【 お義理の縁 】
◆sjPepK8Mso




2 :No.01 お義理の縁 (1/4) ◇sjPepK8Mso:07/02/03 01:05:44 ID:znft9f5F
 居住区には、崩れた建物の数に相当するだけの瓦礫が残されていなかった。
 多分、流出阻止装置が働く前に宇宙に吸い出されてしまったんだろう。どうやら、この宇宙居住区――コロニーで起った事件は、余程酷いものだったらしい。余程の事でもなければ、隔壁閉鎖は間に合う筈だった。
 一体何が起ったかについては、興味を持つ気なんてさらさら無かったが。
 救助隊の備品であるHN‐T2は、一軒の密閉型住居の前から一歩も動く様子は無い。
『早くどこか別の所に行った方が良いと思う。僕以外に生きてる人が居るかもしれない。僕に手間取っていて良い事なんて無いよ。』
 住居のインターホンから声が漏れる。HN−T2は音声の拡大処理を行ったが、インターホンの向こう側からは、空気の流れ以外のノイズは聞こえて来なかった。
 時折混じる呼吸の音。唾を飲む音は、どれも少年のものだった。多分、ハイスクールにも行けない年齢だ。
 HN−T2は、居住区に入ってから、その少年の生体反応しか発見していなかった。
 隔壁に穴の開いた居住区の探索を始めてから、もう一時間が経過している。どのような惨事があったかはわからなかったが、少なくとも人が生活している町の姿はそこには無い。
 既に粗方の捜索は終えられている。生存者はここにいる少年だけである事はまず間違いないだろう。
「そういうわけには参りません。私に与えられた任務は生存者の救出であり、これは絶対です。
 救助隊の服務規程第二条第四項にも定められている事で、これを破れば私が重罪人です」
『生存者ってのは僕だけに言えた事じゃないだろ? 僕だけが生きてる人間だって言う訳じゃないなら、優先順位をしっかりと考えるべきだ。君はロボットだろ。僕の言葉を無視したら規定違反になるんじゃないのか?』
「一時間もここを捜索したのですが、残念ながら、貴方以外の生命反応を確認する事は出来ませんでした。他者が存在しないのであれば、優先順位など決められる筈もありません」
 玄関の扉の上についている小さなカメラが目を細める。
 インターホンの向こうでは少年が、かろうじて人型であるHN−T2の姿が見ているだろう。あちこちに救命用具と酸素タンクを引っ掛けたHN−T2は、二足歩行ではあっても、人型とは言いづらい形をしている。
 少年が口を噤んだ様で、インターホンから声は暫く漏れない。
 インターホンの電源が切られたわけではない。その証拠に、電源ランプは光ったままだ。
 故障というのはあり得る話だが。
 四時間前まで生きてる人間のいた、出来立てほやほやの廃墟では、もう起るだけの変化が起った後だった。
 HN−T2が居住区に来たのが一時間前で、この居住区を内包するコロニーそのものから通報があったのは三時間前だった。
 つまりは、何らかの変化が起ってから、四時間も時間が経っているのだ。既に嵐は去った後で、後には抜かれ損ねた少々の草がそよ風に吹かれるだけだ。
 今更、草が千切れ飛ぶ程の風は吹かない。
 決してHN−T2がサボって、救助に来るのに三時間も掛かったわけではない。
 そもそもの事を言えば、人手が圧倒的に足りないのが原因だった。滅茶苦茶な速さで宇宙にコロニーが出来上がっていくのに対して、救助隊の発足がわずか二年前だと言うのが、問題だった。
 基地の数も少なく人員も足りず、結局HN−T2は三時間もの間歯痒い思いをしたのだ。助けられる筈の命の大部分は、三時間のうちに失われていた。
 その上にこのコロニーには、二級救助員のジミーとHN−T2だけだった。
 救助隊が間に合わない事なんて、偉いヤツラは皆わかっていた証拠だ。名目上は救助隊でも、実質的には調査隊としか言えない。
 その調査の最中で、生存者を見つけられたのは天の褒美だと思う事だって出来た。
 連れて帰らないワケには行かない。

