【 三つの小瓶 】
◆lnn0k7u.nQ




2 :No.01 三つの小瓶 1/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/05/26 12:34:36 ID:igeIzhVC
 ◆母を想う少年(前)

 少年は、使命を果たすべく走っていた。行き先は母の入院する病院である。その手には先ほど魔女からもらった
透明な液体の入った小瓶が握られていた。少年の使命とは、不治の病に倒れた母をこの薬で治すことであった。
 今朝母が危篤状態だという連絡が入り、決心してからは早かった。少年は、町の外れに住む魔女の家へと走った。
魔女は、「どんな病気でも治す薬」を持っていると噂されていたのだ。
 ドアをノックする時は緊張したが、中から出てきたのはだらしない格好をした若い女性だった。訝しげな表情を
見せた少年に、魔女はくすっと笑って「魔女だけど何か用かな?」と言った。少年は、どぎまぎしながらも薬が欲
しいという旨を頑張って伝えた。魔女は少し考えてから「ちょっと待ってねー」と言いながら家の中に引っ込んだ。
騒がしい音が何度か聞こえた後、魔女は一つの小瓶を持って戻ってきた。聞くところによると「どんな病気でも治
す薬」は今切らしているそうだった。しかし、代わりに同じような効力の薬を持ってきたという。
「これなら病気が治るどころか死なないんだし一石二鳥でしょっ!」
 少年は、魔女の投げやりな言葉を思い出した。一石二鳥どころの話ではないが、母が助かるならなんでも良かった。
 次の角を曲がれば、病院に着く。危篤の母を不治の病から救い出すことができる。
 少年は、小瓶を握る手に力が入った。
 小瓶の中身は、『不老不死の薬』だった。

 ◆魔女と呼ばれた女(前)

 蜘蛛の巣が張り巡った部屋は、分厚い本や実験器具で散らかっていた。その中に埋もれるように一人の若い女が
うずくまっていた。
「ケント……さっき久しぶりに人に会ったわ。すごく真っ直ぐな目をした男の子。昔のあなたみたいだった……。
お母さんの病気を治すために、薬を買いに来たの。あ、お金をもらうの忘れてたわ。……うふふ。まあ、いっか。
今日はようやく、あなたに会える日だものね。あなたを生き返らせようと頑張っている間に、私はあなたより年上
になっちゃったのよ」
 女は、棺桶に横たわった人間に涙を落とした。随分前から目を瞑って息を止め、ぴくりとも動かなくなった男が
そこには眠っていた。
「長かった……」
 何年もかけて古い文書を読みあさり、実験を続けてきた。これで駄目だったら諦めるつもりだった。先日ついに
完成した禁断の秘薬は、棚の上に置いてある。すぐに使うような勇気は無かった。失敗した時には、全ての苦労が

3 :No.01 三つの小瓶 2/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/05/26 12:34:55 ID:igeIzhVC
水の泡と化してしまうからだ。
 しかし、今日、女は決心をした。
 小瓶を取ろうと棚に手を伸ばす。
 だが、そこにあるべきものの姿は無かった。
 女は、気が動転しそうになったが、冷静に考えをめぐらす。朝見た時には確かにあった。では、いつどのように
して無くなったのか……。
 思い当たる節は一つ。女は、山のように積まれた文献を掻き分け始めた。
 男の子のために薬を探している時に何度かつまずいたから、きっとその時に棚から落ちたのだろう。瓶が割れた
音は聞かなかった。絶対に見つかる。絶対に……。
「あ……あった!」
 透明な液体の入った小瓶は机の下で簡単に見つかった。しかし、女を当惑させたのは、それが本当に彼を蘇らせ
る薬なのかどうかであった。
 男の子にあげた『不老不死の薬』と、彼女が探していた『死者蘇生の薬』は、全く同じような小瓶に入っており、
どちらも無味無臭・無色透明の液体だったのである。
「もうっ……厄介なことになったわ」
 女は物置から古ぼけた箒を引っ張り出して、まだ飛べるかしらと考えた。

 ◆時を遡る男(前)

