【 転がらない 】
◆hemq0QmgO2




59 名前:No.14 転がらない1/4◇hemq0QmgO2 投稿日:07/05/13 23:20:27 ID:jEMWqZX3
 俺と莉子は夜の「武蔵国分寺公園」をぐるぐると周回するように歩いて、何かを紛らわしていた。
今、何周目だっけ? わかんない、と莉子は答える。そうか、わかんないか。俺にもわかんねえや。
 紺色の空の所々に黒い薄雲が漂っていて、六分くらいの月がぼやけて見える。時たま木犀の甘い匂いが
九月の夜の涼しい空気の中に流れ込む。恋人達が散歩をするには最高の夜かもしれない。
 しかし、残念ながら俺達は恋人同士ではない。そして恋人同士になる可能性も、まずないだろう。
なぜなら、莉子は俺のことが好きじゃないからだ。バカらしいけど、これ以上にわかりやすい答えはない。
もう少し細かく、正確に説明するとこうなる。「莉子が好きなのは俺じゃなくて、ワタリだからだ」。

 莉子と俺が知り合ったのは高校一年の時だ。同じクラスで俺は帰宅部、莉子は文芸部だった。気が付いたら
友達になっていた。というか、数人のグループで固まり、その中に俺がいて莉子がいた。それだけだ。
 そのグループの中にワタリもいた。文芸部で、「退屈な国語の授業中にする読書が趣味」のイヤミなヤツだ。
ワタリは背が高く、近眼で、しかしメガネもコンタクトも絶対に着けないという変わったこだわりがあり、
やはり遠くはよく見えないので目つきが悪い。そのうえ酷い猫背だ。端的に言えば、少し変なヤツである。
 そんなヤツと友達になった俺や莉子も少し変わっているのかもしれない。知り合って間もなく、
俺達はグループの中でも飛び抜けて仲良しな三人組になった。当然ながら、友情と恋愛感情は紙一重だ。
俺は「待て」を知らない犬の如く、すぐに「一枚の紙」を捲った。つまり、莉子が好きになった。

 夜はまだ深くない。莉子と俺は何回も通り過ぎた池の畔で自然と歩みを止めて、ベンチに腰掛けた。
ふう、と息を吐いて、煙草に火を点ける。風がないせいか、白い煙はゆらゆらと漂ってなかなか消えない。
秋の虫が鳴いている。やけに悲しく、叙情的なメロディーだ。それを遮るように莉子が口を開いた。
「ごめんね、シロくん。いきなり呼び出したりして」
 俺の名前は「士郎」だが、いつからか莉子とワタリだけは一文字切って「シロ」と呼んでいた。
「いいよ。どうせヒマだったから。呼び出したからにはなんか話があるんだろ? まさか公園ぐるぐるで終わり?」
「うん、ええと、まあ、話ってほどじゃないんだけど……」
「ワタリのことだろ?」
「まあ、そう、だね。なんかずっと会ってないから、寂しくてさあ」
 そう呟くと、莉子はうなだれてため息を吐いた。俺も莉子も、ワタリとは一年以上会っていない。

60 名前:No.14 転がらない 2/4 ◇hemq0QmgO2 投稿日:07/05/13 23:21:05 ID:jEMWqZX3
俺と莉子は高校を卒業した後、それぞれ東京の私立大学に進学したが、ワタリだけは京都大学に行った。
元々、ワタリは勉強が出来るヤツだ。俺達が通っていた都立の上位校の中でも成績は常に学年十位以内だった。
それなら東京の大学にすればいいものを、アイツは何を思ったか、合格するまで俺達に一言も告げず、
突然「俺京大行くから」って、そりゃないだろうと思ったものだ。莉子も、少なからずショックを受けていた。
 それから一年半、ワタリは二、三ヶ月に一度思い出したように連絡をよこすばかりで、こちらから電話を掛けても
「今ちょっと忙しいからまた今度」の一点張り、俺も莉子ももどかしさが募るばかりだった。
やがて俺と莉子は一つの結論に達した。ワタリは、俺達から逃げている。しかし理由がわからない。
よって解決法もわからない。俺達は困り果て、挙げ句の果てに夜の公園をぐるぐると回っているのだった。

「今日さ、掃除してたら机の引き出しの中から出てきたんだ、これ……」
 突然、莉子が上着のポケットを弄って小さな石を取り出した。碧色の、翡翠だろうか?
「覚えてる? ほら、私とシロくんとワタリくんで多摩川の花火大会行った時の……」
 ああ、そういえばあの時、珍しくワタリがはしゃいでいたな。「河原で綺麗な石拾った」とかなんとか言って、
これだったのか。というか、莉子が持ってたのか。莉子の手から小石を取って眺める。
辺りが暗いせいか輝きは鈍い。しかし装飾用に削られた楕円の形状からして翡翠に間違いなさそうだ。
「結局、ワタリくんが『いらないからあげる』って言って私にくれたんだ。嬉しかったなあ」
 いや待てよ。落ち着いて考えろ俺。おかしいぞ。普通、商品みたいに綺麗な楕円形の翡翠が河原に落ちてるか?
よしんば落ちていたとしても、あの暗い河川敷で近眼のワタリが翡翠を見つけ出せるハズがない。
つまり、アイツはあらかじめ莉子に渡すつもりで、ポケットの中にこれを忍ばせていたのだ。
ドサクサ紛れのぶっきらぼうなプレゼント。結局アイツは、いやアイツも、紙を捲っていた。
 煙草を消して、虫の鳴き声を聴いて、深呼吸。とりあえず落ち着け俺。えーと、俺は莉子が好きで、
莉子はワタリが好きで、ワタリは莉子が好きだった。つまり、ワタリと莉子は両想いだったわけだ。
少なくとも高校時代までは。なのになんで、アイツは逃げたんだ?
「シロくん?」
 翡翠を掌に置いたまま思案に暮れている俺の顔を、莉子が不思議そうに覗き込んだ。
「ああ、ごめんごめん。いや、懐かしいなって思ってね。あのさあ莉子、突然だけど真面目な質問していい?」
「え? う、うん。いいけど、真面目な質問って?」
 俺はわざとらしく咳払いをし、明らかに戸惑っている莉子の目を見ながら「真面目な質問」を投げかけた。
「あのさ、今でも、ワタリが好きか?」

