【 愛のアルコール度数 】
◆uBMOCQkEHY




5 :No.02 愛のアルコール度数 1/5 ◇uBMOCQkEHY:07/10/13 00:54:51 ID:2p/Gvq7J
 他人の厚意を素直に受けとらない奴には、罰が必要なのだ。だから俺はさやかのつむじの辺りを、平手でひっ
ぱたいた。
「しっかし、本当に帰ってきちゃったんですよねー、先輩。つくづく物好きっていうか、変な人だなあって思い
ますよ。むしろ変態? 私の体目当てだったりとか? 人いなくなるのを待って強姦してやろうみたいな腹積も
りだったりします? ……あ、ごめんなさい痛いっす。叩かないでくださいよ痛いんですってば!」
 静寂は静寂として受け入れるべきものだ。真夏の夜、あらゆる人の気配が徹底的に消え去ったこの田舎町の公
園に、コイツの空元気は似合わない。この場を彩るのは、草むらから響く虫たちの合唱だけで充分だ。虫の声は
不思議と夜の闇、そしてそれがもたらす恐ろしく深い静寂とマッチする。今日も、その魅力をかき乱すことなく
引き立てていた。だが、一方でさやかの変わらぬ声に安心している自分もいた。左手に持っていたファンタを煽
る。存外に美味い。こうしていると、このすっかり裏返ってしまったような世界も、そう悪くはないのかもしれ
ないと思えた。
「もうちょっと素直に喜べよ。カレシのご帰還だぞ。泣くとか、抱きついてキスしてくるとか、あってもいいん
じゃないのか?」
「だって先輩、それやったら怒るでしょ。何をするか恥かしい奴め、とか言っていつも叩くんですもん。私に好
きって言ってくれたこともないですし。あんまりそんな態度取ってると、愛想尽かしちゃいますよ」
 さやかは笑っていた。しかし、やはりどこか寂しそうな笑い方だった。無理もないことなのかもしれない。実
際、生きるのは大変なのだ。ただ生活を続けるだけでも、悲しみや苦しみは積もる。ましてやこいつは決して強
くない。一人で、こんなにも深い世界の闇と向き合うことなんて、出来ない奴なのだ。やはり、帰ってきたのは
正解だったな、と思う。
「当たり前だ、そんな女々しいこと言えるか。そういうのは、女が男に飽きるほど言うものなんだよ。朝会って
好きです。昼は、手作りの弁当の一つでも差し出しながら、愛してます。夜はもう、部屋に押しかけてきて抱い
てくださいって言うような女、それが俺の理想」
「ひどいっすよ! もうなんか、人間としてダメですよそれ! 変態とか通り越してますよ」
 さやかは頬を膨らませて怒ってみせた。けれど、次の瞬間にはまた笑顔に戻って、俺の肩に頭が触れるくらい
まで、近づいた。演劇の練習で培った、豊かな表情はさやかの大きな魅力だった。
 ベンチは充分な広さがあったし、第一今は夏だったから、寒いなんていうことはなかった。普段の俺だったら、
暑苦しいとでも言って、跳ね除けていたのかもしれない。でも、もう俺は充分彼女を待たせていた。焦らしすぎ
るほどに焦らしていた。これ以上の意地悪は、必要なかった。だから、俺はたださやかの頭に空いていた右手を
乗せてやった。そうすると、残ったのはあの虫の声がうるさい静寂だけになった。いい夜だった。

6 :No.02 愛のアルコール度数 2/5 ◇uBMOCQkEHY:07/10/13 00:55:23 ID:2p/Gvq7J
 少し街を歩きませんか、とさやかが言った。もうこうしてこの公園にいるのも飽きてきていたところだったか
ら、いいタイミングではあった。一つのところに留まっていると、嫌でも不安が押し寄せてくる。逃れるには、
動き続けることだった。
 危なくはないのか、と俺は尋ねた。普段でさえ、夜遊びは危険を伴うものだった。この田舎じみた小さな地方
都市では、精々がカツアゲ程度のものだったけれど、友人の中にも被害にあった奴は居た。ましてや人工の光が
消え、闇が再び俺たちを圧迫するようになったこの世界では、何が起こっても不思議じゃないような気がしてい
た。
「大丈夫ですよ。危険も慣れればほどよいスパイスです。それに、先輩が居ない間に結構私も強くなったんです
よ。ちょっとしたコソドロくらいなら、楽勝です」
 もうほとんど、そういう元気な人たちは残っていませんし、この街には。そう付け加えてさやかは少し悲しげ
に声のトーンを落とした。だから、そいつは頼もしいな、と俺は笑ってやった。すると再び、さやかは笑顔を取
り戻した。どこか寂しそうで、自嘲的な光をたたえた瞳をしていたが、とにかく笑顔は笑顔だった。最後くらい、
笑わせたままでやりたい。彼女を守ってやろうと、俺は決心していたのだった。
 
