【 朝を迎えに行こう、二人で 】
◆RikiXMX/aY
97 :No.25 朝を迎えに行こう、二人で 1/4 ◇RikiXMX/aY:08/01/06 23:53:20 ID:BZa8+mJh
明けない夜はないってみんな平気で言うけど、本当はそんなの嘘なんだ。
だって、私の夜は二年前のあの日からずうっと明けてないんだから。
亀島駅前のレンタルビデオ屋のバイトが夜中の五時過ぎに終わって、私はやっと帰るところだった。
駅前とは言ってもさすがに夜中の二時にもなれば、明かりは少ない。っていうか、ほとんどない。
自転車通勤の私はいつも通り、せめて街灯の多い駅前通りを通って帰ろうとしていた。
二年間も暗闇の中にいるからさすがに少しは慣れるけど、やっぱりこんな時間に一人で帰るのは心細い。
バイトの同僚にも「まだ若いんだから、誰かに迎えに来てもらうとかすればいいのに」なんて言われていた。
仕事の関係で年をごまかしてはいるけれど本当はまだ十七歳なんだし、無理して働く必要なんてなかった。
でも、これ以上誰かを頼るわけにはいかないんだ。
また誰かを頼ってしまえば、あの時と同じようなことが起きるかもしれないから。
二年前、私が中三で高校受験の年のことだ。
その頃は近くの塾に通っていて、たびたび遅くまで、酷い時には夜中の十二時過ぎまで居残って勉強していた。
そうするといつも、心配だからってお兄ちゃんが迎えに来てくれた。
そして二人で月を見上げたりしながら、いっつも手を繋いで帰ったの。あったかい手。今でも覚えてる。
私は、そんなお兄ちゃんが小さい頃から大好きだったんだ。
だから私はお兄ちゃんにずっと甘えてきた。……そういう甘えが、結局お兄ちゃんを死なせてしまったのに。
十二月二十三日の夜だった。
いつも通り私がお兄ちゃんに迎えに来てもらった時、塾に忘れ物をしたので取りに戻ったのだ。
青信号の横断歩道を渡っていたとき、急に後ろから突き飛ばされて、驚いて振りむくと――
駄目。あの光景は、もう思い出したくない。
自分の家族が、目の前で轢かれる光景なんて、考えたくもないでしょう?
お兄ちゃんと私は救急車で病院に運ばれたけど、二十四日三時四十七分、私の兄、笹原浩介は息を引き取った。
十九歳、大学に通い始めた時だった。ひき逃げ犯は、未だ捕まっていない。――全部、私のせいなんだ。
……と、そんなことを考えながら自転車を走らせていたら、後ろから声を掛けられた。「おい、里奈、俺だよ」
振り向く必要もない。無視する。でも今日は彼もしぶとく追いかけてきて、言った。「浩介だよ、お兄ちゃんだよ、里奈」
98 :No.25 朝を迎えに行こう、二人で 2/4 ◇RikiXMX/aY:08/01/06 23:54:05 ID:BZa8+mJh
幻聴や幻覚を見るようになったのはお兄ちゃんが死んでからだ。
病院でお兄ちゃんの死を聞いた瞬間、耐えられないぐらいの感情のかたまりが襲ってきて、私はすぐに気を失った。
気が付いたら病院のベッドに寝かせられていて、お父さんとお母さんが心配そうに見つめていた。
そしたら、お母さんが急に私の耳元でこうささやいた。「お前が浩介を殺したんだ」
もう耐えられなくて、布団を被ってずっと震えていた。ごめんなさい、ごめんなさいって唱えながら。
後から知ったけれど、お母さんは全然そんなことを言ってなかった。あれは私の幻聴だったのだ。
でもこの幻聴や幻覚は、生きている限りずっとついてまわると思った。
それから二年間、私は太陽の日差しを見ていない。
事故の次の日、お兄ちゃんは誕生日だった。なのにお兄ちゃんは誕生日の朝を迎えることなく、死んでしまった。
だから私も、朝を迎えられない気がした。日の光を浴びる資格がない気がした。
