【 初恋は実らない 】
◆Xenon/nazI




2 名前:No.1 初恋は実らない 1/5 ◇Xenon/nazI[] 投稿日:07/12/08(土) 00:12:23 ID:mZC0Wj0e
 雨宮由佳、十六歳。身長は百五十センチ未満詳細不明、体重不明。成績は中の下、頭はあまり良くない。その
代わり、体を動かす事は得意。しかし何故か運動系の部活には入らず、所属は文芸部。文章を書くのが巧いかと
聞かれると、正直それ程でもない。入部動機は至って不明。
 何故こいつが文芸部に入部したのか、なんて事はどうでもいい――いや、気にならないわけではないが。
 問題は、だ。どうやら、俺はこいつに惚れてしまったらしいという事だ。どこで何をどう間違えたのやら。
 顔は、美人というわけではないが、不細工というわけでもない。区分するとすればかわいい系、と言った所か。
俺好みの顔かと聞かれると、返答に困る。生まれてこの方異性と付き合った事がなければ、そもそもにして異性
に興味を持った事すらなかったからである。
 ――当然、同性に興味を持っていたり、同性と付き合ったりしていたなどという事はない。
 よって顔が俺好みだったから惚れた、という事はなくなるわけだが。では性格に惹かれたのかと尋ねられれば、
これもまた返答に困ってしまう。一言で言ってしまえば、こいつの性格は『わけがわからない』。
 子供っぽくはしゃいでいるかと思えば、妙に大人びて見える時もある。人懐っこいようだが、どこか他人とは
一線引いた位置に居るようにも思える。今まで見てきた異性とはどこかが――それがどこかはわからないが――
違っていた。
 もしかすると俺は、その『周りとは違った雰囲気を纏っている』という点に惹かれたのかも知れない。
 これが『恋心』と呼ぶべきものなのかどうか、正直な所自分でもあまりわかっていないのだが。それでも、俺
はいつからかこいつの事を考える時間が増えていた。
 誤解のないように言っておくが、俺はストーカーでも何でもない。こいつの成績やら何やらを知っているのは、
単にこいつの所属している部活が俺の所属している部活と一緒だからという事に他ならない。
 村下春樹、十七歳。文芸部部長――それが俺だ。

 授業が終わると、俺はいつも通り部室棟へと向かった。まだ十二月初旬であるにもかかわらず、最近の気温は
例年の一月半ばのそれとほとんど変わらない。
「……今年は寒い冬になりそうだな」
 部室棟の階段下で、俺は空を見上げた。
 真っ白い空。今にも雪が降り出しそうだが、予報は生憎と曇り、降水確率はゼロパーセントだと伝えていた。
「村下センパイ、遅いですよー」
 その声のした方へ視線を向けると、部室棟の二階廊下から俺を見下ろす雨宮と目が合った。
 部室棟は二年の校舎から遠く、一年の校舎から近い。授業の終わる時間は同じなので雨宮の方が先に来ている
のは当たり前で、まっすぐ部室棟に向かってきた俺が遅いと言われる筋合いはない。

