【 夜宴開演 】
◆PUPPETp/a.




602 名前: 番組の途中ですが名無しです(山形県) 投稿日:2007/03/18(日) 21:00:42.85 ID:ZJZNv8D+0
 仄暗い石の階段を規則正しい足音が降りてくる。
 周囲には明かり一つないが、躊躇するような気配はない。
 足音が止まる。
 棺桶が一つあるだけの、階段と同じ石造りの部屋に黒いメイド姿の女性が降り立った。
 暗い部屋の中、黒髪は闇に溶け、裾の長い黒いワンピースに白いエプロンとヘアドレスが浮き立つ。
「旦那様……」
 表情の薄い声で棺桶に話しかけるが、当然何も返事がない。
 足音を立てて棺桶に近づき、手を静かに体の前に添えてその脇に立つ。
「旦那様、お客様がお見えになりました」
 棺桶を目だけで見下ろす。やはり返事は返ってこない。
 メイドの息すらも感じない静寂な部屋の中、少しの時間だけ応答を待――
 ゴガッ!
 ――てなかったようだ。
 ローファーの黒い革靴が勢いよく棺桶の壁面を蹴る。
「うおっ!」
 棺桶の中から声が響き、鈍い打撲音と共にその蓋がガタリと揺れる。
 獣のようなうめき声が聞こえるが、メイドは全く意に介さず姿勢を崩すことなく立っていた。
 しばしの時間が過ぎるとうめき声が止み、棺桶の蓋が低い音を立ててずれていく。
 棺桶から身を起こしたその男は、プラチナブロンドの髪の根元、おでこを押さえながら涙が滲んだ目でメイドを見る。
「セーナ、また蹴らなかったか?」
「……いえ、そのようなことは」
 自分の主人からの問いに、表情を変えずにメイド――セーナは答える。
 主人はただ溜め息一つ吐く。
 もう幾度となく繰り返した問答といくつもの靴跡がついた自らの寝床を見ると言葉も出なかった。
「旦那様、ご就寝のところ申し訳ありませんが、どうやらお客様がお見えになったようです」
 その言葉にセーナの主人であるオーウェン・フォン・ヴォイルシュはその滑らかな眉間にしわを寄せる。
 しかし口元は暗い笑みを形作っていた。

603 名前: 番組の途中ですが名無しです(山形県) 投稿日:2007/03/18(日) 21:01:03.19 ID:ZJZNv8D+0
「そうか、客人が参ったか!」
 ようやく棺桶からその身を全て取り出すと大きく伸びをする。
 細く引き締まった長身が、まるで猟犬のような鋭さを帯びていた。
 暗闇の中でなお光る銀色の髪と相まって、一本の剣のように思える。
「では、出迎えにあがらないと失礼になるな」
 主人は棺桶から足を踏み出し、石畳を音を立てて歩き出す。
 ――いつもながら趣味の悪い部屋。
 その後ろをメイドが付き従いながらもそう思った。

 石の階段を上がると窓を閉め切った廊下へと出る。
 これまでの湿った石の部屋とは打って変わって、下卑た印象のない洗練された雰囲気に満たされていた。
 窓の外は丁寧に手入れされた薔薇園を望み、太陽の日差しを着た赤い花が一層艶やかに咲き誇る。
 しかしその光景を館の中から見ることは今はかなわない。
 その廊下を颯爽と歩く姿が雨戸によって塗りつぶされたガラスに映し出される。
「確か今宵は宴があったはずだな」
「はい」
 主人の言葉にセーナは頷く。
「ならば血でこの館を汚したくはないが、そうも行かないだろうな」
 少し後ろを歩くセーナへと沈痛な面持ちで振り向く。
 しかし意を決すると、彼女へと告げた。
「剣を持て」
 その言葉を聞き、セーナは頷くと「失礼」と言い残し身を翻す。
 オーウェンは程なくエントランスにたどり着く。そこには一人の男が立っていた。
 男はいかにも経験が豊かな、屈強とした体格をしている。
 口に煙草を加え、悠然とした表情で広いエントランスを見回していた。
 しかし、オーウェンが来たことに気づくと少しだけ目元に緊張が走る。

