【 我が家の守護天使様 】
◆7CpdS9YYiY
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765 名前:我が家の守護天使様(1/6) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2007/03/05(月) 03:31:34.14 ID:1HXnvC9/0
 今現在、遠野家は諸事情により両親不在である。
 そのため、遠野家の四姉妹がその留守を預かっている。
 大らかな長女の小百合を筆頭に、しっかり者の次女小雪、元気印の三女小雛、イタズラ好きの四女小鳩。
 子供だけでは辛い世の中だけれども、姉妹は親のいない寂しさを慰めあい、互いに力を合わせ、家を守っている。
 いつ両親が帰ってきてもいいように、たとえ今日にひょっこり戻ってきても、四人揃って笑顔で「おかえり」と言えるように。
 ──そのはずだった。

 次女小雪の朝は早い。
 怠け者の長女小百合に代わって、遠野家の家事を一手に引き受けているからである。
 その日も、小雪は紺のセーラー服の上からエプロンをまとい、お風呂場で洗面器に手を突っ込んでいた。
「ああ、もう……だから寝る前に牛乳飲んだらダメだって言ったでしょう?」
「面目ない」
 十一歳にもなるのにおねしょ癖の抜けない四女小鳩のパジャマをお湯でざっと手洗いし、稼働中の洗濯機に放り込むと、
ぱたぱたとスリッパを鳴らしてキッチンに駆け戻る。
途中で立ち止まり、階段から二階を覗き込んでおそらく自室でいまだ眠りこけているであろう三女小雛へ向けて叫ぶ。
「雛ー! まだ起きてないのー!? ──ちょっと鳩、雛ちゃん起こしてきてよ」
「了解」
 予定にない朝風呂を浴びて頬はほっこり桜色、裸にバスタオルをまとった姿の小鳩は素直にうなずいて階段を上ってゆく。
それを見送ってから、小雪は急いで廊下を進む。
 リビングのドアを開けると、ソファの上で小百合が低血圧丸出しのだらしない姿勢でテレビを見ていた。
彼女もすでに臙脂のブレザーの制服に着替えており、学校指定の鞄がかたわらに置かれている。
「ちょっと姉さん、テレビ見てるくらいなら朝ごはんの準備手伝ってよ」
「星占いカウントダウン見終わってからでいーい?」
 小雪の必殺技ゲージが急激に伸びる。それを待つくらいの余裕があるなら最初から頼んだりしない、と喉まで出かかった。
だが今は一秒の時間も惜しい。小雪は諦めたように首を振り、朝食の準備を再開した。
 親の仇でも取るような勢いで、鍋に味噌を溶く一方で熱したフライパンに卵を落とし切り分けた糠漬けを器に盛る。
炊飯ジャーが白米の炊けたコールサインを発し笛付ケトルが甲高い悲鳴を上げ電子レンジがチーン。
「雪ねえ、雛ねえが起きない。ゆすっても起きない」
 いきなり現われてそう主張する小鳩を見て、小雪は一瞬ぎょっとする。驚いたことにまだバスタオル一丁だった。
「なら叩き起こしてきて! てゆーか、さっさと着替えてきなさい!」

