【 奇妙な似顔絵 】
◆VrZsdeGa.U




2 :No.01 奇妙な似顔絵 1/5 ◇VrZsdeGa.U:08/01/05 12:43:29 ID:bfKhySXu
 私が今からここに記すことは、あくまで他人の体験したことをそのまま原稿にしたものである。
よって、真偽の程は定かではない。だが、例え虚偽の話だとしても、気にも留めず捨てておくには勿体ないものであったので、
こうした形で残しておくことにした。これが都市伝説のように世間に出回るかどうかはさておき、
読んだ貴方の心には留めておいてもらいたいと思う。そして、気を付けてほしい。

 夜も更けた頃、原稿の執筆に行き詰まった私が行きつけの居酒屋で、枝豆やら焼き鳥やらをつまみながら、
ビールに心を預けて始めてからしばらく経った時のだった。入口の引き戸が開いて、背広姿のサラリーマンと思しき客が何人か入ってきた。
一人は小太りで短髪、もう一人がいかにもなエリートを伺わせるメガネを掛けた七三、
そしてあと一人が筋骨隆々が背広の上からも伺える坊主頭の強面の三人、全て三十代前後の男だった。
三人は店の厨房に向かうカウンターの席に付き各々の注文を頼んだ後、
水を口に含んだり、おしぼりで手を拭いたり、背広を脱いで椅子に掛けたりと、
各々のやり方で居酒屋の雰囲気に慣れようとしていた。私の記憶の中にその三人の認識はなく、
店員の対応などから察しても、決して常連、というわけではないようだった。
私は彼らが店に入ってきた時と、席に座った時に一瞥した程度で印象に残るほどの三人でもなかったはずだ。
しかし、小太りの男がおもむろに発した「この間、凄く怖い思いをしたんだ」、という言葉が私の興味を惹いた。
幸運なことに、私は入口から入って右手の御座に、彼らは入口から入って左手のカウンターに席を取っていた。
つまり、三人は私に背を向ける形で座っていたので、私が多少不審な動きを取った所で、彼らにそれが知れる懼れはない。
心おきなくその興味深い話をありのままに記すことが出来たというわけだ。私は即座に胸ポケットからペンと手帳を取り出し、
詳細を事細かに記しにかかった。途中、泥酔しきった中年の高笑いや、チンピラの怒鳴り声で聞き取れなかった所はあったが、
こうして書き記す分には問題のないメモは出来たと思う。
では、始めよう。

 ある休日の有明の月が残る朝、彼が週に一度のジョギングに勤しんでいた時のことであったという。
その日は下水道工事によっていつも走るはずの道が通行止めになっており、進路を変えざるを得なかった。
その途中、T字路を左に曲がった先の小さなトンネルに人の影が見えたそうな。徐々にトンネルの入口に近づいていくと、
暗がりによって見えなかったその輪郭が明らかになっていき、その正体が相当歳を食ったと見える老人であるとわかった。
頭には鬢に僅かな白髪が残りほとんど禿も同然で、顔は皺だらけ。焦げた茶の相当着古したと見える浴衣のような着物
(恐らく正式名称がわからなかったのであろう。浴衣のような、という形容詞が浮かぶまでに苦労していた)を纏い、
簡素な下駄を履いていたという。

