【 コドモルール 】
◆ecJGKb18io




2 :No.01 コドモルール 1/5 ◇ecJGKb18io:08/02/02 09:23:20 ID:tJ1oh+Gi
 世の中にはルールがある。小学六年生の僕らにだってルールがある。
 授業中に私語をしてはならない。漫画を持ってきてはならない。イジメをしてはいけ
ない。でも、ルールの中には破っていいルールもある。もちろん相応の罰を受けるのだ
けれど。僕らはその破って良いルールと破ってはならないルールを微妙な所で見極めて
いかなければならない。外れないように外れないようにと怯えながら。
「なあトイレ野球しようぜ」
 僕は持ってきた漫画を机の引き出しに隠してこっそりと読んでいた。
「やだよ。こないだも熊センセイに怒られただろ」
「びびってんのかよ」
「……わかったよ。やるよ」僕がそう言うと、「びびってんじゃねえよ」と言い残して
武本は他の面子を探しに行った。僕は机の上に散らばる教科書類と漫画を整理する。
 懲りない奴だ。つい三日前に怒られたばかりなのに。きっと今日だって、女子の誰か
が職員室に駆け込んで、僕らは怒られるに決まっているのだ。トイレットペーパーをグ
ルグル巻きにしたボールと、打ちすぎて散らかったほうきの毛を片付けるなんてみっと
もない。その上、凶暴な熊センセイにしごかれるのだからやる方が馬鹿なのだ。
トイレ野球が他のどんな遊びよりも楽しいのは事実だけれど。
「やめなさいよ!」
 昼休みで騒がしい教室に、その声は凛とした強さ持って突如響いた。
 規律に厳しい委員長こと安藤女史だ。整理の手を止め、声の方向を見ると、机に座る
一人の男子を挟むようにして武本を先頭に男子数人と安藤女史率いる女子数人が対峙し
ていた。
「うるせえな。お前は関係ねえだろ」
「関係あるわよ。佐藤くんをいじめないでよね」
 何の事はない。割とよくある光景だ。当の佐藤もいつもと同じく耳を真っ赤にして俯
いている。
「俺ら別にいじめてないし。何? お前こんな本の虫の事が好きなの?」
 男子の内の一人がそう言うと、安藤女史の取り巻きの数人が食ってかかるように反論
を撒き散らす。男子女子問わず、ああ言われたら誰だって動揺する。
「そうじゃないけど、あんた達いじめてたでしょ。先生呼ぶわよ」
 が、安藤女史はやはり違う。周りがざわつく中、ひとり整然と伝家の宝刀を抜くのだ。

3 :No.01 コドモルール 2/5 ◇ecJGKb18io:08/02/02 09:23:51 ID:tJ1oh+Gi
 

 佐藤はクラスでも特に目立たない奴だった。いや、ある意味は目立っていたと言える。
常に席に座って本を読んでいるか、俯いているかの奴で、簡単に言うと彼は武本たちか
らいじめられていた。その度に安藤女史を筆頭に女子軍団が男子を非難し、口論になる。
ちょうど今のように。
 それからしばらくいつもの言い合いが続いたから僕は席に座ったまま漫画を読んでい
た。男子もセンセイを呼ばれるのは困るから強くは出られないし、かといって引き下が
るわけにもいかない。女子は女子で悪を見逃さない正義の執行人気取りだから、折り合
いがつかない。両者共に騒ぎに気付いた援軍が周りを囲むのだが、結局罵り合いになり、
輪の中心の佐藤は涙目になりつつも無視される。
 僕は男子軍から度々向けられる「支援せよ」という視線に気付かないふりをして黙々
と漫画を読みふけっていた。誰が自ら好んで危険地帯に足を運ぶものか。こういう態度
を取っていれば後で文句を言われるのは確実だけれど、幸い僕は何故かイジメを受ける
ような立場にはならないから、下校時の愚痴に適当に合わせていればルール違反にはな
らない。
「もういいわよ。後でセンセイに言うからね!」
 読んでいた漫画のページがちょうど半分に達した頃、安藤女史は男子に判決を言い渡
す裁判官のように大きな声で言い切った。が、法廷のように静かにはならない。むしろ
ざわつきは増していたが、それも昼休みの終わりを告げるチャイムによって消し去られ
た。チャイム席もまた僕らに課せられた一つのルールなのだ。


 いつもならこんな言い合いもその時だけで、後には引き摺らない。そもそも男子と女
子の対立など元からあるものだ。
 しかし、今日ばかりは違った。
「そこの三人と佐藤くん、まだ帰らないでね」
 帰りのホームルームが終わり、担任の熊センセイが教室を出て行ってから安藤女史は
言った。「そこの三人」はまるで授業中センセイに指名された時のように目を丸くし、
「佐藤くん」は顔を引きつらせていた。

