【 とある日常 】
◆giGW7Jwhd




115 :選考外No.01 とある日常 1/5 ◇giGW7Jwhd:08/01/28 19:58:47 ID:+qrCveeM
 ドアが静かに開かれたその瞬間、美紀は顔がにやけそうになった。
 それを内心に留め、素知らぬ顔を取り繕い、挨拶をしようとドアの先に立つ人物に視線を送り、そしてギョッとした。
「せ、先生?」
「伯爵よ。プリンセス・ドラキュラ伯爵。そうお呼びなさい」
 小さな体に礼装をまとい、黒マントまでも装着しているプリンセス・ドラキュラ伯爵が、つかつかと靴を鳴らして
入ってきた。デスクに鞄を置いて、挨拶のことなどすっかり忘れて呆気に取られている美紀を一瞥。にかっと笑った。
プラスチック製の牙が覗いた。美紀は、ごくりと唾を飲み込み、慌てて首を振った。
「い、いや、富子先生。今日は火曜日ですよ」
「何? 火曜日?」
 プリンセス・ドラキュラ伯爵もとい、富子は柳眉をひそめて、思慮するように俯いた。
「はい火曜日です。ですから、今日は――」
「おかえりなさいませ。ご主人様」
「えへぇ?」
 素っ頓狂な声を上げた美紀に、黒マントと牙を取り払った富子が、深々と頭を下げた。
「たった今、ひらめいたの」
 顔を上げ、颯爽と美紀に近寄る。何故か美紀は、一旦パイプ椅子から腰を上げて、また下ろした。その美紀の眼前に、
人差し指が突き出される。
「メイド喫茶? ノンノン! 執事喫茶! これどうかしら? 新しくない?」
 一言ずつ区切りながら言った富子が、その度に美紀に顔を近づけるものだから、美紀の顔は真っ赤になっていた。
 突然、美紀が立ち上がった。富子が僅かに身を引かなかったら、その顔面に美紀の石頭が直撃していたところだ。
「伝令!」
 美紀が敬礼をし、叫んだ。富子は冷や汗を拭い、後ずさった。
「本日は火曜日! 占いの館の日であります! メイド喫茶は水曜日! バー・ドラキュラは月曜日であります!
ちなみに、木曜日は、ニャニャニャンカラオケ! 金曜日は、アンドゥトロワ奇術館であります!」
 一息でまくし立てた美紀に圧倒されて、富子はさらに後ずさり、顔にかかった唾を拭った。
「う、うむ。わかった。下がってよろしい」
 その言葉に、美紀は敬礼をとくと、パイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。まだ息が荒い。まあ、これで充分だろうと
富子は思った。占いの館用の衣装に着替えるため、クローゼットに向かった富子の背中に、蚊の鳴くような声がかかった。
「せ、先生。先週の占い、外れましたよね?」
 ちっ。富子は舌打ちをした。

116 :選考外No.01 とある日常 2/5 ◇giGW7Jwhd:08/01/28 19:59:16 ID:+qrCveeM
 スタッフルームを出た富子は、お客様用のソファに腰をかけた。衣装が礼服から真っ黒なローブに変わっている。
占い師に見えなくもないが、どちらかというと魔法使いという言葉の方がしっくりくる。少し遅れてやって来た美紀も、
富子と同じローブに身を包んでいて、こちらは割かし堂に入っている。といっても、彼女はあくまで見習いだった。
 美紀が、いつもの定位置、富子用ソファの隣の丸椅子に座った。ジッと富子を見つめる。富子は、瞳を閉じて何やら呟いている。
「せん――」
「お黙り!」
「せんせ――」
「お黙り! 瞑想の邪魔よ!」
 取り付く島もない。唇をタコにした美紀は、思いついたような顔をして、頬を緩ませた。
「せん――」
「お黙り!」
「お黙り!」
「お黙り! え? あなた今何て?」
「お黙り!」
「ちょ――」
「お黙り!」
「美紀さ――」
「お黙り!」
 ついに、富子は口を噤んだ。美紀が勝ち誇ったようにほくそ笑んだのを見て、富子は大きなため息を吐いた。
「あれは違うわ。本当は、わたくし、わかっていましたのよ。あ、この女結婚するなって。わかっていましたのよ」
「じゃあ、どうして、『あなたは結婚できません』なんてことを言ったんですか?」
「それは……だって。悔しいじゃない。テレビの中でちやほやされて、地位と名誉を得て、尚かつ玉の輿に乗る、なんて。
そんなの、同じ女として認めることなどできませんわ」
 心底悔しそうな顔をして、富子が言った。しかし美紀の顔は、にやけたままだった。
「嘘つき。だって、わたし見てましたよ? 先生カード逆さまに読んでましたよね。スペードの10は確かに、悪いカードですけど
逆札でしたから。当然、カードの意味も逆になりますよね。あ、先生読み違えてるなって、あのとき思いましたもん」
 富子は、目をぱちくりさせた。美紀はしたり顔で笑う。と、いきなり富子が、物憂げな顔をして美紀を見つめた。
「そこまで気づいていたのなら、何故あの場で言わなかったの? 言っていれば、合格でしたのに。ああ、本当に残念ですわ」
「い、いや。合格って何の話――」
「精進なさいね、美紀さん。わたくし、いつまでもあなたのことを見守っていますからね」
 カランコロン。来客を告げる鐘が鳴った。富子と美紀は、同時に壁の時計を見やり、これまた同時に首を捻った。

