【 生首 】
◆ka4HrgCszg




12 :No.04 生首 1/5 ◇ka4HrgCszg:08/02/16 22:01:04 ID:rIsWYVav
 二月十四日。バレンタインデー。
 そんなモノは消えて無くなれば良いと思った。
 女の子が愛を告白する日だって? 世迷い言を。そんなバカな事ばかり言っているから地球から戦争が無くならないんだ。もっと冷静にな
れよ。二月十四日がどうした。その日が来たからって世界は何も変わらない。太陽だって東から昇る。空の色だって青い。変わるのは人間だけだ。
 僕はため息を吐きながら自分の部屋に入り、鞄を放り投げてベッドに潜った。世の中不公平だ。よりにもよって森井さんは僕の目の前で、
しかもあんなに顔を真っ赤にして堂島君にハート型のアレを渡すなんて……。やり切れない。堂島君なんてちょっとイケメンなだけだ。それ
でバスケが上手くて、エースだからって……。後、ちょっと頭が良いからって……。……何だよ! 勝てるところが何にも無いじゃないか!
 違う! でも堂島君なんかよりも僕の方が、ずっと前から超が付くほど好きだったんだ! なのに彼女は僕の想いには気付かずにっ……!
 くそぅっ……くそぅっ……! 世界なんて滅んでしまえば良いのに!
「無念でござる」
 突然、声がした。僕の思考は止まる。聞き覚えの無い声。そもそも今、家には誰も居ないはずだ。僕が部屋に戻ってから誰かが帰ってきた
様子なんて無かったのに――。
「無念でござる」
 また聞こえた。聞き覚えの無い男の声。背中の毛がザワザワと逆立っていくのを感じる。心臓がバクバクと鳴っている。無念でござる? 
一体何が言いたいんだ? 幽霊か? 僕の部屋に幽霊が居るのか?
「あああああああああああああ」
 気味の悪い呻き声が部屋に響き始めた。呻き声は部屋の中を行ったり来たりしながら僕の居るベッドの方へ近付いて来る。こいつは僕が起
きている事を知っているのだろうか? それとも、僕はもう寝ていると思っているのだろうか?
 全身の筋肉が硬直している。ジッと息を殺して必死に僕は寝ているフリをした。
「ああああああああああああああああああああああああああ」
 低い声が布団の上でグルグル旋回している。まるで僕が起きてる事を知っているようだった。……怖い。こいつは、分かっててやってる気
がする。寝たフリをしてもムダだとあざけり笑っているに違いない。何なんだよ、何で僕がこんな目に遭うんだよ……。
「嗚呼無念嗚呼無念嗚呼無念嗚呼無念嗚呼無念嗚呼無念嗚呼無念……」
 何だよ、何で僕だけこんな怖い思いをしなきゃいけないんだよ。何で僕だけこんな惨めな思いをしなきゃいけないんだ。何だってバレンタ
インデーの日にこんなに怖い思いをしなきゃならないんだよ。もしちょっと運命が変わっていれば、全然違うバレンタインを送れたかもしれ
ないのに。なのにどうして。どうして僕がこんな目に。だいたい今日はバレンタインとかいう聖なる日のはずなのになんで幽霊が出るんだ。
そもそもそのバレンタインで森井さんが選んだのは堂島君で僕じゃなかったのは何故なんだ。ただ僕の顔が平均以下で運動神経も鈍くて、勉
強もそんなに出来るわけじゃないからって、どうして堂島君が勝ち組で僕が負け組みになるんだ。どうして彼女達は二人で帰って行ったのに
僕は一人で傷心して家に帰り着いてしまったんだ。

