【 木造二階建下宿の果実 】
◆59gFFi0qMc




104 :時間外No.03 木造二階建下宿の果実 1/4 ◇59gFFi0qMc:07/07/10 00:28:32 ID:bknAtZ+0
 最初は気のせいだと思った。
 奴は風きり音に紛れ、コンクリートへ何かを落とした。
 徹夜のマージャンを終え、下宿の玄関先まで来た僕の目前を、カラスがすべりこんでき
たのだ。
「ん?」
 気のせいだ、だから布団で寝よう。そう自分へ言い聞かせても視線はもう捜索を始めて
いる。そして見つけた。僅かなツヤを持つ黒く平たい数粒。
 既にカラスは飛び去った。その黒い物をつまみ僕はじっと見つめる。
「スイカ……の種、だよな?」
 
 薄暗い一室。
 板張りの壁はあちこち黒くかびている。本棚には植物関係の専門書がびっしりと刺さる。
 そんな異様な光景をバックに、口の端をゆがめ半開きの目で僕を睨む岡田先輩。
 その目から逃れるように僕は顔を伏せた。怒るのも当然だ。目の前であぐらをかく先輩
を僕は朝の五時にたたき起こしたのだ。
「今度やったら選定バサミで刺し殺す。とにかくその種を出せ」
 ケツを浮かせて何度もぼりぼりとかきながら岡田先輩は言った。
「はい」
 スイカだろうとは思う。だが、カラスがスイカの種を落とすということがありえない現
象だ。そのありえない現象で入手した種が単なるスイカの種なのだろうか? そう思って
僕は農学部四年生の岡田先輩を頼ったのだ。
 おそるおそる数粒を畳に並べ、岡田先輩の目を見ながら僕は生唾を飲み込んだ。一体ど
んな言葉を口にするだろうか。
 岡田先輩の眼光が走った。が、その割には「スイカだな」と、普通の答えが返ってきた。
 全身から緊張が抜けた。今の目は何だったのだ。
「面白そうだ、早速植えてみよう」
 そう言ってから種を拾い上げ、岡田先輩は腰を上げる。手に数本のポリボトルを掴みサ
ンダルを履いた。この人にとってタンクトップとトランクスは下宿の正装らしい。門を出
ない限りは必ずこれだ。今もその格好で外に出ようとしている。
 きしむドアを開きかび臭い廊下を歩き出す背中を、僕は慌てて追いかけた。

105 :時間外No.03 木造二階建下宿の果実 2/4 ◇59gFFi0qMc:07/07/10 00:28:46 ID:bknAtZ+0
 下宿の裏庭は岡田先輩の実験農園と化している。よく分からないつる草や潅木、そして
色々な野菜の畝が走っている。すみっこにはいくつもの鉢植えが転がっている。そんな中
に岡田先輩はスイカの種を撒き、自分が大学の研究室で使っているという妖しげな成長促
進剤をジョウロでぶっかけた。そうでもしないともう七月だから間に合わないらしい。
 この胡散臭い薬剤は門外不出のものらしい。だが、研究室の教授が岡田先輩へコビを売
るために渡してくれたのだとか。
 本人は地元で農業を継ぐことを希望しているのに、教授から大学院へ進学するよう何度
も頼まれているのだそうだ。
 修士や博士なんてくだらねえ、と、いつも岡田先輩は言っている。しかし成績も良いし、
両親も大学院進学を勧めているらしく、農業系の学問も嫌いではなさそうなのだ。恐らく
修士や博士といった肩書きに対する反骨心があるのだろうと僕は思っている。

 ただ、ジョウロの先端から蛍光ピンクがほとばしる光景に僕はなんとなく不安を感じた。
 こんなの口に入れる作物へかけてもいいのだろうか。

 八月。
 殆どの下宿生は家へ帰ったが、岡田先輩は実験農園があるので夏休みでも下宿に残って
いる。毎年の恒例だ。僕はバイトがあるので残った。そして岡田先輩と一緒にスイカの観
察を続けることにした。
 例のスイカは物凄い勢いで伸びている。最高で一日四十センチを記録した。あっという
間にツルの長さは十メートルを越え、まるで風船のようにスイカの玉を膨張させていった。
 但し、スイカに栄養を奪われたのだろう、周囲の植物はその代償として片っ端から黄色
や茶色にその姿を変えた。
「出所不明の種だから、ひょっとしたら新品種かもな」
 鼻歌混じりに水を撒く先輩。
 全く気にされず朽ちていく植物達は、さすがにかわいそうだと思った。
 そんなある日。
 裏庭が何か騒々しいので目を覚ました。二階の窓から見下ろすと、実験農園の一角が黒
いモノで覆われている。

