【 等身大世界カエデ 】
◆wDZmDiBnbU




2 :No.01 等身大世界カエデ 1/6 ◇wDZmDiBnbU:07/10/27 01:01:49 ID:5cHh5Zw8
「いらっしゃいまドゥワー」
 とか、勝手にマニュアルにない挨拶を作られても困る。
 カエデ先輩が予告無しに泣き出すのはいつものことで、それはだいたい二週間に一度の頻度
でやってくる。最初の一週間はニコニコしながら、
「ねぇ聞きたい? あ、でもやっぱ秘密うふふ」
 とかなんとか、手に負えないだけでなくまったく意味不明なくせに、次の週には決まって、
「運命だと思ったのに。やっぱりホストなんて所詮顔だけのウエエッ、ヒック」
 と、もう明らかに男の人にフラれたのが丸わかりでしかもその落ち込みようといったらない。
 そろそろ川の水も冷たくなる季節だとか、もう大変説得力のある顔で呟きながら目の前のお
でんをつつき始めて、そしていつも白滝ばかりが品切れになるのだから見事なカロリー計算だ。
ていうかそれ売り物ですから、なんて止めに入ろうものならこの人は、
「いいの。これは頑張った自分へのご褒美なの」
 だとか、自分の勤め先であるはずのコンビニから勝手にご褒美をふんだくるのだからもうど
うしようもない。「もっと等身大の自分を見てほしかった」なんて、ボロボロと涙を流しなが
ら――しかも口に白滝をくわえたまま喚くとか、その姿がむしろ等身大すぎると思う。
 そんな酸鼻極まる街のほっとステーションで、イイ気分になれる客などいようはずもない。
 ついいましがた入店したばかりの客が回れ右をして、先輩のうめき声の他には音もない。ま
だ宵の口だというのにこの客足の少なさ、私はこの人がクビにならないのが不思議で仕方ない。
そして仕事終わりの午後十時まで、私が先輩を慰める羽目になるのも腑に落ちない。
「ウウ、そりゃあね、未来《みく》ちゃんは若いからいいかもしれないけどさ。まだ高校生、
だっけ。私だってね、そりゃあそれくらいの頃はいろいろと」
 と、カエデ先輩は「楽しかったあの頃」みたいな話をし始めて、そして自分の話がすべて過
去形になっていることに気付いてまた泣いて、しかしそれでも自分の年齢は一切明かさないの
だから大したものだ。いや大したものだとは思うけれど、でも感心してばかりもいられない。
 いままでの経験から鑑みるに、先輩が過去の話をしだすのは危険なサインだ。どう危険かと
言えば色々と危ない、例えば売り物のビールが不自然な減り方をするとか、そのせいで先輩の
職場での立場が微妙になるとか、あとこの人は酔うとすぐに腕力で物事を解決しようとしだす
とか、とにかく危険にも程がある。
 赤い顔でいろんな物を投げ散らかす、その先輩を落ち着けるには骨が折れた。
 深夜シフトの同僚に電話を入れて、少し早めの交代をお願いする。それが済んで店内に戻る

