【 うさ☆ぴょん 】
◆I8nCAqfu0M




2 :No.01 うさ☆ぴょん 1/2 ◇I8nCAqfu0M:07/10/20 15:53:39 ID:cW2bYuLm
 昼休み。今日は気分を変えてお弁当なぞ作ってみた。この大変愉快な彩りのお弁当、職場の同僚と食べるのはも
ったいない出来だ。別にふりかけでクマさんが描かれているから恥ずかしいなどということではなく、同僚と食べ
るとこの素敵なお弁当の味もきっと400円くらいの幕の内弁当と変わらなくなってしまう気がしたからだ。酢の
ない酢昆布のような女どもと萎びたきのこ(じめじめしてるから)みたいな男ども、彼らと食べたらクマさんだっ
て泣いて見えるだろう。そう思って今、私は一人で職場近くの公園に来ている。
 ベンチに座ってお弁当を広げた私の目に、一組の親子が写った。少女はフリスビーをこれでもかというほど勢い
よく飛ばすと、その脇に控えていたゴールデンレトリバーは喜んでそれを取りに行く。これをずっと繰り返してい
る。犬は疲れも見せずに犬らしくしている。少女の父親は微笑みながらたまに犬を撫でてやる。少女はフリスビー
をひたすらに投げ続けている。
 しかし今は平日の昼間、そんな微笑ましい光景の裏にはきっと――中年を過ぎてリストラされた悲しい父親が一
人すがる相手も見出せず、世界でただ一人自分を虐げない小さな娘を相手にぎこちなく頼もしい父親を演じている
――そんな扇情的な物語が流れているに違いないのだ。そう思っていると父親が慌しく携帯を取り出して何やら話
し始めた。私は気になって耳をそばだてた。
「はい、はい、大丈夫ですよ。次の絵のモチーフは娘と戯れる犬にしようと思っているんですが――」
 つまらない。私達下っ端が汗水垂らして働いて会社を転がしていて、それが経済を支えて国を動かしていて、そ
んな国にやや過保護気味に育てられた君達少年少女はやがて立派な社会人に成長すると、今度はヨボヨボになって
干からびる寸前の私達元下っ端を一生懸命扶養するようになるのでしょう。うーん美しい社畜的循環。そんなこと
も知らずに犬と戯れる君の呑気が羨ましいよ。と思っていたらなんだこの有閑階級加減。真昼間から娘と戯れるの
が仕事の一環とは、ただの呑気よりもずっと羨ましい。
 そもそも私は何のために働いているのだろう。独身三十路間近の自分のため? 老人ホームに棄てられた母のた
め? そんなことを思いながら私は卵焼きを頬張って少女と犬を眺める。そういえば、昔私もペットを飼っていた
っけ……
 気合の足りないまつげを閉じて、しばらく昔を思い出してみた。

3 : No.01 うさ☆ぴょん 2/2 ◇I8nCAqfu0M:07/10/20 15:54:46 ID:cW2bYuLm
 私はうさぎを飼っていた。うさぎは寂しいと死んでしまうからつがいで飼うのが良いらしいが、その上絶倫なも
んだから、毎日のようにへーこらへーこらやってはいつの間にかに増える増える。正直愛玩動物としてはどうなん
だろうこの生態、とは大人になった今になってこそ思うけれど、当時の私はまだまだ幼い。幼い私はただ白くてふ
わふわとした動くぬいぐるみを可愛がっていたのだろう。
 しかし兎は生き物、ぬいぐるみではない。毎日エサと水を替えなければならないし、フンの始末や小屋の掃除だ
ってしなければならないのだ。そして私は面倒臭がりで飽きっぽい人間。最初のうちこそ「一緒に寝るのー!」だ
の「私以外はあんまり触っちゃだめだからね」だのと子供特有のわがままぶりを発揮していたけれど、次第に兎熱
も冷めてくると世話というものが面倒になってくる。
 一ヶ月も経つと兎小屋は汚れに汚れ、もはや小さい私の手には負えないほどになっている。そこで今まで静かに
見守っていた母の登場だ。
「全くもう、結局ママがお世話することになるんだから……」
そう言いながら母は兎小屋を掃除する。毎日のエサやりをする。そのうち自分でも可愛がりだす。私はたまに撫で
たりだっこするだけ。いつの間にか兎は私のものではなく母のものになっていた。
 しかし、兎が私より母に懐いてくると今度はなんだか悔しい気がしてくる。そうして私は面倒な世話をするよう
になる。兎の好感度が私に傾く。それが嬉しくてより一層世話を焼き、可愛がるようになる。そして飽きる。そん
なことを繰り返す私を、きっと母は手のひらの上に乗っけて眺めていたんだろう。
 私が中学校に上がるときくらいだろうか、最後に残った一匹もやがて死んでしまった。私はかわいそうにと思い
ながら、心のどこかで「お墓作るのが面倒だなぁ」などと思っていた。この頃からすでに心の乾燥は始まっていた
のかも知れない。でも母は違った。母は我が家の兎が死に絶えた時も、一匹目が死んだ時と同じ様に涙を流した。
 当時の私は既に大分ひねてきていたものだから「ペットの兎ごときで」と非常に冷めた目で見つめていたことを
覚えている。今思えばそれはあまりに冷たくて、まさに子供の残酷さ。壊れたおもちゃを砂場に棄ててくるあの無
表情と同じ類のものだったのだろう。
 そういったことまで思い出を進めたとき、私は突然、母の偉大さに心打たれた。はっとして目を開けると、もう
あの親子と犬はいない。
 ああ、母はいつだって世話を焼いていたのだ。私が今食べてるような手の込んだお弁当を毎日嫌な顔もせずに作
っていたのだ。生意気盛りの私を棄てたりせず、女手一つで大事に育ててきてくれたのだ。そう思うと、母を一人
老人ホームに追いやったことは、それこそ非道とも言うべき仕打ちだと思われた。
 私はお弁当を食べ終わると少しにやけながら職場へ戻って行った。今度は私が、母の世話を焼かないといけない
と思いながら、不思議と面倒臭さは心に浮かんでこなかった。



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