【 三分彼女 】
◆KARRBU6hjo




379 名前:三分彼女 1/4 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2007/01/07(日) 23:29:41.14 ID:QSKqXw2w0
 一日に三分だけ繋がるテレビ電話の向こう側で、彼女がどんな生活をしているのかを僕は知らない。

 この部屋にあるテレビ電話は本当は使い放題なのだけれど、問題があるのは彼女の機材の方らしい。
 僕と彼女が話していられるのは一日僅か三分間だけだ。それ以上話そうとしようにも、三分経つと勝手に接続が切れてしまう。
 これはもうどうしようもない真実だ。僕たちは三分以上話せない。
 彼女の方も何とか機材を改善しようと努力しているらしいんだけれど、結局一ヶ月経った今の今までそれは変わっていない。
 もっと話したいと残念そうに笑う彼女の顔が僕にはとても愛しくて、毎回制限時間が来る毎に、僕はその制限を恨めしく思う。
 三分は短い。話していると直ぐに終わってしまう。
 とは言っても、一日三分の制限は、僕にとってはある意味幸運な事でもあった。
 僕は口下手だ。元々人と接するのが苦手な性分で、会話のボキャブラリーも非常に乏しい。
 もし長時間彼女と話す事が出来たとしても、三分以上の内容を話す事は出来ないだろう。
 寧ろ、どもって黙り込んで沈黙が続いて、彼女に気を使わせてしまうのがオチだ。
 そんな事になるくらいならば、三分で彼女との会話を有意義に終わらせる方が何倍もマシだろう。
 こんな僕でも、彼女と話す三分間くらいはしっかりした自分を見せていたい。
 最初に彼女と話し始めた頃の印象でもう手遅れかもしれないけど、それでも、そのくらいの見栄は張っておきたいのだ。
 だから、僕は一日中頭を絞って彼女と話す会話の内容を考える。
 幸い、この部屋で僕の集中を乱すものは何もない。
 大きなディスプレイに向かって会話のネタを必死に探して、一日掛けて会話の粗筋を組み立てる。
 そうすると結局僕の雑学披露みたいになってしまうのだけれど、彼女はそれを楽しみにしてくれている。
 それだけで僕が一日を費やす意味がある。無為に日々を過ごすよりも遥かに有意義だ。
 思い出す。最初に僕が彼女に電話を掛けたとき、彼女が僕にとってこんなに大きな存在になるとは思っていなかった。

380 名前:三分彼女 2/4 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2007/01/07(日) 23:30:17.66 ID:QSKqXw2w0
 僕は、引き篭もりだ。
 それも、この部屋に住むようになってから一度も外に出たことはない、筋金入りの。
 幼い頃から対人恐怖症で、中学生の時に登校拒否になってからそのままずっと引き篭もっている。
 僕は人と会うのが怖い。元々他人と関わるのが酷く苦手だった僕は、普通に学校に通う事すら嫌だった。
 それでも僕の親は無理して僕を学校に通わせたけれど、そこでイジメに遭ってからは余計に怖くなって、僕は部屋から出られなくなった。
 ここまで来るともう理屈ではない。そのうち親と話すのだって無理になったし、誰ともコミュニケーションを取らないで一人で過ごしていた。
 そして、そのまま二十歳になった僕は、親から壁越しに伝えられる。
 誰にも会わないで居られる部屋に、引っ越さないか、と。
 其処は引き篭もりの為の部屋だった。
 食事は毎日ちゃんと届くし、洗面所もトイレもダストシュートもある。
 風呂がないのは最初焦ったが、まぁ人間顔だけ洗っていれば何とかなるものだ。いざとなれば洗面所の水で体は洗える。
 何よりもネット環境が充実しているし、漫画や小説も自由に取り寄せられる。
 それは正に天国のような場所だった。
 僕の親としては厄介払いに違いないだろうが、こんな環境を用意してくれるなら拒否する理由はない。
 そうして、僕は現在の部屋に移り住んだのだ。
 この部屋は素晴らしかった。何よりも、本当に誰とも会わずに済む。親の声も聞こえない、僕たった一人だけの空間。
 そこで僕は、かなりの長い時間を過ごした。どれだけここに居たかはよく憶えていないけれど、それくらい、僕はずっとこの部屋で生活していた。
 しかし、あまりにも長く人と会わないでいたからか、そのうち僕の心に奇妙な感情が湧いてきた。
 それは、孤独感。今までまったく感じることのなかった寂しさが、ここで初めて湧き上がってきたのだ。
 それは一旦感じると止まらなかった。
 特に寝る直前などにぼうっとしているとそれはだんだん強くなってきて、気が付くと泣いていた事もあった。
 もしかしたら、この世界にはもう僕一人しかいないんじゃないだろうか。僕はもう二度と誰かと話す事は出来ないんじゃないだろうか。

