【 光に祈るため 】
◆K/2/1OIt4c




570 名前: ほっちゃん(埼玉県) 投稿日:2007/03/18(日) 17:42:22.08 ID:KK/BnTVi0
「一緒に死んでくれない?」
 冗談のつもりで言った
 自分は死ぬつもりだったけど、彼も一緒になんて考えてなかった。
「うん、いいよ」
 何の躊躇もなく、一瞬の迷いもなく、彼は言った。
 うれしかった。そんなにも私のことを思ってくれてるなんて。
 その日から、会うたびに死ぬことについて話した。
 素敵な時間だった。愛する人と一緒に死ねるなんて夢にも思ってなかったから。
 自分の意志とは無関係に、私は死に向かっていた。
 それはすごく怖いこと。
 死に場所くらい、自分で決めなきゃ。
 どうやって死ぬかは、すぐに決まった。私の中で、最初から決まっていたから。
 彼は、私のアイデアに快く了解してくれた。
 これで決まり。
 私と彼は、初めて出会った場所で死ぬの。

 僕と加奈子が初めて出会ったのは、とある屋敷だ。五年に一回開かれる小さなパーティーに、僕と彼女は初め
て招待された。
 北海道にある屋敷。そこでパーティーが開かれる。具体的な内容を聞いても、誰も教えてくれない。初めてな
ら知らないほうがいい、などと言って、不安と期待を煽った。
 午前八時に、最寄の空港に集まった。
 参加者は皆、日本を代表する富豪で、彼らが一度に集まっているのを見ることなどないだろう。この中に僕が
混ざっていいものなのか。そんな不安を抱いていた。
 とは言うものの、僕も彼女も、富豪と言っていいだろう。日本人の平均的な資産など、ほとんどゴミのような
金額にさえ思える。あいまいな言い方だとこんな感じだ。
 空港からハイヤーが出され、三時間以上かけて目的地に着いた。
 広い草原の中央に古めかしい屋敷が建てられている。海外のホラー映画にでも出てきそうな外観だ。円形なの
も変わっていて面白い。遠目から見ても、鉛のような重苦しさが感じられる、妙に印象的な建物だ。
 正面玄関が北に面しているため、周辺はうっそうとしている。常に影になっている部分には苔が生えていて、
不気味な雰囲気をいっそう強くしている。

571 名前: ほっちゃん(埼玉県) 投稿日:2007/03/18(日) 17:43:17.35 ID:KK/BnTVi0
 重い扉が開かれ、中に入った。
 ダンスホールのような広い空間。天井も高い。見た限り照明もないため、非常に暗い。たった一つある光源は、
天井付近に大きく開けられた天窓だけだ。
 驚くことに、この屋敷、ホール以外の部屋がない。このホールのために作られたに違いない。いったい何が起
きるのだろうか。
 注意深く観察してみると、鏡のようなものが壁際に多数設置されているのがわかった。あまりにも暗いため気
づきにくい。
 参加者はとりあえず、適当な間合いを置いてしゃがみこんでいる。しかたなく、僕も真似してその場にしゃが
んだ。
「もうそろそろだ」
 誰かが言った。たった一つあるドアも閉ざされたため、かなり暗い。そのため、誰が言ったのかよくわからな
かった。
 どんな効果なのだろうか。徐々にホール内が明るくなってきた。真っ暗な世界に慣れていたため、とっさに判
断できない。
「来るぞ!」
 誰かが叫んだ。
 するとそのとき、真っ白になった。
 何も見えない。これまでの薄暗い状態よりも、何も見えない。
 目が痛い。強烈な光。
 僕は、しゃがみながらもよろけた。
「わっ」
 誰かの手に触った。その瞬間、その手が声をあげる。僕は無意識にその手を握った。
 時間にして五秒ほどだろう。真っ白な空間は間もなく消え去った。
 徐々に暗くなっていく空間。ようやく目が見えるようになった。それでも、何を見るでもなく、口を半開きに
させて中空を眺めた。
「バカみたいな顔ですよ」
 僕の顔を覗き込んで、女性が微笑んで言った。
 美しい女性だった。
 僕はこの人の手を握っていたのか。
 それが加奈子だった。