いつしか私は日が落ちると目がさめ、日が昇る前に眠りに落ちる体質になっていた。それが運命だと思っていた。
「里奈、お前最近顔色悪いだろ」
隣のお兄ちゃんにそう話し掛けられるけど、私は無視する。
これだってしょせん幻覚だ。どうせ最後には酷いことを言うに決まっている。
「里奈ぁ……せっかく久しぶりに来てやったのに、無視すんなよぉ」
信号が青になった。私は自転車を発進させようとする――と、お兄ちゃんが腕を掴んだ。
「あのさ、あの事故なら里奈は全っ然悪くないんだぞ?」
そんなことを言うのだ。幻覚のくせに。
私は言ってやる。
「もう私に構わないでよ。お兄ちゃんは死んでるの、どうせ私の妄想なんでしょ? だからもう消えて」
そう言って自転車を動かした。ペダルをめちゃくちゃにこいで、走った。
幻覚だから逃げようったって無理なのに、必死で走った。
……そうして気が付くと、私はセブンイレブンの前にいた。
どうせならこのまま家に帰ればよかったのに、どうしてか来てしまった。
今なら、橋本さんも働いているだろうか。彼と話していれば、幻覚だって少しなら気にならなくなるかもしれない。
私は自転車を止めて、セブンイレブンに入った。バイトの橋本さんは、いつも通り働いていた。
99 :No.25 朝を迎えに行こう、二人で 3/4 ◇RikiXMX/aY:08/01/06 23:54:57 ID:BZa8+mJh
私の生活習慣があれだったから夜食を買うことが多くなり、家に近いこのコンビニにはよく立ち寄るようになった。
それからだろうか、いつも顔をあわせるバイトさんと仲良くなった。それが橋本さんだ。
橋本さんには家族のことは話してない。そんな暗い話をする相手じゃない、と思っていたからだ。
「こんばんはー。橋本さん、元気にやってますかぁ?」
……と、その次の言葉が出なかった。橋本さんの、その表情を見て、息を呑んだ。
橋本さんは、震えていた。青ざめていた。言葉を失っていた。
そして私を見つけるなり、涙ながらにすがりついた。
ごめんなさい、俺を許してくれ、と。
そして私ははじめて知った。橋本さんが、あの時逃げたひき逃げ犯だったことを。
橋本さんは涙ながらに懺悔した。怖くなって逃げたんだと。君の兄だったなんて、知らなかったんだと。
「でも、どうして今、私に?」私は尋ねた。
橋本さんはしゃくりあげながら、言った。
「だって、さっき、来たんだよ。俺が殺したあの人の、幽霊が」
嘘、嘘だ。
だってあれは、私の幻覚――。
私は走り出した。
お兄ちゃんを探して。
お兄ちゃんは、事故現場に立っていた。
100 :No.25 朝を迎えに行こう、二人で 4/4 ◇RikiXMX/aY:08/01/06 23:55:36 ID:BZa8+mJh
私は無我夢中で叫んだ。お兄ちゃんを、呼んだ。
お兄ちゃんが振り向いた。
「ああ……会いたかったよ。本当に」
事故現場で私はお兄ちゃんに飛びつくと、昔のように頭をなでてくれた。
「ありがとう、里奈に会いに来れるのは、今日だけなんだ」
私は思い出す。今日こそ、お兄ちゃんの命日だったことを。
私は泣いた、お兄ちゃんの胸の中で泣いた。それは昔、お兄ちゃんが生きていた頃のように。
気付けば、日が昇ろうとしていた。お兄ちゃんが耳元で言った。
「高速の陸橋に行けば、朝日が見られるよ。朝を迎えに行こう、二人で」
私はうなづいた。
私たちがちょうど辿り着いた頃、向こうから朝日が昇ろうとしていた。
お兄ちゃんは言った。俺は里奈を、朝に連れてきたかったんだ。
もうすぐ、消えちゃうから、さよならだね。
でも、お兄ちゃんはいつでも里奈の傍にいるからね。
私は抱き締められながら、朝を迎えた。
二年ぶりの朝日が、まぶしかった。
了