【 撃ち抜かれる日 】
◆D7Aqr.apsM




55 名前:撃ち抜かれる日 1/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/01/14(日) 22:57:27.89 ID:6spyBtsT0
 真冬というのに、僕は雑草の藪の中に仰向けになって横たわっていた。
 上に折り重なるようにして、一人の女性が体を重ねている。柔らかい感触と心地よい重み。
 僕の口は彼女の左手でふさがれていた。
「えーと。黙って聞いて欲しいんだけど、できるかな?」彼女が僕の口を覆う手の力を
緩めた。僕はゆっくりと首を縦に動かす。
「私たちね、狙撃されてるの」
 顔の横の土がはじけ飛ぶ。キューン! という何かが高速で飛び去る音。
 銃声は全く聞こえない。着弾の音だけが耳に残った。

 彼女は「絵美さんと呼んでね?」と照れ笑いしながら自己紹介した。
 雑木林を抜けた所にある、小さな川。僕はその河原で、ぼうっと考え事を
するのが好きだった。少し離れた所に釣り人が一人。この人も『常連』の一人だ。
 今日も授業をさぼって、僕はぼんやりと暖かい缶コーヒーを飲み、耳に
イヤフォンを突っ込んで、音楽を聴いていた。放置されているコンクリートの
ブロックが積み重ねられているものが、僕の指定席だ。
 曲の継ぎ目。一瞬、あたりを吹き抜ける風の音が耳に届く。ぼんやりと足下を
見ていた視線が、引き上げられる。
 川沿いに踏み固められて、なんとはなしに遊歩道のようになっている場所を、
一人の女性が歩いてくるのが見えた。
 草色のコート、濃いグレーのズボン。落ち着いた色合い。
 なんとはなしに眺めていると、ふと視線が合った。
 ふつう、お互いにそのまま目をそらしておしまい、なんだろうが、この人は欧米風に
にっこりと笑顔を作った。あわてて小さく会釈する。 少し離れた場所から、彼女は、
「やあ。寒いね?」 と声をかけてきた。何とはなしに当たり障りのない話をしていると、
彼女はふと、手をあげ、河原からかなり遠い、雑木林の中に手を振り始めた。
あの林の中に住んでいる、ということらしかった。グレーの建物がかろうじて見える。
「ああ、やっぱりダメだなあ。肉眼じゃほとんど何も見えないや」
 彼女は残念そうに呟いた。
「邪魔だったら、どこか行くけど、何してるか聞いてもいい? あ、別に学生が
こんな時間に! とか、そういうのではなくて、散歩してる暇人の純粋な興味として」

56 名前:撃ち抜かれる日 2/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/01/14(日) 22:57:59.93 ID:6spyBtsT0
 絵美さんは、ひとしきり手を振り終えると僕に向き直った。
整った顔立ち。大きな、二重の瞳。瞳の色がもう少し薄かったら、白人、といっても
通りそうなくらいだ。
「考え事、だと思います」
 僕はここで何をしている、という訳でもない。ただ、いつも頭の中にあるのは、
どうすれば「ありがち」じゃない人間になれるのだろうか、という事で――というような
事をぽつぽつと話した。
「日常とか、平和とかっていうものは、退屈?」
 絵美さんは小さい女の子のように首を少しかしげた。
「退屈というわけじゃあないですけど……でも、『いつも通り』じゃあないように
しよう、と思ったら結構難しいんです」
 それはそうかもしれないね。と、絵美さんは妙に僕の答えに納得した風だった。
 それが三ヶ月前の事だった。

 そして今。何発目かの銃弾が、僕が飲み残していた缶コーヒーを吹き飛ばして
どこかへ飛んでいった。缶は爆発したように引きちぎられて散乱している。
「うーん。腕はそれ程良くないかなあ……まあでもね、当たると痛いから
ちゃんと伏せてようね?」
 耳元で絵美さんがささやく。見方によっては、かなり嬉しい状況かもしれない。
中学生が、年上のお姉さんに押し倒されるなんてそうそうあることじゃあない。
銃撃されるのも、もちろん、そうあることじゃあないのだけれど。
「いったい何だって言うんですか? 何かの間違いじゃあ――」
 押し殺した声で質問する。
「ごめん。間違いじゃあない。彼が狙っているのはあたしなんだけどね。
……って、耳元で話すのって、かなりゾクゾクしない? あ、っていうか、これって
すごく非日常? どう?」
 銃撃と耳元でささやく事のどちらを言ってるのか解らないが、とりあえず頷く。
 微妙に緊張感が無い。ただ、その間にも絵美さんの目は周囲を伺っている。
「さて、そろそろ反撃しようか」
 絵美さんの体が僕の体の上で身じろぎする。左手で、携帯電話を取り出す。

