【 明日の轍の作り方 】
◆ZEFA.azloU




107 :時間外No.04 明日の轍の作り方 1/4 ◇ZEFA.azloU:07/06/04 07:43:49 ID:2pjtWQfe
 昼休みを告げるチャイムの音と同時に、教室が騒がしくなる。
 そんな中、その少女は実に落ち着き払っていた。
 前の授業で使っていた教科書を丁寧に揃えて鞄にしまい、その帰りに弁当箱を取り出す。
 生徒達が食堂へ走り出したり、机をくっつけているのを横目で見ながら、少女はそっと教室を出た。
 教室を出てすぐの階段を上り、三年生がうろつく三階の廊下を少し緊張した面持ちで歩いて行く。
「あっ、くーちゃん。大介君ならもう屋上に行ってるよ」
 たまたま少女を見つけたのであろう。女生徒が教室の窓から顔を出し、慣れた調子で声をかけた。
「あ、はい。ありがとうございます」
 馴染みの先輩に会釈をしてから、少女は少し歩調を速めた。
 廊下の突き当たりにある階段を上り、"屋上"と印字された紙が貼ってある扉に手をかけた。
「おー。今日も時間通りだな、久美」
 扉を開けると同時に、間延びした声がした。
 久美と呼ばれた少女は、屋上に降り注ぐ眩しい日差しに眼を細めていた。
 その視界に、腕時計に目をやりつつ弁当を広げている青年が見えた途端、久美はあっと小さく叫んだ。
「お兄ちゃん、今日も先に食べてるー! お昼ご飯は一緒に食べようっていつも言ってるのにー!」
「悪い悪い。分かっちゃいるんだけど、どうにも腹が減ってさぁ」
 久美の反応を楽しむかのように、大介が笑った。

「ね、どうだった? 今日の」
 大介が弁当をあらかた平らげたのを見計らい、久美は切り出した。
「んー、昨日の卵焼きもなかなかだったけど、今日の唐揚げ、冷めても美味かった。味付け、ちょっと濃くしたろ?」
「おっ、正解。やっぱり作り甲斐があるなぁ、お兄ちゃんのお弁当。そういうちょっとの違いが分かる人、モテるよぉ?」
 弁当箱を片づけながらうんうん、と頷く久美とは対照的に、大介は首を傾げた。
「そういうもんか?」
「そういうもんなの。そうそう、明日は何がいい?」
 久美の問いかけに、大介は傾いた首を一層傾けた。数秒唸って、ようやく口を開く。
「そうだなぁ……じゃあ、ハンバーグとか」
「了解。じゃあ帰り、お買い物付き合ってね」

108 :時間外No.04 明日の轍の作り方 2/4 ◇ZEFA.azloU:07/06/04 07:44:09 ID:2pjtWQfe
「あいよ……あ、そう言えばさ」
 大介が思いついたように声を上げる。
「進路希望の紙、久美はもう書いたか?」
 不思議そうな顔をして、久美は首を横に振った。
「ううん。だって、お兄ちゃんまだ決まってないんでしょう? 私、お兄ちゃんと一緒のとこに行くから。それまでは未定だよ」
「やっぱりな」
 大介がにわかに表情を曇らせた。
「なぁ、久美。今までお前は、兄ちゃんの後をずっと追いかけてきてくれたよな。覚えてるか? 幼稚園の頃からだ」
 急に真剣な面持ちで話を始めた大介に、久美は少々面食らったようだった。しかし、それに構わず大介は言葉を続ける。
「とうとう高校まで、久美と兄ちゃんは同じ学校だったな。だけど、さすがに大学となるとそんな安易に考えちゃいけないと思う」
「ど、どうしたの急に?」
 慌てた久美の声にも、大介は耳を貸さない。
「……そろそろ誰かの通った道を追いかけるんじゃなく、自分が本当にやりたいことを見つけて、その道へ進まなきゃ駄目だ」
 大介が言葉を切ると、その場が静寂に包まれた。
 それと同時に、久美の表情が見る間に崩れていく。
「お兄ちゃん、私といるの、もう、嫌……?」
 まるで世界が終わったような表情をする久美の目から、涙が溢れ出す。
 今度は、大介が慌てる番だった。
「ちっ、違う違う! そうじゃないんだ!」
 どうしていいか分からない様子で、大介が手を宙に迷わせる。
 ――と。
「ぐぅ」
 大介の胸めがけて、久美が飛び込んできた。肺が押され、大介が奇妙な声を上げる。
 久美はそのまま両手を大介の背中に回し、羽交い締めにした。絶対に離れないとでも言いたげな格好だった。
「お、おい久美」
「……やだよ」
 顔を埋めたまま、久美が声を漏らす。
「やだよぉ……お兄ちゃんと一緒がいいよぅ」
 小さくしゃくりあげながら、背中に回す手に力を込める。
 行き場のない両手をさまよわせていた大介は、妹の思いがけないその力に少し驚き、それから小さくため息をついた。