766 名前:我が家の守護天使様(2/6) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2007/03/05(月) 03:32:07.25 ID:1HXnvC9/0
「ういす」
 再び諦めたように首を振り、ただし今度は眉間に深い皺を刻む。それでも気を取り直して作業の続きに意識を戻した。
 高校生なので学校給食が無い小百合のために、小雪は昨夜のおかずの残りと電子レンジで温めた冷凍食品を弁当箱に詰め込む。
たった一つの弁当を作るのにこれだけ苦労させられているのに、来年にはこの労力が二倍になるのだ。今から考えるだけでもげっそりする。
「うっわー、蠍座十位かよ。やる気でないにゃー」
 気だるげに漏らす小百合の背後で、小雪はてきぱきと朝食をテーブルに並べ、最後に包んだ弁当を置いてコーヒーをカップに注ぐ。
 これで今朝の仕事も八割がたは終わった、と内心で胸をなでおろす。時計を見ると若干の時間の余裕がある。
 自分の学校の支度はすでに済ませて玄関に置いてあるし、三人を送り出せばほんの少しだけゆっくりできる。
 小雪は冷蔵庫にとってある大好物のプリンのことを思った。食事の後始末まで片付いたら、プリンを食べてから学校に行こう。
 日々の家事に忙殺されている小雪にとって、今のところそれが唯一といっていい楽しみだった。
「姉さん、ご飯できたわ。コーヒーも淹れたよ。お弁当はここね」
「んん、サンキュ。愛してるわよう小雪ちゃん」
 口ばっかりなんだから、と反感混じりに思ったがそれは言わないでおく。のっそりと身を起こした小百合がその長身を伸ばして弁当箱を取った。
「中身は?」
「昨日の鮭。それと筑前煮とお浸し」
「あっあー、姉ちゃん肉が食べたいなあ」
 なにを勝手な──今度こそ本気で怒りかけた小雪を遮るように、リビングのドアが勢いよく開け放たれた。
「バカ雪! なんで起してくんなかったの!」
 小雛だった。かなり慌てていたらしく、その身に着けたワイシャツは一段ボタンがずれていたし、スカートのホックは外れかけていた。
上手く袖の通らないブレザーに悪戦苦闘するのと同時進行で、怒りも露に小雪へ詰め寄る。
「なによ、ちゃんと起したわよ」
「起きなかったんだから起したうちに入らないよ! 今日は早く出るっていったじゃん!」
 二つ下の妹にバカだのなんだのと言われるのは正直不愉快だったが、そんなことで腹を立てるのも癪だった。
正確に表現するなら、腹を立てたと思われるのが癪だった。
「はいはい、悪かったわ。早くご飯食べちゃいなよ」
「もうそんな時間ないよっ!」
 小雛はきっ、と小雪を睨み、その脇を通り抜ける。寝癖に乱れたおかっぱ頭を撫で付けながら、冷蔵庫を開けた。
「あ──」
 小雛が中から取り出したのは、一個しかないプリン、小雪が後で食べようと楽しみにしていた件のプリンだった。
 止める間もあらばこそ、小雛は蓋を手早く剥がして底のピンを折り、そのまま一息でぞるぞるぞるとプリンを飲む。

767 名前:我が家の守護天使様(3/6) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2007/03/05(月) 03:32:54.15 ID:1HXnvC9/0
「ああ──」
 空のプラスチック容器が三角コーナーに投げ捨てられ、瞬間、小雪の中でなにかが爆ぜた。
「ばかああああああああああっ!」
 いきなり怒鳴られた小雛が、いったい何事かとアーモンド型の目をさらに丸くさせる。
「な、なに。文句あんの?」
「あるに決まってるでしょう! プリンプリンプリンだよ! なんで食べるのよ、それわたしのだよ!?」
「なにケチ臭いこと言ってんの? あたしは急いでたの、でもお腹空いてたの。食べたっていいじゃん」
「ご飯はちゃんと用意してあるでしょう!」
 小雪の指差した先には、湯気を立てる味噌汁と目玉焼きとキュウリの糠漬け。それを見て小雛の表情が一瞬曇る。
だがすぐに生来の生意気さを取り戻し、険のこもった視線で小雪を見返した。
「起こしてくれなかったのが悪いんじゃん」
 そっぽを向いてそう言い放った小雛に、小雪は平手を振り上げかける。
「このっ……!」
 その時、ようやく小学校の制服に着替え、小振りのランドセルを背負った小鳩がリビングに入ってきた。
「雪ねえ、着替えてきた。ご飯」
 険悪な場の空気に気がついた小鳩は、小雪を見、小雛を見、それから小百合を見た。小百合は肩をすくめて小鳩の視線に応える。
「雪ねえ、ご飯食べたい」
「そこにあるから勝手に食べればいいでしょ!?」
 小鳩はその剣幕に身を縮ませ、とぼとぼと席について力なく「いただきます」を言った。
「おいおいおい。そんな冷たくしなくたっていいんじゃねーの、小雪ちゃん」
 さすがに見かねた小百合が、火花を散らす二人の間に割って入る。
「だって、プリンが」
「うるっさいな。プリンプリンってバカみたい。バカ雪ってホント陰険で細かいんだから。オバサンみたい」
「小雛ちゃん。あんたもだよ」
「なによ、本当のことじゃん」
 小雪は泣きそうになった。
 なぜ自分が悪者みたいに扱われなければならないのか。どう考えても悪いのは小雛ではないか。
 自分はこの家を守るために一人で頑張っている。それをいいことに、この家の者たちは好き勝手にやっている。
 感謝しろとかそういうことを言ってるんじゃない、ただ、プリンが食べたかったのだ。
 ゆっくりとプリンを楽しむ時間を望むことすらも、許されないのだろうか。

