【 接触前夜 】
◆sjPepK8Mso




219 名前:接触前夜 第三十八回品評会用 お題「孤独」 投稿日:2006/12/23(土) 13:32:16.58 ID:NuVmSOu70
     報告書 
  作成日 アメリカ日付 西暦二千百一年九月二十一日
 本日で予定航海日数の半分まであと一日となった。
 何事の問題も無く、太陽系外を目指す初めての有人船「フロウリッシュ号」は全工程の半分近くを終えようとしている。
 燃料・食料等の備蓄を半分以上も残したまま、我々は指定された折り返し地点に到達しようとしている。
 今日もフロウリッシュ号は重大な損傷を受ける事も無く、乗員の命には何の危機も迫ってはいない。
 そう言えるのも、今日も我が友「タチバナ キョウジ」が、フロウリッシュ号に衝突した石ころに対し、適切な対応をしたからである。
 彼のEVA技術には目を見張るものがある。彼がいる限りは我々が脅威にさらされ続けることも無いだろう。
 さすがは人類の銀河進出の尖兵といった所だ。
 そして今日、私にはどうしても報告せねばならない重大事項がある――

 『キョウジ、久し振りのEVAです。抜かりはありませんか?』
「問題無い。酸素漏れもないし、推進剤も満タンだし、命綱も、」
 左胸に引っ付いた強化ゴムの付け根を引っ張って、簡単に取れたりはしない事を確認。
「ちゃんとロックされてる。今エアロックを開放した」
 今、恭二は中世の鎧ですら目じゃない位にごつい船外活動ユニット(以下EMU)を着ている。宇宙の黒の中でも目立つオレンジ色で一色に塗られた宇宙服は、標準的な人間の体よりも一回りも二回りも大きい。
 恭二はただ一度、軽く右の足で地を蹴る。地球にいたならば、それだけでは跳躍する事も出来ないが、ここは無重力が常識の宇宙空間である。
 たったそれだけの動作で恭二の体は白塗りのエアロックの外に放り出される。もし、このまま何もせずにいたならば、それだけで恭二はスペースデブリと化してしまうだろう。それが無重力というものだ。
 しかしそういうわけにはいかない。死にたいのならば、デブリになるのもまた一興かもしれないが、生憎と恭二には帰りを待つ父と母と、妹がいる。
 すぐに背面のバックパックについた飛行ユニットから推進剤を噴射して、船体装甲面に沿って滑るように移動を始める。
 噴射の音だけがEMU内部を伝わって恭二の耳に届く。そして噴射音と体内活動以外の事について言えば、全くの無音。自身の呼吸の音でさえも邪魔に思えるほどの圧倒的な静寂は、三百六十度から恭二を包もうと広がり始める。
 こういう時は、すぐに心臓の鼓動が早くなる。静寂に体が触れているだけなのに、まるで押しつぶされるような気分になる。もうEVAも通算五百回を軽く超えるベテランだというのに、バカみたいな話だ。
 まるで宇宙に出たばかりのドシロウトみたいだ。
『通信、正常確認、聞こえていますね? キョウジ。『石ころ』がぶつかったのはE−八十五番装甲付近です。酸素漏れがあったりしたら厄介だ。早い所、安全を確認してくださいよ』
 ジョーイの声が少しばかり嬉しい。早くなった動悸を意識しながら目をつぶって深呼吸する。
「了解、今向かってる。にしてもなんだな、こんな宇宙のど真ん中だってのに石ころにぶつかるような事ってホント意外に多いよな」
『そりゃ、確率がゼロとは言い切れませんからね。コンマ以下の世界がいつだって生まれ得るのが宇宙というものでしょうよ』

