【 クリスマス・フューネラル 】
◆LeO1A9.jZE




83 名前:No.20 クリスマス・フューネラル 1/5 ◇LeO1A9.jZE[] 投稿日:07/11/18(日) 20:00:50 ID:RlCAmG+9
 カーテンの隙間から差し込む朝日を薄目で見ていた。体がすでに目覚めていることには気づいていたが、それでもなお眠るように
思考は停止していた。
 そうしているうちに、耳障りな音が頭の中に鳴り響き始めた。まどろむ意識が研ぎ澄まされ、その音はだんだん頭の外から聞こえ
るようになってきた。
 上半身を起こして、目覚まし時計を叩く。電子音が鳴り止んで、部屋に静寂が広がる。僕は少し考えてから、スヌーズを解除した。
二度寝はしないという決意の表明だ。
 そうして欠伸を一発、ようやく今日という一日の始まりを実感し、ベッドから這い出て、洗面所で冷たい水を頭に浴びせかける。重た
い首をもたげて、鏡に映し出されたのは、いつも見慣れた特徴の無い目鼻立ち。無理して笑顔を作ってみたりしても、無性にむなしく
感じてしまう。余りにもわざとらしい笑顔だ。きっと今の表情を彼女に見られたら、僕は一瞬で嫌われてしまっただろう。
 約束の時間までには、まだ十分な時間があった。せっかく彼女と会える久しぶりの休日なのだから、落ち着いた心地で、出発まで
安らかに過ごすことにした。
 ポットのお湯をマグカップに注ぎ、インスタントコーヒーを掻き混ぜながら、リビングで朝のニュースを見る。いつにも増して賑やかな
報道内容と、どこか華やかなキャスターの表情は、今日という日の在り方を顕著に模範しているように思われた。
 ――We wish you a merry Christmas!
 恋人たちのデートスポットが特集として組まれ、幸せそうなカップルが素敵な一日のプランを再現している。ドライブに出かけて、
テーマパークで遊んで、お洒落なレストランで夕食、夜景をバックにプレゼントを渡して、抱き合って、キッス、そして――
 そんな映像を見ながら、僕は彼女のことを考えていた。
 今日はいったいどんな服装で来るのだろう。どんなプレゼントなら喜んでくれるだろう。
 君を幸せにするものなら、僕は何でも与えよう。君が望むものなら、僕は何でも与えよう。
 だから教えてくれ。君はいったい何をどうしてほしいんだ?
 テレビが八時の時報を鳴らした時、ちょうどトースターの短い警告音――俗に言う"チン"――がリビングの僕にパンの焼き上がり
を知らせてくれた。
 僕は心中の忖度を振り払い、台所へ行き、冷蔵庫からバターを取り出した。この家にマーガリンは無い。別に健康に気を使ってい
るわけではなく、ただ単にバターが大好きなだけである。熱々の食パンの表面にバターを一切れ落として、じわじわと溶けていく様
子を眺めるのは、いくつになっても楽しいものだ。
 香ばしい食パン二枚を胃に収めたら、冷めないうちにコーヒーを体内に循環させる。飽きるまで何杯も何杯もカップを口に運ぶ。
こうすることで僕の心臓はゆっくりと脈を打ち始める。もちろんそれは比喩表現であり、実際には二十数年前から脈は疼きっ放しだ。
 リビングに戻ると、もうニュースは終わって、――もちろん恋人特集も終わって――趣旨のよくわからない旅番組がのんびりと放
映されていた。
 僕はテレビを消すと、コーヒーを片手にカレンダーを眺めた。