13 :No.04 生首 2/5 ◇ka4HrgCszg:08/02/16 22:01:44 ID:rIsWYVav
 今頃堂島君は自分の部屋に森井さんを連れ込んでラブラブしているかもしれないのに、なんだって僕はこんな薄気味悪い声と自分の部屋で
ランデブーしなきゃいけないんだ! なんでだっ! 今日はバレンタインデーだぞっ! 何でこんな目に遭わなきゃいけないんだ……!
「嗚呼無念じゃ無念じゃ嗚呼無念じゃ嗚呼嗚呼無念じゃ無念でござる恨めしい恨めしい嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼無常無常……」
 くそぅ! 何だよ! 男の声じゃないかっ! 女の幽霊ならまだしも、バレンタインに男の幽霊なんてっ! しかも未練タラタラ残ってる
みたいな私はいかにも被害者です的な愚痴を誰かに聞いて欲しくてたまらないお喋りのおばさんみたいなそんなヤツが現われるなんて! 僕
が何でこんなヤツの相手をしなきゃいけないんだよ! ふざけるなよ!! 僕がこうやって布団の中でガタガタ震えている間にも森井さんは
堂島君とギシギシやっているかもしれないんだぞ! 嗚呼くそっ! 何だって僕じゃなくて堂島なんかと! もうあんなヤツに君なんて付け
てやるもんか! 嗚呼チキショウッ! 堂島っ! 堂島ぁぁぁぁ!! 堂島あああああああぁぁぁぁ!!!
「嗚呼嗚呼無常無常無念無念――」
「うるさいんだよっ!!!!!!!」
 僕はガバッと起き上がって怒鳴りつけた。声の方をキッと睨みつける。
 それは宙に浮いた生首だった。テレビで見た事あるような落ち武者の頭が、すぐ頭上に浮いていた。頬はコケて、左目が青く晴れ上がって
いる。口からは血を垂れ流していた。右目は虚ろで、暗い瞳が脅すように僕をジッと見つめている。
 だからどうした、と思った。
 何だそれは、と。そうか、そういう格好をしていれば僕が怖がって脅えてしまいには泣き出すとでも思ってるんだな。そうやって心の底か
ら脅えている僕をコイツはケラケラあざ笑うんだ。それなら別にバレンタインデーの日に一人で嘆き悲しんでいる僕みたいな男のところにわ
ざわざ来なくたって良いようなものの、そもそもそれこそ今頃大ハッスルしているであろう堂島の所へ行ってそんな気分をぶち壊しにでもし
てやれば良いのに、そういう人間にはちょっと気を使って遠慮しておいて一方で一人暇をしている僕みたいに冴えない寂しい人間をわざわざ
選んでやってくるんだ。そうして驚かして思いっきり笑ってやろうって算段なんだ。ふざけやがって。バカにしやがって。僕はいつだって貧
乏くじだ。弱者はいつまでもイジメられ続けるんだ。生首にすらそうなんだ。だけど僕は負けない。絶対に屈しないぞ。生首だったら僕が怖
がるとでも思ってるのか? バカめ、体が無きゃ何にも出来無いじゃないか。どう考えても体がある僕の方が強いに決まってる。なのに何な
んだコイツは? たかが生首の癖に、調子に乗って!
「無念でござ――」
「だからどうした!? 無念だからどうしたんだ!? そんなの僕だってそうだ! もしかしてお前、僕に無念な事なんて無いとか思ってん
のか!? 現代の人間は無念も無く軟弱、だからして拙者の大義の無念さを広く知らしめたく候、とか変な偏執に取り憑かれてんのか!? 
バカにすんなよ!! 僕ほど無念な人間も居ないんだ! 僕は好きな女の子が他の男に告白するのを目の前で見たんだぞ!! そして今頃森
井さんは堂島とっ! 堂島とっ……!」
 僕はベッドの上に突っ伏してドスドス拳を布団に叩きつけた。ちょっと目尻に涙も浮かんだ。
 しばらくそうしていると、ふと生首の声が聞こえない事に気付き、ひょっとしてもう消えたのかと思って顔を上げる。