 心配は、実際杞憂だった。街もまた、公園と同様に闇の中に沈んでいた。歩行者も、車の姿もなかった。立ち
並ぶ店のシャッターは、全て閉まっていた。
 電灯も、当然ついていなかった。やはり、ライフラインはもう機能していないのだ。その現実に気づくと、抑
えていたはずの恐怖が再び俺の心に浮かび上がった。仕方ないから、さやかの手をぎゅっと握り締めた。握り締
め返してきた。その力と体温を感じて、彼女も俺も、今ここで生きているのだと実感して、再び落ち着きを取り
戻す。
 見知ったはずの風景が、驚くほどに雰囲気を変えていた。何だか知らない街に旅行に来たような気分だった。
いや、そうではない。世界中を駆けずり回ったって、以前にはこんな街は存在していなかった。人の手が入って
いない山や海に感じる、征服欲に満たされた、どこかエゴイスティックな寂しさとも異なった違和感だった。人
の英知の結晶であるはずの街、そこから人の生気が消失しているということに起因する違和感は、今のこの絶望
に満ちた世界にしか存在しない。
「……ビューティフルドリーマーって感じだな、なんか」
「なんですかそれ、眠れる森の美女って奴ですか」
「それは違うっていうの。『涼宮ハルヒの憂鬱』か? 映画だよ、映画。もったいないなあ、見てないの」
 今度見せてくださいよ、とさやかは言いかけた。けれど言い切らなかった。それが不可能なことは、お互いに
良くわかっていた。彼女の笑みが曇って、泣き出しそうに唇をへの字に曲げた。仕方がないから、俺は少しかが

7 :No.02 愛のアルコール度数 3/5 ◇uBMOCQkEHY:07/10/13 00:55:58 ID:2p/Gvq7J
んでキスしてやった。さやかは一瞬、子猫のように目を丸めて、またすぐに笑顔になった。俺も素直になったも
のだな、と思う。
 突然、静寂を切り裂いて猫の野太い鳴き声が空気を震わせた。発情中の猫特有の声だった。声がするほうに目
をやってみると、路地の奥で、白猫ニ匹が交尾中だった。あまりじろじろ見るのは失礼だろうからすぐに視線を
戻したが、俺はどこかで彼らに勇気付けられたような気がした。まだこの街にも残っていたのだ、俺たち以外に
も、愛に酔い続けている奴らが。
 コンビニに行くことを俺は提案した。BDといえばコンビニだ。無論営業していないことはわかっていたが、
それでもコンビニに行きたかった。窓でも壊して入り込むのも一興かな、と思った。 

「けど本当によかったんですか、先輩。役者になるっていう夢、向こうでなら叶ったかもしれませんよ。十万分
の一なんていう幸運、みすみす無駄にすることなかったんじゃないですか?」
「んー、そうはいうものの、それ一般枠の確率だからなあ。著名人とか、結構たくさん来てるらしいんだよな。有
名な映画監督とか、プロの役者とか、たくさん居るらしいから。わざわざ俺の芝居なんて見るような人、居なかっ
ただろうし」
 セブンイレブンの駐車場の地べたに直接座って、俺たちはそんなことを話した。自販機をぶっ壊して取り出した、
午後の紅茶ミルクティーを呑み、さやかの持っていたカンパンをつまみにしながら。彼女の問いに、俺が答える。
逆のパターンもあるにはあったが、さやかの話は大半が学校の屋上から飛び降りた同級生たちの末路や、悲観して
発狂した奴らが街で行った奇行なんかの類だったから、時間が経つにつれて、俺は何も訊かなくなった。
 話題がつき、俺たちはお互いに手持ち無沙汰に視線を辺りに巡らしていた。突然、北斗七星を指差し確認しなが
ら、さやかが口を開いた。
「それでもやっぱり、先輩は酔狂な人っすよ。普通、生き延びるチャンスがあるんなら、そっち選びますよ。本当、
なんで戻ってきちゃったんですか?」
「……何、それはマジで聞いてるわけ? 他ならんお前が? 俺がなんのために死ににきたと思ってるの?」
「嫌だなー、もちろんわかってますって。ただちょっと、先輩本人の口から聞いてみたいなぁ、って思っただけで
すよ」
 彼女は意地悪そうにニヤニヤと笑っていた。小悪魔の如く、腕に抱きついてきて上目遣いで俺を見つめる。デコ
ピンの一つでもくれてやってもよかったが、答えてやることにする。最後くらい素直になろうと決めたのだ、俺は。
「……人類最後の夜明けを、コーヒーの一杯でも飲みながら見たかったんでね。ま、紅茶の方が本当は好きなんだ
けどさ。リプトンのミルクティー、甘党だから、俺。でもまぁ、とにかくコーヒーだ。ちゃんと豆から挽いた

