【 人より生きる蝉 】
◆ZRkX.i5zow




15 :No.04 人より生きる蝉 1/1 ◇ZRkX.i5zow:07/11/10 11:16:06 ID:lil8p5S8
 私はセミの幼虫である。名前は無い。いかんせん地中で暮らしているもので生まれてこの方誰かに呼ばれた事がない。
しかしそれも地上に出ればガラリと変わるだろう。なにせこの背中に羽が生えるのだ。これほど感動的な事があろうか。
それすなわち自由の象徴である。かたい殻を破って飛び立てるのである。地上に出たばかりは私は声が出せない。だが三
回ほど日が昇ればすぐに出る。私の背中に生える、きっと素晴らしい様相であろう羽をこすり合わせてメスを呼ぶ。交尾
である。私の地上での暮らしは短い。子孫を残さなければ絶滅するのは自明の理だ。本能の叫びだ。メスが近寄ってくる
とサッと尻を合わせる。ここで私は愛の言葉を訴えかける。メスは黙ってそれを受け入れる。メスは鳴けないのだ。アイ
ラブユーアイラブユーアイラブユー。ッ、ッ、ッ。とこんな具合だろう。あとはメスは木の枝でも鳥の巣でも電線でも卵
を産みつけ私はただ鳴く日々だ。なんと素晴らしい。しかし、こんな本能によるシミュレーションをしてみるは良いもの
の、果たして私はオスなのだろうか。なにせ目も見えなければ体も動かない。私自身こんな事を考えるのだからきっとオ
スだと信じたい。セミに性同一性障害はあるのだろうか。そう考えれば私のアイデンティティは崩壊してしまう。私にジ
レンマが襲い掛かるぞ。ずっと土の中に暮らしていていざ外に出てみればメスでした、シャレにならない。まったく痒い
ところに手が届かない本能である。まあそれはそれできっと上手くゆくだろう。土の柔らかさや木の根の張り具合からこ
こは相当樹木が立っているだろう。おそらくは他の仲間もたくさん居るはずだ。メスならメスでアイラブユーを受け取る
だけである。以前私は土の中からすでに成虫した仲間の声を何度と聞いている。その数も幾多ということも推測した。ただ
気になる事はやはり外敵が多いという事だ。鳥やカマキリが私達を捕食するらしい。恐ろしい。ただ地中も恐ろしい。土
が上からガサリとしたときはいつもドキリとする。しかし、それよりも恐ろしいのがモグラだ。あいつらは地中にいる癖
して何でもかんでも食いやがる恐ろしい敵だ。地上ならばあるいは逃げられるかもしれない。ただ今の私には羽がない。
ただ無抵抗にやられるのを待つだけだ。見えない敵。その恐怖に慄きつつ、また気をまぎらわすため、こうして我々は思
考し続けるしか精神が保てないのである。……今何か音がしたか? いやいやちょっと待て今確かに土が揺れたぞ。何だ!?
モグラか!? だんだんと揺れる具合が大きくなってきたうわいやだ私はまだ地上に出ていない出たい出たい出たい死にた
くはないぞ――!
 そこで私ははたと冷静になった。
 これは、直下型地震だ。



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