572 名前: ほっちゃん(埼玉県) 投稿日:2007/03/18(日) 17:44:44.01 ID:KK/BnTVi0

「ここからタクシーに乗るよ」
 彼が私を押しながら言った。
 正確には、私を押しているのではなく、私が乗っている車椅子を押している。
 一緒に死のうと提案してから、三年以上経った今日、ようやくその日が来た。
 私と彼が初めて出会った日。
 五年前のその日のスケジュールをトレースして、私と彼はまず空港に着いた。
 余命を宣告されたのは三年前。
 あと一年生きられればいいでしょう。
 そう言われた。
 怖かった。
 勝手に死んでいくのが、たまらなく怖かった。
 でも、今はもう平気。
 それに、あれからもう三年も生きている。きっと、夢があったからだろう。

 屋敷につくまでの三時間、僕らは何も言葉を交わさなかった。もう、交わす言葉も尽きてしまったからだ。
 僕と加奈子を置いて、タクシーは帰した。あの日の場所に着いたのだ。
 安らかに死ねるようにと、薬を調達した。。眠るように死ねるらしい。これを手に入れるのは、そこそこ大変
だった。
 もっと大変だったのは、この屋敷を買い取ることだった。
 加奈子は、すべての資産をつぎ込んだし、僕もかなり使った。はっきり言って、もう今までのような豪華な暮
らしはできないだろう。
 とにかく、間に合ってよかった。
 話によると、五年に一度しか、その現象は起きないのだそうだ。太陽の高さや角度が関係しているらしい。天
窓から差し込む光線が、計算された配置に置かれた鏡に反射し、ホール内を光で染めるのだ。少しでも入射角度
が違うと、うまく反射しない。それにうまくいっても、真っ白な世界が続くのはほんの数秒間だけだ。
 今日がその日だ。間に合って、本当によかった。
 ポケットからカギを出して、ドアを開ける。僕は、加奈子を押して中に入った。

573 名前: ほっちゃん(埼玉県) 投稿日:2007/03/18(日) 17:45:31.63 ID:KK/BnTVi0

「ここでいいよ」」
 ホールの中央近くで車椅子から降りて、その場に寝そべった。床が冷たくて、気持ちがいい。
「覚えてる?」
 かすれた声で彼に言う。
「何を?」
「手、握ってくれたよね」
 私がそう言うと、あの日のように、彼は私の手を握ってくれた。
「もうそろそろだよ」
 彼はそう言うと、ポケットから一つの瓶を取り出した。錠剤が二つ入っている。
 私が手を伸ばすと、彼はその上に一つ落としてくれた。残りの一つは、彼が握り締めた。
 彼が腕時計を見た。
「もうすぐだ」
 私は、手にしている錠剤を眺めた。
「もう、いいよね」
「うん」
 私は、錠剤を一息で飲んだ。
 彼も、同じようなしぐさをして、ごくりと喉を鳴らした。
「目は開けていよう」
 彼の温かい言葉。
 それと共に、暖かい光が。
 真っ白。
 握っている手の感覚がなくなった。
 冷たかった床の感覚も、頬を伝わる涙も。
 何もかもがなくなっていく。
 ただ、真っ白。
 命が消えていく。
 薄くなっていく。
 鼓動が消えて。
 真っ白だけが残った。

574 名前: ほっちゃん(埼玉県) 投稿日:2007/03/18(日) 17:46:11.99 ID:KK/BnTVi0

 加奈子を愛していた。出会ってからずっと、その気持ちは変わらない。
 五年前に出会って、その二年後に死の宣告を受けた。
 加奈子は死ぬけれど、僕は死ねない。
 加奈子が死んだら、僕は生きてなきゃいけない。
 真っ白な世界で、そんなことを考えた。
 飲まずに隠し持っていた薬を握り締めて。
 徐々に暗くなってくる。視界が明瞭になっていく。目の前には、目を開ききったまま動かない加奈子がいた。
 僕は握っていた手を解いて、その手を加奈子の目の上にかぶせた。目を閉じてやろうかと思ったのだ。でも、
やめた。
 僕はそのまま立ち上がって、外に出て、カギを閉めた。
 空には小さな雲がいくつか浮いているだけ。見事な快晴だ。
 僕は太陽を眺めた。
 さっきほどの光の強さではないが、目が少し痛くなる。目が痛くて、そのせいで涙が少し出た。
 左手に握られた薬を見る。右手でそれをつまんで、空に投げた。高く、高く上がっていったそれは、太陽と重
なって、どこかへ消えてしまった。
 僕はそのまま太陽を見て、祈った。
 どうか、光に包まれた加奈子がきれいな世界に行けますように。
 幸せでありますように。
 そして、死んでもなお、美しくあれ。


 完



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