3 :No.01 お義理の縁 (2/4) ◇sjPepK8Mso:07/02/03 01:06:08 ID:znft9f5F
「私は、貴方を安全な場所に案内する義務があるのです。そこに残った酸素はそろそろ底を尽きる筈です。苦しくなってきているのでは?」
『父さんはもっと苦しかったんだ。これぐらい、耐えられないわけが無い』
「そういう問題ではないでしょう。苦しいことなんて、誰だって嫌な筈だ。少なくとも、私はそう覚えてきた」
 息を吐くだけの乾いた笑い声がインターホンの向こうから聞こえてくる。
 肯定の意思はあったのだろうか、と思う。HN−T2はその事が少し気掛かりだ。二年前に製造されてから、これまでの学習内容に関わってくる事だった。
 嫌になるぐらいに空気は乾燥しているのに、少年の笑い声はもっと乾いている。何故乾いていると思うのか、HN−T2には上手く説明する事が出来ない。
 二年程度では人間の心は学習出来ないと言う事だ。この乾燥を説明する事の出来るだけの性能が、自分には必要なのだとHN−T2には思える。
 どうであろうと、今HN−T2には少年の心を理解する事は出来ない。機械知性体として作られたクセに、何と情けない事だろうか。
「私に貴方の言う事は分かりませんが、私は貴方の命を保障する事が出来ます。その苦しい空間を出る手助けが出来ます。生命維持装置だってあるのです」
 乾いた笑い声は止まらなかった。
 居住区に着くまでの間に、ずっとHN−T2の神経を焼いていた歯痒さがまた顔を出し始める。折角見つけた生存者すら助けられないのか。
 どんな声を発しようが、インターホンは様子を変えない。インターホンを通じて、声だけでなく相手の感情の一部でも見透かす事が出来るならば、どんなに良かった事かと思う。
 無音の廃墟に笑い声が木霊するが、そう遠くまでは届かなかった。
 そんなに声量を感じる事が出来ない。体力はかなり衰えている筈だった。
 笑い声も、次第に細くなって、三十秒しないうちにただ息を吐き出す音になった。空気が喉を通過するだけの音が物悲しい。
『……そうか、それじゃあちょっと話を聞いてくれるかな』
「?」
『あのさ、』
 返事も聞かない内に少年が喋りだす。糸口を見つけられるかもしれないと思い、HN−T2は、集音マイクの状態をクリアにする。
『僕の両親は二歳の頃に交通事故で死んだらしいんだ。当然、二歳ごろなら物心付くか付かないかって頃で、僕も全く覚えてない事。
 それでもね、三歳の頃の僕には父さんも母さんも、兄さんも居たんだ。何でかわかる?』
 養子縁組という方法を知らないHN−T2ではない。文章にされた法律程度ならば、データベースに全部格納してある。
 養子縁組だと言う事は、つまり少年が母親だと思っていた女性は、少年の為に腹を痛めたわけではないと言うことだ。
「養子なのでしょう? お義理で、子供だと言う事にする。そういうのって、上手くいくものなんですか?」
『上手く行かない場合もあるんだと思うよ。けど、僕に関して言えばこれ異常ない程に上手く行っていた。
 母親がさ、自分の腹以外から生まれた子供を育てるのって凄く難しいと思う。父親だって、そんな事簡単に出来る事じゃないし、兄だってそうだ。
 でも、義母さんと義父さんと、義兄さんは僕に笑いかけてくれたんだ。これって、凄い事だろ?』
「……はっきりとはわかりません」
 正直者だった。人間ですら、分かりづらい事を、HN−T2に簡単に理解できるなんて馬鹿げた事で、わざわざ嘘を吐くことなんて無い。
 それでも、「はっきりとは」だとする。絶対に理解できない事じゃないと思う。

