【 ココロ 】
◆We.HF6BFlI




62 :No.61 ココロ ◇We.HF6BFlI:07/06/17 23:29:10 ID:s3iEwa6p
 鈴虫の音が響く。りぃり、りぃり。
 羽音に包まれ、小さな城は眠る。いや、眠らぬ者もいる。
 蛍火の如き行燈(アンドン)に照らされ、武士(モノノフ)共は息も吐けずに陰鬱な影をその顔へ落とす。
 相対し並んで座るも、互いに顔を上げることすらせぬ。見れば識れる故――皆が皆、絶望に打ちひしがれていることを。
 忍ばれた末に漏れる寸毫(スンゴウ)の嘆息は、泥濘と化した空気に混ざり、さらに皆の肩へと重くのし掛かる。
 老兵達は耐えるのみ。此の期に及んでなお、一人許された筆頭の言の葉を待つばかり。

 りぃり。り――

 一縷(イチル)の涼風に、寂寂たる気息はそよと遮られ、老爺達は顔を上げた。その翹望(ギョウボウ)の視線が集まる先。
 宵闇にも似た黒い具足が行燈で朱く染まり、脇に置いた変わり兜――異形の獅子が厳然と皆を見つめ返す。
「天命なぞ、在りはせぬ」
 朗々たる声が薄暗い部屋中に響き渡る。
「其許(ソコモト)の魄は、決して誰が為に非(アラ)じ」
 静かであった。静かに、一人の言葉が皆の胸を貫いていく。
「其が命に従い、其が望むがままに身を砕く。是こそ信念と云う奴じゃ」
 そう結んでおきながら、家来衆筆頭、南条時隆は皺の目立つ顔を歪ませて呵々と笑った。
 茫然と閉口する老翁達であったが、直ぐさま得心し、彼の意に賛同するように大きく笑った。
 おうおう、と部屋が揺れ、また、ひたり、と立ち所に止む。
 南条は不作法に具足を鳴らしながら、一番近くの老兵に尋ねた。
「信心とは何か喃、楠木殿」
「生来神仏には縁の無い身故、坊主の云う事に限ってはとんと分かりませぬ。知らぬぞ仏、でありましょう」
 老獪な同志の科白に、南条は又一度呵々と口を開ける。そして再び――最後に南条は、にたり、と大きく笑みを浮かべた。
「我等が知るは義の道のみ。己(オレ)の魂魄(タマシイ)、道義に生きる。死する道なれど、義は消えじ」
 呪詛にとりつかれたように、言の葉が蔓延していく。皆の瞳には赫怒(カクド)にも似た朱い炎が映り込んでいた。
「我等不退転の決志を以て、迫る怨敵を駆逐せん。老兵に餞は要らぬ。ただただ、彼の御身の無事を祈念するのみ」
 逃げ行くあどけない若殿を胸中に描きつつ、南条は口を閉じた。「ゆこうか、皆の衆」そして一同は頷いた。

「応! 応! 応! 応!」
 りぃり、と泣いていた鈴虫はもう居なくなってしまった――――           【了】



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