【 時計の針が戻るまで 】
◆NA574TSAGA
95 :時間外No.01 時計の針が戻るまで 1/5 ◇NA574TSAGA:07/05/28 07:11:44 ID:PNLIE/O+
その少女の住む屋敷には、「時計」などというものは存在しなかった。
起きたくなったら目を覚まし、眠気を覚えればベッドに入る――そんな生活が半年前から当たり前の少女にとって、
時計は自由な生活を縛るもの、邪魔者にしか過ぎなかった。
ゆえにこの日も太陽が昇りきってからようやく起きだし、調理ロボットの用意した朝食を食べ始めた。
それが終わるとようやく服を着替えて、出かける準備をする。
今日は川原で昼まで過ごそうか――。そんなことを考えながら家を出ようと扉を開ける。すると、
「うおっと!」
扉のすぐ向こうに立っていた「大時計」が、間抜けな声をあげて後方へと倒れていった。
「……あのねぇ、何をしているのこんな所で」
「いやあ、そろそろ学校へ行く時間でしょう。起こそうと思いまして」
そう言い訳をする時計の両腕が「九時二十五分」をさしているのを見て、少女はああ、と納得する。
「へえ、そうなの。それはそれはアリガトウ」
いえいえどういたしまして、と時計が倒れたまま返そうとする。その鼻先に、少女の小さなつま先が飛んでいった。
誕生日の日の夜、少女は屋敷の前で大きな時計を拾った。自らを「時計」だというその時計は黒のスーツに身を通した大男。
どこからどう見ても、人間にしか見えなかった。
「正確には『ヒューマノイド・ウォッチ』――ロボットの一種です。いやー、お嬢さん。中に入れてくれてありがとう」
ほりの深い顔をした大男、もとい大時計は、腕を真横に広げたままおじぎをした。
「ヒューマノイド・ウォッチ」という名称に、少女は馴染みがなかった。だがその額には確かにアラビア数字で「12」、
股間には「6」と大きく描かれている。男の両腕はまさに現在の時間――午後九時十五分をさしている。その姿はまさに
歌にも歌われた、大きなのっぽの古時計。……これを他にどう呼べばいいのか。少女はしばし考えたのちに一言、
「へ、変質者……?」
と、時計に聞こえない程度の声でつぶやいた。時計はといえば、少女のつぶやきに呼応するかのごとく、不気味ににやついている。
少女の訝しげな視線に気付いたのか、大時計、もとい変質者は、彼女の無言の訴えに応じた。
「ああ失礼。好きなんですよ、『九時十五分』。腕への負担が割と少ないんでね」
時計はそう言うと、その左腕を「一分」だけ動かした。「ああ、終わってしまった」ともう一言。
いやいやそんなこと聞いてない第一ヒューマノイド・ウォッチに疲れも何もないだろこの大嘘つきがと言ってやりたい気持ちを
なんとか抑えて少女は、話を本題へと進めることにした。
「……で、あなたは何で、わたしの家の前に立っていたの?」
少女は後悔に顔を引きつらせていた。何でこんな怪しい時計を家に招いてしまったのかという思いで、頭が一杯だった。
96 :時間外No.01 時計の針が戻るまで 2/5 ◇NA574TSAGA:07/05/28 07:12:02 ID:PNLIE/O+
そんな少女の様子に構うことなく、男は「ああ、」と左手を再度「一分」動かして質問に応じる。
「私は『狂うこと無き時計』です。お嬢さん、どうかこの屋敷で私を使っていただけないでしょうか?」
「…………」
「寸分違わず時間を刻み――ああっ、何で追い出そうとするのですか。何で鍵を閉めるのですか! 開けてください、開ケテクダサーイ!」
――それが一週間前のこと。もう一週間も、時計は彼女の屋敷の敷地内をうろついていた。
「まったく……何だっていうのよ」
『狂ったままの時計』を足蹴にして、駆け足で屋敷をあとにした少女はあきれたようにつぶやいた。
あの時計の言う通り、とっくに授業は始まっているだろう。しかし少女には、はなから学校へ行く気など毛頭なかった。
通学路にある川のほとりに腰を下ろし、魚などがいないか観察をしはじめる。少女は時々こうして、暇な時間をやり過ごすのだった。
ふと足元を見ると、季節はずれの黄色い花。
まわりの枯葉の色と相反して際立って見えるが、見方を変えればそれはひどく寂しい光景に見えた。
少女はそれを手に取ると、川へと放流し、そのまま見えなくなるまで目で追った。そうしていると、何故だか心が痛んできた。
――あの花のように、私も流れてしまおうか。
半年前に死んだ両親の元へ――。そんな幾度となく脳裏をよぎった考えを遮るように、今度は石を放る。
それは水面に大きな波紋を作ったが、すぐに押し寄せる水流に飲まれていった。
そんなことをしながらぼんやりと過ごしていると、川の対岸に人影が現れた。何やら少女のいる方向を眺めやっている。
