【 巡り廻る制服 】
◆lnn0k7u.nQ




95 :時間外No.01 巡り廻る制服 1/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/04/30 01:34:58 ID:YlnHxyiD
 俺の制服だけ変なニオイがする。入学式の時に周りの奴らと嗅ぎ比べて気づいた。新品だからこれがデフォな
のかなあと家では思っていたが、どうやら違うようだ。俺の制服だけ明らかに臭い。
 俺がこの制服を手にしたのは一週間くらい前のことだ。渋る母を説得して新調へ行き、その三日後に出来た制
服を母が取りに行った。今思えば仕立てが早すぎた気がする。ドケチな母のことだろうから、あの後洋服屋はキ
ャンセルして、制服バザーで卒業生の制服を格安で買ったのかもしれない。いや、そうに違いない。わざわざ一
人で取りに行ったのも、それで納得がいく。くそっ、やられた! こんな屈辱は生まれて初めてだ!
 体育館では空気が分散されたから良かったが、密度の高い教室に入ると嫌でも制服のニオイは鼻についた。お
かげで後ろの奴らがさっきからひそひそ話をしている。友達作りのために必死なのだろう。どいつもこいつも何
か話題を見つけてはいそいそ結託しようとする。グループから漏れるのが怖いという考えは、少なからず俺にも
ある。しかし、人の粗を見つけて一緒に非難することで、仲間意識が高められるとは思えない。後ろの方で「な
んか臭くね」とか「きもい」とか聞こえてくるが、そんな卑劣な言葉でお互いの心の壁を溶かし合うことなど不
可能である。なぜなら暴言とは諸刃の剣であり、いつ自分に振り掛かってきても、おかしくないものなのだか
ら。なのだから、なのだから、お前ら、もうやめて下さい。でないと俺は泣いてしまうのです。
 教壇ではこのクラスの担任である佐藤先生が諸連絡を行っていた。そんなことはどうでもいいから早く帰らせ
てくれ。早く家に帰ってファブリーズをかけさせてくれ。ああ、穴があったら入りたい。その上から土を被せ
て、生き埋めにしてほしい。だから先生、自己紹介だなんてくだらないことを提案するのはやめてくれ。名前と
ニオイが組み合わさって、変なあだ名が付くのは目に見えているんだ。
「じゃあ、出席番号一番から! 大きな声で名前と出身中学校、それから趣味と特技。あと……入ろうと思って
いる部活と、その他何かあれば主張してください」
 俺の番号は確か、いち、に、さん……なな。な、なにがラッキーセブンだこんちくしょう! 全くもってつい
ていない。本当に死にたい。そもそもなんでこの制服は変なニオイがするんだ。納豆に酢とニンニクを混ぜたよ
うな悪臭がするんだ。この制服をバザーに出した卒業生の本当の目的は、リサイクルではなく嫌がらせか。そい
つのせいで高校初日から最悪、俺のお先は真っ暗だ。
「えと、江戸川コナソです。帝丹中から来ました。趣味はサッカー、特技もサッカーです。部活はやっぱりサッ
カー部かな。事件があれば呼んでください」
 ああ、ついに始まってしまった。変な名前の眼鏡野郎がニタニタ笑いながら隣で快活に自己紹介を終えた。教
室内には予想以上に大きな拍手が起こる。一番手として立派にやり遂げたことに対する敬意も含まれているので
あろう。しかし、今の俺は他人のことより自分のことで精一杯だ。もしかするとさっきの笑みは俺に向けられた
嘲笑だったのかもしれない。事件というのは異臭事件のことかもしれない。くそっ、後ろの奴らがさっきから俺
に向かって手を扇いでやがる!