117 :選考外No.01 とある日常 3/5 ◇giGW7Jwhd:08/01/28 19:59:44 ID:+qrCveeM
 富子と美紀が揃って出迎えに行ってみると、そこには薄汚れたコートを着た、貧相な男が立っていた。美紀は、まずいと思った。
富子が口を開きかけたその瞬間、美紀は富子のローブのフードを被らせて、彼女の視界を奪った。奇声が上がる。富子はフードを
上げようとするが、美紀がそれをさせない。美紀は、暴れ馬を乗りこなす心境で、愛想笑いを作り上げ、たじろぐ男に話しかけた。
「初めて、ですよね?」
「はい」
「紹介状は、ありますか?」
「い、いるんですか?」
 富子が何やら叫んだ。美紀の愛想笑いも、そろそろ歪んできた。
「いえ、なくてもいいです。どうぞこちらへ」
 美紀は富子の背中に覆い被さるように抱きついて、ぎこちない足取りで客室に戻り、お茶を出します、と呟いてから、スタッフ
ルームに入った。富子が、ようやく解放される。顔を真っ赤にし、前髪を額に貼り付けて、今にも飛び掛りそうな目をしていたが、
呼吸が乱れて、それどころではないようだった。美紀は、ここぞとばかりに口を開いた。
「お許しください富子様。あのようなみすぼらしい男が、この店にふさわしい人間だとはわたしも思いません。ですが、我らが
『シャングリラ』のことを考えれば、たとえ、あのような汚らわしい男とは言え、押し返すわけにはいかないのです」
「美紀さん」
「はい」
「ドア、開いているわよ」
 言われた意味がわからないといったふうに、美紀は首を傾げた。富子は、ため息を吐くと、鏡の前に立って髪型を直し始めた。
「うわ、やっば」
 美紀だ。ようやく気づいた。慌てふためいて両手を振り回しているが、もう遅い。広くはない店である。富子は、それを鼻で笑った。
「あなたに言われなくても、この店の経営状況くらい把握できていますわ。大体、誰があの男を押し返そうとしましたか」
 確かに、富子は口を開きかけただけであって、何か言ったわけではない。だが、前例があるからこそ、美紀は行動を起こしたのだ。
「す、すいません」
 美紀が大きな声で謝った。おそらく、富子に加え、男にも謝ったつもりだ。髪型を整え終わった富子が振り向き、笑った。
「いいのよ、美紀さん。でも、覚えておいて」
 富子は、一旦そこで区切ると、貼り付けた笑みを取り払い、凄まじい形相で美紀に詰め寄った。
「フードは、人を殺すわ。あなたにはわからないでしょうね。ええ、わかってたまるもんですか。わかっていたのなら、あんなこと
できませんわ。わたくし、人間ですの。人間は、鼻と口を塞がれてしまえば呼吸ができませんのよ。そんなこともわからないのかしら」
 わからないはずがない。だから、富子は、話は終わったとばかりに美紀から顔を逸らし、美紀は、その場にへたり込んだのだ。
「美紀さん。早くお茶をいれて来なさいね」

