【 涙で生きる 】
◆0UGFWGOo2c




130 :時間外No.02 涙で生きる1/5 ◇0UGFWGOo2c:07/09/24 03:31:23 ID:SCEDXoXb
自分の一番大切なものはなにか、と聞かれれば、僕は迷わず「家族」と答えるだろう。
一人娘のさやかが産まれて七年。
二人だった夫婦は家三人の家族になり、日々娘の成長を楽しみに生きているようなものだ。しかし、最近なぜか娘の様子がおかしい。
今年七歳になる一人娘のさやかは、夏休みが終わってから急に、僕や妻への態度がそっけなくなった。
休日に、パパは仕事で忙しい、といってもそれを聞かずに「どこか行こうー」と手を引っ張ってきたり、テレビを見ていても「この人ねー、」と番組を見ていても一人ひとりのタレントについて話しをしてくれていた。
それが、最近になってからというもの、なぜだか急に冷たくなってしまったのだ。
仕事が休みの土曜日に、お絵かきをしているさやかに「どこかへ行こうか」と誘うと「行かない」。「このテレビ、おもしろいよな」と流行りの芸人がでている番組を見ながら話しかけても、「そうだね」と一言。それが、ついこの前のさやかだ。
思春期になると、第二期反抗期とともに父親嫌いも始まるというが、さやかはまだ七歳だ。
思春期に入るには早すぎるのではないだろうか。
「なあ、さやか最近どうしたんだ? 妙に素っ気無くないか」
僕は夕食を食べながら、皿洗いをしている妻、和代に尋ねた。
和代はさやかの小さなお茶碗を持つ手をピタ、と一瞬手を止め、口を開く。
「やっぱり、それ思う? 夏休みが終わってから急にあたしたちによそよそしいのよね。」
「ああ、なんか違うんだよな。距離開けられてる、というか、さ。
なんかしたかなー」
小首を傾げながらグラスに注いだビールを口に入れる。
「そういえば、さやかが夏休みごろにすごく仲良くしてたおともだち、お父さんがいないんじゃなかったかしら。関係してたりするのかなあ」
皿洗いを終えた和代は腰に捲いたエプロンで手を拭きながらぼんやりと言った。
母子家庭、か。
「ま、色々あるんだろうよ、さやかも。なんだってもう小学生なんだもんな」
適当にあしらい、僕はビールを持って自室へと移動する。
ことり、と手に持ったジョッキを机の上に置き、ベッドに転がるように横になった。
「母子家庭、ねえ」
なんとなく、さっき和代が言った言葉が気にかかっていて、ぽつりと呟いた僕の声は静かな部屋の中で消えた。
僕の母は、僕が幼い頃に交通事故で亡くなった。
その葬式のときに、父になにかを言われた記憶があるのだが、それがどうにも思い出せない。
日頃厳しい父が言うとは思えない言葉を言われ、すごく驚き、そして感動した記憶はあるのだけれど、それが何を言っていたのかが全く思いだせないのだ。
僕はがばっとベッドから起き上がり、ビールジョッキを手に取った。木目調の机の上には透明の水滴が溜まっていた。

131 :時間外No.02 涙で生きる2/5 ◇0UGFWGOo2c:07/09/24 03:31:38 ID:SCEDXoXb
朝目覚めると軽い頭痛に見舞われていた。幸い今日は日曜日で特に休日中にこなせねばならぬ仕事もないので、ゆっくり過ごすことにしよう。
リビング横のテレビからは、なにやらキンキンとした女の子の声が聞こえる。
日曜日、朝の十時。テレビ画面を覗いてみるとさやかが女児向け変身物のアニメを食い入るように見つめていた。
「おはよう、さやか」
「おはよ」
さやかは挨拶をしたこちらを全く振り向きもせず、じいっとアニメを見ている。
うーむ、前はこんなにそっけなくはなかったのになあ……。さて、今日は一日なにをしようか。
「なあ、さやか。今日のご予定は?」
家で子供とコミュニケーションでもとるか。
さやかはうーん、とちいさくうねりながら「お昼食べたらなつこちゃん家で遊ぶ」とだけ言った。
僕は少しがっくりと肩を落としながら「気をつけて遊びなさいね」とだけ告げ、朝ごはんに集中した。