109 :時間外No.04 明日の轍の作り方 3/4 ◇ZEFA.azloU:07/06/04 07:44:27 ID:2pjtWQfe
「……昔から、怖い思いをした時はこうやって抱きついてきたよな」
 久美の頭をくしゃくしゃと、少し荒っぽく撫でる。
「ごめんな。でも兄ちゃんはな、久美の事嫌いになった訳じゃないんだ」
 空いている左手で久美の背中を猫を撫でるようにさすりながら、大介は続ける。
「兄ちゃんは久美が大好きだから、後を追ってきてくれるのは凄く嬉しい。
 でもな、久美が兄ちゃんに捕らわれちゃって、自分が本当にやりたい事を見失っちゃうのが、それと同じくらい嫌なんだ」
 久美からの返事はない。それでも、一つ一つの言葉を言い聞かせるように、ゆっくりと紡いでいく。
「想像してくれ。兄ちゃんの通った道には、轍ができてる。その轍を通れば何も辛いことは無いっていうなら、こんな事言わない。
 でも、兄ちゃんは楽な道ばかり通ってこれた訳じゃない。同じ轍を踏んで欲しくないような経験だって、たくさんしてきた」
 そこで、少し言葉を止める。背中に回された手から、少しずつ力が抜けていくのを感じていた。
「兄ちゃんはさ、久美の進む明日が、兄ちゃんが通った昨日であって欲しくないんだ。ただ、それだけなんだよ」
 しばしの、沈黙。大介はひたすらに、久美の答えを待った。
「……うん」
 どれくらい時間が経っただろうか。大介の中では随分長い沈黙の後、小さな声が聞こえた。
 大介の背中に回された手がそっと離され、久美が大介に背を向けてゆっくりと立ち上がる。
「く、久美? 怒ったか?」
「……ううん」
 不安そうな声を上げる大介とは対照的に、朗らかな声で久美が答える。
「要するに、私が進みたい道が"たまたま"お兄ちゃんと同じならいいんだよね?」
 さっと身を翻し、久美が悪戯っぽく笑った。
「おいおい」
「大丈夫、お兄ちゃんの言いたいことは分かったから。ちゃんと自分の道を考えるから、ね」
 いつの間にか手にしていた二人分の弁当箱をカタカタ鳴らしつつ、大介を指さす。
「それじゃあ放課後、校門でね」
「え? 何だっけ」
 大介が首を傾げるのと同時、久美が頬を膨らます。
「もー! 明日のお弁当、白米オンリーにしちゃうよ?」
「ああっ、はいはい。それは勘弁して頂きたい」
 大介の返事に苦笑しながら、久美は出入り口の扉へ歩き出した。

110 :時間外No.04 明日の轍の作り方 4/4 ◇ZEFA.azloU:07/06/04 07:44:43 ID:2pjtWQfe
「あれ、今日は一人で行くのか? いつもは一緒に降りるのに」
 その声に久美は振り向き、得意そうな笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんの通った道を追いかけちゃいけないんでしょう? 出入り口は一つ。私が先に出なきゃ、屋上から帰れないもん」
「これはやられた」
 実に嬉しそうに、大介が笑みを返した。

 しっかりとした足取りで、再び久美が歩き出す。
 その後ろ姿を眺める大介の目には、久美の後に彼女だけの轍ができていくのが、確かに見えていた。
           (了)



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