61 名前:No.14 転がらない 3/4 ◇hemq0QmgO2 投稿日:07/05/13 23:21:45 ID:jEMWqZX3
「好きだよ。ずっと会ってなくても、ずっと好きだよ」
 小さな声で、しかし力強く莉子は答えた。その口調からは湿っぽさなんて欠片も感じない。
莉子は今でも健やかに、単純にワタリが好きなのだ。俺は安堵し、ほんの少しだけ落胆する。
「そうか」
 俺はふう、と大きく息を吐いて、莉子の頭をポンポンと叩いた。
「大丈夫、どうにかなる。いや、俺がどうにかするよ。たぶん」
 莉子は照れながら、今までに聞いたことがないくらい細い声で「ありがとう」と言った。

 国分寺まで莉子を送った後、俺は人通りの少ない夜の駅周辺をぶらぶらと歩きながら、ワタリが京都へ
逃げた理由を考えていた。気紛れではない。アイツは莉子が好きなんだから、気紛れで京都に行くような
余裕はないハズだ。なにか、のっぴきならない事情があったに違いない。ではその事情とはなんぞや。
 俺は知らず知らずのうちにモスバーガー国分寺店二階のレジで「ブレンドコーヒー」と唱え、
席に着いて煙草を吸っていた。ううむ、まさか、ううむ。コーヒーは冷め、吸い殻だけが増えていく。
 やがて、絶望的にバカらしい仮説にぶち当たった。つまり、ワタリは、勘違いしたんじゃないか?
俺と莉子が両想いで、邪魔者である自分が京都に行くことによって二人はメデタシ、などと的外れなことを
考えていたのではないか? 仮説、あくまで仮説だが、もしそうならば全てのことに合点がいく。
いや間違いない。アイツはとんでもなく的外れな勘違いをしたのだ。なんて、バカなヤツなんだろう。
 モスバーガーにボブ・ディランの「ライクアローリングストーン」が流れ出した。転がる石のように。
羨ましいじゃねえか。転がらない石よりは大分マシだ。俺は温くなったコーヒーを一息に飲み干し、
携帯電話を取り出した。俺が二人の石を転がす。アドレス帳から「渡 弓彦」を選んで発信ボタンを押した。
「もしもし。今ちょっと忙しいんだけど」
 なんて迷惑そうな声だろう。しかし俺はおめず臆せず、単刀直入に話を切り出した。
「悪い。少しだけ俺の話を聞いてくれ。真面目に聞いてくれ。いいか、莉子が本当に好きなのは……」

62 名前:No.14 転がらない 4/4 ◇hemq0QmgO2 投稿日:07/05/13 23:22:11 ID:jEMWqZX3
 一月後、莉子とワタリは恋人同士になった。何百マイルも離れた遠距離恋愛だが、
今までの擦れ違いを考えれば距離なんてさしたる障害にもならないだろう。
 俺は自己犠牲的な達成感と虚しさの隙間でなんとも言えないむず痒さを味わっていた。
陶酔してしまいそうな甘さ。手に入らない痛み。京都に行った時のワタリも、同じような気持ちだったのだろうか。
 今度は一人で夜の「武蔵国分寺公園」を歩いた。この前と同じようにぐるぐると公園を回って、
この前と同じように池の畔のベンチに腰を下ろす。煙草に火を点けて、ゆらゆら揺れる煙を眺める。
この前と少し違うのは木犀が香らないことと少し肌寒いこと、そして莉子が隣にいないことだ。
秋の虫はしぶとくも叙情的に鳴いている。安っぽい叙情の歌。俺の感傷と見事にシンクロしていく。
 俺は二人の石を転がした。二人は少し幸せになった。それはいい。掛け値なしに喜ばしいことだ。
しかし俺は? 俺の石は? 相変わらず路傍にポツリ。寂しさを紛らわすために公園をぐるぐる。
回るけど転がらない石。ライクア転がらないストーン。結局、俺はどうしようもなく虚しい。
池に煙草を捨てて細かく揺れる水面を見つめる。七分の月がぐにゃぐにゃ。俺の顔も、ぐにゃぐにゃだ。
 石ころを蹴りながら家に帰った。我ながらバカらしい感傷だ。それでも蹴った。乾いた音を立てて転がる。
やがて石ころは排水溝に落ちてしまった。ポチャ、と小さな音が聴こえた。俺は路傍に立ち尽くした。



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