【 暴れ猿忍法帳〜隠密蟲遁の陣〜 】
◆dHfRem3ndk




8 :No.03 暴れ猿忍法帳〜隠密蟲遁の陣〜 1/4 ◇dHfRem3ndk:08/01/19 01:50:41 ID:7CnOJdyG
 下弦の月の照らす中、身を切る程寒い空気を縫って、人気も無い山中を音もなく走る影が一つ、追う影が一つ。

 赤彦は身の軽い忍びであった。里で赤彦ほど高く飛べるものは居なかったし、迅く走れる者も数える程である。ましてや山中を駆ける状況で、よもや自分を追える者がこの世に居るとは思えなかった。
 赤彦は逃げる、上忍より受けた命は、その身に変えても果たすのが忍びの掟、元より此の身は一個の道具であればそれでよい。何としても盗んだ刀を頭領に届けねばならぬ。だが足止めに四人使っても、追っ手の気配は途絶えない。
 残るは赤彦、唯一人。焦りは冷たい汗となって、赤彦の体にまとわり付いていた。

9 :No.03 暴れ猿忍法帳〜隠密蟲遁の陣〜 2/4 ◇dHfRem3ndk:08/01/19 01:51:22 ID:7CnOJdyG
 赤彦の痕跡を、猛々しい猟犬のように追う侍は、その名を吉田小次郎伝助と言う。
赤貧郷士の三男坊として生を受け、七つで寺へ出される所を、荒い気性を買われて吉田家の養子に取られ剣術の修行をして十余年、石破一心流目録の腕前である。
 小次郎は手柄に飢えていた。太平の世には戦場で手柄を立てることは叶わぬ。
 ならば己を侍として育ててくれた恩を、どのようにして両親に返せばよいのか。
 両親は主君に使えることが侍の本懐であると云う。
 日々、忠孝を如何に返さんと思っていた小次郎に、主君の刀を盗んだ賊の討伐は千載一遇の好機であった。
 主君より受けた命は、その身に変えても果たすのが武士の道、元より此の身は一振りの刀であればそれでよい。
 鬼神の如き膂力で暗闇から襲う四人を、鎖帷子毎切り捨て、足に刀傷を負いながらも小次郎は狂犬の様に走る。

10 :No.03 暴れ猿忍法帳〜隠密蟲遁の陣〜 3/4 ◇dHfRem3ndk:08/01/19 01:52:10 ID:7CnOJdyG
 四半刻も経たぬ内に、小次郎の目が木々の疎らになった場所を走る男の影を捉えた。
 その刹那、小次郎は「蛇」とも「射」とも付かぬ叫び声を発し小柄を投げる。
 小柄は狙い過たず赤彦の足に刺さり、赤彦はその場に蹲りこちらに手裏剣を投げた。

 小次郎は己が身に可能な限りの最速最短の動きで刀を抜き、神速で上段から切り下ろす。敵の飛び道具が例え急所に当り死に至るとしても、己の刀は相手を斬り殺す。
 最悪、相手を殺しさえすれば、仲間が殿の刀を回収できる。
 しかし赤彦が投げたのは手裏剣だけではなかった、真昼のような閃光と音が轟き当たりを照らす。
 辺りに黒煙が立ちこめる、所謂火遁の術である。

 赤彦は即座に背を向けて逃げようとした、だが黒煙を越えて踏み込んできた小次郎の刀が背中を薙ぐ。
 小次郎は咄嗟に右目を瞑り、左目を閃光の犠牲にして刀を横凪に払った。広範囲を潰す苦肉の策である。
 小次郎の斬撃は赤彦の鎖帷子で止まったが、その衝撃で盗んだ刀心が鞘から抜け落ちた。
 ――目の前の侍は死に物狂いの状態にある。現状で制することは不可能と判断した赤彦は、迷わず服の切れ目から抜け落ちそうな鞘だけを掴んで走り去る。
 小次郎は閃光が止んだ事を確認し、左目と入れ替わりに右目を開き、閃光に潰されていない眼で賊を探す。
 青光り刺す主君の脇差しを拾い、尚も賊の逃亡の痕跡を探そうとした時、小次郎の耳に不快感を催す面妖な音が聞こえた。
 
 

11 :No.03 暴れ猿忍法帳〜隠密蟲遁の陣〜 4/4 ◇dHfRem3ndk:08/01/19 01:52:48 ID:7CnOJdyG
 其の音こそ最初の手裏剣で巣を壊され、光と音で起こされた蜂のうなり声。此の場所こそ、赤彦が小次郎を誘い込んだ逃走のための大仕掛けであった。

 さすがの小次郎も唸りを上げる蜂の大群に、賊の逃走を断念するしか無く、体中を刺されながらも刀を届けるべく無念の退散をした。


 辺りが静まると、少し離れた場所にある池の中から、逃走に成功した赤彦が岩陰に紛れつつゆっくりと身を起こす。

 侍の中にも、自分と同じぐらい山の中を走れるものが居る。
 忍術を使って戦えば、どちらが?
 敵愾心――心を凍らせ忍びの技を磨いてきた男に、初めて人間らしい感情が浮かんだ。

 赤彦は暫く、狂犬の様な侍が逃げたであろう方向を見た後、知らず弛んでいた頬を引き締め、再び闇に消えた。
 下弦の月はまるで何も無かったかの様に、戦いの音が消え去った山中を照らしていた。

おわり



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