【 トワイライト 】
◆D8MoDpzBRE




2 :No.1 トワイライト 1/4 ◇D8MoDpzBRE:07/12/16 01:05:37 ID:cQkbnrZ1
 都会の雨が夜の景色をにじませる。原色の光源が僕たちの周りを精霊のように巡っている。
 僕は雨傘の軒先を君に貸して歩く。
「肩が濡れてるよ」
「……平気」
 マフラー越しに返される君の言葉は、通りすがる車の排気音にかき消されてしまう。
 雨脚は弱い。どうかこの雨が止みませんように、と願った。あと五センチが遠くて、奇妙な距離感にさいなまれる。
体熱を欲して心が疼いている。
 駅前通りはクリスマスの粉飾にあふれていた。電飾の乱反射が幻灯のように揺れている。雨なのに、街は聖夜の
降臨を待ちわびている。
 夜の街を、僕は夢のようだと思う。ふわふわと漂う光の群れが、僕という実体とあまりに懸け離れているから。
 いつか必ず夜明けがやってきて、僕から夢を奪っていく。
「寒くない?」
「……平気」
 耳をそばだてていないと、君という存在を確かめられなくて悲しかった。
 三年前の君は――もっと遠かった。君は人妻だったし子供も二人いた。それは今でも変わらないけれど。
 そう、何も変わっちゃいなかった。僕には何も変えられなかったんだ。
「いつでも優しいんだね」
 不意に、君の言葉が僕の心に刺さる。見ないようにしていた君の顔を、少しだけ覗き見る。
 目が合って泣きそうになる。
「優しくなきゃ意味がない」
 僕は精一杯、言葉を紡いだ。
「ありがとう。私たち、最初から全然変わってないね。本当に」
「うん」
 街灯がこの瞬間も揺れている。
 僕は勇気を出して君を抱き寄せた。なるべく力強く、君が抗っても揺るがないように。
 規則正しい震えを感じた。君は一切の抵抗を放棄して僕の腕の中にいる。雨の冷たさに凍えながら、必死で強がっ
ていた。僕は少し後悔した。
「生まれ変わったら、何になりたい?」
 君が言う。
 僕は首を振る。

3 :No.1 トワイライト 2/4 ◇D8MoDpzBRE:07/12/16 01:05:58 ID:cQkbnrZ1
「仮定の話に意味なんかない」
「そうだね」
 僕たちの間で何かがすれ違い続けている。素直に君と向き合えないからだろうか。二人は歪んだ立体の対角線同
士のように、交わる瞬間を経ることなく離れていく。
 近づきたいと希求して、埋めがたい距離に跳ね返される。いつまでも。
「カモメ、かな」
 僕は呟いた。
 君はきょとんとして僕の方を見返す。
「何の話?」
「生まれ変わったら」
 僕の返答に、君がクスリと笑う。
「どうして?」
「カモメなら何でも見えるだろ? 真昼の海の上空から、水平線も陸も太陽も。欲しいもの全てがある」
「欲張り」
 歩く僕たちの目の前に大通りが迫ってくる。片道三車線の国道は、夜の間もひっきりなしに車を行き交わせる。光
の帯が河の流れのように横たわって、僕たちの行く手を阻んでいる。
 渡れなければいいのに、と思う。天の川だって雨が降っていれば渡れないのだ。今日みたいな雨の日には。
 君が僕の手を引く。
 僕はそっと頷いて雨傘を閉じた。君との距離が広がる。
 コンクリートの屋根がある小さな空間から、地下に向かって階段が伸びている。国道の対岸へと続いている。二人
並んで、一歩一歩下っていく。
 坑道のようだ、と思った。何故そう思ったのかは分からない。コンクリートの地下道と坑道なんて、実際には似ても
似つかないのだろう。足音がカツンカツンと硬質な音を響かせている空間は、薄暗い蛍光灯に寂しく照らされていた。
 雨音が遠ざかる。
「もうすぐクリスマスだったんだね」
「気付いてたよ、僕は」
 君の意地悪な言葉に、僕は少し憮然とする。
 携帯電話で会話している人とすれ違う。とても急いでいるようだった。耳障りな足音を残しながら、僕たちが何分も
かけて歩いてきた道を数十秒で通り抜けてしまった。
 時間は不平等に流れている。

4 :No.1 トワイライト 3/4 ◇D8MoDpzBRE:07/12/16 01:06:25 ID:cQkbnrZ1
「お別れなんだね」
 君が言う。
「やめろよ」
「……ごめんね。怖くなってきちゃったの。確かめたって何も変わらないのに」
 君が感じている怖さは、多分僕が感じている怖さと同じだ。
 店じまいしたショーウィンドウが、地下街を寂しく飾っていた。行く先に上り階段が見える。
 君が立ち止まる。
 涙が君の頬を伝う。抗いがたくこぼれ落ちて、君はむせぶ。僕の目頭に伝染する。
 僕は言葉を持たなかった。裸同然だった。
 ただ、抱きしめた。君が君でないように思えた。小さくて柔らかい君の身体は、確かに君であることを主張している
のに。
 最後の抱擁になる、という意識が生々しく芽生えた。全身の神経が逆立って、この感触を忘れまいと軋んでいた。
「たったの一度、奇跡が起きたらいいのに」
 君が小さな声で言う。
 奇跡なんてない。そう思うけれど、口には出さない。僕は心の中で繰り返す。今、二人が感じている以上の奇跡なん
てこの世にない。
 僕は、三年前からこの瞬間がやってくることを知っていた。

 時間が迫っている。
「時間だよ」
 僕が呟く。
 君は応えない。頑なに否定している。
「時間だ」
 もう一度、僕は言う。君は動かずに、ただ震えている。君を引き剥がすように腕に力を込めるけれど、君はあくまで
抵抗する。
「君は、いつもそうやって誰かを困らせている」
 僕は君を突き飛ばす。君は、バランスを失って尻もちをつく。カコン、とヒールが音を立て、人通りの少ない地下道
に響いた。
 君の小さな手は今、冷たい床から強かに熱を奪われているだろう。でも僕はもう、手を差しのべたりはしない。君の
全てを遮断する。

5 :No.1 トワイライト 4/4 ◇D8MoDpzBRE:07/12/16 01:06:50 ID:cQkbnrZ1
 自力で立ち上がる君を見て、僕は最後の階段を上がる。後ろから歩いてくる君の気配を確かめながら。
 いつものように、切符を買って君に手渡す。
 今度は僕が、君の後ろ姿を見送る。
 君が改札を抜ける。
 何故か今、三年前に君と行った花火の帰り道のことを思い出していた。東京湾の花火。あの時、君は浴衣を着てい
た。駅も違った。
 どうかしている。
 僕は小さくかぶりを振った。君の姿はもうなかった。

 帰り道、雨は既に止んでいた。僕は雨傘を杖のように突きながら歩いた。
 猫の声がして振り向いた。
 僕の目は、果てしなく広がる闇しか映さなかった。
 黒猫の声だったのだろう、と思った。

[fin]



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