8 :No.02 愛のアルコール度数 4/5 ◇uBMOCQkEHY:07/10/13 00:56:22 ID:2p/Gvq7J
ブラックを、お気に入りのカップで啜りながら、一つ短歌でも詠んでみる。そういうの、なんか憧れるよな」
 キザったらしく、眼鏡を片手で押し上げながら言ってみる。煙草の一本でもあれば最高に決まったところだが、
生憎俺は未成年だし、あの臭いが嫌いなのだ。
「……なんですか、それ。何のネタですか」
「いや、オリジナル。ちょっと気の利いたことでも言ってみようかな、と思って。格好良くない?」
 耳が腐るほどダサいです、といわれて俺は凹んだ。凹んだところを更に殴られて、縮こまった。さやかはどう
やら本気で怒っているみたいだった。拳に力が入っている。ふざけすぎたみたいだった。かなり痛い。
「わかった。俺様が本気をだしてスーパーカッチョよく締めてやるから、心して聞け後輩よ」
「了解しました。でも、次ふざけたらコロシマス」
 まだ、二度三度はコイツをからかってやろうと思っていたのだが、どうやらそうもいかないらしい。さやかと
の会話で一番楽しいのは、こういうふざけあいなんだけどな、と俺は少し残念に思った。まあ、けど、喜ぶ顔も
可愛いのは、確かだから我慢してやる。そう考えて、俺は彼女の頭を撫でながら、言ってやった。
「いや、ホラ、俺童貞だしさ。向こう行っても、生きてく自信ないし。最後くらい、お前抱いてから死にたいな、
と」
 俺の言葉を聞いて、瞬間さやかは噴き出した。とても失礼な奴だった。
 空気も読まず、さやかは爆笑し続けた。しばらく苦しそうに転げまわった末に、ようやく落ち着いて――とい
っても、俺の顔を見るとまだ笑いがこみ上げてくるようだったけれど――答えた。
「カッコ悪いっすよ、先輩。童貞カミングアウトで求愛って。……まあ、素直になってくれたんで、よしとして
おきます」
 急にさやかは自ら俺の腕を引き込んで、自分自身を押し倒させた。俺はあまり豊満とは言えない胸に顔を埋め
ながら、さやかの満面の笑みを見た。やっぱりいい女だな、と思う。童貞でも出来るだけ優しくしてくださいよ、
と言って恥かしそうに頬を染める彼女の姿に、やっぱり生きるのは楽しいし愛は人生の至宝だな、と元気づけられ
た。

「宇宙船、ここから見えないですかね」
「見えるか馬鹿ヤロ。発射はNASAからだぞ。地球のほぼ裏側だっていうの」
「わかってますけど、想像するのがいいんですよ。なんか、風情があるじゃないですか」
 その感覚は、俺にも理解できた。伊達に演劇部員を三年間もやってきたわけじゃない。感性で、後輩に負かされ
てはたまったものではない。
「隕石来るの、いつごろって言ってましたっけ」

9 :No.02 愛のアルコール度数 5/5 ◇uBMOCQkEHY:07/10/13 00:56:48 ID:2p/Gvq7J
「大体後一週間。ま、まだまだ時間はあるってこと、後何回セックスできるかなあ」
「猿じゃないんですから、自重してください。もっとなんかこう、デートしながら甘い言葉をささやく、とかそ
ういう愛はないんですか、先輩には。さっきのだって、痛かったっすよ、むちゃくちゃ」
「それは悪かった。なんか、お前がやたらと可愛くてさ、我慢できなかった」
「……なんか、キャラ変わってますよ、先輩。気持ち悪いです。恥かしいこと真顔で言わないでください。もし
かして、お酒とか飲んでます?」
 さやかは怪訝そうに、俺の口に鼻を近づけて臭いを嗅いだ。無論酒臭さなんかはない。俺は完全に素面なのだ
から。

「けど、考えてみればおかしな話ですよね。後一週間で死ぬのはわかってるのに、子供を作ろうとするなんて」
 さやかは俺の背中に手を回した。彼女の髪の毛からはシャンプーのいい香りが漂っていた。女は死ぬ寸前まで
女なのだと、理解した。
「それを言ったら、普段だって同じだろ。皆どうせ遅かれ早かれ死ぬんだし、生まれた子供だっていつかは死ぬ。
どんな動物も、どんだけ長生きしたってそのうちは滅びる。生物なんか、どこか虚しいものなんだよ、元々」
 往々にして人間は、そういう事実から目を背けて生きている。だからこそ、突然に突きつけられた真実に耐え
切れなくて、世界はいとも簡単に崩壊したのだ。
「寂しいものですねー。……でも、そういう悲しいものを、残りの人生味わい尽くすっていうのも、確かにいい
かもしれないです。なんとなく、退廃的な愛って感じで、素敵」
「俺もお前も、どこかちょっとおかしいよな。――まあ、確かに少しいいよなそういうの」
 そう言って俺はまたさやかに接吻した。彼女の柔らかい唇を感じた瞬間、不意に俺はさっき見た交尾中の猫た
ちのことを思い出していた。あいつらのように生きよう、と心に決めた。俺もさやかも、酒の力など借りずとも
死の直前まで愛に酔い、狂い続けることが出来るほどには、強いのだから。



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