【 幕末の新 】
◆BLOSSdBcO.




291 名前:幕末の新 1/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2006/12/29(金) 00:02:49.00 ID:poO3fhi00
 <この物語は史実を元にしていますが、若干史実と異なる箇所があります>
 <またこの物語には六つの『新』が含まれます。暇な方は探してみて下さい>

 左足を半歩引き、軽く爪先立ちになる。腰を落として胸を張り、顎をぐっと引きながらも視線を落とさずに。
手にあまり力を込めてはならない。左手の薬指と小指が最低限の支えになる程度で良い。
「らぁっ!」
 獣の吼えるような気迫を受け流し、打ち込む隙を窺う。じりじりと間合いを詰めつつ、瞬きの隙すら見逃す
まいとする。あと一寸、その小指一本にも満たぬ距離近づけば僕の間合いだ。
 きゅっ、と床を鳴らして相手が踏み込もうとした、その刹那。右手を引き付けながら左腕を頭上にかざす。
大きく反らした上体はまるで弓、つがえた矢は左足で強く踏み切り放たれる。雷光の速さで打ち下ろされた
竹刀は的確に面の頂点を打ち、勢いそのままに駆け抜けながら『一本』という声を聞いた。
「ふぅ」
 残心をとり、ようやく一息つく。納刀して軽く一礼し、壁際で防具を外していると傍に誰かが立った。
「流石だな、新輔」
「組長、ご覧になってたんですか」
 板張りの床にどかりと胡坐をかいて、僕の竹刀を持ち上げる。
「竹刀でお前に勝てる奴ぁ、うちでも少ないだろうな」
 ささくれを指で摘まみ、ぴっと剥ぎ取る。僕は組長の言いたい事を即座に理解し、少し嫌な気分になった。
「けどよ、真剣で人を斬れなきゃ何の役にも立ちやしねぇ」
 ぎょろりとした目が僕を睨む。その視線を受け止める事が出来ず、気まずい空気が漂った。
 数秒の沈黙の後に組長は溜息をつき、頭を掻きながら言う。
「山崎に腕の立つのを貸してくれと頼まれた。行って来い」
「えっ、監察方の山崎さんですか?」
 そうだ、と一言残して組長は立ち上がり、のそのそ歩いて行ってしまった。
 監察方、市中の見回りや内偵を旨とする部隊。いわば日陰の存在だ。それを悪く言うつもりはない。彼らの
日頃の地道な活動があってこそ、組が大きな成果をあげられるのだから。
 だがそれでも、見捨てられたような寂しさがある。
 まぁ、人を斬れない剣士にはお似合いか、と一人ごちて立ち上がる。早く着替えて山崎さんの所へ行こう。
僕に出来る事はそれくらいしかないんだ。
 汗をかいた体を風が撫でる。ふと窓の外を見ると、赤い旗に『誠』の一文字が白く輝いていた。

292 名前:幕末の新 2/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2006/12/29(金) 00:03:39.24 ID:poO3fhi00
「山崎さん、二番隊の真田新輔です」
 薄暗い部屋の奥から、すっと一人の男が現れた。細身の体躯に地味な着物を纏い、柔和な笑顔を浮かべる。
しかしその足運びや気配の消し方から、何らかの武術に精通している事が窺える。
「ああ、永倉君に頼んでおいた人か。まぁ入りたまえ」
 僕を室内に招き入れると、山崎さんはぴしゃりと障子を閉めた。
「それで、ご用件の方は?」
「はははっ。せっかちだね、君は」
 彼は目を細めて笑うと、文机から一枚の紙を取り出し僕に渡す。簡略に描かれてはいるが、市内の地図だ。
僕の行きつけの小料理屋、それを少し南に行った所に丸い印と店の名らしきものが記されている。
「そこにね、とある人物が現れるかもしれない。その見張りをやってほしいんだ」
 やはりこんな仕事か。内心がっかりしたが、極力顔に出さないようにして問う。
「僕一人で、ですか?」
「いや、今も二人付いてるから彼らと合流してほしい。道の反対にある宿屋に行ってくれ」
 既に二人もいるのに僕が行く価値はあるのだろうか。ああそうか、今回は僕の監察方としての練習のような
ものなんだ。先輩二人から技術を学べ、と言うことだろう。
 そう一人で勝手に解釈した僕は、山崎さんの部屋を辞してその宿屋へ向かった。

