【 ペットボトルペット 】
◆rmqyubQICI




102 :No.26 ペットボトルペット 1/5 ◇rmqyubQICI:07/10/21 23:42:07 ID:FPtq2/hz
 その計画が始まったのは、いつのことだったろうか。
 二十一世紀が明ける頃にはそのことで頭がいっぱいだった記憶があるので、もう六、七
年くらいにはなるのだろう。
 年の瀬も押し迫り、世間とはかけ離れた生活を送る私たちでさえ落ち着かない気分になっ
てきた頃。計画が詰めの段階を迎えたと、そういう旨の知らせが入った。つまり、世紀を
またいだ私たちの試行錯誤に、とうとう具体的な形が与えられたという知らせだ。
 このプロジェクトの成功を夢見て何年もの月日を費やした私たちは、内心、その出来に
かなり期待していた。いや、かなりなんてものではない。もっとこう、この日はいずれ歴
史に刻まれる日になるだろうとか、そんな未来を空想する者さえいた。
 そして、それほどに大きな期待が集まった発表会の日。といっても制作担当の部署が他
の関係者に発表しただけだったのだが、そのこじんまりした内輪だけのプレゼンは、なか
なかに凄まじい衝撃を残していった。
 午後六時丁度。からからとキャスターの音が響き、赤い幕のかかった、箱らしき何かが
運ばれてくる。大きさは各辺五メートルといったところだろうか。それに気付いた人間が
ひとり、ふたりと雑談を止め、箱が段上の中央あたりにくるころには、誰もが黙ってそれ
に注目していた。制作班の連中が満足そうに頷き、赤幕に手をかける。発表会は、盛大な
拍手とともに始まった。
 ――そして、数秒後。発表会は静寂とともに終了した。


 その日の夜、食卓にて。
「はぁ……」
 いつもなら食事の場で溜め息などつかないのだが、今回ばかりはさすがに堪えきれない。
「今日はずいぶん沈んでるのねぇ」
 テーブルの向こうに座っている妻が、不思議そうに言った。
「すまん、今日だけ許してくれ。仕事場に行きたくないなんて、ここ何年かで初めてだ」
「……そんなに? 今日は念願の発表会だったんじゃないの?」
 心配げなその一言が、私に発表会のことを思い出させる。事実上たった数秒で終わって
しまったその発表の記憶に、私はまた、大きく溜め息をついて言った。
「だからこそ、だよ」

103 :No.26 ペットボトルペット 2/5 ◇rmqyubQICI:07/10/21 23:42:33 ID:FPtq2/hz
 あのときの、つまり、発表会の始まりと同時に箱を覆っていた赤幕が引かれ、その中身
があらわになったときの光景が、頭の中で何度も繰り返される。その瞬間の衝撃まで再生
されるようで、思わず、愚痴が口をついて出た。
「あぁ、なんでこんなことになったんだろうな……」
 あの赤い幕の下にあったのは、まさに『箱』、そのものだったのだ。

 私たちが研究してきたものは、要するに人工のペットだと言っていい。数ある研究所の
中で、私は動物の脳、とくにほ乳類のそれを調べる機関に配属された。その最終目標は研
究対象の電子機器による近似。つまり、脳の機構そのものを機械でトレースすることだ。
 今の技術では完全に実現することなんてできるわけがない。しかし、私たちは莫大な労
力と時間と資金を費やした末、どうにかそれを実現する糸口になりそうなモデルを得た。
そしてついに、制作班から試作ができたとの知らせを受けるに至ったのだ。
 もちろん私とて、本物と見紛うような逸品が出てくると思っていたわけではない。むし
ろ、相当無様なものを想像していた。試作品は猫を参考にしたものだと聞いていたので、
象や犀のような大きさの猫の頭でも出てくるのだろうか、などと。
 ところが、いよいよお披露目と相成ったそれは、もう無様云々を超越した何かだった。
 人間が何人も入れそうなその箱の中を、太くて黒いミミズのようなコードが縦横に這っ
ている。そしてそれらを束ね、かつ複雑な機構を保護しているらしい透明な瓶状のものが、
中心部にいくつも固まっていた。まさか長年に渡る研究の集大成が、これほど不格好なも
のになろうとは。
 衝撃とも驚愕ともつかないその瞬間から、どれほど経っただろうか。ただただ唖然とし
てぼうっと中心部のかたまりを眺めていた私の耳に、隣にいた友人の呟きが届いた。
「あの真ん中のってさ、ペットボトル寄せ集めたやつみたいだよね」
 なるほどと思いながら、私はその場に崩れ落ちた。

「えーと……」
 苦笑いを浮かべながら、妻が何か言いかけた。恐らく私を励まそうとしているのだが、
適当な言葉が出てこないのだろう。
 黙々と夕飯を食べていると、しばらくして、妻がまた口を開いた。
「とりあえず、お気の毒」

104 :No.26 ペットボトルペット 3/5 ◇rmqyubQICI:07/10/21 23:42:56 ID:FPtq2/hz
「あぁ、そりゃ気の毒だろうさ」
 何年も遮二無二研究してきて、その結果できたのが、あのペットボトルだったのだ。こ
れを気の毒とか残念とか言わずして何というのか。
「……仕事、続けていく自信ある?」
 顔を上げると、妻の、本気で心配そうな顔が。予想外の真剣な反応に、私は噴き出して
しまった。そして不機嫌になった妻に、半笑いのまま答えてやる。
「そんなに心配するなって。ここまで来たらもうポシャるまで付き合ってやる覚悟だ」
「……もう! 大丈夫なの? その……なんだっけ」
「ペットボトル」
「そう、ペットボトル。明日からそれのある部屋で仕事しなきゃいけないんでしょ?」
「ま、いずれ慣れるさ。ずっと同じ部屋で仕事してれば愛着も湧くだろう。……多分」
 最後に溜め息をひとつ吐いて、私は残りの米をかきこんだ。


