2 :No.1 迷えるカメレオン 1/4 ◇E.kxh2gwAE:07/10/06 04:59:11 ID:r2tu6pnC
木製のバットがブラウン管に差し込まれた状態で、テレビが一台、部屋の中で煙を吐いていた。
そんな光景を後ろに、裕輔は静かに空を見ている。
――裕輔は、自分の先祖はカメレオンなのではないかと本気で考えていた。
なぜなら裕輔は、中学校における自分のポジションをある程度操作する事ができたからである。
目の前にいじめっ子がいれば、愛想よく振舞いターゲットにならないように。
いじめられっ子が裕輔のほうを涙目で見続けると、裕輔は他の誰にも見えないように、
静かに口を「ごめん」と動かした。
そうする事で自分の存在を、最下層でもなく、突出した存在でもない、記号のようなクラスの一員として存在させる事が出来た。
裕輔は都合の悪いときに自分の存在を消すことが出来た。
まるでカメレオンが擬態によって敵の目から免れるように。
裕輔はそんな自分があまり好きではなかった。
そんな自分に対して反発するように、裕輔はテレビの中の芸能人や政治家に憧れを持っていた。
それは裕輔が持っていない強い自我を彼らが持っていたからである。
もし彼らが自分と同じような場面に遭遇したならば、
彼らはきっと独自の方法で対処していくであろう。
それが周囲から非難を浴びせられたとしても、彼らは自分の道を進むのだ。
裕輔にとってみれば盲目的と言えるほどの彼らの自我に、裕輔はヒロイズムを感じずにいられなかった。
自分も強い自我を持ちたい。カメレオンではなく、恐竜のように強く存在していたい。そう切望していた。
「俺、なんでこんなんなんだろう……」
布団の中で裕輔は、中学校であった出来事について反省していた。
3 :No.1 迷えるカメレオン 2/4 ◇E.kxh2gwAE:07/10/06 04:59:52 ID:r2tu6pnC
「では、新学期の委員会を決めます。」
クラス長が教壇の前で、高らかに宣言する。
裕輔は黒板に書かれている
「放送委員二名」
の文字に釘付けになっていた。
放送委員になれば、月に一回昼食時に自分の好きな曲を流す事が出来る。
そんな餌に釣られ、裕輔は前々から放送委員の座を狙っていたのだ。
文化祭実行委員、体育委員、生徒会など、裕輔にとっては「どうでもいい」委員会が順番に定員に達していく。
「えーっと……放送委員会になりたい人はいますか?」
その声を聞いたとき、裕輔はすぐさま手を上げようとした。
しかし元来周囲の雰囲気を伺う癖が付いている裕輔は一瞬躊躇してしまった。
そしてクラスの権力者二人組が、俺達の席だと言わんばかりに颯爽と周囲を威嚇しながら手を上げた。
裕輔は瞬時に危険な臭いを察知し、手を上げるのをやめた。
そして裕輔は、月に一回学級新聞を作るという新聞委員会に決まった。
自室のテレビの映像と共に、今日のホームルームの悪夢が何度も頭をよぎる。
裕輔は自問自答した。
俺は何をやっても駄目だ。自分のしたいことなんていつも出来やしない。
久しぶりに感じた強い敗北感をきっかけに、裕輔は自分の自我の無さを悔やんだ。
俺は一体何処にいるのか、俺が居るべき場所とは一体何処なのか。
もういやだ。こんなカメレオン癖、全部リセットして赤ん坊からやり直したい。
裕輔は叫びだしたい衝動に駆られながらも何とかそれを押さえつけ、頭の中だけで絶叫していた。
「もしも神様が俺の目の前に存在して、俺の話を聞いてくれるなら、聞いてやりたい。
この世の中の勝者は誰ですか? そして敗者は誰ですか?」
3 名前:No.1 迷えるカメレオン 1/4 ◇E.kxh2gwAE[] 投稿日:07/10/06(土) 04:59:11 ID:r2tu6pnC
木製のバットがブラウン管に差し込まれた状態で、テレビが一台、部屋の中で煙を吐いていた。
そんな光景を後ろに、裕輔は静かに空を見ている。
――裕輔は、自分の先祖はカメレオンなのではないかと本気で考えていた。
なぜなら裕輔は、中学校における自分のポジションをある程度操作する事ができたからである。
目の前にいじめっ子がいれば、愛想よく振舞いターゲットにならないように。
いじめられっ子が裕輔のほうを涙目で見続けると、裕輔は他の誰にも見えないように、
静かに口を「ごめん」と動かした。