84 名前:No.20 クリスマス・フューネラル 2/5 ◇LeO1A9.jZE[] 投稿日:07/11/18(日) 20:01:17 ID:RlCAmG+9
 十二月二十四日。月曜日。祝日。先勝。
 そして、そこに書き足せるような、今日という日の歴史的意義を勝手に見出そうとしたりなんかする。――イエス=キリストの聖
誕――そんなどうでもいいことなんかじゃなくて。――消費税法案の成立――そんな安っぽいことなんかじゃなくて。もっと太字で
記されるべき、箇条書きで最初に記されるべき、大切な意義を僕はこの日に見出そうとする。
 でも、時間がそれを許さない。時計の針は、僕に出発の支度を促していた。約束の時間が、彼女と会うまでのタイムリミットが、刻
一刻と近づいていた。
 僕は黒のスーツに着替えると、頭髪を整え、鞄に最低限必要なものだけを放り込んで、玄関に立った。姿身にその全貌を映す。ま
あ、何も不十分なところはない。僕は外に出ると冬の乾いた空気に包まれて歩き出した。
 今日という日は――町はクリスマス一色に染まり、恋人たちは幸せそうに肩を並べて歩き、敬虔なクリスチャンは教会で祈り、犬
の散歩をする主婦の顔にも喜色が見える、そんな今日という日は、やはり多くの人々にとって特別な日なのだ。僕は町を歩きながら、
そう考えずにはいられなかった。彼らは今日この日の歴史的意義なんて微塵も気にしていないように思われる。ただクリスマスとい
う日だから騒ぐのだ。ただクリスマスというだけで、めでたいのだ。
 僕は途中街角の花屋で大きな花束を買った。彼女がこんなもので喜ぶかどうかは分からないけれど、手ぶらで会うよりはマシだろ
うという考えからの行動だった。花屋の娘に代金を支払い、店を立ち去ろうとした時、僕は背中に「メリークリスマス」と声を掛けられた。
振り返ると、先ほどの娘が鼻歌まじりに花を弄くっていた。その頬は赤らんでいた。
 ――We wish you a merry Christmas!
 こういった無意識的な町のお祝いムードに包まれると、僕には公園の鳩も心なしか赤いリボンを付けているように見えるのだった。
花束を抱えながら、クリスマス気分の町を歩く僕は、傍から見れば、まさにこの町に相応しい人間だっただろう。
 しかし、実際には、僕はそういった種類の人間とは、根底からまるで違っていた。どちらかと言えば、僕はこの町に似つかわしくない
種類の人間だった。僕は十二月二十四日に新しい歴史的意義を見出す側の人間、つまりは異邦人だったのだ。
 僕の心の中では絶えず空風が吹き荒れていた。久しぶりに彼女と会える日なのに、どうしてだろう。そんな自問をする必要も無い
ほど理由は明確だ。もう二度と彼女に会えなくなるから。今日会ってしまうと、それが永遠の別れになってしまうから。僕は分かって
いた。何もかも分かっていたのだ。今日この日がどういった意義を持つ日なのか、今朝目覚めた時から自覚していたのだ。それを今
まで上手く言葉に表せなかっただけのこと。
 ハッピーメリークリスマス。今日という日は、全てが初めから破滅へと向かっている。
 それを分かっていながら、僕は約束の場所へ歩を進めるのを止めようとしなかった。通りを西に曲がって、北に曲がって、左に見え
る建物。そこにはすでに僕と同じ多くの異邦人たちが集まっていた。
 花村祭典。町内唯一の葬儀場だ。
 今日、この場所に集まった僕たち百余名は、皆一貫して黒い礼服に身を包み、町の浮かれた空気とは決して交わることの無い寂寞
としたアトモスフィアを纏い、万感の思いを胸に抱きながら、彼女との最後の面会に立ち会おうとしていたのである。

