまり目の前が真っ暗になった。いよいよたかしの悪意の輪郭が浮かびあがったのだ。
この前、私は愚かにもたかしの前でこのマルゲリータを食べた。ばくばくと食べた。その様が豚のようだったに違いない。
それを言いたいのだ。たかしは。私はピザと箱の間に片手を滑らせて、ピザを持とうとした。ずしりとする。
ピザはなんだか生き物のような感触があって、たちまちに母性とも嫌悪とも取れぬ寒々とした感情が沸いてくる。
二十一時二十分。もうすぐたかしが帰ってくる

「君は結局の所ジュゴンなのだよ、いい加減気付きたまえ」
 そう言って、きっとたかしは和風ツナマヨネーズを歩き食いしながら、にやにやと、
堤防で月を眺めている私に声をかける。そうしたら私はたかしを一切見ず、月を見つめたまま
 「貴方の肩甲骨は私にとって掛け替えのないものだったけれど、私は一人でもフランス映画になれるのだわ」
 と優しく言って、片方の掌にかろうじて乗せたピザをたかしの顔に投げつけてやる。
そうして私は夜の瀬戸内海に飛び込む。
 渦は海に繋がり大西洋に続き、海流に洗われた脂肪は鱗になって私は人魚になるのだ。

 「ようこ?」
 海底で真珠を拾っている私を呼ぶ声がした。たかし。首が、勝手に曲がる。捉える。たかしを。
違う、私は、月をみつめる予定だった。でも今は、たかし。
 「ようこじゃん。もしかして俺のお出迎え」
 「ねえたかしはさ! そんなに私が嫌い?」
 驚いた。私の口は私の思惑を思い切り裏切った。
 「そんなに醜い! 私は! ねえ何考えてんの? どうしこんな嫌がらせするの。ピザなんて頼んでさ」
 「え、あ、ごめん、ピザ届いてたんだ。先連絡しておけば、」
 「私このマルゲリータにお金払う時どんな顔してたと思ってんの。私をデブにする道具に金払ってさ、
きっとあの配達員さんも笑ってたんだよ心の中で、でも私はこのピザを集金袋にねじ込めないチキンだよ、
ほらやっぱり投げられない私このピザたかしに投げるつもりだったのに投げられない」

11 :No.02 人魚とマルゲリータ (お題:病) 3/4 ◇oA9PivZTHU:08/03/01 23:04:40 ID:YBnQmty5
「ようこ? ようこ何言ってんだよ」
 「どうせ私はピザだよ。チキンでピザでチキンピザだよ。ピザはピザくってピザになればいいんでしょう。
ほらいいよ食べてあげるよ」
 もう自分が何を言っているのかわからなかった。髪が口に入って上手く喋れない。
睫から頬にかけて急に生暖かくなる。私は泣いていた。泣きながら、たかしの前で、私は思い切りピザに噛り付いていた。
 「おい、ようこ! ようこやめろって!ようこ!」
 十分前に宅配されたピザはもう冷たかった。ピザと髪が口に入って、私の口内は排水溝のようだ。
たかしが何か言ってる。私は私の排水溝に久々に異物が侵入するのに気をとられてて、たかしの言葉が聞き取れない。
けれどそれはきっと罵りに違いない。
 「離して! 離せ」
 口の中の汚物が飛んだ。私は私の腕を掴むたかしの手を振りほどこうとした。が、その時、あ、と声を出す前に、
ぽん、と、ピザが地面に落ちた。
 「・・・食べるよ」
 何故だか私は、このピザを食べなくてはいけなかった。
ピザはコンクリートの古びた砂とポッカ缶コーヒーの空き缶の上に着地していた。
 「やめろ、お前おかしいってようこ!」
 「やだ……!」
 ぐわりと強い力に引かれて、気がつくとたかしと目が合っていた。たかしが私の両肩を強引に掴んでいた。
たかしの頭の先に月が丸く浮いていた。
 「何考えてるんだよ」
 たかしの顔は逆光で薄暗かった。
 「だからたかしピザ頼んだじゃん私なんて……たかしはデブな私なんて嫌いなんだ」
 言葉が喉からせり上がり焼けつく。私は泣いていた。また急に風景が変わった。たかしが、私を抱いていた。
その力が強くって、私は醜さのあまりたかしが私の頭を潰して殺してくれるのかと思った。
 「ようこ」
 これがたかしの合図だと思った。
 「ようこ、お願いだから聞いてくれよ。何度もいうけどあれはからかうつもりで」
 「ごめんね私、たかしに似合わないデブだったよね」
 「違うって! 今のお前どこも全然太ってないんだよ! 俺もう見てられないよ、お願いだから気付いてくれよ!」 
 たかしの声が震えている。

12 :No.02 人魚とマルゲリータ (お題:病) 4/4 ◇oA9PivZTHU:08/03/01 23:04:58 ID:YBnQmty5
「お前怖いよ、鏡みてくれよ、もう骨と皮みたいじゃん。お願いだから食べてくれよ」
 嘘だ。
 「俺が悪かったよ、俺が変なこと言ったせいで……このピザは嫌がらせでも何でもなくて、
お前に何か食べて欲しかっただけなんだよ」
 口の中が汚物だらけで吐き気がする。ぐちゃぐちゃの脳に、これは何の味だったか、混乱する。
混乱、混濁。混濁って、好きな響きだ。私は日本語が好きだ。
 「この前も俺、無理やりピザの店連れていったじゃん。そしたらお前マルゲリータ口に入れてくれてさ、
美味しいって言ってさ、二人でめっちゃ食べたじゃん。俺そん時本当に嬉しくて、だから俺……」
 誰かが何か言っている。頭がやけにぼうっとする。この感覚、それに眩暈は、最近やたら増えた。だから慣れてる。大丈夫。
 「なあお願いだから正気に戻ってくれよ。俺が悪かったからさ、ちゃんと食べてくれよ。
こんな食べ方じゃなく。普通じゃないよ。怖いんだよ。俺お前が怖いよ、ようこ」
 何かが私を抱き篭めている気がする。私は今どこにいるのだろう。何がどうして泣いていたのだろう。
何がなんだかわからなく、私はズズっと、鼻を大きく啜った。すると、後から私が啜ってもいないのにズズっと音がした。
もう一度鼻を啜る。今度は確かに、同じタイミングで音はした。けれど木霊のように、後からもっと大きくズズっと音がした。
なんだか楽しくなって、私は何度も鼻を啜った。心なしかハァ、ハァと風が生きてるような鼓動を刻んでいる。
頭に生ぬるい水が垂れてくる感触がする。
今日は満月で、もしかしたら私はたかしに潰されていて、人魚になっているのかもしれない。
 「ねえたかし、私ジュゴンになっていたらどうしよう」
 たかしの声は返ってこない。たかしはここにいないのかもしれない。代わりに私を覆う何かの力が強くなった気がする。
海流が温かいのかもしれない。今日は家に帰って何をしようか。そうだ、たかしに人魚になった私を見せなくては、
そうしたら海藻に巻きついたら眠りにつこう。瀬戸内海の海藻は綺麗だろうか。人魚はたかしに似合うだろうか。
瀬戸内海の人魚なんて、たかしは嫌じゃないだろうか。
 「帰ろう、ようこ」
 音は頭上遥か遠くから聞こえてきた。そこはきっと、海の水面だ。
 海の水面から私を呼ぶ声がした。

―完―



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