そうする事で自分の存在を、最下層でもなく、突出した存在でもない、記号のようなクラスの一員として存在させる事が出来た。
裕輔は都合の悪いときに自分の存在を消すことが出来た。
まるでカメレオンが擬態によって敵の目から免れるように。
裕輔はそんな自分があまり好きではなかった。
4 :No.1 迷えるカメレオン 3/4 ◇E.kxh2gwAE:07/10/06 05:00:52 ID:r2tu6pnC
しかし、本物の神様に代わって裕輔の頭の中の神様が、曖昧に、そして正義を盾に返答をする。
「この世界に敗者も勝者も存在しません。人々が、あなた自身がとった行動がすべて正解なのです」
裕輔は自分の頭の中の神様に殴りかかりたい気持ちでいっぱいだった。
「くそったれ」
普段温厚な裕輔が珍しく口に出して暴言を吐いた。
今までのカメレオンとしての擬態が、弱者からの逃げが、強者への媚びへつらいが、裕輔に襲ってきた。
裕輔は今までの自分を哀れみながら部屋を出て、台所でコーラを飲んだ。
リビングでテレビを見ている母や姉にばれないように、涙の跡も洗い流した。
冷蔵庫の冷えたコーラを飲むと、ゲップと共に再び悲しみと怒りが胃から逆流してきたので裕輔は思わず階段を駆け上がり、
布団にうつ伏せになり、また泣いた。
一時間ほどが過ぎ、裕輔は自分が眠ってしまった事に気が付いた。
テレビは九時前のニュースが、その日の事件を報告していた。
少し疲れた、考えすぎだな……と、裕輔は自分を落ち着かせた。
程無くして、テレビが特番の放送を告げる。
ドキュメンタリー番組が始まり、そのおどろおどろしい雰囲気に裕輔は嫌な予感がした。
さっき散々苦しんだのにこんな番組を見たのでは追また悲しい感情が蘇る。さっきみたいな辛い気持ちになりたくない。
そう思ったが、裕輔がテレビを消そうとした時それはすでに遅く、
ナレーターの悲しい喋りに耳を奪われてしまった。
「×月○日男性は生活保護の申請を打ち切られ、自宅で餓死した」
最初のナレーションを違う世界の出来事として聞いていた裕輔は、段々とその事件が現実で起こった事だと認識していく。
国の仕打ちがどれだけ悲しいものかを仰々しく語るナレーション。
それが極端にデフォルメされたものだとしても、死んでしまった人がいる時点で悲しくなってしまう。
それもこの飽食の時代に餓死だなんて。
裕輔の負の感情にすべてがリンクする。
5 :No.1 迷えるカメレオン 4/4 ◇E.kxh2gwAE:07/10/06 05:01:28 ID:r2tu6pnC
一時間ほどその番組を見てしまった後、裕輔は少しでも気分を変えようとチャンネルを変えた。
「セレブ妻の大胆買い物術」
その番組は、裕輔の心の奥底にある裕輔自身気付いていない怒りの感情にスイッチを入れた。
「十二万円のブランドバッグを八万円までまけようとする負けん気セレブ」
「百万円財布の中に常備! 驚きの買い物テク」
そんな上流階級の番組。
先ほどの世界では、一円単位で敗者の様相を、こっちの世界では、一万円単位で勝者の様相を。
裕輔はため息をつき、部屋の隅の木製バットを手に取りブラウン管に叩き付けた。
一度目、二度目の衝撃と共にブラウン管は大きな音を立て、三度目の衝撃と共にブラウン管は「ボン!」というけたたましい音と共に割れた。
ブラウン管からは黒い煙が昇り、周囲には黒いガラスが散らばった。
――裕輔は窓から空を眺め、再び頭の中の神様に告げた。
「勝利も敗北も大嫌いです。俺は今まで敗者だったかもしれない。
でももし出来るなら、出来ないとわかっていますけどもせめて俺の周りだけは勝利も敗北もない空間にしたい。そうする」
二階での爆発音を聞きつけ、リビングの母と姉がやってきた。
「裕ちゃんどうしたの……」
初めての息子の暴挙に母は驚きを隠せずにいるようだ。
姉も目を丸くして様子をうかがっている。
「ごめんね。 お母さん……。ちょっと学校で嫌な事があって、テレビに八つ当たりしちゃった。すぐ片付けるから!ごめんなさい!」
裕輔の中のカメレオンが擬態し始めた。
しかし今の裕輔はカメレオンである事を恥じらうことも悲しむ事も無く、むしろ誇らしげであった。
自分のこの擬態能力には、勝利も敗北も無効化させる効果があるのではないかという希望が、
ほんの少しだけ裕輔の胸に湧き上がっていたからである。