3 :No.01 奇妙な似顔絵 2/5 ◇VrZsdeGa.U:08/01/05 12:43:54 ID:bfKhySXu
 初めは見なかったことにし、通り過ぎることを考えていたそうだが、前を横切った瞬間老人が「ちょっと」、と声を掛けるので
思わず足を止め振り返ると、「似顔絵を描かせてもらいたいんだが」、という。
老人の傍らにはアタッシュケースが拡げられており、その中にはパレットやらスケッチブックやらが詰められていたそうだ。
「五、六分で終わるから」というので、気味が悪い気はしたが言われるままにその老人の前に座り似顔絵の被写体となると、
老人はアタッシュケースの中からB4サイズのスケッチブックと鉛筆を取り出し、サラサラと音を立て白い紙を黒く染めていく。
時たま自分の顔をチラっと見ながら鉛筆を動かす様子は、素人の彼から見ても手慣れた感が伺えたらしい。
五、六分で終わるから、という言葉通り老人はその程度の時間が経つと鉛筆を置き、
スケッチブックから紙を一枚切り離すと彼にそれを差し出した。どんな出来かとスケッチブックを見てみたが、
その絵は画いている最中の老人の様子から期待していた出来とは違って、自分の顔には全く似ておらず線も粗かったそうだ。
その上彼の顔には黒子も何もないのに、左頬のあたりに黒い塗りつぶした様な大きな点が加えられていたという。
しかし、せっかく描いてくれたのに蔑ろにするわけにもいかず、彼は紙を四つ折りにしてポケットに入れ、
「ありがとうございます」と言いつつ愛想笑いを送り、そのトンネルから離れ再びジョギングを開始した。
そこまで話した所で、喉を潤すため彼はコップの水を口に含んだ。

 それっきり、その出来事は彼の頭から消え去ろうとしていたのだが、次の日の朝、会社への支度の途中洗面台の鏡に向かうと、
左頬にそれまではなかったはずの大きな吹き出物が出来ていたという。その時消えかけていた前日の出来事がふとの脳裏に浮かび、
自分の部屋に戻ってジャージのポケットから四つ折りの紙を取り出し広げると、
確かに左頬に、しかも寸分狂わず同じ位置に黒い点は印されていた。無論不思議に思い通勤に向かう進路を変え、
例のトンネルに向かったが老人の姿はそこにいなかったそうな。仕事から帰った夜にも再び訪れたが、同じことだったという。
多少気落ちしながらマンションへと帰り、食卓にてもう一度じっくりとその紙を見ていると、
右上隅に小さく「壱」「参」と記されているのを発見した。初めはそれが何のことか露にも思い浮かばなかったものの、
やがて明らかになるから、ともったいぶって彼はその時点では深く掘り下げなかった。
 そうして通勤、帰宅の途中にトンネルを訪れる日々を繰り返すうちに、吹き出物はすっかり無くなり、老人とは出会うことがないまま、
休日が訪れた。勿論その日もいつも通りジョギングに勤しみ、例のトンネルへと差し掛かると、先日と同じように老人がいたという。
彼はここぞとばかりになぜ吹き出物をあの時描いたのか、あの数字はなんなんだなど、根掘り葉掘りその老人に問いただしたが、
「さぁなぁ」だとか「わからんなぁ」だとか適当な返答ではぐらかされてしまったそうだ。
ただ、彼の何故明朝にしか姿を現さないんだ、という問いには「お天道様が見てる時はこんなことできねぇのよ」と答えたそうだ。