96 :時間外No.01 巡り廻る制服 2/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/04/30 01:35:48 ID:YlnHxyiD
「それじゃあ、次」
 だんだんと俺の順番が近づいてくる。それにつれて心拍数が増していくのが分かる。俺は今の今まで自分の苗
字を呪ったことはなかった。『草薙』。自己紹介した途端に「臭すぎ」と囁かれるのは安易に想像がつく。何か
上手い言い訳ができればいいのだが、臭さをフォローする言葉など全くもって思いつかない。
 藁にもすがる思いで俺はブレザーのポケットに手を突っ込んだ。もちろんニオイを漂わせないよう、慎重にで
ある。期待はしていなかったが、驚いたことにクシャっという音がした。ゆっくりと取り出してみると、それは
折りたたまれた一枚のルーズリーフだった。おそらく前の持ち主のものであろう。気づかないまま洗濯したの
か、ぼろぼろになっている。広げてみるとそこには消えかけた文字が書かれていた。読めないことも無さそうだ。何々……。
 俺は紙に書かれた文字を一文字ずつ追って行った。ほぼ消えて読めない文字もあったが、全体の内容を把握す
るのには差し支えなかった。これは遺書だった。
「次、七番」
「え?」
「『え?』じゃないよ。ほら、立って」
 いつのまにか自己紹介は俺の番まで回ってきていた。周囲の視線が突き刺さる。後ろにはにやにやしている奴
や、鼻をつまんでいる奴までいた。そこまで臭いかこのやろう。
 俺はニオイを醸し出さないように、できるだけスローモーションで立ち上がった。頭の中は遺書のことで一杯
だったが、一応ニオイに対しても心がけた。こうなってしまっては、気にする必要もほとんど無い。できるだけ
普通にやり過ごせば事足りるだろう。
「僕の名前は……」言いかけた時だった。
「お姉ちゃん!」
 一人の女子がいきなり俺の胸倉に飛び込んできた。教室内が一瞬静かになって、すぐさまどよめき出した。中
心にいる俺が一番わけが分からなかった。何故こんな臭い制服を着てきた日に限って、女の子に抱きつかれるの
だろう。嬉しくもあったが、何か悲しくもあった。
「千尋! 何やってんの。離れなさい」彼女の友人らしき子がやって来て、彼女を俺から引っぺがした。「ごめ
んね。この子最近、情緒不安定なの」
 突如俺に抱きついてきた子、千尋という名らしい。高校生にしては背が低くて童顔……小学生と言われても信
じるかもしれない。
「お姉ちゃんの匂いがするんだもん!」千尋が叫ぶ。
「何言ってんのよ。あんたのお姉さんは……」友人らしき子が言いかけて口を止めた。千尋もそれっきりうつむ
いて押し黙ってしまった。お姉ちゃん言う以前に俺は男だし、こんな臭いニオイのする女の子がいるわけないだろう。

97 :時間外No.01 巡り廻る制服 3/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/04/30 01:36:37 ID:YlnHxyiD
「とにかくお前ら座れ」
 一騒動が起こった後も、着々と自己紹介は続けられた。千尋の友人らしき子は、雫と名乗っていた。二人とも
何事も無かったように自己紹介をしていたのには噴き出しそうになったが、とりあえず事態は遺書を含め思いが
けない方向へ転じたようだった。
 それにしても俺は今、自殺者が着ていたのかもしれない制服を着ているわけだ。なんとも不思議な気分であ
る。この制服の持ち主が死んだ後、どのようにして制服は俺の元へ巡って来たのか。考えるだけで身震いのする話だ。
 自己紹介が終わり、担任が少し話をした後、帰ることになった。俺は一刻も早く家に帰りファブリーズをした
かったのだが、それを阻止する意外な人物が立ち塞がった。
「クンクン……これは、フレグランス!」
「うおああああ」いつの間にかコナソが俺の腕に擦り寄って、ニオイを嗅いでいた。
「しかも……希少価値の高い○○堂の限定モデルだ。君は香水をつける趣味があるの?」
 正直そこまで知っているお前のほうが、趣味の域を超えていると思う。しかし、このニオイが香水だったとは
……元の所有者はつまり、女生徒だった可能性が高いわけだ。と言っても本人が実際に自殺しているかどうかは
分からない。ただ単に遺書を拾っただけかもしれないし、書いただけで死ななかったのかもしれない。そこらへ
んはいくら推測しても、遺書を逆さ読みしても、読み解くことはできなかった。
 そこまで考えたときに俺は、千尋の言葉を思い出した。そして、その言葉を仮定として推論を立てて行くと、
全てが一本の糸に繋がることに気がついた。しかし、そんな偶然があるだろうか……。
 あああ! とやかく考えるよりも、行動あるのみだ。
「月島さん知らないか?」
「さっき帰ったよ」
 俺はコナソに礼を言って、雫を追いかけた。後ろの方で「真実はいつも一つ!」と聞こえた。そうだ、俺の元
に全ての謎が集まった以上、俺には真実を確かめる義務がある。
「月島雫さん!」運が良いことに彼女はまだ下駄箱にいた。予想はしていたが千尋も一緒だった。
「あ、お姉ちゃんの匂いのする人だ」
 千尋は犬のように尻尾を振ってまとわり付いてきた。
「なにか御用ですか?」
「あのさ、千尋ちゃんのお姉さんについて、詳しく話を聞きたいんだけれど……いいかな?」俺は雫の目を見て言った。
「ええ、いいわよ」躊躇われると思ったが、案外彼女は即答に近く返事をした。
「じゃあ、場所を移して……」流石に千尋の前でする話題では無いと判断して俺は言う。しかし、彼女の反応は
またもや俺の期待を裏切るものだった。