「どうも、二番隊の真田新輔です」
 宿の女将に通された部屋には、ぼさぼさ頭で小汚い着物の浪人然とした男達がいた。
「確か立花さんと木村さん、でしたか」
 忍者の末裔と謳う二人組みで、小さな手斧を揮って戦うのを見たことがある。
「ああ、そうだよ。『斬らずの新』君」
「斬れずの、じゃなかったか?」
 そう言って二人はけらけらと笑う。その渾名は隊の仲間が僕をからかう時に使うものだ。
「それで、見張るのは誰です」
 悔しいが言い返す言葉は無い。そしてムキになるほど相手が喜ぶ事を、僕は知っていた。
「ふん、似たような名前でもお前とは正反対の男だよ。田中新兵衛、聞いた事あるだろ」
「なっ……」
 薩摩藩出身、通称『人斬り新兵衛』。尊皇攘夷の名の元に数々の要人暗殺を行った男である。組の中でも、
土佐の岡田以蔵と共に最も注意すべき人物としている。その新兵衛がここに現れるというのか。

293 名前:幕末の新 3/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2006/12/29(金) 00:04:33.86 ID:poO3fhi00
「全く、山崎さんには腕の立つ奴を連れてきてくれ、って言ったのによぉ」
 ぼやく声がどこか遠くに感じられた。
 二人もいるのに? 練習のようなもの?
 卑屈になった自分の思い込みがとんでもない的外れだった事に、僕は喜びを感じていた。
 そう、確かに組長は腕の立つ奴、と言った。それはつまり、僕の腕を信頼してくれていると事ではないか。
「大丈夫ですよ、お二人は僕が守りますから」
 先ほどまでの辛気臭い顔から打って変わって怪気炎をあげる僕を、二人は気味悪そうに見ていた。

 それから数刻。日がとっぷりと暮れた後、道向こうの店に編み笠を被った数人の男達が入っていった。その
中に新兵衛の顔を確認すると、立花さんは屯所まで使いをやった。折り返し山崎さんからの指示を待ちつつ、
奴らが店を出た場合は追跡する。ただし気づかれて警戒される事は決して許されない、と念を押された。
 おそらく今日、奴らをどうこうする気はないのだろう。集会場所や潜伏場所を確認した後に期を窺って急襲、
一網打尽にする。組の名を一躍有名にした、池田屋事件と同じ方針をとるはずだ。
「おい、新兵衛だけ出てきたぞ」
 木村さんの声に格子窓から外を見る。確かに一人だけ、ふらりと店を出て歩き出した。
「俺が後をつける。立花と真田は他の奴らの見張りと、連絡待ちだ」
「僕も行きます」
 立ち上がってそう言うと、木村さんは不快な顔をする。
「お前が付いて来て何になる。下手な尾行に気づかれて、二度とこの店に姿を現さなくなったらどうすんだ」
「僕は、護衛ですから」
 あくまでも監察方ではなく、二番隊隊士として彼らの護衛をしているのだ、という意思を込める。
「ちっ、人を斬れない腰抜けが偉そうに」
「良いじゃねぇか、いないよりマシさ。新輔、お前は直接新兵衛を尾行するんじゃなくて、少し離れて木村を
追うようにしていけ」
 立花さんに取り成された木村さんはしぶしぶ表に出る。僕も慌てて追いかけた。

