【 流れゆく、時と共に 】
◆wDZmDiBnbU




27 :No.08 流れゆく、時と共に 1/5 ◇wDZmDiBnbU:07/06/03 12:09:37 ID:TwCBh9Ol
 たかが国同士のいさかい程度で、なぜこれほどまでの血を流す必要があるのか。

 フレイラにはまるで理解できない。だがそれを理解することは、無論命令のうちには含まれ
てなどいなかった。いま最も重要なことは、この砦を守りきることだ。
 城壁から遠く眺める敵陣には、一体で一軍に比肩するといわれる機械兵の姿がある。昨日ま
では三体だったはずが、どうしたことか今日は五体。ここ三日でどうにか三体ほどは破壊した
ものの、しかしその側から増えるのではまるで手に負えない。援軍を期待したいところだが、
それも望み薄だろう。
 空を見上げると、そこには分厚い黒雲が見えた。ここ数日たれ込めたままのこの雲のおかげ
で、砦にはもはや昼も夜もない。自然のものでないことは明らかだった。どういう原理かは知
らないが、この雲には超遠隔での魔法を無効化する効果があるらしい――そう気づいたのは、
本部との通信が完全に遮断されたからだ。風向き次第で時折つながることもあるが、それも大
抵は一分と持たない。最後に通信してから、もう随分と経ったはずだった。
 本部の命令を仰げない以上は、この砦においての最高官が部隊の指揮を執るよりほかにない。
 その立場であったはずの少佐は、すでに二日前に戦死を遂げている。その後を引き継ぐのは
必然的にフレイラの役目となった。フレイラは傍目には十代の少女でしかないのだが、しかし
魔法士である以上、必然的に大尉に相当する階級が与えられることになる。だが彼女には無論、
部隊を指揮した経験どころか、人に命令したことさえも一切なかった。フレイラは、最後に本
部から受けた命令をそのまま、ただ繰り返した。
「この砦を死守せよ」
 すでに兵の半数が死に絶え、武器弾薬さえが底をつこうとしていても、その一言だけがフレ
イラにとって守るべき命令だった。上官を喪い統率のとれなくなった部隊は、いとも簡単に戸
惑い、ざわめいた。勝ち目はあるのか、何か作戦はないのか――そのいずれの質問も、答えは
はじめからわかりきっていた。この状況で、一体どんな作戦が立て得るというのだろう。
「作戦については、本部の返答を待つ。勝ち目は、わからない――ただ、一魔法士として言わ
せてもらうなら、あれだけの量の機械兵には勝てない。戦えば、確実に死ぬ」
 そう言い放ったのが昨日のことで、そしてその翌日には、兵卒の数はさらに少なくなってい
た。しかし、もはや関係ない――いずれにせよこの砦は、今日中には陥落するはずだ。
 煤汚れた城壁の上、外套の前襟をあわせると、フレイラは再び空を見上げた。切れ間もなく、
どこまでも果てなく続く黒雲。一体どこまで行けば、この昼も夜もない薄暗闇から逃れること

28 :No.08 流れゆく、時と共に 2/5 ◇wDZmDiBnbU:07/06/03 12:09:58 ID:TwCBh9Ol
ができるのだろう――。
「ちゃんとこの雲の外に出られましたかねえ。逃げちまった連中」
 突如隣から聞こえたその言葉に、フレイラの思考は中断された。銃剣を肩に、いつの間にか
隣に佇んでいたのは見慣れた顔だ。生き残った兵卒の中ではフレイラに次いで階級が高く、兵
の間でもまとめ役として慕われている男。ガデウスなどという厳つい名前の割には、どこか飄
々としたところがあり、またフレイラ自身もこの男を買っていた。
「いや、お天道様が見えないってのは、どうもね……まあ逃げた連中はいいとして。大尉、昨
日のアレは少し言いすぎじゃないっすか? 残った連中、まるでお通夜みたいな顔しちまって」
 自身はまるで晴れた日の散歩のような顔をしてガデウスが嘯く。本当のことなのだから仕方
ない、などと真面目に返したところで、どうせこの男は聞かないだろう。フレイラは少し考え
て、その気持ちはよくわかる、とだけ返事をした。
 困っているのか満足なのか、まるでわからないような表情で笑うガデウス。相変わらず年齢
のはっきりしない顔だな、とフレイラは感じた。確か二十代後半程度のはずなのだが、笑顔だ
けを見ればまるで少年のようでもある。
 しかし、その顔がすぐに、驚いたように目を丸くした。その視線の先には、正面の敵陣。
「動きだしましたね、奴ら」
 わかっている、と頷くフレイラの目は、一体の機械兵をとらえていた。遠巻きに陣を据えた
敵軍の中から、不用意に一体だけが這い出してくる。いびつな曲線を描く丸い胴体に、左右四
対の巨大な足。まるで蜘蛛のようなその姿は、今までに見たことのないものだった。
「とりあえず、撃ちますか? それとも放置で?」
 どちらでもない――銃を構えるガデウスを制して、金属製の蜘蛛に手をかざす。思念を集中
すると、すぐに全身が言いようのない力で満たされるのがわかる。白い手の甲に光芒が走り、
淡い緑の幾何学模様を描き出す。いくつかの古代文字が併記されたそれは、魔法陣――この軍
において、機械兵に対抗できる唯一の力、魔法を呼び出すための鍵となる技術だ。
 無言のまま、虚空に筆を走らせるようなつもりで――解放されたその力は、通常の兵器とは
比較にならない効果を現した。籠った、重い破裂音のような音が鳴り響き、薄暗闇を赤い閃光
が照らす。突如爆発し、すぐさま火焔に包まれる機械の蜘蛛。
「や、相変わらずド派手っすね」
 おどけた様子のガデウスを無視して、掲げた腕を下ろすフレイラ。炎はすぐに離散して、そ
こには元通りの機械兵の姿が残った。予想はしていたとはいえ、しかし、ため息が出る。