382 名前:三分彼女 3/4 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2007/01/07(日) 23:30:52.30 ID:QSKqXw2w0
 そんな事を考え始めて、僕の精神はどんどん不安定になっていった。自殺も考えた。しかし、それを実行に移す前に、僕は見つけたのだ。
 目の前のディスプレイにある、テレビ電話機能を。
 そして、僕は彼女と知り合った。彼女は僕の電話に出てくれた。
 最初は僕も戸惑って混乱して、自分でも何を言っているのかさっぱりだったけど、画面越しの彼女は僕に優しく微笑みかけてくれた。
 それからというもの、彼女とテレビ電話で話すのは僕の日課になった。
 彼女の存在は僕の中でどんどん大きくなっていった。今や彼女は僕の全てといっていい。
 今まで楽しんでいた漫画や小説、ネットなどの趣味は全てどうでもよくなった。
 僕は、彼女が好きだ。例え一日三分しか離せなくても、僕は彼女の事を愛している。
 何時からか、自分でも信じがたい事に、僕は彼女に会ってみたいと思うようになっていた。
 テレビ電話のディスプレイ越しではなく、直接向き合って話をしたい。
 それには僕の会話能力の向上が必須で、多分、それでも結局気まずく終わってしまうのかもしれない。けれど、それでも僕は彼女に会ってみたい。
 思えば、対人恐怖症で引き篭もりの僕が初めて外に出て、人に会いたいと考えたのだ。
 全て、彼女のお陰だ。僕は引き篭もりから脱出出来るかもしれない。
 恋人になんかなれなくたっていい、それでも、僕は彼女に会ってみたい。
 意を決めて、僕は受話器を手に取る。そろそろ時間だ。
 僕が電話を掛ける時間は二人で決めた。
 今日、僕は彼女に言う。君に会いたいと。
 会って、直接話をしてみたいと。
 受話器の向こうで電子音が鳴る。がちゃり、と彼女が出た。

383 名前:三分彼女 4/4 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2007/01/07(日) 23:31:54.01 ID:QSKqXw2w0
「ふぅ」
 一仕事を終え、彼女はと溜息を吐いた。
 画面には未だにその部屋が映し出されている。
 何となくそのまま画面を見ていたが、よく見ると男がごそごそと如何わしい行為を始めたので、彼女は慌てて映像を切り替えた。
「お疲れ、ナギちゃん」
 唐突に掛けられた声に振り向くと、横から同僚が画面を覗き込んでいる。
 彼女は真っ赤になりながら、にやにや笑っている同僚に抗議の声を上げた。
「もう。人の仕事を覗くのは止めてくださいって言ってるでしょう」
 その言葉に同僚はくすくすと笑う。
 引き篭もり部屋専用のテレホンサービスの同僚は、こうやって人をからかうのが大好きだった。
「それにしても随分とご熱心だね、さっきのお客さんは。これからどうするの?」
「どうしましょうねぇ……。何だか、すっかり忘れてるみたいなんですよ」
 画面の中では、同じ部屋に違う男が映し出されている。
「利用規約、ちゃんと読まなかったんでしょうか。あの部屋からは出られないってこと」
 引き篭もりが引き篭もる為の部屋には、出口は必要ない。
 電子音が鳴る。別の部屋の住人からの電話に、彼女は笑顔で応えた。



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