294 名前:幕末の新 4/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2006/12/29(金) 00:05:17.99 ID:poO3fhi00
 今宵は新月、人気のない真っ暗な闇の中を照らすのは新兵衛の持つ提灯だけだ。ここ最近の京の街は眠りに
つくのが早い。日が暮れたら道を歩くのは野良犬か野良猫、そして浅黄色のだんだら羽織をした狼の集団のみ。
下手に出歩こうものなら壬生の屯所に引っ張られるか、最悪その場で斬り伏せられる。
 それだと言うのに一人で堂々と歩く奴は、一体何を考えているのだろうか。
 軒下をつたって走り、曲がり角では顔だけ出して様子を窺う。そんな最深の注意を払って尾行する木村さん
から少し離れて僕は歩いていた。新兵衛とはかなりの距離があるが、遠目に見る奴はまるで警戒をしていない
ように思う。お尋ね者の奴がこんな無用心に一人で歩きまわるのは、よほど腕に自信があるからだろうか。
 そう考えながら川沿いの道をひたひたと進んでいた時だった。
「きぇあああぁっ!」
 角を曲がった新兵衛を追って木村さんが身を乗り出した瞬間、凄まじい気迫と共に刃が閃く。
「木村さんっ」
 強烈な一撃をとっさに受けた止めた右腕は、肘の下を斬られ皮一枚でぶら下がっている。僕は慌てて駆け
寄りながら鯉口を切り、そのまま止めを刺そうとする男に抜き打ちを放った。
 ざっと飛びのいてかわした男は、紛うことなく田中新兵衛だ。傍の木に掛けた提灯が揺れている。どうやら
尾行に気づかれていたらしい。木村さんの怪我の具合は気になるが、隙を見せれば僕も同じ目にあう。刀を
正眼に構え、次の一撃に備えた。
「おンしら、オイを誰だか知っとうか?」
 ゆらりと右八双に構えながら、ドスの効いた薩摩訛りで問う。
「不意打ちと暗殺がお上手な、田中新兵衛君だろ」
 精一杯の虚勢を張ってみるが、予想以上の効果があったようだ。青筋を立てて睨みつけると、ぐっと身を
縮める。次の瞬間、再び猿叫という独特の気迫を放ちながら猛烈な一撃が飛んでくる。
 二ノ太刀要ラズと称される薩摩示現流の蜻蛉。体ごとぶつかるようにして叩き斬るその剣戟を、正面から
受け止める事は無謀だ。半身を開きながらなんとか受け流すも、腹を蹴られ吹き飛ばされる。
「はんっ、そう言うおンしは人を斬った事が無いようだのぅ」
 新兵衛は鼻で笑うと、再び刀を構えた。
「剣先が震えとるわ。怖けりゃ逃げても良いんぞ?」
 怖い。確かに斬られる痛みも、死ぬ事も怖い。だがそれ以上に、人を斬ることが怖かった。先ほどの一撃は
木村さんを助けようと無我夢中だったが、改めて向かい合うと震えが襲ってくる。肩に力が入り動きにくい。
拳は柄を強く握り締め、刀身にカタカタという振動を伝えていた。

295 名前:幕末の新 5/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2006/12/29(金) 00:05:55.23 ID:poO3fhi00
「私怨は無いが、大義の為じゃ。死ねぇい!」
 まずい、受け止めなくては。そう分かっていても体は石像のように固まって動かない。大きく振りかぶった
刀がゆっくりと近づいてくる。駄目だ、肘が曲がらない、足が持ち上がらない。
 僕は死を覚悟し、息を呑んだ。
「せいっ!」
 真っ白になってゆく視界の端で、何かが動いた。次の瞬間、眼前に迫っていた刃が消える。がきん、という
音と共に地面に何かが叩き落とされた。手斧。重傷を負って蹲っていた木村さんが、新兵衛の背後から必殺の
勢いで投げたものだ。その執念も凄いが、それを防ぐ新兵衛も凄い。僕を仕留めるのに集中していながらも、
後ろから回転しつつ飛んでくる斧を容易く弾くとは。
 ――これが、本当の命の奪い合いか
 敵を殺すために死力を尽くし、敵に殺されないために全力を尽くす。僕が憧れた剣の道が、これほどまでに
凄まじいものだったとは。今までの一人に三人で襲い掛かるような、必勝を旨とする戦いでは感じられなかった
何かが湧き上がってくる。人を殺すという事は、殺される覚悟をする事だ。僕はそう気付かされた。
「おのれぇ」
 新兵衛は力を使い果たして倒れる木村さんに近づき、止めを刺そうと刀を振りかぶる。
「いぇあぁっ!」
 その背中に、腹の底から裂帛の気迫を振り絞り飛び掛る。当然新兵衛も僕を警戒していたのだろう、体を
捻りつつも振りかぶった刀で受け止める。ぎんっと火花を散らす剣と剣。弾かれた勢いのまま再び振り上げた
刀を、横薙ぎにして胴を狙う。
 無理な体勢で初撃を受けた新兵衛は飛び退る事も出来ず、柄で受けようしたが右手の甲に当たる。支えの
一方を失い傾ぐ刀を払いのけ、ガラ空きになった首元へ斬撃を叩き込む。手ごたえは軽かった。頚骨手前まで
喉元を裂いた一撃は十分な致命傷となり、立花さんと隊士数名が駆けつけるまでに彼を絶命させた。

「初めて、人を斬った気分はどうだった」
 翌日、組長の部屋に呼ばれてそう問われた。
「気持ちの良いものでは、ありません」
 有名な人斬りを倒したとあって僕は株を上げた。だが内心、胸焼けのするような思いである。
 そうか、と一言だけ呟いた組長の顔に同情の色があった。組長も同じ思いをした事があるのだろうか。
 今まさに訪れようとしている新たな時代。そこでは誰にもこんな思いをしてほしくない。
 風になびく旗の、誠の一文字にそう願った。 <完>



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