【 Skyphone Speaker 】
◆IbuHpRV6SU




137 :時間外No.04 Skyphone Speaker 1/6 ◇IbuHpRV6SU:07/10/29 21:02:31 ID:xd9affYt
 上を見上げると、そこにあるのは白群の空。雲はない。ただし、側に立っている工場の煙突が白い煙を吐き出し、
あたかも雲の様にこの青の天井にほんの少しの白を添えていた。僕は久しぶりにいつもの場所に行こうと、
傾斜のある上り坂をゆっくり歩いていった。
ここはかつてはちょっとしたスキー場だった。少し急な丘を登り、錆び付いたゴンドラ
乗り場を通り過ぎ、彼方の頂上には寂れた円筒状の四階建ての展望台が見える。
時々この展望台の屋上まで行き、ベンチに寝そべり
空に浮かぶ雲を眺めたり、居眠りをしてみたり、時には悲観に暮れ、目に押し寄せてい
く感情の昂りを抑えきれずに俯いたきりになったり……。
ここは一人きりになるには絶好の場所だった。
この空間は、自分のためだけに開放された空が用意されていた。
この辺りで空以外自分より高いものが無い、自身が孤高になれる、
「世界で最も高い場所」だった。
今年はあとどれくらいここにくる事が出来るだろうか。二ヶ月後には辺りが雪で覆われる。
積雪は一メートルを超え、春の雪解けを待たなければいけないだろう。また、日本海側に
位置するこの街は冬の間、殆どの日は空が雲に遮られ、眼下に広がる透明な青空を拝む事
はできない。
 丘の頂上に着き、螺旋階段を上がり展望台の屋上まで辿り着く。
突き抜けるような空、風の音、優しく照らす太陽、いつもの光景だった。
ただ一つ、彼女の存在を除いて。

138 :時間外No.04 Skyphone Speaker 2/6 ◇IbuHpRV6SU:07/10/29 21:02:59 ID:xd9affYt
 誰もいないと思い勢い良く躍り出たのが間違いだった。足音に気付き彼女はこちらを向いた。
しかし特に驚いた様子も見せず、彼女は背中を向け、また風景のどこかに視点を移した。
彼女の長い髪は秋の風に舞い、光を浴びてキラキラと光っていた。すると後ろも見ずに
彼女が話しかけてきた。
「ねぇ。キミは聴こえる?」
「何が?」唐突な問いかけに少し戸惑いながら答える。
「空の声」ゆっくり、はっきりと彼女は話す。
「君の声の声なら聴こえたけど」少し辺りを見回してから答えた。
「私にはね、聴こえるの、疲れたーって空の声が。ここ一週間、ずっと天気がよかったで
しょ?」
そういえばそうだった気もする。
「空はね、皆に喜んでもらおうと頑張ったの。泣きたくなっても我慢して、ずっと明る
く振る舞っていたの。でも私には聴こえるの、もう抑えられないって。明日には一日中
泣いちゃうって。」
「大変なんだね」
そう答えると、彼女はこちら側に近づいてきた。
「そうなの。だから明日は一日中雨なんだって」彼女はまるで今しがた友達から聞いた
かのような軽い口調で話す。
「信じてないでしょ」
目の前の女の子は、両手を後ろに回し、ジトっとした目でこちらを見つめる。
「そんなことないよ」
確かに言っている事自体は、とても信じられたものじゃなかった。でも、彼女をまとっ
ているうまく形容出来ない不思議な雰囲気が、彼女の言動に説得力を与えているような
気がしていた。
「どうすれば空の声が聴こえるんだい?」
「それはまた今度教えて上げる。それじゃあ、バイバイ」
彼女は何か用事があるかの様に出口に向かって行った。
そういえば名前を聞くのを忘れたと思い、後ろを振り返ってみたが、
もう既に姿は無かった。