4 :No.01 奇妙な似顔絵 3/5 ◇VrZsdeGa.U:08/01/05 12:44:15 ID:bfKhySXu
そうこうしているうちに「ほら出来た」といって、いつのまにかまた同じようにスケッチブックから切り離した紙に画かれた絵は
(申し訳ないが、彼が話を省略したのか、それとも私が聞き取っていなかったのはわからないが、いつ似顔絵を画き始めたかの詳細は
ここに記すことは出来ない)、例の如く似ても似つかないものであった。前に画かれた絵と違う点といえば、左頬から何もなくなり、
額に太い一本線が引かれていた所だったそうな。右上隅に注目すると、これも前と同様、「弐」「陸」と記されていた。
 頭に太い線、というと頭に切り傷でも負うのか、と多かれ少なかれ不安を抱きながら日々を過ごしていたが、
彼の予想は外れ、結果頭痛を患う事となったそうだ。仕事を休むほど酷いものではなかったが、
時々思い出したように彼の頭を襲う性質の悪いものだったという。頭痛薬を飲んでもさして効果はなく、
いつになればこの痛みが治まるのやらと思いつつ過ごしていたが、頭痛が始まってからおよそ一週間経つ頃にはコロッと痛みは消えた。
 そうして過去の出来事を統合していくうちに、彼の中でもしや「壱」やら「弐」やらは実際の顔や体調には現われていないが、
その似顔絵には描かれている事が起きる時間を表しているのではないか、という推論が出来上がったらしい。
加えて「参」やら「陸」はそれが癒えるまでの時間。
所詮その裏付けには材料の乏しい推論ではあるが、完璧に否定できるほどのものでもないだろう? 
と雄弁に語る彼の真剣に満ちた表情が横顔からも伺えた。話しかけられた二人もそれにまぁそうだな、と同調していた。
 彼が頭痛を患っている間、ジョギングに出かけることは出来なかったため、老人に出会うことは適わないでいた。
二週間ぶりのジョギングに向かう際は、彼曰く、近所の主婦が休日を利用して旅行に出かけるから、預かっていてくれないか、
と押しつけられた犬を引き連れて出かけたそうだ。
そして誘われるように例のトンネルに差し掛かると、言うまでもなく老人はトンネルの壁に寄り掛かって座っていた。
諦めずその時もあらゆることを問いただしたが、結局その時も同じような反応しか返ってこなかったという。
ふと老人が引き連れた犬に気付くと、「あんたばかり画いてるんじゃつまらんなぁ」、
とおもむろにスケッチブックと鉛筆を取り出し、犬へと視線を固定しながら「よし、お前を画いてあげよう」と言う。
そうして彼を画く時と同様視線を行ったり来たりさせながら鉛筆を動かし、また五分程度した後、
「出来た」といってスケッチブックからその紙を切り離す。まさか犬の病気や怪我まで予見出来るのか、と思いつつ、
紙に疑いの視線を向けると、そこには真っ白な紙しかなかったのだという。確かに鉛筆は動いており、音も聞こえたんだ、
と後で彼が半ば取り繕うように話していた。「何も画いてないじゃないか」、と彼が聞くと「ちゃんと画いてあるよ」と言って聞かない。
一応、もう一度視線を紙に移すと、右上隅に「伍」と画いてある。
今度は「もう一つ数字が書いてないじゃないか」と、「さぁなぁ」とはぐらかされてしまった。
 そして翌日――

5 :No.01 奇妙な似顔絵 4/5 ◇VrZsdeGa.U:08/01/05 12:45:09 ID:bfKhySXu
 そこまで話した所で小太りの男は口を噤んだ。この時、結末を知っていれば、もしくはこの話にさして興味も湧いていなければ、
再び口を開かせようとする必要はなかったのかもしれない。しかし彼は話の止め所を間違えたのである。
ここまで話して終わりでは、後味の悪さが残るのみに決まっている。それを無意識のうちに認識していた連れの二人は、
無論、口を開くことを躊躇っている彼に「それで、どうした?」、とその続きを話すことを促した。
もし私に自制心があと僅かでも欠けていれば、私もその例に漏れず、食いかかるような勢いで続けてくれと頼んでいたであろう。
コップに入ったビールが全く減っていないことが、何よりの証拠だった。
彼は二人の勢いに負け、意を決したように「わかった」と言って、コップの水を口に含んでから、再び口を開いた。