85 名前:No.20 クリスマス・フューネラル 3/5 ◇LeO1A9.jZE[] 投稿日:07/11/18(日) 20:01:39 ID:RlCAmG+9
 僕は入り口で花束を預けると、受付で名簿に自分の名前を記した。受付には彼女の母親が座っていて、話に聞いていた通り、彼女
によく似て綺麗な人だった。そして、周りの流れに身を任せながら、斎場へと足を運んだ。
 そこには小さな祭壇が設けられていて、中央に彼女の写真が、その手前に黒い棺が置かれていた。
 まるで悪い冗談みたいに思われた。
 今日という一日に歴史的意義を持たせるなら、そう――彼女がこの世界からいなくなった翌日。そして、僕にとって初めて彼女のい
ない世界を迎える日であった。今は何故か落ち着いているけれど、それはまだ僕が彼女の死を受け入れていないからであろう。遅か
れ早かれ、この先必ず僕は彼女の喪失を実感する時が来る。そんな死生観を日ごろから積み上げてきた。でも、実際に身近な人が
死んだ時、そんなものが何の役に立つのかはわからない。むしろ現状では、それらが全く無意味なことであると証明されつつあった。
僕は式が始まるまで、ただパイプ椅子に座り、悲しみに耽ることしかできなかった。――彼女はもういないんだなあ。――そこから発
展することができなかった。
 そうこうするうちに約束の時間が来て、僧侶がようやく斎場へ姿を見せた。彼は祭壇の前に座ると、木魚で軽妙なリズムを取りなが
ら、お経を唱え始めた。
 祭壇の右側には喪主である彼女の父親――背が高く、白髪の混じった恰幅の良い中年――と、受付でも会った母親が並んでいた。
処々の挨拶や運営が行われる中、僕はただパイプ椅子に生えた苔のように息を潜め、一部始終を見守っていた。
 彼女は昨日、急性肺炎で息を引き取った。享年は二十一歳。若すぎる死だった。親の話によると、三日前から兆候は見られていた
らしい。引きずってでも病院へ行かせるべきだったと母親が弔辞で嘆いていた。夜中に家で倒れて、病院へ運ばれてからは、もう二
度と意識が回復することは無かったそうだ。
 彼女は喘息持ちで、時おり僕の前でも苦しそうに咳をした。きっと今冬の寒さが身に応えたのだろう。本当なら今日は二人が久しぶ
りに会う休日だった。でも、生きている彼女には、もう永遠に会えなくなってしまった。
 君はいったいどんなプレゼントを願っていたのだろう。僕は君が望むものなら、君を幸せにするものなら、なんだって与えるつもりで
いたんだ。それが僕にとっての生きがいであり、人生で最も明確な生きる目的だったんだ――
 斎場の右手側に座る人達が一人また一人と席を立ち始めた。焼香が始まったのだ。親族や関係者らが次々に彼女の写真を見上げ、
辛らつな表情で何かを祈っていく。もしもそれが本人に伝わるのなら、僕は何時間でも祈り続けるところだ。でも、そんなことは、きっと
伝わらない。
 僕には彼女がいない世界で生きていく自信が無かった。どんな悲しみも時が経てば薄れていくだろう。彼女がいない生活にだって
徐々に慣れていくだろう。しかし、僕はそうなってしまうことが何より辛いのだ。彼女を忘れてしまうことが、頭の中で彼女の占める割合
が少なくなっていくことが、とてつもなく恐ろしいのだ。彼女の死んだ世界など許容できるはずがない。僕の心にはいつしか
死ぬ決心が芽生え始めていた。
 僕らは陽炎のようにゆらゆらと揺れて実体のはっきりしない生活を送っている。明確な目標も無いままに日々をだらだらと生きてい
る。最大到達点がどこなのか分かれば、少しは救いのある人生になるのかもしれない。しかし、そんなものを見出した人が今までに

86 名前:No.20 クリスマス・フューネラル 4/5 ◇LeO1A9.jZE[] 投稿日:07/11/18(日) 20:01:57 ID:RlCAmG+9
いるだろうか。あるいはこれからも――
 焼香は滞りなく進み、一般会葬者へと順番が回ってきていた。黒いアリたちの列が出来上がる。
 そもそも人生なんてものは宇宙の歴史から見れば一瞬の稲光みたいなものだ。茫漠とした空間に刹那生じる無数のノイズの内の一
つでしかない。むしろ死んでいるほうが正常なのだ。彼女は"生"というバグを修正されたに過ぎない。僕もすぐに修正されるだろう。そう
考えると、いつ死ぬかというのは大した問題ではないように思われる。むしろ早くこの世界から解放されるべきなのだ!――
 隣に座っていた人が席を立ち、やがて戻ってきて、また同じところに座った。僕は立ち上がり、祭壇の前に置かれた焼香台へと体を
運んだ。
 彼女の両親に一礼し、彼女に対しても一礼する。合掌の後、香を掴み、持ち上げ、香炉に入れて、また合掌。一歩退いて、さらに一礼。
 きっと彼女が生きてこの光景を見ていたら、何をしているんだと笑うんだろうな。なんで死んだからって行儀良く接するんだと言って真
剣に怒るかもしれない。そして僕は世間体のためだよとか一般論を振りかざして、彼女をいさめるんだ。
 僕は自分の席に戻ると、出棺の後の予定を考え始めた。
 葬儀場を出たら、海へ行こう。そうして、一泳ぎしよう。冬の冷たい冷たい海の中へ、子供みたいにはしゃぎながら入っていこう。寒さ
から来る震えなのか、死への恐怖から来る震えなのか、わからないまま沈んでいこう。そうだ、それが一番面白い。
 あらかたの段取りを終え、お経の終わりを待つ。その間、僕は面白い自殺方法ばかり考えていた。彼女のいない世界には、もう僕の
生きる意味など無いのだ。生き永らえても、まともに暮らすことはできない。いつまで生きて、いつ死ぬかは問題ではない。よろしい、な
らば自殺だ。それはごく一般的な道理から導き出せる普遍的な結論だった。
 お経が終わると、親族らによって彼女の遺体が入った棺に花が敷き詰められていく。最後のお別れだ。この後、棺は蓋を閉められ、
釘を打たれて、火葬場へと運ばれる。彼女の死に顔を見る最後の機会だったが、僕にはもう進んで見に行く気持ちは残っていなかった。
 どんな服装であろうと、すでに彼女は死んでいるのだ。プレゼントだって受け取れやしない。死に顔だって今はタンパク質の塊でしか
ないではないか。彼女はもうこの世界にいない。別の世界にいるのだ。そうして僕もこれから別の世界の方へと旅立つ。もうすぐまた会
えるのだから、お別れをいう必要は無い。
 きっと彼女も僕のいない世界で寂しい思いをしているだろう。彼女がこちらに戻ってこれないのなら、僕が会いに行けばいいだけのこと
だ。
 霊柩車に棺が担ぎ込まれ、にび色の空高くにクラクションが鳴り届けられた。
 遺族が火葬場へ向かうバスに乗り込んでいく。その光景を僕は建物の入り口で眺めていた。
 そして、彼女の母親が誰かを探すような素振りでこちらに近づいてきた時、思いもしないことに、話し掛けれらたのは僕だった。
「上条さんですね。渡したいものがあるんです」
 彼女の母親はそう切り出して、バスを気にしながら手短に用件を伝えた。母親は僕よりも多く頭を下げた後、バスに乗り込み、この場
を立ち去っていった。そうして他の会葬者もめいめいの帰途に着き始めた。
 後には一枚のルーズリーフを握り締める一人のどうしようもない男だけが取り残された。木枯らしが吹きつける中、僕は居たたまれな