 それから一月ほど経ち、事態は思わぬ方向へと流れていた。
 自分で言っておいて何だという話だが、正直、あのペットボトルに愛着が湧くとは微塵
も思っていなかった。他の連中だって思っていなかったに違いない。
 それが、どうだろう。例の物が設置されたこの仕事場の雰囲気は、見違えるほど和やか
になった。それなりにきつい仕事をこなしているというのに、なぜかみんな笑顔なのだ。
このままそれをペットボトルと呼び続けるのもどうかということで、最近では多くの者が
ペットボトルペット、略してペットと呼び始めた。
 不格好なその機械に愛称で呼びかける様は、傍から見て相当気味が悪いことだろう。に
こにこしながらデータ処理、にやつきながら配線確認、しまいには箱の前面に描かれた、
猫の顔らしき絵に笑いかける者まで出る始末。そしてそれを見て「末期症状って恐いなぁ」
などと思いながら、内心和んでしまっている自分。
 なんというか、全てが馬鹿馬鹿しい。しかし憂鬱になった側からすぐに癒されてしまう。
なんという見事なアメとムチだろうか。制作側にそんな意図があったとは思わないが、こ
れはなんというか、やばい。遠からぬうちに私も染まってしまいそうだ。
 そんなことを気にしつつ入社し、研究室へ向かう。部屋のドアを開くと、同僚が十人ほ
ど、入り口近くに設置されているペットの傍に詰めていた。

105 :No.26 ペットボトルペット 4/5 ◇rmqyubQICI:07/10/21 23:43:24 ID:FPtq2/hz
「……何やってるんだ?」
 毎度のことながら、とりあえず彼らの先頭にいる友人、谷口に問う。すると奴はさも当
然のことのように、
「決まってんだろ。お前が入ってくるとペットが鳴くから、みんな聞きに来てるんだよ」
と、答えた。後ろにいる連中がそれに合わせてうんうんと頷く。あぁ、鬱陶しい。
「あのな。別に俺でなくとも、お前らが入ってくるときだって挨拶してくれるだろ」
「だったらこんな真似してねぇよ!」
 谷口が叫び、後ろの奴らがさっきよりも力強く頷く。
「お前だけなんだよ、お前にしか挨拶しねぇんだよ! なんなんだ畜生、お前、ろくに餌
もやってないくせに!」
 谷口が私につかみかかろうと一歩踏み出した、そのとき。耳をつんざくようなブザー音
が響き、一瞬遅れて部屋全体が赤く染まった。これが意味するのは、つまり――。
「ペットのシステムにエラーです!」
 キーボードをかたかたと叩きながら、同僚のひとりが叫ぶ。それを認めるや否や、直接
原因を見つけようと谷口がペット本体にとりついた。そして私も状況を確認すべく駆け出
す。自分のPCを立ち上げていては遅いので、エラーを告げた同僚、鈴原のデスクへ。
「どうにかなりそうか?」
 最近ではすっかり体力がなくなったようで、私は息を切らせながら鈴原に尋ねた。
「駄目です、私ではどうにも……」
「よし、ちょっと代わってみてくれ」
 椅子を譲ろうとする彼女を待つのももどかしく、私はキーボードとディスプレイをこち
らに向けて、立ったまま作業を始める。
 ブザー音が盛大に響く中、ひたすらキーボードを打ち続けて、やっとその原因を見つけ
た。見つけることは、できた。
「……くそ、これじゃあどうしようもない」
 どうやら制作の段階で生じたミスが、今になって影響し始めたようだ。完成した後から
では修復なんてできない。もう、諦めるしかないのだ。
 しばらくして、他の同僚もそれに気付き始めたらしい。呆然とディスプレイを見つめる
者。キーボードに拳を打ちつけ、肩を震わせる者。そして、ペット本体の前にうずくまっ
て、ただ涙を流している者。

106 :No.26 ペットボトルペット 5/5 ◇rmqyubQICI:07/10/21 23:43:56 ID:FPtq2/hz
 私は今更になって、このペットという奴は本当に愛されていたのだなぁ、と気付いた。
しかし、もう遅い。私たちはただ、それが壊れてゆくのを見つめるしかなかった。


「もう、直せないの?」
 妻が心配そうに、そして悲しそうに問いかけてくる。
「新しいのを作ることはいくらでもできる。けど、復旧するのは無理だろうな」
 当然だ。ペットを復旧するというのは、動物の脳を再生するのと同じことなのだから。
「まぁ機械が一個潰れただけさ」
「でも、あなたはそう思ってないんじゃない?」
「どうだろうな」
 少なくとも、私の同僚たちは思っていないだろう。あの後すぐに早退した者も何人かい
たし、残った者も延々とペットの弔い方について話すばかりだったのだから。
「作ってみたら? ペット君の、子供」
「……子供?」
「そうそう。子供っていうのもなんか変だけどさ、みんな寂しがってるんでしょ?」
 なるほど、あいつも疑似とはいえ生命として生まれてきたのだから、一代で絶えてしまっ
ては浮かばれないだろう。ペットがそのまま育っていればどうなったのかも気になる。な
により、あいつのいなくなった職場は、きっと寂しい。
「仕方ない、作ってみようかね」
「そうそう、その意気よ。まぁ、私たちの子供の方が先になりそうだけどね」
「……は?」
 不意のことで一瞬何を言われたのか分からなかった私は、ひどくまぬけな顔をしていた
ことだろう。そんな私に向かって、彼女はにこりと笑い、言った。
「よろしくね、お父さん」


  了



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