29 :No.08 流れゆく、時と共に 3/5 ◇wDZmDiBnbU:07/06/03 12:10:25 ID:TwCBh9Ol
「新型か。まるで効いていないようだな……全力のつもりだったのだが」
 ゆっくりと少しづつ、這って迫る蜘蛛の姿。おそらく敵は、それ一体だけでこの砦を制圧す
るつもりなのだろう。実戦を兼ねた、新型機の実験。どうやら人は、機械のテストにさえも人
の血を流さなければ気が済まないらしい。その実験の道具にされた張本人であるはずのガデウ
スが、困ったように頭を掻く。
「ああもう、大ピンチじゃないっすか。敵さんもずいぶんなことしてくれるなあ」
 それはフレイラにとって、まるで理解できない光景だった。確かにずいぶんなことには間違
いない、そのおかげでこの男はこれから死ぬのだから。なのになぜ、この薄暗い城壁の上で、
のんきに頭など掻いているのだろう。彼の言う「逃げちまった連中」に、彼自身混ざろうとは
思わないのだろうか。
 なぜ逃げない、上官にあるまじきその質問を思わず口に出しかけたとき、フレイラの脳裏
に――というよりも、思考の中に、突如として割り込む声があった。
『大尉、かろうじてですが、本部との通信がつながりました』
 魔法力による思念波独特の感覚。本部との通信をずっと試みていた兵からのものだ。手短に
『私に繋いでくれ』とだけ思念を返すと、フレイラは「通信兵はまだ残っていたのだな」とガ
デウスにささやく。彼は状況を察して黙ったのか、それとも返事よりも本部の方が早かったの
か。いずれにしろ、その通信はすぐにつながった。
『状況を説明しろ』
 聞き覚えのある声、いや声と言っていいのかどうか。その思念の感覚は、フレイラにとって
はなじみ深いものだった。この砦に配備されるまで、幾度となく聞いたその『声』。
『新型機が現れました。効果的な攻撃手段もありません。おそらく、今日一日は保たないかと』
 言いよどむ、そんな『迷い』の思念をフレイラは感じた。通信相手である『彼』にしては、
それは珍しいことだった。しばらく考えた後に、フレイラは彼の返答を促す。
『どうか、ご命令を』
『逃げろ』
 返ってきたその答えは、フレイラにとって予想だにしなかったものだった。
『生き延びるんだ。生きて、私のもとへと戻れ。命令は以上だ』
 かつて、こんな命令は聞いたことがなかった。戦場に配備された魔法士に対して、敵を放り
出して逃げろなどという命令は考えられない。いままで命令に反したことなど一度もなかった
が、しかし――フレイラは、決意を固めた。