3 :No.01 等身大世界カエデ 2/6 ◇wDZmDiBnbU:07/10/27 01:02:10 ID:5cHh5Zw8
と、カエデ先輩はレジカウンターの隅っこにうずくまって、
「もういっそのこと、ひと思いに」
 なんて、大変思い詰めた顔をして、その手には何故かキャットフードの缶詰があるのだから
恐ろしい。一体ひと思いにどうするつもりなのか、まったくわからないところが余計に怖い。
 大丈夫ですよ先輩ならすぐにまたいい人が、なんて、もうこれほど適当な慰めもないなとは
自分でも思う。思うのだけれどでもそれは本心だった。
 正直な感想を言うのなら、この人は本当に、もったいない。見たところ決して不美人ではな
いし、年齢だって別に、そんな焦るほどの歳でもないように見える。それに性格も――恋愛の
話をしているときさえ除けば、そう悪くもないと思う。
 あとは酔ってわけのわからないことを言い出しさえしなければ完璧なのだけれど、でも先輩
は私の慰めにも耳を貸さずに、
「あのね未来ちゃん。私さ、昔、魔法少女だったの」
 と、もう酔っぱらいにしたって度を超えている。いきなりそんなファンシーな話をされても
困るのだけれど、でもこういうときは黙って頷く以外にない。それに、いつもの愚痴よりはきっ
とマシだろう。ドロドロした痴情のもつれる様を、延々と聞かされ続けるよりは。
 ――という、私のその考えは、いまにして思えば、甘かった。
「アレはね、そう楽なもんじゃないの。何度も死にかけたし、誰も助けてくれないし……」
 こんな夢溢れる魔法の話でさえ、先輩はやっぱりドロドロした。しまいには「受験に失敗し
た」とか「フラれた」とか、どう考えても関係ないような話まで魔法のせいにしてしまうから
始末に負えない。もう手の施しようがなかった。こうなればもう、寝てでも貰うより他にない。
 私は奥のバックヤードに先輩を連れ込むと、そのまま無理矢理床の上に寝かせた。先輩の話
は何故か悪のロボットと戦うくだりに差し掛かっていて、どこがどう魔法なのかさっぱりわか
らない。うつろな目の先輩を置いていくのは気が引けたけれど、でもずっとレジを空けておく
わけにもいかないだろう。私はバックヤードを後にした。
 もうへとへとになりながら店内に戻った、その瞬間。
 一目見た、ただそれだけのことで――私の体の中心を、電撃のようなものが突き抜けた。
 運命の出会い、と言えばそうかも知れない。店員のいないコンビニの中で一人、おでんの什
器の前にただ立ちすくむその男。随分と恥ずかしがり屋なのか、その顔はフルフェイスヘルメッ
トに覆われていて、手にした包丁は料理人の証――。
 なんて、そんな前向きに捉えようとしても無理だった。彼の発したその一言は、もう聞く前

4 :No.01 等身大世界カエデ 3/6 ◇wDZmDiBnbU:07/10/27 01:03:37 ID:5cHh5Zw8
からわかっていたような気がする。
「金を出せ」
 運命の――主にネガティブな意味での、運命の出会い。初めての経験に、体が震え出すのが
わかる。彼のためなら何も惜しくはない、この店の有り金すべてを差し出したって構わない。
 でも私はバックヤードから出てきたばかりで、しかもそれは店内奥側の飲料用冷蔵室に直結
しているのだ。つまり位置関係上、レジは彼の後ろにある。そこからお金を取り出すなんての
は、もう魔法でも使わない限り不可能だ。
 もう、打つ手なんてなかった。というよりも、完全に混乱していた。
 目の前に冷たい刃が光っていて、そしてそこにはかつて感じたことのない、でもはっきりと
した「殺意」のようなものが滲んでいる。どうしていいのかわからなくて、身じろぎどころか
声も出せず、膝をふるわすのが精一杯だ。死ぬかもしれない、なんて、そんなことを考えてし
まったせいで、視界までぼんやりと滲んでくる。
 助けて、誰でもいいから――と。
 せめて神に祈れば良かった、と思う。
 爆発音のような破壊音のような、なんかものすごい音がした。隣のドア、というか冷蔵室の
扉が、もうあり得ない勢いで開く。中から出てきたのは、当たり前だけれど大量のペットボト
ルだ。それらがくるくると宙を舞う、その中心から姿を現したのは――。
 フロア清掃用の、業務用の掃除機。そしてそこにまたがる、見慣れた人影。
「魔法少女、ただいま参じょウプッ」
 酔っぱらいだ。
 というかもう、ただの吐きそうな人だ。しかも始末の悪いことに、完全に目が座っている。
 助かったのかもっとひどいことになったのか、もう私にはわからない。口元を抑えながらよ
ろよろと掃除機を降りる、コンビニの制服を着た自称魔法少女。その“全国の少女達の憧れ”
が、とことん人生に疲れ切った顔で――いやこの人、ホントになにを考えているのか。
 なんか迷うことなく、強盗に歩み寄っているように見える。
「な、なんだお前! おい近寄るな、ブッ殺すぞ!」
 そう凄む強盗の声は、もう間違いなく恐ろしいはずだ。そのはずなのに、でも、何故だろう。
 私が威圧感のようなものを感じたのは、先輩の背中の方だった。
「……怖いのね、腰が引けてる。それにそんな武器じゃ、人ひとり殺すには足りないわ。出来
てもせいぜい腕一本、てところウエッ」