 和代が昼前に目覚め、適当に料理を作ってさやかと僕に出した。さやかはそれを食べ終えると足早に家を出て行った。続いて和代も身なりを整え家を出て行った。
今日は友人とブランチ、なのだそうだ。いよいよ一人になった僕は暇を持て余していた。
とりあえずリビングのテーブルを後にしようとしたとき、椅子の背もたれにかかったさやかのランドセルが空いていて、中身のノートやら教科書が数冊散らばっているのに気づいた。直してやるか、と一冊のノートを手に取る。
ぺらぺらとめくってみると日記帳のようだった。僕は適当にページを開いてみた。
「八月六日 今日は、お友だちのなつこちゃんといっしょに公えんあそんでいたら、小さな子ねこをみつけました。すごくかわいかったので、なつこちゃんといっしょにその公えんでかうことにしました。名まえはゆきと名づけました。」
「八月十六日 今日もゆきとなつこちゃんとあそびました。さいきんは、まいにちあそんでます。ゆきはわたしたちがにぼしをもっているのに気づくと、すごいおいしそうに食べました。すごくかわいかったです。」
全く小学生らしい文章だ。自然と笑みがこぼれてしまう。と、同時に内心少しがっくりしている。この日記を見れば、なぜさやかが最近そっけなくなったのか書いているのではないかと思っていたからだ。
にしても、さやかは夏休みに猫を飼っていたのか。きっと和代も知らないのだろうな。
「八月十八日 今日も公えんに行きました。さいきんゆきが、お手をしてくれるようになりました。まて、と言ったらまってくれるし、すごくかわいいです。
なつこちゃんもよろこんでいて、「ずっと二人でかおうね」とはなしました」
「八月三十日 涙しか出てきません。今日公えんに、 」
玄関のドアが、開く音がした。娘かもしれない、と僕はあわてて読みかけの日記をランドセルの中へと入れる。
靴を脱ぐ音と、とんとんとこちらへ向かってくる小さな足音は、さやかのものだった。
「ママー、なつこちゃんと遊ぶのなしになっちゃったー」
そう大声で言いながらさやかは僕のいるリビングの方へと歩いてくる。僕はランドセルの方を一瞥する。多分、日記帳を見たのは、バレないだろう。

132 :時間外No.02 涙で生きる3/5 ◇0UGFWGOo2c:07/09/24 03:31:54 ID:SCEDXoXb
「ママはお友達とご飯に出かけたよ。家にはパパ一人」
そう僕が告げると、さやかは、へーとだけ言ってテレビの前のクッションに、座った。
「テレビ、つけてもいい?」
僕が頷くと静かな室内に幾人もの声がブラウン管から響き渡った。討論番組のようだ。論題は、『少年犯罪』。様々な肩書きを持った大人たちがそれぞれに声を荒げて議論している。僕はぼんやりとそんな光景を眺めていた。
「だからね、人は死んでも生き返らない、というのをきちんと教えなくちゃいけないんですよ。きっとそこのところが曖昧なんです、今の子供は」
テレビの中で、喋る女性。
「パパ、死んだら元に戻らないなんて、誰が決めたの?」
ぽつり、と消え入りそうな声でさやかは言った。唐突に。
「神様、じゃないかな……」
急に問いかけられた娘の質問に、戸惑ってしまう。死んだら生き返らないのは当たり前のことなのだから。
「なんで神様はそんな風に決めちゃったの? ひどくない? 死んだら悲しんじゃうでしょ」
クッションの上でさやかは小さく体育座りになる。膝の間に顔を埋めて、小さくうずくまる。
さやかの言葉は僕に言っているというよりは、自分に言い聞かせている様な口調だ。泣いているのか、時折小さく嗚咽が聞こえる。
だんだんと終着に近づく、テレビの中の討論の声と、小さくなって泣く娘。どう動けばいいのか分からず、ぼうっとそれらを眺める僕。
「悩み事でも、あるのか?」
気づけば口が勝手にそう言っていた。尋ねるつもりはなかったのに、空気に耐えれなかったのだ。
「悩んでることは、ないよ。でもね、苦しいことがあるの」
さやかは少しだけ、膝の間から顔を上げ細い声でそう言った。
「先週、ゆきっていうねこがね、死んじゃった。動かないの、冷たいの。たくさん泣いたよ。なつこちゃんもあたしも。すっごく泣いて、のどが痛くなるくらい泣いたけど、生き返らないの、ゆきは。ずうっと寝転んでて、ぴくりともしない」
さやかは、僕に口を挟まらせる間もなく、ゆっくりと口を動かし続ける。
こんなにたくさんの言葉を話してくれることは、最近はなかった。
僕はひとつひとつさやかが話したことを頭の中で整理していく。
「なつこちゃんはね、パパがいないの。幼稚園の年長さんのときに、事故で死んじゃったんだって。死んじゃったゆきをみながらなつこちゃんはパパのことをたくさんお話ししてくれた。
なつこちゃんはパパが大好きで、だからすごく悲しくかったって。
なつこちゃんはね、こんなに早くパパが死ぬって分かってたらパパのこと好きになんてならなかったのにって言ってた。ツライから、別れが、ね」
なんとなく、さやかが最近自分に冷たい理由が、分かったような気がした。
それと同時にふっと母親の葬式の様子が頭を掠めた。
さやかは膝の上にちょこんと顔をのせるようにして、話しをつづける。
「その気持ち、あたしもわかった。ゆきをあたしがかわいがってなかったら、死んでても、ちょっと悲しいな、って思うだけで、こんなに泣いたりしなかったから。いっぱい遊んでいっぱいいっしょに時間をすごすと、大好きになっちゃうんだね、その人のこと。
だから、死んじゃうとすっごい悲しいんだって分かったの。だから、だからねあたしね……」