118 :選考外No.01 とある日常 4/5 ◇giGW7Jwhd:08/01/28 20:00:10 ID:+qrCveeM
「おまたせしました」
 美紀を残してスタッフルームを出た富子は、そう言って自分のソファに座った。緊張からか、男は背もたれに背中を預けていない。
「どうぞ、楽にしてくださいね」
 自分に言い聞かせるように、富子が言う。頷きはしたが、それでも男は、背中を預けようとはしなかった。富子は、テーブルの脇の
カードを手に取り、瞳を閉じた。精神を集中させているのだ。と、そこへフードを深く被った美紀が現れた。両手のトレーには、湯気を
立てているカップが二つ。トレーをテーブルに置き、男の前にカップを置く。もうひとつは、富子の方へ。ジャスミンティーだ。
この香りが、富子を落ち着かせる。鼻をひくつかせた富子が目を開き、カップを口に運んだ。それを見て、男もカップに口をつけた。
「お名前と、何について見て欲しいのか、お聞かせください」
 そう言ったのは美紀だ。富子はソーサーにカップを置くと、カードを持ち直して再び瞳を閉じた。
「飯田です。飯田敏也。少し思うことがありまして、自分の人生について見てもらいたいのです。これでいいのか、どうか」
 曖昧な相談内容だった。占い師側からすれば、楽でもあり難しくもある内容だ。小さく頷き、富子の双眸が開かれた。
 カードからは、すでにそれぞれのスートの2、3、4、5、6のカード、計二〇枚が取り除かれている。三十二枚のカードを、よく
シャッフルし、その後にカットを行う。この間富子は、飯田のことを強く念じていた。カッティングを終え、富子はトップカードから
六枚のカードを選び出し、裏に伏せたまま取り除いた。六枚、即ち、依頼者の名前の音数である。残った二十六枚のカードが占いに使用
される。小さく息を吐き、トップカードからカードを一枚取り出し、富子から見てテーブルの上方、飯田から見て手前のところに置いた。
数字は、ハートのA。逆札だ。浮かびかけた雑念を押さえ込み、次のカードを手にする。最初のカードの、左下に配置。ダイヤのK。
次は、最初のカードの右下。クローバーのA。テンポ良く次のカード。二番目と三番目のカードの下、ちょうど、最初のカードと対に
なるように置く。数字は、スペードの8。これでダイヤの形のレイアウトになった。飯田が神妙な顔で見つめる中、富子は次のカードを
手にする。四番目のカードの左下に置いた。クローバーのQ。次のカードは、その反対側。四番目のカードの右下だ。数字は、スペードの
10。富子の手が一瞬止まった。逆札ではない。富子の頭の中には、すべてのカードの意味が詰まっている。だから、どんなにテンポ良く
配置しようとも、数字を目にするたびに、その意味が頭を駆け巡る。富子は、もう眩暈がしそうだった。
 次のカードを手にして、二番目のカードの左に置いた。ダイヤの7。次のカードを置いて、レイアウトは星型になった。数字は、ハート
のJ。逆札。最後のレイアウトに入る。こちらは星型のレイアウトと分けて、四枚のカードを配置する。最初のカードがクローバー。
その右隣もクローバー。その下がハートで、その左隣はダイヤだ。この四枚は、数字を見ずに上下のスートの組み合わせで、近い将来と
遠い将来を占う。
 カードのレイアウトを終えた富子は、カードをテーブルの脇に置き、ジャスミンティーを啜った。ちらりと、美紀を見やる。フードが
邪魔して顔は見えない。しかし、きっと自分と同じ心情でいるだろうと、富子は思った。
 最悪だった。奇跡のような最悪。ここまで最悪な結果を、富子は見たことがなかった。カードは、配置された順に、運命、行動、現在、
性質、過去、未来、外部、内部の状態を見るものだが、そのどれをとっても最悪な数字が示されていた。
 どうしたものだろうと、飯田の眼差しに見つめられながら、富子は思った。

119 :選考外No.01 とある日常 5/5 ◇giGW7Jwhd:08/01/28 20:00:37 ID:+qrCveeM
「どうでしょうか」
 たまらず、飯田が口を開いた。急かされて口を噤んでしまっては、悪い結果だったのだと悟られてしまう。富子はゆっくりと話し出した。
「まず、あなたの人生ですけれど、過去はあまりよくなかったですね。環境に変化があり、病気にもかかった。不安におびえる毎日だった
でしょう。現在は、ちょうど吉凶の分かれ道に立っているところです。ですから、これからの行動次第では、未来は明るいはずです」
 飯田が、うんうんと頷いた。未来は明るいとは言ったものの、その未来を示すカードはスペードの10。何をやってもうまくいかない、
大凶のカード。どうしたものか。さらに、外部、つまりは男の対外関係を示すカードもダイヤの7。話し合いが不和になる暗示。
対内関係のカードは、ハートのJ。逆札である。本来の、チャンスに恵まれる暗示は逆の意味を持つ。チャンスを失うのだ。
「ええっと」
 思わず、迷いが口をついて出た。いったい、どう告げればいいのか、富子にはわからなかった。
「あまり、積極的な行動はしない方がいいですね」
 驚いて富子が顔を上げた。美紀が、フードを取って、飯田に優しく語りかけていた。
「あなたの運命は、相談相手に恵まれない傾向にあるようです。金運もあまり良くない。このままでいいのか、と仰いましたが、
何か行動を起こしているのなら、控えるべきです。近い将来も、苦労が絶えない割には実りも少ないという、暗示が出ていますし、
遠い将来には、冷静さを失くすことがあなたの運命をさらに悪くすると出ています。ですから、あまり気負わずに、のんびりと、
ゆっくりと、暮らしていけばいいと思いますよ」
 噛み締めるように、飯田は頷いた。
「なんだか、あまり良くないみたいですね」
「ですから、気負わないでください。占いなんて、当たるも八卦、当たらぬも八卦なんですから」
 お前が言うな、と富子は内心毒づきながらも、慎ましく飯田に微笑みかけた。
「そう、ですね。迷ったときは、また来ます」
 そう言って、飯田が立ち上がった。美紀が、会計に向かう。二人がいなくなったのを見計らって、富子は大きくため息を吐いた。
「せ、せんせー!」
 絶叫と共に美紀が、走ってきた。何事かと腰を上げた富子は、美紀が手にしている札束を見て、今度こそ眩暈に襲われた。
「何だか、すごく気が晴れたから、受け取ってくれって」
「そ、そう」
「あの、先生? こんなにあるんだから、賭けで負けた代金。払ってくれますよね?」
「だ、駄目よ。あ、あなた、経営が厳しいってこと、知っていたんじゃなくて?」
「で、でも――」
「お黙り!」
 美紀が悲鳴をあげ、富子はわざとらしく高笑いをした。                        おわり



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