14 :No.04 生首 3/5 ◇ka4HrgCszg:08/02/16 22:02:25 ID:rIsWYVav
 だが、生首はまだそこに浮いていた。ちょっと驚いたような顔で唖然として僕を見ている。どうやら、引いているようだ。幽霊にまで引か
れるなんて、ちょっとだけ自分が惨めになった。
「…………それで? お前は何で無念なんだよ?」
 僕は少しだけ心が落ち着いてきたので、一応生首に聞いてやる事にする。あれだけ無念だ無念だと言っていたんだから、僕に負けず劣らず
相当な無念に違いない。
 だが予想に反して、生首は僕の言葉にちょっと困ったような顔をして、
「そういえば……忘れてしまったでござるな……」
 と、言った。
「は? 何で?」
「あ、いや、何百年も現世をさ迷う内に……」
「……じゃあ無念な事なんて無いじゃないか。もうさっさと成仏しなよ」
「それが……。ずっと昔に会った寺の和尚によると、生きた人間に慈悲をかけられないと成仏できないそうでござる」
「じゃあ、そのまま寺の和尚に慈悲をかけてもらえば良かったじゃないか」
「……頼もうと思った瞬間、大地震が起きて、和尚は倒れてきた仏像の下敷きに……」
「……なんてタイミングの悪い……」
 僕は呆れた。
「色々回ってみても、それ以来拙者を成仏させてくれる人間は居らず、フラフラとさ迷う亡霊になったでござる」
「ふぅん……。別に慈悲ぐらいだったら僕でも掛けられるんじゃない? 具体的にどうすれば良いの?」
「いや、それは拙者にも……。強いて言うなら……伊勢海老というモノを食べたいでござる」
「バカ、甘ったれるな。生首のくせに……。あ、そうだ。友達に住職の息子が居るからソイツに聞いてやるよ」
「おう、それは……かたじけない」
 と、生首は禿げた頭をこちらに向ける。頭を下げてるのだろう。気味が悪い。
 僕は携帯を取り出して、その友達に直接電話を掛ける。電話はすぐに繋がった。
「もしもし? どしたの? バレンタインに男から電話掛かってきても嬉しく無いんだけど」
「あ、うん、ごめんごめん。確かタツヤのお父さんって住職さんだったよね? あのさ、ちょっと変な事聞くけど、幽霊って……どうやった
ら成仏するかな?」
「何、もしかしてお前、霊にとり憑かれてんの? あららぁ、ドンマイ。えーっと、成仏する方法? そんなの適当に線香上げながらナンマ
ンダブナンマンダブって唱えてりゃ何とかなるんじゃないの?」
「いや、そんな適当じゃなくてさ! ほんと今やばいんだって。お父さんにちゃんとした方法聞いてみてよ」
「えー、嫌だよ。俺今親父とケンカしてっからさ。ぜってぇ喋んない。あっちが謝るまで喋んない」