87 名前:No.20 クリスマス・フューネラル 5/5 ◇LeO1A9.jZE[] 投稿日:07/11/18(日) 20:02:26 ID:RlCAmG+9
れない感傷にただただ身を焦がしていた。これから死にに行こうというときに、大変なものを読まなくてはならなくなった。
 ルーズリーフは、彼女が意識を失う前に書いたという手紙だった。宛名が書かれており、出席名簿から僕のことを探し当てたとい
う。母親は去り際にすすり泣きながら、どうかよろしく、どうかよろしくと繰り返した。

                        * * * * *

 今、部屋にいます。すごく寒いです。でも体はとても熱いです。これを書き終えたら病院へ行くつもりです。明日は楽しみにして
いたのに残念です。体調管理ができない子でごめんなさい。お正月までには治すから、そしたら初詣は一緒に行きたいね。でも、最
近自分でもわかるんです。私はもうダメなんだって。もう長くは生きられないって。
 きっとあなたのことだから、私が死んじゃったりしたら、後を追って死んでしまうんじゃないかな。でもね、それだけは絶対に許
しません。あ、なんか偉そうになっちゃいました。手紙って難しいです。でも、本当にそれだけはしないでください。私は完全にこ
の世からいなくなるわけではないんです。そのためにこの手紙を書いているんです。私が死んだ後にも、この文章は残って、あなた
に読まれます。私はこの先のあなたの生涯全てに話しかけているんです。私が死んだ後も、私の意志だけは生き続けているんです。
 何故人は生きるのか。それは人間が生きようという強い信念や心を持っているからだと、私は信じています。生きる目的なんて無
いんです。死ぬのに最適な時期なんて無いんです。私はあなたに生きていてほしいから、この手紙を通してあなたに生きる力を与え
たいんです。
 今日は1984年12月23日。日曜日。赤口。天皇誕生日。今現在、時刻は0時14分35秒、36、37、38、39、……ともかくそれぐらいです。
今これを書いている時の私は確かに生きていて、あなたのことを一生懸命に考えています。強く生きてほしいと願っています。あな
たの世界に私がいなくても、この気持ちが確かに今この時存在していたことを胸に刻み込んでください。そうしたらきっとあなたは
死のうだなんて思えないはずです。変なお世話焼いてごめんなさい。好きです。大好きです。生きてください。

                         * * * * *

 手紙を読み終えた時、僕の頬には何がなんだかわからないけど涙が伝っていた。
 彼女のいない世界にだって、僕は生きることができるのだ。それを、彼女自身に教えられてしまった。いいや、彼女はこの世界に
いないわけではない。ここに、この手紙の中に、確かに存在しているのだ。生きている彼女がこの文章を書き、生きている僕に語り
かけてくるのだ。強く生きてくれ、と。
 きっと約束する。僕は決して真冬の海に飛び込んだりなんかしない。どんなに辛いことがあっても、頭ダメにするまで、頑張るよ。
 僕は彼女の手紙をポケットに大事にしまい、ぐしゃぐしゃになった顔を腕でぬぐって、鼻歌まじりに家までの道を歩き始めた。
 ――We wish you a merry Christmas!


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