【 旅人のイデア 】
◆Pj925QdrfE




817 名前:「旅人のイデア」 ◆Pj925QdrfE :2006/04/16(日) 17:49:53.55 ID:Oin1e1Jr0
 俺は何のために旅をしているのだろうか。
 山道の一角、人が座れる大きさの岩に腰を掛け、最後の一本になってしまった煙草をふかしながら俺は思う。
目的のない気ままな旅、というのももちろんあるだろうが、そういうことが出来る人間はすべからく財政的に余裕がある。
俺のように僅かな小銭を眺め、明日どう食い繋ぐかといったことを思案する人間は、決まった住処を持って
恒常的に金を稼ぐ手段を探した方がはるかに効率がよく、安全に決まっている。
 ならばなぜ俺は旅を続けるのだろうか。
 もう半時ほどここでじっとしているが、翳りだしてきた山道に人の姿はなく、木立の上を通る風が
緑の葉を煽っているだけだった。風情のある情景だと人は言うのかもしれない。
だがその音は忌々しい都会の人混みを俺に思い出させ、心臓の鼓動を不規則に変えてしまうものだった。
 今日のところは歩く気力も無くなり、肩を圧迫するバックパックを下ろす。
重たいバックパックは奴隷が運ぶ煉瓦のようにも見え、俺が手を離すと、大きな音を立てて地面に落ちた。
筋肉がほぐれ、体が浮き上がる感覚。俺はこの感覚が好きだ。一日の疲れがとれる訳では決してないのだが、
目に見えない何か、俺には認識できていない何かから、とにかく解放された気分になる。
しばらくの浮遊を終えた後、俺は再びうつむいて思索に戻る。

 そもそも旅というものの定義は、住む土地を離れて一時他の土地に行くことを指す。
決まった住処を持っていない俺は果たして「旅をしている」と言えるのだろうか。
かといって、浮浪者、流浪者という言葉の持つイメージが自分に当てはまっているようにも思えない。
俺には、通過点としての目的地は存在している。ただ闇雲に、求めるものを求め歩き回る彼らとは違う気がする。
ただ大義としての旅をする目的が欠けてしまっているだけだ。
 こんなふうに考えると、旅人と彼らとは言葉の上では明確な差異を持つが、
本質的には紙一重の存在ではないだろうかと思う。旅人は流浪者とも名乗れ、浮浪者は旅人とも名乗れる。

820 名前:「旅人のイデア」 ◆Pj925QdrfE :2006/04/16(日) 17:50:44.31 ID:Oin1e1Jr0
 橙色の小さな粒は、煙草を少しずつ侵食していく。
 自分の行動意義について真剣に考えるのであれば、ある程度踏み込んで話を進めなくてはならない。
情けない話だが、俺はそもそも逃げるために旅に出たのだ。逃げるという言葉にポジティヴな意味が
あるかどうかは置いておいて、俺は閉塞的な世界でくすぶる自分を許せずに旅をはじめた訳ではない。
ただ自分の居た都会という虫籠が恐ろしくて逃げてきただけ。
帰る家は残っていないし、身寄りもない。知人の顔もぼやけつつある。
 だが、帰る家を見つけるために旅を続けるのか、と言われるとそうでもない。
人間、その気になればなんとかして住処を構えることもできるはずだ。けれども俺はそれをしない。
そのためになにかしてやろうとも思わない。

 結局のところ、俺は何か目的を持って旅をしてはいないのだ。
消去法的に答えを選び、残ってしまったたった一つの選択肢が「旅をすること」であったというだけ。
俺は何度目かもわからなくなった結論で思索を終えた。

 焼けた煙草の灰が音も立てずに崩れ落ちた。俺は水筒の水を申し訳程度にかけて、それを踏み潰す。
気づくと、挟んだ指のすぐ側まで小さな火が迫っている。俺は腰をかけている石に煙草の先を押し付けて火を消し、
バックパックのサイドポケットから携帯灰皿を取り出して放り込んだ。
 辺りはもう夜の帳につつまれている。今日は寝てしまおう。



 俺が名も知らぬ盗人と大捕物を繰り広げ、後の人生を揺るがすほどの心友に巡り合うのはその次の日のことだった。
人間の運命は結論などで導き出せるものではない、ということは誰しも知っていることであったのに。



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