139 :時間外No.04 Skyphone Speaker 3/6 ◇IbuHpRV6SU:07/10/29 21:03:28 ID:xd9affYt
 雨粒が窓を打ち、水滴がガラスを滴り落ちていく。雨音が作り出す静寂が心地よい。
あまり光の入ってこない鈍色の空は、どこか悲しげだった。
あれから次の日、あの娘の言う通り、この街に一日中雨が降り注いだ。
しかし僕は特別驚きはしなかった。
きっと彼女は天気予報でも見たのだろうと思っていたからだ。
むしろ驚いたのは自分しか来ないと思っていたあの展望台に先客が居て、
その先客と成り行きとはいえ僕が何の疑問も無く積極的に会話を交わした事であった。
今までの人生の経験から、自分はそんな事はしないようにしてきた。
なるべく人と関わらない様にしていた。それが自分の処世術だった。
興味本位の様なものかもしれないが、何故かまた彼女に会ってみたいと思う様になった。
 そして翌日、僕は展望台に足を運んだ。自分でも驚くほど足取りは軽い。
屋上に辿り着いたが、彼女の姿は見えなかった。
そこらに生えている雑草の水滴が光り、所々に水たまりが出来ている。
空は綺麗なターコイズブルーで、雲が昨日の名残の様に少し漂っている。
側に立っている工場の煙突は、今日も白い煙を吐き出していた。
「こんにちは」
不意に、後ろから声がした。
振り向くと、一昨日ので彼女がにこやかな表情で立っていた。
「来てくれたんですね。ね、私の言った通りでしょ」
「明日の天気くらい今時天気予報でわかるだろ」当然の意見だ。
「私は見てませんよ?本当に空の声を聞いたんですよ」
色々追求したかったが、取り敢えず名前を聞く事にした。
「そういえば君の名前を聞いてなかったんだが教えてくれないか?」
「アサギ。浅葱色のアサギ。キミは?」
「僕はアカリ。街灯の灯って書いてアカリ。よく女の子っぽい名前って言われる」
「言われてみればそうだねぇ。言わなかったら気付かなかったのに」
「どうせ言われると思って、先周りしてるんだよ」
「そんな事無いよ。それに良い名前だと思うよ」
そんな事を言われたのは初めてだった。


140 :時間外No.04 Skyphone Speaker 4/6 ◇IbuHpRV6SU:07/10/29 21:03:56 ID:xd9affYt
 それ以来、時々アサギと展望台で会う様になった。
お互い、プライベートな事はあまり深く聞かなかった。
せいぜい年齢や好きな小説、嫌いな動物、ポストモダンとは一体何だったのか……等。
それ以上の事は話す事は無かった。
僕自身、あまり他人を深く知ろうとはしなかったし、
アサギも、理由はどうあれそれ以上の事は聞いてこなかった。
しかし、どうやって空の声を聞く事が出来るのかについては聞いてみたかった。
ある日、それを訪ねてみた。
彼女によると、「出来るだけ力を抜き、ぼんやり空を見つめ、大気のあらゆるものが
全身を通り抜けるような感覚で立つ」と声が聞けるらしい。
試しにやってみたけど、僕には何も聴こえなかった。
この事についてアオは、「信じる気持ちと純粋な心が足りない」と得意げに語った。
訝しげな視線をやると「お手本」と称して実際にアオが「聞いて」みた。
明日は雨らしい。天気予報ではここ一週間は晴れだと言っていたのに。
しかしアサギの言う通り、次の日は大降りだった。
彼女は魔法が使えるのではとさえ思った。
彼女は時々神出鬼没な一面を見せる。来たときは誰もいないのに、少し振り返ると
いつの間にかそこにいた……ということがよくあった。
「魔法?うーん、けっこうそんな感じかもしれない。いいよね、魔法使いって」
翌日、その事を話すとこうアッサリと言ってのけた。
「なんかこう……夢があっていいよね。夢や希望、想像、妄想、ファンタジーは心の栄
養だと思うよ、ワトソン君、なんてね」
まるでホームズがワトソンに阿片の効用について得意げに語っている様だった。
 屋上に来るとアオは決まって危なっかしくフェンスに身を乗り出し、
空や外の景色を眺めていた。その方が楽しいらしい。
ちなみに僕は、屋上のベンチに仰向けになっていた。その方が楽だから。
いつしか、展望台に行く目的が変わっていた。
出来ればこの日々がずっと続けばいいと思った
僕とアサギは、時々こうして会って過ごしていた。あの日までは。