57 名前:撃ち抜かれる日 2/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/01/14(日) 22:58:34.67 ID:6spyBtsT0
「いい? この電話が鳴ったら、出て。 あたしの相棒が次の指示を出すから。
その時はあたしは迎えにこれないかも知れないけれど、気にしないで。電話が
鳴らなければ、私が必ず迎えに来るわ。オッケー? 何か質問は?」
 つまり、これが鳴ったときは、絵美さんに何かが起こったとき、という事なのだろう。
「さて、行こっか……ごめんね?巻き込んじゃって」
 何を言うべきか迷っているうちに、絵美さんはウィンクを一つ残して、コンクリート
ブロックの影から走り出ていた。
 低い姿勢。その後を追って、銃弾が走る。あたりの砂や、枯れ草が宙に舞う。
 あたりが急に静まりかえった。こちらへの銃撃が止んでいる。
 絵美さんといるときは気にならなかった自分の呼吸する音が、ヤケに
大きく聞こえる。胸が苦しい。胸ポケットに入れられた携帯を取り出し、握りしめた。
無愛想な黒い端末。鳴ってはいけない携帯。
 その時。ピンと張った紙を叩き破るような乾いた音が響いた。
 今まで聞こえなかった銃声。二発――三発。
 絵美さんは、銃を持っていない様子だった。持っていれば、ここから
走り出す時に、当然のものとして手に取るだろう。
 そうであれば。撃たれた、という事になる。
 携帯電話は鳴らない。――しかし。
 四発目の銃声。
 右手の方から聞こえた。息を大きく一つ吐いて、吸う。
 僕は、絵美さんを真似て、姿勢を低くして銃声の聞こえた方へ走り出していた。
        ◆
 少しだけ小高くなって、灌木が茂っている場所。
 そこに絵美さんはいた。右手に小さな黒い拳銃を持って。
 コートは脱ぎ捨てられ、黒いハイネックの長袖Tシャツは、背中が大きく裂けて
素肌が見えていた。
 そして。
 足下に、釣り人の格好をした男が一人横たわっていた。手足が縛り付けられ、蠢いている。
 声をかけようとして、息をのんだ。
 絵美さんの背中に、大きな傷が見えていた。多分、結構昔にできた、やけど跡ような傷。

58 名前:撃ち抜かれる日 4/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/01/14(日) 22:59:03.05 ID:6spyBtsT0
見るべきではないものを見てしまった罪悪感が押し寄せてくる。
「もう、だめだなあ。約束したのに。動かないって。この人だけじゃなかったら、
危ないでしょう?」
 僕が声をかける前に、絵美さんはふり向かずに言った。
 手前に落ちていたコートを拾い上げる。なるべく見ないようにして、僕は
絵美さんの肩にそれをかけた。袖をとおしながら、絵美さんはふり向く。
 少し寂しげに伏せられた瞳は赤く、泣いているように見えた。
「ごめんね。ありがとう。ちょっと予想外な動きされて戸惑ったけど、なんとか
なったよ。できれば、見せたくなかったんだけどなあ。こういうところは」
 軽く笑いながら、話す。
「絵美さん、大丈夫……ですか?怪我とか」
 やっとの事で声をだす。
 絵美さんは驚いたように顔を上げると、こくりと小さく首を縦にふった。
「よかった……」
 やっとの事でそれだけを口に出す。
 絵美さんの瞳から、静かに涙がこぼれるのが見えた。

 絵美さんは携帯で何カ所かに連絡を取っていた。
 しばらくして、スーツを着た男性がその場所へやってくると、絵美さんは二言三言
小声で話し、銃を渡してから、僕の手を引いて歩き出した。雑木林の方へ。
背の高い雑草の間の、申し訳程度に踏みつけられた小道を歩いていく。
 手を引いたまま、前を歩く絵美さんが口を開いた。ある国の名前を口にする。
「三年前の十月に、その国であった事件とかって、知ってるかな?」
 僕は首を振った。その国の名前を聞いたことがあるのは、正直地理の授業
くらいなものだった。
「あたし、ちょっと昔に、国とケンカしちゃってね。命辛々逃げてきたんだよ。最近
みつかっちゃったみたいでさ、困ってたんだけど。まあ、今回上手く片づけられたし、
日本の国を経由して上手く取引できたから、ちょっとは良かったのだけど。
ただ、なんていうか。うん……」
 表情は見えない。けれど――。

59 名前:撃ち抜かれる日 5/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/01/14(日) 22:59:27.41 ID:6spyBtsT0
「なんていうかな、あたしは、日常とか、いつもと同じ一日、とか、何もない日、
っていうのが、とても、とても好きだったんだな、って、この国に来て良くわかった。
自分でも、とても驚いたけど」
 多分、彼女は泣いている。僕はそう思った。強く握られた手が冷たい。
 僕は、黙ったまま、手を握り返して歩くしかできなかった。

 雑草が無くなり、林の中に入っていった。
 河原から見えていた、建物が見えた。コンクリートむき出しの、サイコロみたいに
四角い建物。ここが絵美さんの家なのだという。低い階段を上がり、玄関の
扉の前で、絵美さんがふり向く。
「あのね。調子の良いお願いかも知れないのだけれど、また、散歩の時にあったら、
話しかけても良い……かな?」
 僕は絵美さんに少しばかりの日常を。絵美さんは僕に少しばかりの非日常を。
そんなのは、とても面白そうだ。
「次は、携帯持たせておいていくのは無しですよ?」
 僕が言うと突然、ドアが開かれた。
「絵美さん……って、あれ? お客さま? っていうか、なんで二人とも泥だらけ?」
 家の中から出てきたのは、どこからどう見ても普通の女の子だった。近くの
街の制服を着ている。
「絵美さん、なにしてたんです?……っていうか、また、なんかやりましたね?」
 腰に手をあてて、ショートカットの女の子は睨みつけた。
「もう。いいところだったのに。香織ちゃん無粋だよ。牛に踏まれろだよ?まったく。
っていうか、なにしてたって……そうだなあ。ちょっとあたしのお手伝いと――」
 絵美さんは、僕のあごに手をかけて上向かせた。
抱きすくめられる。柔らかい体の感触。「おれい、ね?」耳元で囁く声。
閉じられた長いまつげ。柔らかい感触が唇を通して伝わってくる。柔らかく、熱い舌の感触。
 どのくらいの時間がたったのだろう。僕から離れて、絵美さんはにっこりと笑う。
「――ちょっとだけ、火遊び?」
 大きな瞳が一つ、音がしそうなウィンクが飛んだ。



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