【 殺 】
◆ZchCtDOZtU




121 :No.32 殺 1/4 ◇ZchCtDOZtU:07/11/25 23:59:15 ID:X9t4Q6j+
 自宅の洗面所で薬をキメると 頭の中心に快楽の渦が出来あがり、不安は一遍に吹き飛んだ。
何とも言えぬ高揚感が俺を包み込み、俺の嫌な記憶を全て吹っ飛ばしてくれた。最近は薬をキ
メるペースが速くなっている。
 暫くの間恍惚としていると、洗面台の鏡越しに女が見えた。
 薬をキメたときに、必ず出てくる女がいる。何時何処でも、小汚い俺のアパートの一室に出てき
て、そして、その女は必ず俺に呟く。
「何で薬を使うの?」
 制服を着た、十代半ばくらいの髪の短い女。初恋の女に似ているような気もするし、昔見たお袋
の写真に似ているような気もする。だが、薬に酔った頭では考えが埋まらない。
 初めて女が出てきたとき、女は名を名乗らなかった。だから俺も名乗らなかった。女は女である事
意外、全てが謎だった。
「また、逃げてるんでしょ?」女は言った。
 そうだ、俺は逃げている。俺は誰かに狙われているんだ、命を。しかたがないだろう。まともな精神
状態でいられるわけが無い、だから薬も使う。
「逃げてばかりじゃ、ダメ」
 僕は一体誰に狙われているのか、判らない。でも、命が狙われているのは確実なんだ。恋人の美
香か、親父か、はたまた友人の誰かなのか。判らない。
「どんなに逃げても、逃げ切れない」
 どんな方法を使って俺を殺す気なんだ? 絞殺か、刺殺か、撲殺か、毒殺か、射殺か、焼殺か……。
「だから、逃げ切れないならいっそ……」
 浮気をした事がバレたのか、はたまた親父とお袋の定期貯金を解約して女に貢いだのがバレたのか、
友人の誰かが俺を妬んだのか……。
「殺せば良いんだよ」
 そうだ、殺せばいい。誰を? 俺を狙う暗殺者を。誰だか判っていないのに?

122 :No.32 殺 2/4 ◇ZchCtDOZtU:07/11/25 23:59:37 ID:X9t4Q6j+
「だから、何度も言ってるじゃない」
 そう言って女はニタリと笑みを零した。
「疑わしきは全て……。貴方を知るもの全てを殺せばそれで済むのよ?」
 ……あぁそうか。なんでこんな簡単な事に気が付かなかったんだろう? 皆殺せばいいんだ。

「お父さんは睡眠薬入りのお酒を飲ませた後……」顔面を金属バットで思いっきり殴ってやった。
 女は次々と
「お母さんは深夜のお風呂場で……」浴槽に張った水の中に顔を突っ込んだ。
 俺に殺害方法を
「お友達はみんなまとめて……」飲み会の席でタバコを煮詰めた汁を飲ませてやった。
 提示し、俺のあるべき道を示していった。
 ほんの一ヶ月間で俺の親族、知人、友人、恋人達は次々に死んでいった。俺が殺した。もちろん、ちょっ
としたアクシデントにより女の助言を受ける事もあったが、殆どがうまくいった。その間にも薬をキメるスパ
ンは短くなっていった。

 二ヶ月もすると俺の事を知っている奴らは、ほぼ全員、一人を残してこの世から消え去った。恋人の美香
だけが殺そうと思ってもその所在がつかめなかった。だが、女のアイツにこの俺が殺せるとは到底思えなかっ
た。

123 :No.32 殺 3/4 ◇ZchCtDOZtU:07/11/26 00:00:09 ID:oXPpHmjA
 俺は殺される心配がなくなった。それと同時に、俺のことを俺だと認識する奴も、全ていなくなった。俺は俺
が俺であると認識しない限り、俺ですらなくなった。何処の誰でもない。俺は俺でしかないにも拘らず、俺は俺
ではなく、俺は俺だった。
 
 薬の量が増えた。
 それまでは週に一回程度の服用で済んでいたのに、今では日に一回服用するようになってしまった。
 服用の回数が増えるとともに、女が出てくる回数も増えた。
 女は出てくるたびに俺に説教を垂れた。
 お前は誰だ? 
「あら、そんな判りきった事を聞くの?」
 ああ、教えてくれ。
「とっくに判ってるって思ってた」
 教えてくれ、お前は誰だ?
「私は貴方。女である事を棄てる前の貴方。女だった頃の貴方。乳房を切り取り、男性ホルモンを注射し、女性器
から男性器に乗り換える前の姿」

124 :No.32 殺 4/4 ◇ZchCtDOZtU:07/11/26 00:00:41 ID:oXPpHmjA

「どう? キレイでしょ?」と女が言うのを見るや否や、私は駆け出した。
 ……嘘だ
 嘘だ!
 嘘だ!!
 私にはそんな記憶が無い。女だったなんて記憶は無いんだ!! そんな馬鹿な!!
「貴方も判ってるでしょ? あの薬には前後の記憶を吹き飛ばす効用があることを。薬の使いすぎね。自分が女で
あった事すらも忘れるなんて!!」
 頭の奥で女の声が響くと、鏡に映った自分がゆっくりと微笑むのが判った。恐怖が全身を包み、私はアパートの
ベランダから飛び出した。
 数秒の空白の後、グシャっと身体の芯まで響くような、衝撃音の後。
 ものの数秒で全身が焼けるようなそんな感覚。
 だがそれは、十秒も続かず私の意識を刈った。

<終>



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