5 :No.01 等身大世界カエデ 4/6 ◇wDZmDiBnbU:07/10/27 01:03:56 ID:5cHh5Zw8
 ふらつきながら、それでも両腕を構えた姿勢で――そのまま真っ直ぐに歩を進める先輩。そ
の足取りにはまったく、迷いがない。きっと、いや間違いなく酔っている。そのはずなのだけ
れど、でも、何かが違う。
 その覚悟は――いや、冷静に相手の武器を品定めするその言葉は、ただの酔っぱらいという
風には、見えない。
「ほら、試してみる? 人って結構、頑丈なのオエップ」
 あからさまなその挑発に、強盗が包丁を振り上げた、その瞬間。
 何かが、強いて言えば魔法のようなものが、炸裂した。
 先輩の動きは速かった。しっとりと輝くセミロングの黒髪、それがふわりと背中に広がる。
同時にその周囲がキラキラと、幻想的な光を放った。まるで星くずのような、まばゆい輝きに
包まれて――。
 立ちすくんだままの強盗。その胴体の中心を、いやそれよりもちょっと下というか、とにか
く色々と大事な、その部分に。
 先輩の膝が、めり込んでいた。
 ちょっとあり得ない感じの深さだ――なんて思う暇もなく、強盗が音もなくくずおれた。亀
のようにうずくまる、その背中に降り注ぐ謎のキラキラ。店内の照明に反射するそれは、どう
やら白滝の断片らしかった。なんかとても生々しい嗚咽が聞こえて、さらなるキラキラが強盗
に降り注ぐ。思わず目を背けようとしたものの、でも、出来ない。
 ――これは、もう、大惨事だ。
 本当にそうとしか言いようがなかったのは、キラキラの他に、地面に滴るものが見えたせい
だ。その場に振り向いた先輩が、いつものようにやる気なく微笑む。
「ごめん未来ちゃん。警察と、あと救急車」
 その右腕は、真っ赤に染まっていた。
 それにぞうきんとバケツ、とか言ってる場合じゃないと思った。それはもう、どうひいき目
に見たって、血だ。そう理解すると同時に、先輩は刺されたんだ、ということもわかった。
 そのときの私のうろたえ方は、もう尋常じゃなかったように思う。人が人に刺されるなんて、
そんなのいままで見たことがない。もうどうしていいかわからず、ただ震えるばかりの私に、
先輩がなんか中途半端な顔をする。
「あ、いや。腕だから。別に全然死なないし」
 でも治療はしなきゃだから、と、自分の携帯電話をこっちに放り投げる先輩。なんというか