「異常無し。健康そのものですね。身体的には昨年より発達していますよ」
 医者に告げられると、男は診察室を後にした。
「昨年より発達している……か」病院から出て行く途中で男は呟いた。「当たり前だろう。俺は若返ってるんだから」
 男は八十七歳でこの世に生を受け、今現在の年齢は三十歳であった。
 初めて目が覚めた時、周りには誰もおらず、とにかく体が重苦しかったのを覚えている。必死の思いで家から外
に出ると、近くを通りがかった人に助けを求めた。そして、収容された病院で何ヶ月も過ごし、医者たちも驚くほ
どの回復を見せて退院。自分が時の流れに逆らって生きていることに気づいた時、すでに二十年が経過していた。
「このままでは、俺の体は子どもにまで退化し、やがて消滅する。しかし……」
 男は、ポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは小さな瓶。中で透明な液体が揺れていた。
「これを飲めば、体内の時間軸が正常になる……か。信じていいのやら」
 その小瓶は昔、男が魔女と名乗る女から半信半疑で買ったものだった。

4 :No.01 三つの小瓶 3/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/05/26 12:35:17 ID:igeIzhVC
 人間は三十歳で精神的にも肉体的にも成長の限界を迎えるという。つまり、これから二十代に逆行する男にとっ
ては、本格的に能力の劣化が始まるということなのだ。そうなると、この液体を飲んで時間の逆行を戻すには、今
がちょうど良いタイミングなのである。
 男は、病院前の通りを歩きながら、小瓶の中の液体をまじまじと見つめていた。見た目には水にしか見えないそ
れには、怪しいほどに人を惹き付ける何かがあった。
「どいてどいてどいてー!」
 その時、慌ただしい声が聞こえてきた。かと思うと、次の瞬間、男の体は真横からの強い衝撃を受けてふっ飛んだ。

 ◆三つの小瓶

 男が体を起こすと、そこには若い女と、少年と、それから箒が転がっていた。一体何が起こったというのか。
「あいたた……やっぱり無理があったか」
 服についた汚れを手で払いながら、女が立ち上がった。
「君、大丈夫かい?」
 女から差し出された手に多少戸惑いながらも、少年もなんとか立ち上がる。
 男は、その光景を見ながら、女に見覚えがあることを思い出していた。間違いなく彼女は、自分に小瓶を売った
魔女であった。そう、この小瓶を……。
 そこまで考えて、男はある異変に気がついた。この手に持っていたはずの小瓶が、どこにも無いのである。男は、
咄嗟に周囲を見渡した。
「実はさっきの件で、重大なミスを犯してしまったのよ」
 変わって女は、男を轢いてしまった事にも気づいていないようだった。悪ぶった様子も無く、何事も無かったか
のように、少年に用事を話している。
「君に渡したのは、もしかしたら『死者蘇生の薬』かもしれないんだ。ほら、私が持っている小瓶とそっくりだろ
う。こっちが本当は『不老不死の薬』かもしれないんだ……って」
 そこまで言って、女もまた異変に気がついた。
 言うまでも無く、少年もそれに気づいていた。
 三人の視線が集まった先の地面には、全く同じ形をした三つの小瓶が並んでいた。

5 :No.01 三つの小瓶 4/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/05/26 12:35:34 ID:igeIzhVC
 ◆母を想う少年(後)