3 名前:No.1 初恋は実らない 2/5 ◇Xenon/nazI[] 投稿日:07/12/08(土) 00:12:57 ID:mZC0Wj0e
「あ。センパイのえっちー。覗かないでくださーい」
 雨宮がわざとらしくスカートを押さえる。部室棟の構成上、下から見上げても女生徒のスカートの中が見える
事はない。もしも見えるのであれば、放課後の部室棟付近は男子生徒が無意味にたむろしている事だろう。
 ――いや、スカートの中を見るという目的があるのだから『無意味に』、ではないか。
 俺は何も言わずに階段を上がり、文芸部室の鍵を開ける。鍵は部長しか持つ事を許されていないので、雨宮が
先に来ても部室に入る事は出来ないのである。
「センパイ、無視はよくないと思います」
 俺の後に続いて部室に入ってきた雨宮が、口を尖らせる。
「阿呆。今日は幸い周りに人が居なかったからいいが、誰か居て、俺が覗こうとしていたと思われたらどうする
つもりだ」
 俺は鞄からルーズリーフの束を取り出すと机の上に放り出し、部室の一番奥にあるベンチに腰掛けた。
「その時は私が弁護してあげますから大丈夫ですよ」
 雨宮も同様に鞄からルーズリーフを取り出すと、いつもと同じ位置――俺の正面に座る。
 大机が一つ、ベンチが四つ、後は本棚があるだけという質素極まりないこの部室では、執筆活動に専念するか
小説を読むか雑談をする以外の選択肢はないに等しい。
 俺は冬休みに入るまでに完成させなければならない作品があるのでルーズリーフにシャーペンを走らせる。
 となれば雨宮には雑談する相手も居らず、部室にある小説はあらかた読み終わっているはずなので誰か話相手
が来るまでは俺と同じように執筆活動に専念をせざるを得ないわけだが。
「……どうした、手が止まっているぞ」
 雨宮は白紙のルーズリーフを広げたまま、ぼんやりとしていた。
 部活の最中にぼーっとするな、などと言うつもりは毛頭ない。書きたい時に書きたいように書きたい物を書く
――それが俺の文芸部だ。勿論、締切は厳守だが。
 だから、いつもは誰かが何をしていようと俺の邪魔にさえならなければ俺が口を出す事はない。
 それなのに、今日はどうして声を掛けてしまったのか。
「……」
 雨宮からの返事はない。それどころか、先程までぼんやりしていただけだったのが、今は俯いてしまっている。
 何か悪い事でも言ったかと思ったが、俺は手が止まっていると言っただけだ。悩み事でもあるのだろうか。
「調子が悪いなら帰っても構わんぞ? 原稿は終業式までに出してもらえば間に合うしな」
 その言葉に、雨宮はぴくりと反応した。
(……原稿、か?)

4 名前:No.1 初恋は実らない 3/5 ◇Xenon/nazI[] 投稿日:07/12/08(土) 00:13:26 ID:mZC0Wj0e
「アイデアが出なくて悩んでいるのか?」
 尋ねる。しかし雨宮は首を横に振った。
「調子が悪いのか?」
 仮にそうであるなら最初から部室に来ずに帰宅しているだろう。もっとも、入部以来部室に顔を出さなかった
日はない雨宮の事だから断言は出来ないが。
 予想通り、雨宮の返事は『ノー』――首を横に振っただけで、実際にノーと言ったわけではない――だった。
 調子が悪いわけでもなく、アイデアが出ずに悩んでいるわけでもない。他に反応を示しそうな単語といえば
『終業式』くらいなものだが、それだと何に悩んでいるのか検討もつかない。それとも、反応したように見えた
のは気のせいだったのだろうか。
 結局それ以上何も聞けないまま、しばらく時間が過ぎた。
 雨宮は俯いたまま。俺は俺で雨宮の様子が気になって小説の続きを書くどころではなかった。こんなにも他人
の事を気にするなんていつ以来だろうか。
「何か悩み事でもあるのか? 俺でよければ聞くが」
 驚いた。そんな言葉を口にした自分自身に。
「……珍しいですね、センパイが他人の心配するなんて」
 俯いたままではあったが、ようやく雨宮が口を開いた。酷い言われようだが、自分自身でも驚いたくらいだ。
雨宮だって驚いたのだろう。
「後輩が落ち込んでいたら声の一つくらいはかける。気になって筆が走らないだろうが」
 溜息と一緒に俺はそう吐き出した。
「センパイはそういうの気にしない人だと思ってたんですけど。嬉しいな。私の事、そんなに気にしてもらえる
なんて」
 そう言って顔を上げた雨宮は笑っていた。
 だが、この笑顔は違う。軽口を叩いてはいるが、どこか無理をしているようだ。いつもの雨宮ならこんな顔は
しない。
「……らしくないな。本当にどうした?」
 らしくないのはお互い様、だが。
 雨宮は微妙な笑顔を浮かべたまましばらくどうしようか考えているようだったが、ようやく考えがまとまった
のか、口を開いた。
「センパイは、恋をした事がありますか?」
 今お前にしている、なんて事は勿論言わない。言えるわけがない。