604 名前: 番組の途中ですが名無しです(山形県) 投稿日:2007/03/18(日) 21:01:41.73 ID:ZJZNv8D+0
 緊張感漂うと思われたこの場面で、オーウェンはすぐに口を開く。
「これはよくいらっしゃった、客人よ。ご用向きを聞きたいのだがよろしいかな?」
 主人の質問に男はやんわりとした口調で返す。
「いやなに、この屋敷に人心を脅かす輩が住んでいると聞いてやってきただけですよ」
「それは心外なことだ。我が館には人に危害を加えるような者はおらんよ」
 館の主人はいかにも初めて聞いたと言わんばかりの表情だ。
 男はそれを承服するような顔をしているが、視線だけは彼から外さない。
 銀髪を撫でつけている長身痩躯の館の主人。
 黒い髭を生やした重厚で堅牢な男。
 豪奢なシャンデリアの下、二人の男はただ見つめあっている。
 シャンデリアの灯りが揺らめき、男たちの影は幾重にも重ねられる。
「確かに雇われた人たちは害を為す人間ではないかもしれない」
 男はそう言うと、煙草を口からプッと吹き出し足で踏み消す。
 それを見て、館の主人は眉間に皺を寄せる。
 男は腰に携える剣を手に取り一気に鞘を滑らせた。
 短剣である。見るからに手に馴染んでいた。
 身を屈め、爛々とした目で館の主人を見据える。
「……しかし、あんたがそうだとは限らない」
 男の口元が奇妙に歪む。
 廊下から足音が近づいてきた。セーナが剣を携えて来るのだ。
 装飾が施してある美麗な剣がその手に収まっている。
「客人がそのつもりなら致し方あるまい。準備が整ったようだ。宴が始まる前の余興になればよいが」
 館の主人は言い放ち、セーナが捧げ持つ鞘から直接剣を抜き放つ。
 シャンデリアからの光を帯び、剣は妖しい輝きを増す。
「礼儀を失した振る舞いを後悔するといい」
 オーウェンの言葉が終わると同時に、男は体ごと短剣を突き出す。
 甲高い音と共に手に持つ剣でそれを払う。
 剣先は円を描くように男ののど元へ。
 迫る剣先を男は一歩下がってかわす。

605 名前: 番組の途中ですが名無しです(山形県) 投稿日:2007/03/18(日) 21:02:05.67 ID:ZJZNv8D+0
「ちっ!」
 一合で剣の勝負は叶わぬと気づいたのだろう。男は手に持つ短剣を勢いよく投じた。
 意表を付かれたが、それを剣で払う。
 しかし短剣に気を逸らしている隙に、男は腰から小瓶を取り出す。
 親指で小瓶に力を入れると軽い音と共に蓋が飛ぶ。
 それをオーウェンの顔へと放り投げた。
 短剣に気を取られていた彼は、対応が遅れてしまう。
 男の狙い通り、瓶の中身が顔にかかる。
「ぐっ!」
 思わず剣を手放し、手で顔を覆う。
 教会が祝福を施した特製の聖水である。
 館の主人の顔が濡れていた。
 その隙を逃さず男はオーウェンの腹を蹴り飛ばし、倒れた彼に馬乗りになると胸元から白木の杭を取り出す。
「吸血鬼だなんて噂だったが、昼間だとあっけないもんだな」
 その手の中にある杭を振りかざし、優越感に流されるまま心の臓へと目を落とす。
 その男の後ろを蝙蝠が一羽過ぎる。
「まあ、運も実力も頭もなかったと思って諦めてく……れ?」
 ――衝撃。
 男は誰かに押されたかのように感じた。
 のどから血が逆流してくる。それは留める事もかなわず、勢い口から吐き出された。
 その血に引かれるように顔を下げると、目を疑うような光景が写る。
 男の胸から手が生えていた。か細く、しかし血に塗れた手である。
 信じられない。そんな思いを込めてその手を見るが、口から出るのは驚愕でも怨嗟でもなく、自らの血のみである。
 胸から手を引き抜く勢いで男の体は宙を舞い、エントランスの壁に鈍い音を立ててぶつかった。

606 名前: 番組の途中ですが名無しです(山形県) 投稿日:2007/03/18(日) 21:02:26.64 ID:ZJZNv8D+0
 オーウェンは目に入った聖水を拭うと、目の前に立つセーナへ目を向ける。
「あまり目立つ真似はしてほしくないものだな」
 その言葉に彼女は口元に妖しげ微笑みを浮かべる。発達した犬歯がその赤い唇からこぼれる。
「それでしたら、あの趣味の悪い部屋から真っ当な部屋に戻ってほしいものです」
「私を君の眷属に加えてくれたら、あの部屋も似合うと思うんだが?」
 彼はセーナに手を差し出しながらそう言う。しかし彼女はそれを無視して後ろを向く。
 行き場のない手を見ながら溜め息を吐く。そして体を起こしエントランスを見回した。
「やはりひどい有様になってしまったな……」
 エントランスは血に塗れ、壁際には元となる死体が転がっている。
「このようなことはこれまでも御座いましたでしょう」
 彼は溜め息をまたひとつ吐く。
「私はここを片付けますので、旦那様は着替えをなさってください」
 もうすでに浮かんだ笑みを消し、薄い表情に戻った彼女は血に濡れた手を彼の肩に押し付ける。
 バスルームのある居室の方向へと押しやろうとしているのだ。
 その手をオーウェンは掴み、振り返りざま彼女を力強く抱きすくめた。
 黒髪がふわりと舞い、同じ色のスカートが踊る。
 彼女は振り払うことなど簡単なはずのそれを行おうとせず、反対に自らの主人の背中に手を回す。
 どちらからともなく顔を寄せ合い唇を重ねていった。
 ――数秒間。
 エントランスの中央、二人はシャンデリアからの灯りを受ける。
 しかし二人は身を離し、彼女は背中に回していた手を肩へと動かした。
「……夜宴まで時間がございません」
 そう言うとまた居室の方へと押しやる。
 伏せた顔からは彼女の表情は伺えない。
 オーウェンは、それに逆らわずに居室へと足を進める。
 歩きながらその高い天井を仰ぎ見て口を開く。
「いつか彼女と同じ存在になれればよいものだが……」
 ひとりごちたとこで彼女はそれに答えを返してはくれなかった。



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