 少年が集中治療室に駆け込んだとき、全てはもう手遅れだった。脈拍0を示す電子音が鳴り響き、医師たちはそ
そくさと後片付けを始めていた。
 あんなことさえ起こっていなかったら……。 悔やんでも悔やみきれない思いが涙となって頬を伝った。右手に
握り締められた小瓶は、破裂しそうなほどの圧力を受けていた。
 三つの小瓶は、製作者である魔女にも見分けがつかなかったため、三人の『勘』をまとめた意見で振り分けられ
た。始めに男が「一滴ずつ試してみればよい」と言ったが、魔女によると、どの液体も効果を発揮するには一瓶分
の量が欠かせないということであった。
 自分の選んだ小瓶が『不老不死の薬』でありますように。そう強く祈りながらここまでやって来た。それも結局、
間に合わなかったのだから、意味の無いことだったのだ。
 少年は肩を落としてうな垂れるしかなかった。
 最後に母の顔を見ようと思い、近づいて覗き込んだ。安らかな眠り顔だった。
 不治の病も流石に死後は母を苦しめない。 そして、『不老不死の薬』は既に死んだ人間には効果が無い。
「……あ」
 一つの可能性が浮かんで、少年のあきらめかけていた心に光が射した。何故こんなことに気づかなかったのかと、
自分で自分を叱咤した。
 そうだ。まだ終わったわけではない。次の可能性に賭けることだってできるのだ。この小瓶が『不老不死の薬』
以外である可能性に……。
 少年は、小瓶の栓を抜くと、それを母の口元へと押し付けた。そして、中に入った液体を喉の奥へと流し込んでいく。
 少年の目は、心拍計モニタが再び脈を捉え始めるのを確かに見た。
 小刻みに電子音が鳴り響き始め、少年の目からは先ほどまでとは異なる意味を持つ涙が、とめどなく溢れ出していた。

 ◆魔女と呼ばれた女(後)

 女は、今日も蜘蛛の巣とほこりまみれの部屋にうずくまっていた。そして、今日も棺桶の中の人間に向かって話
しかける。
「ケント……あなたを生き返らせるために、私がどれくらい苦労したのか知ってる? せっかく死者蘇生の薬を作
ったのに、私ったらありえないミスをしちゃって、あなたを生き返らせる確率を三分の一にまで下げちゃったのよ。
本当に絶望的だったわ。でも、こうやってケントが生き返ったってことはね、そういうことなのよ。私はちゃんと

6 :No.01 三つの小瓶 5/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/05/26 12:35:52 ID:igeIzhVC
自分の小瓶を引き当てたの。あなたを蘇生することに成功したのよ。ねえ、なんとか言ってよ、ケント」
 女は、無性に構ってほしくなって、棺桶に横たわる彼の頬を撫でた。
「ああ……ありがとう。……本当に、感謝してるよ……エミリ」
 弱弱しく言葉を発するケントの姿は、一週間前よりは大分健康的に見えた。
 あの日、女は小瓶を持って家に帰ると、すぐさま棺桶の中の遺体に中身を押し込んだ。すると一分ほどで彼の脈
は打ち始め、体温は三十度まで上昇した。意識を取り戻すのには時間がかかったが、今では喋れるようにまで回復
していた。
「ねえケント……あなたが外を自由に歩けるようになったら、また一緒に散歩へ行きましょうね。あの丘も、野原
も、湖も、全てまだ残ってるわよ。私はあなたより年上になったと言っても、まだまだ若いんですからね。ゆっく
りでいいわ。ゆっくりでいいから、ずっとあなたと一緒にいたいの……」
 女は、生き返った恋人に対して強く依存していた。自らの手で蘇らせたという事実が、その気持ちをより一層愛
しいものにさせたのだろう。
 しかし、彼女は一つだけ、誤解をしていた。
 二十年後、女の腕には新生児が抱かれていた。ケントとの間に生まれた子ではない。それはケント自身だったの
である。

 ◆時を遡る男(後)

 全く何が起こるかわかったもんじゃないと男は思っていた。
 二十年前のあの日、振り分けられた三つの小瓶。中身はそれぞれ『不老不死の薬』に『死者蘇生の薬』に『時間
反転の薬』である。 男は、自分の小瓶以外を引き当てても意味が無いと考えていた。他の二つを飲んだとしても、
時を遡るのは止めることができないと決め付けていたのだ。
 しかし、現実は違った。
 小瓶の中身を飲んだ時、すぐには自分がなんの薬を当てたのか判断できなかった。効果を目の当たりにするには、
時間が必要だったのだ。
 順調に年老いていけば、見事に引き当てたということ。若返っていけば、外れたということ。そう思っていた。
 実際にあれから二十年が経った今、男の若返りは止まっていた。だが、年老いてもゆかなかったのだ。
 考えられる結論はただ一つ。『不老不死』は、『不若不死』でもあったということだ。

                            了



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