4 :No.01 コドモルール 3/5 ◇ecJGKb18io:08/02/02 09:24:19 ID:tJ1oh+Gi
 あえて熊センセイが帰ってから、という点に僕は安藤女史の怖さを感じた。どうやら
センセイに告げ口はせず、当事者同士で解決しようとしているらしい。真の当事者であ
る佐藤くんははた目にもびくびくと怯えているのが見て取れた。
 しかし「そこの三人」でも「佐藤くん」でもない僕には当然関係もない。他の生徒が
続々と教室を後にする中、僕も荷物をまとめて席を立った。
「神田。お前も残るよな」
 悪ガキ三人衆の内の一人であり、リーダー的存在の武本だった。昼休みにトイレ野球
をしようと持ち掛けてきたのもこいつだ。身体が大きく、坊主頭のそのいかつい顔は群
れの長になるために生まれてきたのだと思わせる。
「……僕も?」
「お前がもたもたしてたからこうなったんだろ」
 武本は鼻息荒げに「フンッ」と鳴らせて、腕を組んだ。全くの言い掛かりだけれど、
逆らうわけにもいかない僕は仕方なく鞄を机に置いて座り直した。僕と彼らの間にも破
る事の出来ないルールは存在する。それを破れば、自分の席で俯いている佐藤と同じよ
うな立場に追いやられるのだ。
「なんであんた達は佐藤くんをいじめるのよ」
 僕ら以外は誰も居なくなった教室で安藤女史は立ったまま言った。彼女は左右に二人
の女子を従えている。
「お前らに関係ないだろ。いじめてねえし」
 男子はそれぞれが自分の席に座っているという妙な距離感で、再び言い合いは始まっ
た。
 僕は何度も繰り返されるやりとりを聞きながら、ずっと佐藤の様子を窺っていた。僕
の席は窓側の一番後ろで、佐藤の席は廊下側の一番後ろだった。佐藤は終始俯きっぱな
しだったから表情を読み取る事は出来なかったけれど、居心地の悪さは軽く想像出来た。
女子に守られることが男子にとってどれほど屈辱的な事か。女子に悪意はないし、むし
ろ善意でやっているのは分かるが、それは犯してはならないルールなのだ。
「佐藤くんに謝りなさいよ」
「やだよ。バーカ」

5 :No.01 コドモルール 4/5 ◇ecJGKb18io:08/02/02 09:24:47 ID:tJ1oh+Gi
 武本は譲らない。僕は自分に矛先が向いてこないかはらはらしていた。もし安藤女史
が「神田くんはどう思う?」などと訊ねてきたら何と答えたらいいのか分からなかった。
 ただ一つ分かるのは、武本率いる「仲間」を裏切ってはいけないというルールだけだ。
「馬鹿な事言ってないで謝ってよ。謝らなかったらセンセイに言うからね」
「出たよ、告げ口女」
 どうして佐藤はいじめられているのだろうか、と僕は考えた。いじめといっても軽く
小突いたり、からかったりと大したことではないけれど、佐藤がそういう標的になって
いるのは確かだ。佐藤が何か重大な欠陥を持っているのではない。ただ、「皆の輪に入
らなければならない」というルールを犯しただけだ。そうして、いつの間にか「佐藤に
話しかけてはならない」というクラスの暗黙のルールが出来たのだ。
「謝んなさいよ!」
「誰が謝るか!」
 安藤女史と武本の言い合いは最高潮に達していた。それまで傍観者を決め込んでいた
僕もいい加減仲裁しようかと思い始めた。このままじゃいつまで経っても帰られない。
 安藤女史も武本も譲らないだろう。そうなるといつかはセンセイに見つかって、下校
時間を守りなさいと怒られるに決まっている。僕はルールを破りたくないのだ。
「ねえ、いい加減に……」
 僕がそこまで言った時、不意にガンっという大きな音が教室内に響いた。
「もういいッ!」
 そう叫んで立ち上がったのは他でもない佐藤だった。誰もが想定していなかった事態
に教室内は静まり返り、椅子が倒れた音と佐藤の声の余韻だけが残る。
「お前らいい加減にしろよッ! お前もお前もお前もお前ももいい加減にしろッ!」
 佐藤は風呂上がりのように顔を耳まで赤くしてそう叫んだ。安藤女史も武本も他数人
も皆唖然としている。もちろん僕もだ。今まで見たことのない佐藤の変貌に僕らは誰一
人として言葉を発することが出来なかった。
「死ねッ!」
 佐藤は唾を吐き散らしながらそう言うと、鞄をひったくる様に取り教室から出て行っ
た。
 それからしばらく経っても僕らは黙ったままだった。

6 :No.01 コドモルール 5/5 ◇ecJGKb18io:08/02/02 09:25:20 ID:tJ1oh+Gi
 

 翌日。少しだけれど、確実に僕らのルールは変化していた。
 相変わらず安藤女史はクラスの規律に目を光らせていたし、武本は休み時間になると
トイレ野球の面子揃えに勤しんでいる。昨日、僕らに覚醒を見せた佐藤だって普段と変
わらず一人黙って席に座って本を読んでいる。
 けれど、変わっているのだ。佐藤が変貌した時に居なかったクラスメイトだってどこ
か肌で感じている。ルールが変わったのだと。
「佐藤に話しかけてはならない」というルールに加えて「佐藤をいじめてはならない」
というルールが追加されたのだ。それは大したことのない変化かもしれないけれど、僕
は何故か気分が良かった。もしかしたら佐藤という奴は凄い奴なのではないだろうか、
という尊敬にも似た気持ちを持ち始めていた。佐藤はルールを破ったり作ったりする男
なのだ。
「なあトイレ野球しようぜ」
 武本は有無を言わせない調子で言う。だけど僕も言ってやる。
「やめとくよ。怒られるの嫌だし」
「またびびってんのかよ」
 お前もだろ、そう笑ってやりたかったけれど僕は堪えて席を立つ。残念ながら、僕に
はまだそこまでルール違反をする覚悟はない。
「びびってるよ」僕は言って、武本から離れる。チッという舌打ちが聞こえたがどうで
もよかった。
 そのまま廊下側の一番後ろの席を目指して歩く。
 なんて声を掛けたらいいのだろう。
 こんにちは。何してるの。遊ぼうか。どれもピンとこない。
「あのさ」
 僕はほんの少しだけルールを犯す。


「えーっと、何かおススメの本とかってあるかな?」
                                         <了>



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