133 :時間外No.02 涙で生きる4/5 ◇0UGFWGOo2c:07/09/24 03:33:40 ID:SCEDXoXb
そう淡々と言いながらまた、さやかは膝の中に顔をうずめる。声が小さくなっていく。
頭を思いっきり膝の中に埋めながら、すごく小さな声で、
「……パパやママとあんまりしゃべらないことにしたの」
と言った。それは本当にとても小さな声だったから、さやかでさえ、口に出したことが分かっていないのかもしれない。
すくっと急に立ち上がったかと思えば、足早にさやかは自分の部屋へと入っていった。
ぽかん、と僕はさやかが消えたクッションを見ていた。

僕はテーブルの椅子に座り、ゆっくりゆっくりとさっきまでの出来事を僕は思い出していた。
そのとき、急に記憶が戻ったかのような感覚が起こった。
ああ、父が母の葬式で何を言ったのか、思い出せた。僕は、今のさやかだったのではなかろうか。
僕は立ち上がり、『さやかのおへや』とかわいらしい字でホワイトボードに書かれたドアを、軽く二度、ノックした。
「はーい」
と小さく聞こえ、僕はドアノブを回した。
「どしたの?」
そう言ったさやかの目は、少し赤かった。
「あのさ、さやか。パパはな、死なないから」
「え?」
「だからそんな素っ気無くしなくてもいいから、な」
ああ、僕は何を言っているのだろう。話しながらぼろぼろと涙が零れてしまう。
「え、どしたの? 急に……」
「……死なないから、ママもパパも。ゆきは死んじゃったけど、パパたちはまだまだ死ねないから、生きてるから、さ。いっぱい話ししてくれよ。大好きになってもいいから、な?急に消えちゃったりしないから……」
涙でさやかが霞む。まばたきをすると、一瞬視界がクリアになった。生暖かい水滴が、頬を伝った。
「…………」
さやかは無言だ。でも小さく、嗚咽が聞こえた。本当に僕は、なにを言っているのだろう。
こんなにストレートにこんなことを言われても驚くだけに決まっているのに。
気持ちが悪い、と思われるんじゃないか。ああ、馬鹿だ。


134 :時間外No.02 涙で生きる5/5 ◇0UGFWGOo2c:07/09/24 03:33:52 ID:SCEDXoXb
あの時の父親も、同じ気持ちで僕に言ったのだろうか。
いつも寡黙で頑固だった僕の父の、初めて見せた涙は、母の葬式だった。
僕は、父のことが嫌いだった。いつも僕に冷たいし、母にもキツく物を言う。
幼かった僕は、父のことを何度もどこかへ行けばいいのに、と心の中で唱えていた。
「あんな、俺は不器用な人間やからお前に嫌われているかもしらん。でもな、まだまだ俺は死なんから、ずっとお前を見張ってるからな。それはお前が大切だからやけん。もうこんなことこっぱずかしくて言わんと思うけん、覚えとけよ、な」
式が滞りなく進み、棺が運ばれていくのを目で追いながら、父は僕の頭に手を置きお国言葉で言った。父の言葉は涙声で、頭の上に乗った手は軽く小刻みに震えていた。
その言葉をかけられるまで僕は、消えちゃえ、と思っていた父が、本当に消えてしまったらどうしよう、とおびえていた。
棺の中に入った母のように、冷たく動かなくなってなにもしゃべらなくなったらどうしよう、と。怖くて、怖くて。お葬式で泣くのはもう嫌だから、いっそ誰とも話さなければ、誰かが死んだとき悲しくないのに、とさえ思った。
それが、今のさやかなのだろう。
小さいなりに精一杯考えて、死という概念を乗り越えるための術。
関わらなければいいって、僕も同じことを思ったんだ。ああ、どうしてそんなことを今の今まで忘れていたんだろう。
「パパ、泣かないでよ。たくさんたくさんお話しするから。……だから、だからね、ゆきみたいに急に動かなくなったりしないで……ね……」
さやかは静かにそう言うなり、大声を上げて泣き出した。
うわんうわんと、耳を裂くような大声で泣くさやかの髪を、僕はゆっくりと撫でた。
さやかの泣き声が、ひっくひっくとしゃくり上げるような声になった頃、僕はさやかの髪や目や口や鼻や手や足をゆっくりと見ながら、ここにいる大事な人を、さやかを、悲しませることなどしては絶対にしない、と心に強く誓った。
そう誓ったとき、視界は、やはり涙で霞んでいた。





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