15 :No.04 生首 4/5 ◇ka4HrgCszg:08/02/16 22:03:16 ID:rIsWYVav
「そ、そんな……」
「まぁ幽霊なんてほとんどは危ないもんじゃないから。危ないのも気を強く持ってりゃ何もしてこれないって。大丈夫だから。そんじゃあ頑
張れよ。バイバーイ」
 と、一方的に電話は切れてしまった。ツーツーと虚しい電子音だけが聞こえる。僕は腹が立って携帯を放り投げた。床のクッションに向か
って。ポフッと音を立てて携帯は跳ねる。
 生首を見ると、きょとんとしてそこに浮かんでいた。なんだか狐につままれたような顔をしている。もしかしたら、携帯電話という物を知
らないのか。だとしたら、生首としては僕がいきなり独り言を喋り始めたように見えたかもしれない。
「……線香、取って来る」
 いつまでも生首と見つめあっていても気味が悪いだけなので、僕は生首に一言いって部屋を出た。僕の家には仏壇がある。記憶が正しけれ
ば、そこの引き出しに線香が入っていた気がする。
 仏壇のある和室へ行くと、狙い通り引き出しの中には線香があって、マッチも無造作に置いてあった。両方失敬すると、台所へも寄って底
の深いコップを一つ取る。線香を立てるのに使おうと思ったのだ。仏壇の線香立てを取ってくるのは、なんだか後ろめたい気分になりそうだった。
 部屋に戻ると、相変わらず生首は浮いていた。線香を持った僕の手元をジッと見ている。僕もここまで来るとすっかりやる気になってい
て、どうにかして成仏させてやろうと思っていた。
 とりあえず机にコップを置き、線香を入れる。それからマッチを擦って、火を付けた。プワァーっと煙が出始める。思ったよりも煙が出る。
僕はそれを生首の方に近づけてみた。
「どう?」
「いや、どうとも無いでござる」
 と、生首はケロリとしている。ちょっとガッカリしたが、仕方なく僕はタツヤに言われた通りに「ナンマンダブナンマンダブ」と唱え始め
た。適当に教えられたが、あれで住職の息子なんだし、もしかしたら本当にこれで成仏するのかもしれない。
 一分が経過した。生首は成仏する様子が全く無い。プカプカと浮かんで退屈そうにぐるぐる同じ所を回っている。
 三分経過した。依然変わらず。
 五分経過。アゴがだるくなってきた。
 それでも僕が「ナンマンダブ」と唱え続けていると、ふいに生首はこちらを向いて、
「もう結構でござる。こうまでしてもらっても成仏出来ないなら、拙者は元より成仏出来ない運命なのでござる。このまま黄泉には行かず現
世をさ迷い続けまする」
 と、言った。
 そして生首はその酷い顔で、満面の笑みを浮かべた。

16 :No.04 生首 5/5 ◇ka4HrgCszg:08/02/16 22:04:07 ID:rIsWYVav
 目とか腫れ上がってて、口から血とか出てて、むしろ首から下がもう無かったけれど。
 それでも僕はその顔を見た瞬間――――、嗚呼、コイツだって死ぬ前は人間だったんだ、と、思ってしまった。
 それはたぶん、僕と同じで。生まれた時代は違うのかもしれないけど、この生首も。何百年前には家族と一緒に暮らし、好きな女の子なん
かが出来たりして、同じように暮らしていたのだろう。自然の美しさに感動したり、子供が出来て喜んだり、何かに挫折したりしながら、毎
日を生きていたんだろう。もしかしたら僕みたいに、失恋したショックで悶々と悩んだりもした事もあったかもしれない。
 この生首の幽霊だって――元は人間だったんだ。
 僕はそう気付いた瞬間、途端にこの生首が可哀想になってきた。死んでから何百年も生首だけでさ迷うなんて、それはどんなに長い時間だった
んだろう。どれだけの人に恐怖されて来たんだろう。その時、生首は何を思ったんだろう。永遠とも言える時間を、ずっと孤独に過ごすとい
う事は、どんなに辛い事なんだろう。
 そしてまた、生首は成仏を諦めて一人でさ迷おうとしている。でも……、そんな死後の世界、悲しすぎると思う。何百年もさ迷って、自分
が何に無念なのかも忘れているほどなのに……。
 そんなにさ迷ったんなら、もう十分のはずだ。
 僕はそのまま出て行こうとする生首に向かって、どうか安らかに成仏出来ますように、と無心に祈りながら「ナンマンダブナンマンダブ」
と唱え続けた。もう彼が孤独な旅を続けないでも済みますように、と。
 すると突然、生首は少しずつ薄れ始めた。
 生首は驚いた顔で僕に振り返る。念仏を唱え続ける僕と生首の目が合う。その生首の頬にツーッと涙が伝っていった。最後に彼はニッコリ
微笑むと、
「かたじけない」
 と言って、――そのまま消えてしまった。
 部屋の中に、僕は一人残される。異様に線香の匂いが鼻についた。僕はクタクタに疲れて、ベッドの方へ倒れこむ。
 まったく、……ひどい一日だった……。よりにもよってバレンタインの日に幽霊を成仏させてるなんて……。そんな人間、世界で僕一人ぐ
らいなんじゃないだろうか。……ほんとにもう。
 そんなにひどい日、だったけど。
 ――――僕の口元は、少しニヤけていた。

完。



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