5 名前:No.1 初恋は実らない 4/5 ◇Xenon/nazI[] 投稿日:07/12/08(土) 00:13:48 ID:mZC0Wj0e
 しかし、これはもしかすると恋の悩みか。だとすると困ったものだ。色々な意味で。
「お前は、今恋をしているのか?」
 自分は答えずに現在進行形にして聞き返す辺り、我ながら卑怯だと思う。
「……私、今まで恋なんてした事なんてなかったんです。高校に入るまでは親の都合で転校ばっかりで」
 それは初耳だったが、言われて成る程と思う。運動系の部活に入らないのも、他人とは一歩距離を置いている
ように見えたのも、それが理由だったのだ。
「だから、私は恋心とは無縁なんだと思ってました。……でも。私、恋しちゃったみたいなんです」
 それで悩んでいたわけか。どうすればいいのかわからなくて。俺も、今どうすればいいのかわからないがな。
「それで? 雨宮はどうしたいんだ?」
「それは、センパイ。好きになったんですから、そう伝えたいですよ。私だって年頃の女の子なんです。一緒に
お買い物に行ったり、映画見たり……デートしてみたいです」
 どうやら雨宮はそいつの事が相当好きなようだ。初恋は実らない、という話は本当だったか。
 相手に想いを伝える前に失恋するとは思わなかったが。
「それなら、伝えればいいじゃないか。想いは口にしないと伝わらないぞ?」
 俺がそうだったみたいにな。まぁ、伝える気は俺にはなかったが。
「簡単に言ってくれますけどね、センパイ。これは乙女の一大事ですよ?」
「他人事だからな」
 膨れる雨宮に、俺は即答した。そう、他人事だ。
 雨宮が誰に惚れていようが、雨宮が誰と付き合おうが、俺には関係ない。失恋と言ったが、今となっては本当
に俺が雨宮に恋をしていたかどうかはわからない。それ程ショックだったわけでもないから、恋ではなかったの
かもしれない。
 そう自分に言い聞かせた所で。雨宮はとんでもない事を口にした。
「他人事じゃありません。センパイが伝えればいいって言ったから伝えます。私はセンパイに恋しています」
「……は?」
 時間が止まったかと思った。その言葉は、あまりにも予想外過ぎて。
「センパイの事が好きだって言ったんです。一目惚れでした。どこが好きか、なんて聞かれても困ります。私も
あまりわかってませんから。でも好きなんです。多分これが恋なんだろうなって思います」
 そこまで一息で言って、雨宮は笑った。困ったような、今にも泣き出しそうな笑顔。
「でもセンパイ、ごめんなさい。返事は要りません。私、この学校に居られるの終業式までなんです」
 ――今、なんて言った?

6 名前:No.1 初恋は実らない 5/5 ◇Xenon/nazI[] 投稿日:07/12/08(土) 00:14:16 ID:mZC0Wj0e
 再度、時間が止まったかと思った。俺は言葉を失った。何もかもが、突然過ぎて。
「……やっぱり、困らせちゃいましたね、ごめんなさい。今日はもう帰ります」
 そう言って雨宮が帰り支度を始めても、俺はベンチから立ち上がる事すらしなかった。
「……もっと早く恋してればよかったです。初恋じゃなかったら、実ったかもしれないのに……」
 部室を出る時にそう呟いた雨宮の声は、しばらく俺の頭から離れなかった。

 それから終業式までの間、俺は雨宮と顔を合わせる事なく日々を過ごした。
 会った所で何を言うべきかわからなかったし、とにかく、俺は作品を書く事に専念した。自分の作品と別に、
もう一ページ分書かなければならないものがあったから。
 そして、終業式。
「それじゃあセンパイ、お世話になりました」
 その日になってようやく雨宮は俺の前に姿を現した。部室に置いてある私物を回収しに来ただけだが。
「おい、雨宮」
 そそくさと部室を出ようとする雨宮を呼び止め、俺は鞄から数枚のコピー用紙を取り出した。
「年明けに発行する予定の部誌の原稿だ。結局お前は提出しなかったから穴を埋めるのは大変だったぞ。読んで
反省しろ」
 コピー用紙の束で雨宮の頭を叩き、それを手渡すと俺は雨宮を残して部室を後にした。この部室で俺がやる事
はそんなに残っていない。来年は受験だ。今からでも勉学に励まないと、大学に落ちたら合わせる顔がない。

『初恋は実らない』
 女は男に恋をした。男もまた女に恋をしていた。二人ともそれが初恋だった。
 お互いに、初恋は実らないという事を知っていた。
 別れに際して、男は言った。
「また会いましょう。ここではないどこかで。そしてまた、その時私は貴方に恋をします。初恋は実らなかった
けれど……二度目の恋なら、実るかも知れませんから」

 追伸。そっちの大学受ける事にした。覚悟しとけ。


 〜完〜


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