6 :No.01 等身大世界カエデ 5/6 ◇wDZmDiBnbU:07/10/27 01:04:16 ID:5cHh5Zw8
これは、もう、おかしい。前々から「変なひとだなあ」とは思ってはいたけれど、でもこんな
緊急事態にこの態度とか、もう変を通り越して色々と間違っていると思う。
 とはいえ、そんなことをぐるぐる考えている余裕もない。一一〇番をダイヤルするのに、指
が震えて大変だった。半ばパニックに陥ったまま状況を告げたあと、ふと先輩を振り返る。
 先輩はいつのまにか、コンビニの制服を脱いでいた。さっき自分を刺した包丁を拾い上げて、
カットソーの袖を素早く引き裂く。それで傷口の上あたりを縛るのは、きっと止血かなにかの
処置だろう。その手慣れた動作にも驚いたけれど、でもそれよりびっくりしたことがある。
 先輩の肩にはっきりと見えたのは、巨大な謎の古傷だった。
「あ、これは……えっと、ほら。さっき言ったじゃない。何度も死にかけたって」
 ちょっと恥ずかしそうに頬をかく、その平然とした仕草には説得力がありすぎる。じゃあ先
輩は本当に魔法少女、いやでも魔法少女ってそんなに死にかけたりしないような――と、もう
何から聞いていいやらわからない私に、先輩が照れたように口を開いた。
「でも、ごめんね。私、さっき嘘ついた。魔法なんて使えたのは昔の話。だからいまはもう、
魔法少女じゃなくて……ただの少女」
 いやそれは無茶です年齢的に、とも言えない。
 というか正直、そんな余裕もなかった。腕刺されたのに私ただの少女ですとか、もうそんな
状況じゃないと思う。少なくとも私はそうだった。目の前で人が刺されたりして、しかもそれ
が自分を庇ってのことだったりした日には――誰だって普通、混乱するはずだ。
 とにかくすいません私のせいで、と、何故か謝るばかりの私。せめてお礼の一つや二つ、言
うべき場面だったと思う。でも、どっちにしろ同じことだった。先輩はいつも通りの先輩で、
つまり私が何を言おうと、あんまり関係ないのもいつも通りだ。
「気にしなくていいの」
 と――そうにっこりと微笑む先輩の、その細い指がそっと、私の頭をなでる。
「体を張って友達を守るのは、魔法少女の役目でしょ」
 ――そうだった。
 いや、魔法少女かどうかは別としても。でもこの人はいつも、そうなのだ。しょっちゅう泣
いてばかりいて無茶し放題なくせに、それでも笑って済ませてしまう。周りにいる人間はたまっ
たものじゃないはずなのに、それでも彼女の側に人が、私がいるのは。
 等身大のカエデ先輩。まるで魔法のような、その不思議な魅力のせいだ。
「……未来ちゃん、ごめん。髪に血つけた」

7 :No.01 等身大世界カエデ 6/6 ◇wDZmDiBnbU:07/10/27 01:04:35 ID:5cHh5Zw8
 その一言に、思わず吹き出した――そのつもりだったのに。
 何故か安心して泣いてしまったのが、ちょっとだけ恥ずかしかった。

 救急車が到着するまでには、しばらくかかった。
 大変なのはそのあとだ。救急隊員に事情を説明して、お巡りさんに事情を説明して、そこに
駆けつけた深夜シフトの同僚にも説明して、しまいにはコンビニのオーナーにまで説明した。
最後なんてもう面倒くさくて、あることないこと適当に喋ったと思う。でも仕方がない、私に
はやらなきゃいけないことがあった。
 救急車の到着を待つ間、私はずっと先輩の話を聞いていた。そして託されたのがこのキャッ
トフードだ。あとついでに、自宅の鍵と住所のメモもある。病院に運ばれる先輩のかわりに、
私が役目を果たさなきゃいけない、らしい。
「彼女ね、ナスちゃんっていうの。もうね、すっごい可愛いんだけど、聞きたい?」
 なんて言われては「いえ結構です」とも言えない。やむを得ず聞いてみて、そしてやっぱり
後悔した。
 ――どうしてこの人は、自分の飼い猫の話一つまで、ドロドロさせなきゃ気が済まないのだ
ろう。
 しかも話の途中で運ばれていくのだから余計ひどい。せめてどうなったのかだけでも聞きた
かったのに、でも先輩はもう答えてもくれない。どうやら若い男の救急隊員に夢中のようで、
そして二週間後にはまた、その彼への恨み言を聞かされることになるのだ。
 キャットフードの会計を済ませて、コンビニの外へ出る。ふと見上げた夜空の星、その輝き
はまるで魔法のようで――つまりもう、先輩のまき散らした白滝にしか見えない。
 嫌なもの見ちゃったな、なんて思いながらも、私は先輩の家へと向かう。
 きっとまだ終わってない。あの先輩のことだから、どんな部屋に住んでるのかわからない。
それこそ魔窟のような、あるいは名状しがたい狂気じみた部屋とか、とにかくもう想像を超え
ているだろうことは間違いない。
 たぶん、戦いはこれからだ。いや正直、もう、十分だけど――。
 ついうっかり、再び見上げてしまった夜空。そこに流れる、一筋の白滝。それはたぶん流れ
星なのだろうけれど、でも私にはもう、そう見えない。
 私がそこに重ねたのは――掃除機にまたがって空を飛ぶ、“ただの少女”の姿だった。
〈了〉



 |  INDEXへ  |  NEXT−僕と魔法は使いよう◆Br4U39.kcI