106 :時間外No.03 木造二階建下宿の果実 3/4 ◇59gFFi0qMc:07/07/10 00:29:00 ID:bknAtZ+0
「なんだ?」
 二、三度目をこすってから僕は凝視した。やっと分かった、黒いモノはカラスの塊だ。
数十羽ほどが覆う一帯は、例のスイカが鈴なりになっている場所だ。
 やばい、もうそろそろ収穫だと言ってたのに。まるで狙いすましたように来やがった。
「岡田先輩!」
 僕は叫びながら窓を全開にした。同時に振り返って部屋のあちこちへ視線を走らせる。
 何か投げつけなければ。焦る気持ち一杯で掴んだものはごみ箱だった。手を突っ込み、
景気よくカラスめがけて中身を投げつけた。
 まるで、白い花のようだった。
 白いティッシュの塊が数個、ふわふわと力なく降りていった。一、二羽のカラスが邪魔
くさそうに羽ばたかせて払いのけ、再びスイカをつつき始めた。僕は何をやっているのだ。
緊張のあまり思わず夜の恥をばら撒いてしまった。
 殆どのスイカは無残に食い散らかされている。無事なものは二、三個くらいだ。
「てめえら、俺の農園から生きて出られると思うなよ!」
 下から響くドスの効いた声。見なくても分かる、岡田先輩だ。竹ボウキを振り回しなが
らカラスの塊に突進し、みるみるうちにそこは元の地面へと戻っていった。だが、昨日ま
で転がっていた大きなスイカは、すべて粉砕されている。
「ちくしょう!」
 竹ボウキがへし折れる音と共に、岡田先輩が叫んだ。

 砕けた中からまだ食えそうなものを目の前に並べ、岡田先輩と一緒にビールを飲み始め
た。ツマミとしては微妙だが、供養だと思って口に入れる。
 それにしても、炎天下でビールなんて飲むもんじゃない。あっという間に岡田先輩は酔
っ払ったようだ。
「まさかなぁ。スイカの分厚い皮をカラスが割るなんてなぁ」
 首をへし折るように顔を伏せる岡田先輩。トランクスからはみ出す片金に哀愁を感じる。
「一羽は弱くても、集団だとなんでもアリですからね。特にカラスは」
 慰めるように僕は言った。が、カラスがスイカを割るなんて僕も信じられなかった。

107 :時間外No.03 木造二階建下宿の果実 4/4 ◇59gFFi0qMc:07/07/10 00:29:15 ID:bknAtZ+0
 多分、集団でつつきまくったのだろう。あちこちに飛び散るスイカの皮には、無数のつ
つき跡が残っている。奴等にもそれなりの努力があったようだ。
「くそう、これで二回目だぞ? 信じられねえよ。あいつら、去年もメロンの種を目の前
に置いて行って、俺が育てたところを食い尽くしやがった」
 え?
「ちょっと先輩。目の前に置いたって、メロンの種をカラスが置いていったんですか?」
「そうだよ。お前とおんなじように、カラスが目の前にパラパラっと置いていったんだよ。
俺は自然からの贈り物だと思って育ててたんだ。それがあっさりと食い散らかされたんだ
よ。ちくしょう!」
 岡田先輩の正拳突きが地面へ刺さった。
 どういうことだ。頭の中を色々な想像が巡った。
 そしてひとつの想像が浮かんだ時、僕の背筋は凍った。
 自分達が食いたい果物を、俺達に育てさせていたんじゃないのか。

 さらにある日のこと。
「おうい、またカラスが種を持ってきたぞ」
 僕の部屋の前で岡田先輩が言った。
 ドアを開けた。目の前には麦わら帽を被った岡田先輩が複雑な笑顔で立っている。おも
むろに突き出してきた手の平を僕は覗き込んだ。
 柿の種、だよな。
「確か……八年、ですよね?」
 少し伏せがちで見上げるように僕は言った。
「結実までの期間は短縮可能だけど、さすがに今年いっぱいでは無理だな」
「最短でどのくらいですか」
「四年、だな」麦わら帽を頭から取った。「むかつくよな、博士課程に進学しないと世話
ができねえぞ。獣害について研究したいと思ってたから、ネタとしては丁度いいがな」
 岡田先輩は苦笑した。
 そこに、僅かな照れのような感情を僕は読み取った。

 完



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