768 名前:我が家の守護天使様(4/6) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2007/03/05(月) 03:33:45.70 ID:1HXnvC9/0
「──もういい」
「え?」
 今さら引っ込みがつかず、かといって時間も気になるのでいらいらと身体をゆすっていた小雛が、虚を突かれて聞き返す。
「わたし、もうご飯作らない。自分の分しか作らないから」
「……なに、それ。ご飯作ってるのがそんなに偉いの? 恩に着せようっての?」
 小雛は明らかに弱った素振りを見せながらも、精一杯の虚勢を張って言い返す。
 テレビの脇の棚の引き出しを開け、二重底の下から家計用の財布を取り出した小雪は、それを力任せにテーブルに叩きつけた。
目の前でそんなことをされた小鳩は、味噌汁を飲んでいた手を止めて真っ赤になって涙ぐむ姉の顔を見上げる。
「これで毎日、肉でもなんでも食べればいいでしょう。そうやって好きなだけ使えばいいわ。わたし、今日帰らないから。どうぞご勝手に」
 そう言い捨て、エプロンをかなぐり捨てた小雪はリビングを飛び出していった。
 どたどたと階段を駆け上がる音が家中に響く。
 しばらく、リビングは気詰まりな沈黙に満たされた。時折、小鳩の咀嚼する音がするだけである。
 「……あー、もう時間ないや。寝癖直さなきゃ」とどこか上の空につぶやいた小雛が肩に引っ掛けたままのブレザーを脱いで出て行き、
次いで「まいったね、どーも」とつぶやく小百合が二階へ向かい、そしてリビングには小鳩だけが残された。

 一人きりになった部屋の中、小鳩はこくこくこく、と味噌汁を飲み干し、「ごちそうさま」と手を合わせた。
 次の瞬間に小鳩がとった行動は、非常に迅速かつ一分の隙のないものだった。
 イスの背に掛けられたばかりの小雛のブレザーに手を突っ込むと、じゃらじゃらストラップの付いた携帯電話を取り出して
しっかりと電源を切ってソファーの隙間に押し込んだ。
 そして小百合の鞄を開けてまだ温かい弁当箱を引きずり出し、あろうことかその包みを解く。
鮭、筑前煮、お浸し。小鳩はそれらをがふがふと口に放り込み始めた。
 犬のように食い、リスのように頬を膨らませ、中身が飛び出ないように口元を押さえながら、空になった弁当箱を綺麗に包みなおして鞄に戻す。
 最後に、テーブルの上に置かれたままの家計用財布をその小さな手で掴み取った。
 ごっくん。
 まだ誰も戻ってくる気配はない。小鳩は辺りを注意深く窺いながらドアへと向かう。
「いってきます」
 誰に言うでもなくこっそりつぶやき、白いセーラー服をひるがえして玄関へと向かっていった。

769 名前:我が家の守護天使様(5/6) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2007/03/05(月) 03:34:37.52 ID:1HXnvC9/0

