【 生存と依存 】
◆8vvmZ1F6dQ




397 名前:生存と依存 ◆8vvmZ1F6dQ :2006/04/30(日) 18:49:51.84 ID:PlRZ6Kws0
依るところがあるというのは、心の負荷を和らげてくれる、生きる上で大切なことだというのを僕は知っている。
たとえそれが宗教とか、他人とか、酒やタバコなどの物質的なものであっても、一つ位はあったほうが健全に生きていけるものだ。
しかし、彼女の場合はどうなのだろうか。彼女にそういったものは必要なのか、僕にはただそれが疑問だった。
今僕はある女性に依存されていた。彼女は四六時中僕にまとわりつき、たまに僕の耳に愛を囁いてくる。
依存されるというのは案外嬉しい。他人が僕を頼りにして生きているのだ。その人にとって僕はなくてはならない存在だと思うと、生きる気力が倍増したものだ。
だがそれも慣れていない最初だけで、時が経つと鬱陶しさが増していった。横を向けば彼女がいるのだ。いくら彼女が美人でも、何回も見ているとげんなりしてくる。
ある時トイレに入ったとき、彼女がその場にいないということに気付いた。僕はしばらくトイレに篭ることにした。しばしの自由だった。
しかし30分経ったころ、彼女もおかしいと思ったのか入ってきてしまったのだ。トイレに。
「長いトイレね」
彼女の声は怒っていた。僕が何故トイレにそんなに篭ったのかなんとなく分かっていたのだろう。その場は謝って誤魔化しはしたが、
その日以来、どこか吹っ切れた僕は堂々と彼女から逃げるという行動を常習的に行うようになった。
全力疾走し、樹にのぼり、ポリバケツに隠れ。だがほとんどの方法はすぐに彼女に破られた。
彼女は特別なのだ。樹に触れずとも樹に登れるし、ポリバケツの蓋を開けずとも僕を見つけた。全力疾走のみが僕に数秒間の自由を作った。
彼女は物体をすり抜けることが出来る。幽霊なのだ。僕にしか見えず、ふわふわと肩の辺りを始終揺れている。
生きていない、生存していないのに依存はしている。たまの夜の金縛りよりも、そちらの方が僕は怖かった。

彼女との出会いは、僕の仕事場。僕の仕事は警察官だ。市民の通報で、自殺しようとしている女性の元に向かった時のことだった。
「おい、お前が上に行って説得して来い」
死ぬ、死ぬ、と屋上で騒ぐ女性を見て、舌打ちをしたあと、先輩の刑事は吐き捨てるように言った。
「え、僕がですか。何て言って説得すればいいんですか」
「あんまり近寄らず、話を聞いて、うまく言いくるめればいい。俺ぁどうもヒステリーを起こした女って苦手なんだ」
先輩のアドバイスに、はぁ、と不安に満ちた返事をしたあと、僕は野次馬の波を掻き分けビルの入り口へと向かった。
ビルに一歩踏み入れた瞬間、僕の革靴が床を叩く音が響いた。外の騒動が嘘のように、ビルのエントランスから最上階に向かう階段までは静かだった。
だがそれも、ビル内の人間は屋上への入り口に集まり女性を見物していたからで、その人たちの間に入ると、女性についての噂話や、
はたまた今夜のおかずにいたるまで、様々なひそひそ話が耳に入ってきた。そんな人たちの群れを抜け、僕は屋上に躍り出たのだった。
「こないで!」
すぐに気配を感じ取ったのか、女性は振り向かないままヒステリックに叫んだ。僕はその場で歩を止めた。
「来たらすぐに飛び降りるからね!」
僕は立ち止まったまま、死にたい女性に有効な方法を考え、その結果その場にあぐらをかいて座ってみた。だがその先が問題だ。

398 名前:生存と依存 ◆8vvmZ1F6dQ :2006/04/30(日) 18:50:20.46 ID:PlRZ6Kws0
「もういいわ、死んでやる」
僕の何度もの訴えを完全にスルーして、彼女は片足を宙に浮かせた。説得が失敗に終わりそうな雰囲気に、背筋が凍ると共に、僕は咄嗟に叫んだ。
「そ、そうだ彼氏だって心配してますよ!きっと!」
彼女が明らかに、今までの言葉にはなかった反応を見せた。僕の方を一度見て、ほろほろと泣き出したのだ。
そうか、そうなんだな?と僕は納得した。おそらく彼女は男に振られたのだ。
「そうか、彼氏に振られたんですね?あなたほどの女性を振るとは酷い男だ」
彼女が肩を震わせている。ようやく僕の説得が心に沁み始めたのだろうと調子付き、僕はさらに続けた。
「でも、男はそいつだけじゃない!あなたを好いている男性はまだまだ世にたくさんいるはずだ!」
僕が言葉を吐く間、彼女は何度も僕のほうをちらちらと見ていた。先ほどまでなかった、僕への興味が沸いてきたのだろう。
「……それなら、あなた付き合ってくれる?」
ぽつり、と彼女はつぶやいた。僕は一瞬とんでもないアホ面をしていたことだろう。それほど突飛な告白だった。
それでも今は人命救助が先決、僕はすぐに「喜んで」と答えようとした。だが。
いきなり、突然に、更にはさりげなく、突風が吹いたのだ。よろこ、まで口から出たところで、僕はその風に背中を押され、躓いてこけた。
風が収まったあとで、あいたたた、と僕は起き上がり、彼女への返事の告白をしようとした。だが、彼女は忽然と姿を消していたのだ。
もうすこしで説得成功だったのに、突風で彼女は飛ばされてしまったのだ。地面で頭を打ち、血を流して死んでいる彼女を見た後味は最悪だった。
その後味の悪さがまだ克明に残っていたころ、彼女は現れたのだ。僕の返事はどうやら彼女に届いていたらしい、幽霊の姿でも彼女の笑顔は恋人に向けるそれだった。

399 名前:生存と依存 ◆8vvmZ1F6dQ :2006/04/30(日) 18:50:40.09 ID:PlRZ6Kws0

彼女はもともと人に依存しやすい性格だったのだろう。前の彼氏が彼女を振った理由もそんなところだろうと、想像がついた。
依存する対象がなくなれば、彼女はあれほどまでに、ヒステリックで情緒不安定になるのだろうと僕は彼女の性格を分析していた。
それなのに、僕は彼女を無粋に突き放してしまったのだ。幽霊でも感情や心の繊細さがあるということは、僕は知っていたはずだ。
僕が逃げたり隠れたりすることによって、段々と傷ついていた心にとどめを差したのはたった一言だった。
「ウザいよ」
その時を境に彼女は、トイレに30分篭っても勝手に入ってきたりしなくなったし、それどころか横を向いても姿を見ることはできなかった。
金縛りのない夜が続いて、寝起きは気持ちよく、仕事はいつもよりずっと捗った。そんな理想的な生活が続いて一週間のある仕事帰り、
僕は気付けばあのビルにいたのだ。屋上に上ると、彼女がいたあの場所には枯れた花びらが散らばっていた。西から太陽がそれを橙に染めていた。
それから僕は何度その場所に足を運んだだろうか。彼女はいはしないのに。
結局のところ、僕も彼女に依存していたのかもしれない。依存されることを喜んでいた思い出があることが、その証拠だ。

おわり



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