30 :No.08 流れゆく、時と共に 4/5 ◇wDZmDiBnbU:07/06/03 12:10:44 ID:TwCBh9Ol
『お言葉ですが、その命令には従えません。軍規に反する行動は取れません。それに、私には
生きるといった言葉は不適切です』
 より強力な魔力を得るために、魔法によって生み出された純粋魔法士。通常の魔法士と同じ
く階級こそあれ、しかしそれは決して生命と認められるものではない。軍規には逆らえないよ
うに作られ、そして制作者の命には決して背けない原則。唯一の例外は、下された命令が矛盾
をはらんでいるときのみだ。そして、そのようにフレイラを設計したのは、他でもない『彼』
のはずだった。その彼に、フレイラは再び命令を促す。
『どうか、もう一度ご命令を。マイ・マスター』
『……よかろう。では、君は敵の行動にかまわず、ただ明日の朝日を見ることだけに専念した
まえ。この命令ならば、問題なかろう。以上だ』
 復唱する間もなく、彼との通信は途絶えた。気のせいだろうか、上空の黒雲はなおその厚さ
を増しているように見える。魔法によって生み出された『モノ』に、心といえるものがあるの
かどうかはわからないが――もしあるとするのならば、いま初めて感じるこの感覚をいうのだ
ろうとフレイラは思った。途絶えた思念、懐かしい人とさっきまで繋がっていたという、どこ
か名残惜しいような、この思い。
 しかし、浸っている場合ではない。残された魔法士の役割を果たすため、傍らのガデウスを
振り返る。本部からの命令を告げる、と言うと、彼は珍しく直立不動の体制をとった。
「逃げろ。生き延びて、明日の朝日を拝め。以上だ」
 一瞬、呆然とした表情をするガデウス。だがすぐに笑顔――なのか困っているのか、よくわ
からないいつもの顔に戻る。頭を掻くいつもの仕草には、やはり理解できないものを感じてし
まう。それともまだ『心』の感覚が残っているせいだろうか。考えるよりも先に、口が動いた。
「君は、なぜ逃げなかった」
 そんなことを聞いて、何になるのだろう。知ったところでまるで意味のないことのはずだっ
た。しかし、返ってきた言葉に、フレイラは納得した。
「逃げますよ。でも俺、逃げるのは一番最後ってことに決めてんです。真っ先に逃げるやつっ
て、だいたい死んじゃうし。それに、なんか、かっこいいっしょ。最後って」
 まるで理屈になっていない。なっていはいないのだけれど、でも理解できないわけではなかっ
た。嫌いではない、そんな風に感じたのは初めてかもしれない。こういう人間のためならば、
己の血を流すのも悪くないことのように思えた。
「それじゃ、逃げますか。どうせみんな逃げ遅れた連中だし、うかうかしてたら間に合わない」

31 :No.08 流れゆく、時と共に 5/5 ◇wDZmDiBnbU:07/06/03 12:11:01 ID:TwCBh9Ol
 銃を担ぎ直し回れ右をするその背中に、フレイラは一言だけ声をかけた。“時間稼ぎくらい
にはなるだろう――”。その言葉にガデウスが振り返るより早く、外套が風にたなびいた。純
粋魔法士にとってみれば、この程度の城壁から飛び降りるくらいはわけないことだ。地に降り、
真っ直ぐに見据えた先には、例の蜘蛛が待っている。その頭上に、厚い黒雲を抱いて。
 この雲の上にはきっと、いつも変わらぬ太陽があるのだろう。兵たちが明日の陽を見るため
には、この鬱陶しいカーテンをどかしてやらなければならない。フレイラ自身、その役割を果
たせる自信はなかったが、しかし命令は絶対だ。自分は決して命令に背くことができない、そ
れを誇りに思うことはあっても、こんなに清々しく感じたことは、いままでなかった。
 地を蹴る足に、心臓が弾むのがわかる。体の脇をすり抜ける風に、かつてない自信と力を感
じる。翻る外套、その後ろには人がいる。マスターが、ガデウスが、多くの兵たちが。生きて
明日の陽を見なければならない。その彼らの後ろにもまた、明日を待つ無数の人間がいる。
 突き動かされるようにかざした右手から、ありったけの魔力がほとばしった。
 土埃、黒煙、煤けた匂い。この戦場で、人も同じものを感じるのだろうか。圧倒的な実力差
を前に感じる思いが、絶望だけでないのは人も同じなのだろうか。耳をつんざく鉄の咆哮、地
を揺るがす機械兵の胎動、硝煙の匂い。だがいまは、身に感じる全てが愛おしい。体を貫く銃
弾も、倒れ背に感じる地面も、とめどなく流れ出る、生暖かい血の感触でさえも。
 視界一面の空は黒く、そしてとても近くに感じた。明日の朝日どころか、時間稼ぎにもなり
はしなかった。でも不思議と後悔はない。あるとすれば、ちゃんと別れを告げられなかったこ
とくらいか――そう思うおぼろな意識の向こうに、もう一度、人の声が聞こえた。
 一番最後に逃げる、だなんて。まさか、そこに人でないものまで含んでいたとは。
 声は一つではなかった。砦の開門の音、そして多くの足音。命令違反など許されることでは
ない。人にとってはその限りではないのかもしれないが、しかし上官である以上は絶対に認め
るわけにはいかない。でももう、それを叱責する声は出せそうになかった。代わりに出てきた
それは、初めての感覚。暖かく、頬を伝う――それが一体なんであるか考えるうちに、視界の
黒がその濃さを増していく。空がまた少し近づいた。きっと、太陽にも。

 マイ・マスター。戻ります、あなたのもとへ。あるべき姿に還り、この雲を越えて――。

 薄れ行く意識の中、人のために流せるものは、血だけではないのだと、彼女は知った。
<了>



BACK−あなたへのリレー◆lxU5zXAveU  |  INDEXへ  |  NEXT−明日への咆哮◆We.HF6BFlI