平日の昼間からこんな所で何をしているのか、などと自分のことを棚に挙げきった疑問を抱いた少女は、
橋を渡ってそれが何者かを確かることにした。
橋の向こうへとかけていく少女。対岸へとたどり着き、川辺に立つ木々の間をすり抜ける。
その先に立っていたのは、他でもない、彼女に付きまとうヒューマノイド・ウォッチであった。両腕の位置が気持ち悪いのは
相変わらずで、今は十二時を少し過ぎたところらしい。何故かとても――悲しそうな顔をしていた。
「……何をしているのかしら? こんなところで」
可能な限り冷静に言葉をかける少女。だがその表情は怒りと困惑に引きつっていた。いったいいつからここにいたのか。
花を流したときか。石を投げ入れたときか。何にせよ、自分の行動を見られていたのは間違いないと少女は確信していた。
「こんなところで何をしているの? ……私のことを観察していたの? 答えなさい!」
少女が言い寄ると、時計は一歩引いたのちに「違います」と一言、表情を変えずに言った。
「違う、って……嘘を言いなさい。私にはわかってるんだから。あんたがボーっと私のいる方を見て――」
「いいえ、お嬢さん。あなたを見ていたのではありません」
97 :時間外No.01 時計の針が戻るまで 3/5 ◇NA574TSAGA:07/05/28 07:12:19 ID:PNLIE/O+
そう言うと時計はさっきまで少女のいた場所ではなく、その背後に広がる街へと視線を向けた。
学校や商店、住宅街の広がる地域。それは少女の屋敷のある地域とは川を隔てて反対側、
対岸に沿うようにして広がっている。その中でもひときわ目立つ、中心部にそびえ立つ高層ビルを見つめながら、時計は言った。
「あそこで私は、生まれたのです」
二人の間を、木枯らしが吹きぬけていった。枯れ葉が宙を舞い、水面へと落ちる。
「生まれた、って……あそこで造られたってこと?」
「そうです」
まあ今はもう、私には縁のない場所ですが――。
そう言って時計は苦笑した。少女は首をかしげながらも、黙って時計の眺める方向に目をやった。
あのビルには何があるのだろうか――。そんなことをしばらく考えていると、時計が「そういえば、」と何かに気付いたように言った。
「初めて会った日以来ですね。こんなにも長い間、会話が成立したのは」
にやにやと笑う時計。それを無視する少女。
小休止の後に、少女が何かを言い返そうと口を開く。しかし結局、少女は無言のままその場をあとにした。
屋敷に戻っても特にすることはなく、少女は椅子に腰掛けて頬杖をついていた。
しばらくそうしていると調理ロボットが昼食を運んできた。
そういえば今日は外で食べてこなかったんだっけ――。
少女は目の前に置かれたフォークを手に取る。普段ならば街中の喫茶店で、ケーキでも食べて時間をつぶしている頃か。
調理ロボットが昼食を持ってくるということは、まだ川原での出来事からそう時間は経っていないのだろう。
そんなことを考えながら、パスタを口に運ぶ。そしてあたりを見渡してみる。
今屋敷の中にいるのは、少女と数台の家庭用ロボットだけ。少女以外に人がいないため、室内はひどく静かであった。
しかし両親がこの世を去ってから既に半年が経とうとしている。静寂や沈黙にはもはや慣れきっていた。
だからこそ、少女は自らの行動に驚きを抱いていた。
ここ数ヶ月、少女は心に穴が開いたように、他者との交わりをほとんど絶って生活してきた。
にもかかわらず――あの"時計ロボット"とはどういうわけか関わってしまった。
「誕生日だから」と変な期待を抱いたのかもしれない。
『天国の両親からの贈り物だと思い扉を開けたら、そこにいたのはただの怪しい大時計だった!』
――そんな笑えない笑い話に、少女は軽く自嘲の笑みを浮かべた。
そして振り返り、窓辺へと目をやる。雲が多くなってきたが、あの時計はまだ帰っていない様子だ。
――まだあいつは、あのビルを眺めているのだろうか。
98 :時間外No.01 時計の針が戻るまで 4/5 ◇NA574TSAGA:07/05/28 07:12:37 ID:PNLIE/O+
パスタを食べ終える少女。再びコートを着込み、出かける準備をする。
『この屋敷のロボットの辞書に「デザートのケーキ」という項目は存在しない』 ただ、それだけの理由で。
食後に食べるケーキを毎日楽しみにしている少女は、いつもの喫茶店へと向かわずにはいられなかった。
――ついでにあのビルについて、誰かに聞いてみよう。
そんなことを考えながら少女は歩き出す。それもまた、人との交わりを避ける少女にとって珍しいことであった。
夕方になり、雨も降り出した頃――、少女は喫茶店を飛び出して、傘も差さずに雨の川原をさまよっていた。
パスタでも、ケーキでもない。少女はあの時計を探していた。