 その日の夕方。
「ただいま、っと。……あれ?」
 学校から帰宅した小百合は、玄関にまで漂ってくる料理の香りに気づく。
 朝の小雪の剣幕では少なくとも今日一日は機嫌は直るまいと思っていたのだが、と首をひねりながらリビングに入る。と、
「おかえり、百合姉ちゃん」
 それは小雛だった。子供向けの料理書を片手に、そしてもう片手に包丁を握って野菜と格闘していた。
「なにしてんの、小雛ちゃん」
「いや、見て分かろうよ。晩御飯作ってんだよ。……あ、そうだ。あたしの携帯、知らない?」
 冷蔵庫から牛乳を取り出してラッパ飲みした小百合は五秒だけ考え、
「んー、知らないにゃー。ま、一日二日携帯無くても困らないでしょ」
「こ、困るよ」
「どして」
 訊かれた小雛は言いにくそうにもじもじしてたが、それでも、
「だってさ。雪姉ちゃんに電話もメールもできなかったんだもん」
「ははあ、なるほど、そりゃ困るねえ。家の電話使えば?」
「……でもやっぱ、どうせだから直接ちゃんと謝る。そのほうがいいと思う」
「そっか。ところで小雛ちゃん、ご飯何時くらいに出来上がりそう?」
「えっと、八時くらい?」
「八時ぃ……」
 露骨に顔をしかめた小百合は、うし、と自分に気合を入れて腕をまくった。
「仕方ない。助太刀いたす。働かざるもの食うべからず、とも言うし、ね」
「珍しい。百合姉ちゃんが料理するなんて」
「いやさー、今日なんでか知らねーけど弁当抜きだったんだわー。もうお腹空いてお腹空いて」
「え? なんで?」
「さあ、なんでだろうね? とにかく昼休みに弁当箱空けたらすっからかんだったワケよ。ま、多分、天使かなんかに食われたんだろうね」
「なにか買って食べればいいのに」
 その当然ともいえる小雛の発言に、小百合はにやりと無駄に渋い笑みを浮かべた。
「あたしの財布の中身は十三円よ。うまい棒じゃ腹は膨れないわ」


770 名前:我が家の守護天使様(6/6) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2007/03/05(月) 03:36:26.68 ID:1HXnvC9/0
「──もしもし。あ、姉さん? 良かった。雛ちゃんには電話通じなかったから。……え? あ、そうなんだ。うん。
それで、あの、ご飯のことなんだけど、家のお財布、わたしの鞄に入ってた。ごめんね。まだ出前とか取ってないよね?
きっと、朝、興奮してたからうっかりしてたんだと思うの。今すぐ帰ってご飯作るから、もうちょっとだけ我慢して。
……そうなの? 雛ちゃんと姉さんが? え、ううん。違う、びっくりしただけ。
えーと、それから、雛ちゃんと姉さんに謝ろうと思って。自分だけが辛いんだ、とか馬鹿なこと考えてたから。
……そうだね、分かった。面と向かって言うよ。ありがとう、姉さん。うん、うん、じゃあ、急いで帰るね」

 日も落ちて辺りも薄暗くなったころ、我が家の玄関前で小鳩は一人考えていた。
 家には皆が揃っているか。朝の諍いを引きずってはいないだろうか。仲直りはできたのだろうか。
 そのための仕込みはした。だがそれも子供の浅知恵なのかもしれない。そう思うと、このドアを開けるのが少し怖い。
 ミッション系の学校に通う小鳩は、シスターに教えてもらったように胸の前で手を合わせ、心のうちで守護天使様に祈る。
 どうか、笑って「おかえり」と言ってもらえますように、と。
 ドアを開けて「ただいま」と言うその声は自分でもびっくりするほど小さくて、もちろん返事など帰ってくるはずがない。
 明かりを点けずに靴を脱ぎ、暗い廊下を歩く。手にしたビニール袋がぶらぶら重そうに揺れていた。
 目指すリビングからは暖かそうな光と、楽しそうな声が漏れてきている。それはきっと幻じゃない。
「あ、おかえり鳩ちゃん」
「もー、遅いぞ鳩」
「おやおや、その歳で夜遊びかい、小鳩ちゃん」
 そして、小鳩は今日初めてにっこり笑い、お小遣いをはたいて買った、プリンがぱんぱんに詰まった袋を差し出した。
「ただいま!」

 小鳩はテーブルの指定席にちょこんと座って、三人の姉が料理を終え、いつもの団欒の夕餉が始まるその時を待っている。
 途中、小百合が小鳩に近づき、耳元でこうささやいた。
「ありがとね、我が家の守護天使様」
「わたし、なにもしてない、よ」
 小鳩は、それが自分の手柄ではないことを知っていた。小鳩自身は上手く言葉にできなかったが、それはつまりこういうことなのだろう。
 小鳩はただ、そこに愛があるということをささやかな行為によって指し示しただけで、
この家を守り、姉妹をあらゆる悲しみや苦しみから遠ざけている、なににも代えがたい力は、もっと別のところから来ているのだ。
 四人がそれぞれを思いやり支えあう絆の中にこそ、我が家の守護天使は潜んでいるのだ、と。
 或いはそれらの一切を含めて、人はそれを愛と呼ぶのだろう。



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