 五日後、その犬は死んだという。犬が死んだ翌日、通勤に出掛ける途中にマンションの管理人と住民の噂話が耳に入ったそうだ。
管理人の「あそこの奥さんの犬、死んだんだってねぇ」という言葉を聞いた瞬間、
背筋に言いようのない恐怖めいたものが背筋に走るのを感じたという。まさか、と思い彼は記憶を巡らせた。
あの紙が真っ白だったのは、この世からいなくなるという暗示で、右上隅に「伍」とだけ記されていたのは、
死ぬということに治癒など施されないため、それ以外に記しようがないということ。あの老人は生死まで予見できるというのか。
歩きながらそこまで考えた所で、彼は下水道工事が彼の駅に向かうまでの道へと延長されたことを知らせる看板を見つけた。
進路を変更せざるをえないな、と思った所で、ふとある懸念に気付いたという。通勤のために向かう道には二通りしかないらしく、
その一方はそうして遮断された。ではもう一方はといえば、例のトンネルを通らなければいけない、というのだ。
確かにあの老人は明朝にしか姿を見せない。しかし、彼にはどうしてもそこにあの老人がいるような気がしてならなかったそうだ。
だが背に腹は変えられぬ、と意を決しもう一方の道へと足を運んだ。トンネルに近づくにつれ心拍数は上がっていく。
そして例のトンネルへと通じるT字路がみえた。T字路を曲がり、トンネルが見えると――
悪い予感って当たるんだな、と彼は言った。老人の姿が見えてしまったそうだ。
「お天道様が見えないもんでなぁ」と快活に笑う老人の顔が、悪魔にも見える気分だったそうだ。
突然、老人が何かを思い出したようにアタッシュケースから二つ折りにされた紙を取り出した。
恐らく、あのスケッチブックから切り離したものだろう、と推測はすぐに立ったという。
「あの後あんたの似顔絵も画いてみたんだよ」と老人が言った。恐る恐る老人からそれを受け取り、手を震わせながらそれを開くと――
真っ白な紙しかそこにはなかったという。仰天の余り腰を抜かし、倒れこんでしまった彼は、
思わず落としてしまったその紙の右上隅に例の如く「参」と記してあるのが見えた。
限界で堰き止められていた恐怖が、その瞬間一気に襲ったそうだ。彼は即座にその紙を投げ捨て、
抜けた腰をなんとか元通りにし、一目散にその場から逃げたという。

6 :No.01 奇妙な似顔絵 5/5 ◇VrZsdeGa.U:08/01/05 12:45:29 ID:bfKhySXu
 そしてその三日後といえば、全身を震わせながら、どこにも出かけず、ひたすら家に閉じ籠っていたそうだ。
会社は適当な言い訳をつけてサボり、もしや食べ物になにか毒が仕込んでいるのでは、と思い何も喉に通さず、
ただ時の過ぎるのを待つのみで、生きた心地がしない一日を送ったという。
一睡もせず迎えた朝に昇った太陽の日差しには、神の救いさえ感じた、と彼は半ば大袈裟に語っていた。


 以上が私が聞きとった話である。あの後幸いにも下水道工事はすぐに終わり、それから二週間が経ったが、
例のトンネルには一度も足を運んだことはないということだった。その後小太りの男のポケットから携帯電話の着信音が鳴り響き、
店の外で数分話した後戻ってくるなり、「ごめん、ちょっと用事が出来た」と二人に詫びて、彼は店から去って行ってしまった。
まさか残った二人に話を聞くわけにもいかず、やがてその二人も勘定を済ませ、そそくさと夜の街に消えていった。
畢竟、私がその話についての仔細を知ることはその時には適わなかったわけだ。
後日、私は有明の月が残る明朝に町内のありとあらゆるトンネルを回った。
あの小太りの男が別の町の住人ではないか、と隣町にも足を運んだ。
しかし、私が老人に出会うことはなかった。
例の居酒屋に毎日のように入り浸り、彼が来ないかと待っても見たが、彼どころか、残る二人さえも姿を現すことはない。
あの時、強引にでも小太りの男を引き止めるか、残った二人にでも連絡先を聞くべきだったかと、今では後悔している。
連絡先を聞いた所でどうにかなるわけでもないとは思うが。
何故、太陽の昇らない明朝にしか姿を見せないのか、何故お天道様が見えないと姿を見せられるのか、
その老人とは死神の一種でもあるのだろうか。私には知る由もない。しかし、朝日に救いを感じるとは、何とも滑稽な話だ。
 ……もしや、あの三人は小太りの男が見た老人のように、私が酔いのせいで見た幻影だったのだろうか。
しかし、まさかそんなことを肯定するわけにもいかず、私は今日も明朝に遠くの町へと足を運んでトンネルを渡り歩き、
夜にはこうして居酒屋でいつも通りビールに心を預ける振りをしながら、この原稿を執筆している。
彼らが店を訪れてから、一週間が経った。テレビでは番組の合間のニュースで、悲惨な出来事をいくつか伝えている。
「次のニュースです。今日未明、男性が車に轢かれ、即死するという事件が起きました。被害者は二十九歳の男性で――」
 まさかなぁ。



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