喫茶店で少女は店のマスターから、あのビルについての話を聞くことが出来た。
最初マスターは、少女の方から話しかけてきたことに驚きを隠せない様子だったが、すぐに質問に答えた。
『ああ、あの会社か。うーん……あまりいい噂は聞かないねえ』
マスターの話によると、そのビルに入っているのはロボット工場でもなければ、研究所でもない。とある大企業の一支店だという。
一見ごく普通の企業と変わらない。社員も皆、人間だ。ただ一つ他の企業と違う点――それは「過酷な労働条件」であった。
社員はそれこそ"ロボット"の如く昼夜を問わずこき使われる。時間に追われる毎日。やがて一人、また一人と壊れていく。
『ヒューマノイド・ウォッチ』 ――人間時計。「時間」という人間の作り出した制約に忠実に生きるあまり、いつしか自らが
時計になってしまっていた――そんな笑えない笑い話が、確かにここに存在していた。
少女は川の周辺を駆けめぐった。雨で増水した川はうかつに近づくことが出来ない。それでもぎりぎりまで近づいて時計を
探すが、その姿は見受けられなかった。
やがて気が付いたように走り出し、屋敷へと戻る少女。その行く先に、時計は腕を五時半に合わせて立っていた。
少女は怒るでも蹴るでも無視するでもなく、質問をした。
「どうして……どうして私のところへ来たの?」
時計はすぐには答えなかったが、やがて重い口を開き、少女の顔を見て言った。
「ある日、川原である少女がぼんやりとしているのを見かけました。――私と同じ、悲しい表情でした。
それで思ったんです。私の「狂った時計」で、その少女を笑顔に出来ないものかとね」
照れるような表情をして、時計はまた針を「一分」動かした。いつしか雨はあがっていた。二人の間を、また風が吹き抜けていった。
「あなた……名前は何ていうの?」
しばし押し黙ったあとの少女の問いに、驚いた表情を浮かべる時計。しばし悩んだのちに、忘れてしまいましたと悲しそうにつぶやいた。
そんな様子を見て少女は、まっすぐに伸ばされた"両針"を無理やり手に取る。そして呆然とする時計に向かってこう告げた。
「私はロゼッタ。あなたは……そうね、時計の『針』からとって『ハリー』なんてどうかしら?」
99 :時間外No.01 時計の針が戻るまで 5/5 ◇NA574TSAGA:07/05/28 07:12:55 ID:PNLIE/O+
こうして少女は、名も無き時計に名前をつけてやった。そして一週間ぶりに、彼を屋敷の中へと招き入れた。
そして次の日の朝――、少女は自らの「決断」にいきなり後悔することとなった。
「お嬢様! 朝です起きてください!!」
「いやーっ! バカバカ近寄るなあっ!」
時刻は午前六時二十五分。ベッドに走り寄って来るハリーの両手のひらははっきりと、股間の「6」を示していた。
「ハァハァ……見てくださいお嬢さま。もうすぐ六時半、朝食の時間でございます!」
「朝から嫌なもの見せるな変態! こっち来るなっ!」
息を切らしながらにじり寄ってくるハリーに向かって、ロゼッタは枕を思い切り投げつけた。
そんな騒動があったので、結局朝食にありつけたのはそれから二〇分後のことであった。
調理ロボットの運んできた料理が、「二人」の前に並べられる。
「……あのう、お嬢さま」
「ロゼッタと呼びなさい。まったく、何でこんな早い時間から朝食なんか……」
普段なかなか起きられないロゼッタも、この日ばかりはすっきりと目覚められていた。
もっとも、その心中までは「すっきり」とは行かなかったらしい。ハムエッグを口に運ぶロゼッタの目は、未だ怒りに満ちている。
パンを口にしながら、ロゼッタは向かいに座る時計人間を見た。そしてその瞳が、ハリーの前に置かれた皿へと移った。
「ハリーは食べないの?」
「ああ、いや……はい。私はただの……、時計ですので」
両腕を「七時前」に合わせたまま、複雑そうな表情でハリーは答える。今にも「変身!」とでも叫びだしそうなくらいに妙なポーズだった。
そんな二人のやり取りを眺めるのは数台の家庭用ロボットと、窓の外の小鳥だけ。しばしの沈黙の後に、少女が口を開く。
「……ふーん、そう。じゃあそのハムエッグ貰ってもいいよね」
「あっ」
皿に伸ばされたフォークを、ハリーが見つめる。そして訪れるのは、朝の静寂――。
「…………」
「……何見てるのよ」
「……あ、いや、ごめんなさい。やはり食べてみようかなー、と」
ハリーはようやくその腕を自由にし、自分のフォークを手に取った。世話が焼ける、と言わんばかりに少女が苦笑し、
そしてそのまま純粋な笑顔へと変わった。
大丈夫。二人ともいつかきっと、もとの自分に戻れるはず。時計の針が戻るまで、それまで一緒に笑いましょう――。
ロゼッタはそう心に誓い、ハリーの皿から奪い取ったハムエッグを口に運ぶのだった。