4 :No.01 お義理の縁 (3/4) ◇sjPepK8Mso:07/02/03 01:06:34 ID:znft9f5F
『君は正直者だね。
 それでも、言葉の意味からでも難しさは少しはわかるかもしれない。お義理なんてもので、感情を押さえ込めるものじゃないと思うから。
 でも、養母さんも養父さんも、義兄さんも、お義理と感情の方向が反対にならなかったんだ。変な言い方だけど』
「機械まで嘘をついてたら、こんな世の中は駄目になってしまいます」
『ハハ、違いない。
 三歳の頃の事は僕だって覚えてる。目の前に居るのが僕を生んだ人間じゃないのなんてさ、よくわからなかった。
 そういう眼で見て、疑いなく両親なんだって思えたんだから、皆の態度は絶対に、嘘なんかじゃなかったと思う。
 僕が四歳の誕生日にさ、養父さんが大きなケーキを買って来たんだ。今思えば、僕が養子になってから初めての誕生日だったからなんだと思うけど。
 それが特注品のバカみたいに大きいやつで、蝋燭を刺すだけなら百本は刺せたと思う。
 で、僕は四歳だったから、蝋燭はたった四本しか立てられなかった。不恰好だったよ、空白が多すぎて。
 部屋の電気を消して、蝋燭に火を点けて。ホント、物凄く綺麗だった。
 歌を歌った後に、蝋燭に息を吹きかけて消そうとするんだけど、蝋燭と蝋燭の距離が開き過ぎてて、四歳の僕の息じゃ中々消せなかった。躍起になって僕は息を吹きかけたよ。どうしても最後の一本が消えないんだ。
 皆、笑ってた……』
 HN−T2には、一体どんな言葉を返していいか全く判断が付かない。
 声の最後の方は涙声になっていて、相当悲しい感情が渦巻いているのだろうと予想できたが、それだけだった。
 結局、何も出来ない。
 自分は機械で、声を中継するインターホンも機械だ。
 だからインターホンが恨めしい。自分と同じ電子回路の集合体のクセして、感情を持たないでただ仕事を消化するだけで。
 少年を哀れむ事すら出来ないのが羨ましくて、恨めしい
『義父さんも義母さんも、義兄さんも、今日は皆出かけてて、僕一人がここで留守番してるんだ。
 僕以外誰も生きていないって言うんだったら、僕だけ残して家族が逝ってしまったって言うなら、僕だって義理を通すべきだと思う。皆、僕に対して義理を通したんだから。
 僕は、父さんと母さんの息子で、兄さんの弟だ』
 声の中に堅い意思を感じる。相手が中からロックを外してくれない以上、HN−T2に家に入る手段も権限も無かった。
 やはり、何も出来ないのだ。

5 :No.01 お義理の縁 (4/4) ◇sjPepK8Mso:07/02/03 01:07:00 ID:znft9f5F
 少年自身の宣言の後、インターホンの電源ランプが都合よく死んだ。ぷつりと、寿命が切れるように、役割は終わったとでも言いたげに命を絶った。今更動かなくなるなんて不自然だった。
 内部と連絡を取る手段も無くなった、HN−T2の通信野に、一本の電波が飛んでくる。
 HN−T2にはもうお馴染みになった、同僚のジミーからの電波だった。
『そろそろ時間切れだ、早く帰らないと隊長にどやされちまう。HN−T2、帰るぞ』
 ジミーは生存者がいたかどうかも聞こうとしない。彼だって、自分が調査隊として送り出された事ぐらいわかっているらしい。
 自分から少年の事を言う気にもなれないHN−T2は、ただ無力感に打ちのめされる。結局、義理を通す機会は与えられなかった。
 その者が信じる、正義の道理ですらも、義理と呼ばれるものである。HN−T2が通せなかったのは、この義理だ。

 安物の宇宙船は、たった一つきりで寂しそうに宙を漂う空き缶を、後にする。
 農業ブロックすら死んでしまった今、空き缶の中には酸素が供給される事は無い。



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