141 :時間外No.04 Skyphone Speaker 5/6 ◇IbuHpRV6SU:07/10/29 21:04:23 ID:xd9affYt
 あの日、アサギは聞いてきた。背中を向け、あさっての方向を眺めながら。
「アカリは夢って何かある?」唐突に会話が始まるのはいつもの事だった。
しかし、夢について聞いてきた事は今までには無かった。
「ユメって、寝る時に見るあれ?」
「ちがう。将来の夢とかの夢」
いつになく真剣だったような気がしたのは、彼女を照らす茜色の夕日のせいだろうか。
「もうそういう年じゃないさ」ぼんやり空を眺めながら呟く。
「明るい未来とか、輝く希望とか、将来の展望とか、何か生きるに当たっての目標とか
そういうのも何も無いの?」
「そんなのあってもしょうがないさ」
夢なんて、僕にとってはむなしいものでしかない。
それ以上、彼女は何も言わなかった。
もう、僕はアサギに会う事は無かった。
 アサギと初めて会った日から一ヶ月が経過していた。
冷え込みは厳しくなり、展望台の「シーズンオフ」が迫ってきた晩秋、
今日もいつもの様に展望台の屋上に行く。
午後四時にも関わらず、既に空は夕焼けが広がっている。
吐く息はすっかり白くなり、周りの林はすっかり枯れ、枯れ葉が地面を覆っていた。
世界は静かに、確実に眠りにつき始めていた。
あの日以来、いくら来てもアサギは現れなかった。暇を見つけては、ここに来ていた。
朝から晩まで待った事もあった。しかし彼女は現れなかった。
 さらに一ヶ月後、もう辺りは薄く雪で覆われていた。
生物という生物は全て眠りにつき、この世界で生きているのは自分だけの様に思えた。
天気予報によると明日は大雪で、これから本格的な冬の季節になるらしい。
これが本当なら、展望台の屋上に来る事が出来るのは今日で最後になってしまうだろう。

142 :時間外No.04 Skyphone Speaker 6/6 ◇IbuHpRV6SU:07/10/29 21:04:50 ID:xd9affYt
 そしてとうとう、彼女と会う事は無かった。辺りは暗くなり、僕は諦める事にした。
夕方の山吹色の空と雪で薄く白に染まった街の眺めは今年一番だと思った。
街と空の境界がぼんやりと滲んでいて、見ていた僕は一人で立ち尽くしていた。
喜びと悲しみが同時にこみ上げてくる、そんな気持ちになる風景だった。
そしてこの日も、僕は空の声を聞く事を試みた。かつて彼女が言った通りに。
しかし、最後まで成功する事は無かった。聴こえてくるのは風の音だけだった。
彼女に言わせると、「信じる気持ちと純粋な心が足りない」
という事なのかもしれない。けど彼女が空の声を聞く事が出来るのは、僕はやはり
彼女が魔法使いだからなのではないかと思う。
彼女は多分魔法を使う。そうとしか思えなかった。
 帰りがけ、雪が降ってきた。もう来年の春までここに来る事は無いだろう。
彼女はあの時何故あんな事を聞いてきたのだろうか。
そもそも何故彼女は空の声が聞こえるのだろうか。
彼女は今どこに居るのか。何も分からない。
取り敢えず、僕の展望台に来る目的は今までと変わらなくなった。
展望台の屋上はまた僕だけの場所になった。多分それだけだ。
僕は、雪道の足跡にも興味を示さず、暗い坂道を下っていった。

               <完>



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