98 :時間外No.01 巡り廻る制服 4/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/04/30 01:37:17 ID:YlnHxyiD
「なんでよ。別にここでいいじゃない」
「……それなら、いいけど」本当にいいのだろうか。
「千尋のお姉さんはね、千春って言うんだけど、……一ヶ月前から行方不明なの」
 なるほど、それなら別に構わない。しかし、それは彼女の知る限りの話である。今から俺が話すことは、彼女
らに多大な衝撃を与えるだろう。
 その前にまず聞きたいことがあった。その答えによっては、俺の推論が事実へと変わるのだ。
「その千春さんがお気に入りだった香水の名前を知らない?」
 雫は不思議そうな表情をした。どうしてこんなことを聞くのだろうこの臭い男は、といった表情だ。
「そういえば、○○堂の珍しいタイプの奴が手に入ったって喜んでたわ」千尋が横から口を挟んだ。彼女はなお
も腕にしがみ付いて離れようとしない。
 ○○堂……おそらくコナソが言っていた香水と同じものだろう。決定的だ。俺の制服の元持ち主は千尋のお姉
さん、千春。ポケットに入っていた遺書。一ヶ月前からの行方不明。彼女はすでにどこかで自殺しているだろう。
 この事実をどのように伝えようかと躊躇っているときだった。ふいに着信メロディが鳴り響いた。
「電話だー」のん気に携帯を取り出す千尋。俺が今どれだけお前の気持ちを考えて、傷つけないように真実を知
らせようとしているのか分かっているのか。いいや、分かっているはずがない。
「誰から?」雫が尋ねる。
「お姉ちゃんから」
 俺はむせ返った。そんなわけがあるか。お前のお姉ちゃんはもう死んでいる。完璧に道筋通って説明できるく
らいに確かなことなのだ。きっと姉の携帯から別の誰かがかけて来たとか、そういうオチだろう。
「もしもし、お姉ちゃん? もう、どこにいるのよお。心配したんだから」
 ぶー。俺はまたもや噴き出した。
「あ、あれ? お姉ちゃん見つかったの?」
「そうみたいね。今回はいつもより早かったかしら」雫は驚いた様子も無く、静かに言ってのけた。
「今回……は?」
「この子のお姉さん、すっごく不安定な人でね。遺書を書いてはすぐに失踪するのよ。高校時代からずっとそうなの」
 俺はポケットから遺書を取り出して呆然と眺めた。千尋は楽しそうに通話をしている。この遺書を書いた本人
と。この制服の元持ち主と。

99 :時間外No.01 巡り廻る制服 5/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/04/30 01:38:07 ID:YlnHxyiD
 言われてみれば、おかしなものだ。自殺する人間が遺書を制服に入れて飛び降りるのならまだしも、何故その
制服がバザーに出されているのか。そして、制服をクリーニングに出したのなら、香水の匂いは落ちているはず
である。なのに、遺書がぼろぼろになっていたのは何故なのか。それはポケットに長い間遺書を入れっぱなしに
していたからであろう。本人が忘れるくらいに、長い間。
 俺はため息をついた。全てが取り越し苦労だったのだ。
「お姉ちゃん、家で待ってるって」通話を終えて千尋がとびっきりの笑顔で言った。
「良かったわね」雫もそれに笑顔で答える。
 いつしか俺はふんわりとした空間に包まれていた。
 結局は誰も死んでなかったのだ。その事実が一番俺を安心させた。
 次の言葉を聞くまでは。

「くさすぎ……あ、草薙君、またね」





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