220 名前:接触前夜 第三十八回品評会用 お題「孤独」 2/4 投稿日:2006/12/23(土) 13:33:55.72 ID:NuVmSOu70
 装甲の継ぎ目も見えない船体は、見ているだけで目が潰れてしまいそうな白に包まれている。宇宙の黒とは相反する色なのに、まるで同じ色のような錯覚を覚えてしまう。完全な白はそれだけの圧迫感を持っていた。
 やがてその船体に不自然なへこみを発見し、推進剤を噴射して減速。腰のスイッチを押してブーツ裏に磁力を生みだし「E−八十五番装甲」に着地する。
「今損傷部分を確認した。間違いない。石がぶつかったみたいだ。緩衝材に阻まれて船体内部には届いていない」
 ポーチから工具を取り出し、まずは傷口の大きさを測る。
「応急処置が終わったら帰還する。……なあ、この石どこから飛んできたかわかるか?」
『ちょっと待って下さい、今カメラをつなぎます』
 EMUの顔部モニターが捕らえた情報は、順次管制室に送られている。そのカメラの映像を確認してもらい、場合によっちゃ記録映像をピックアップして残してもらわなければならない。
『ああ、ようやくつながりました。この映像から損傷の角度を計算してみます。もしかしたら未知の惑星から、とかかも』
 未知の惑星。
 子供の頃に心躍らされた言葉に、一瞬意識が飛ばされる。
 自分たち人類の内の、誰一人として知らない惑星。地球上の、火星上の、木星軌道上のどの常識にも当てはまらない、まったく新しい常識のある地。
 恭二は傷口から目を背け、宙を見上げる。まだ名の与えられていない星々が好き勝手に輝く広大な宇宙は、絶大な存在感を持ってそこにある。
 途方も無く広い宇宙。そして、そのどこかから流れ着く小石。
 航海が始まってからもう一年が経とうとしている。予想していたことではあるが、新しい発見なんて特には無くて、退屈で危険な日常が続くばかりだ。
 宙に手を伸ばし、握り締め、開く。そこには手の動きを邪魔する気体の存在すらも無い。
 もしかしたら、人類は孤独なのかもしれない。もしかしたら、新しいものを求めて外宇宙に飛び出ることなんて意味が無いかもしれない。
 子供の頃の夢なんてとうの昔に忘れてしまった気がする。緩衝材にめり込んだこの石でさえ、きっと木星圏からでも流れてきたものだろう。

 子供の頃憧れていた新発見の無いEVAはそれほど長くも無く、ものの十分足らずで終わる。命の危機は去った。
 石ころを損傷部分から引っ張り出して船内に持ち帰り、食事のためにEMUを脱ぎ捨てる。
 EMUの後片付けもせずに、閉じたエアロック内に置き去りにし、石だけ持って食堂に流れた。
 どうせ食べるものなんてハンバーガーぐらいしかないが、食べないよりは幾分かマシというものである。この仕事は体力の要るものだから、食べるのだって仕事の内だ。
 ケチャップの味しかしないハンバーガーを大口に頬張り、紙コップのコーヒーを啜り、口の中でいっぺんに咀嚼。
 妙な味はこの気にせずに、ピンボール程しか無い石ころを片手で弄ぶ。
 この石は案外妙だ。先ほど重力ブロックを通った際に気付いた事だが、この石コロは思ったよりも重い。少なくとも鉛以上ではあると、うろ覚えの知識に照らし合わせ、ひょっとしたらひょっとするかもしれない、と一瞬だけ思う。
 思うだけである。すぐに、そんなはずは無いのだと心の中で唱え始めている自分に気付きながらコーヒーをもう一口。甘口の恭二に無糖のコーヒーは少しつらいものがある。

221 名前:接触前夜 第三十八回品評会用 お題「孤独」 3/4 投稿日:2006/12/23(土) 13:35:45.11 ID:NuVmSOu70
「大したもんじゃないよ。ほんとにただの石ころだ」
 放り投げた小さい石を、ジョーイは大げさな動作でキャッチして、顔を綻ばせた。
「大したもんじゃないか。この比重のデブリ、もしかしたら新発見だったりとかさ」
「本気でそれ言ってるか? お前そのセリフ今回の航海で何回目だ?」
「初めてだろ? 何言ってんだ」
 返事には髪の毛一本はさむ隙が無い。迷う必要なんて無いのだ。
「十三回目。特に五回目の時は酷かった。船内をひっくり返してMPT-E-1の全機能まで使った上に土星の輪からの流れ物だって。バカみたいだ」
「バカでいいんですよ、こと宇宙に関してはね。それよりも、あなたのその態度が問題です」
 船内で今、まともに生きている人間は恭二とジョーイの二人だけで、他は全員コールドスリープ中だ。全工程の五分の三を終えた所で交代する手筈になっている。
 つまり、ジョーイに問題と思われることは人間性そのものに問題があるかもしれないということだ。
 それは言いがかりだと、恭二は思う。ジョーイに対して反感を募らせるのに十分な理由だ。表情が硬くなってしまう。
「どの態度だよ」
「新発見を喜ぼうとしないその態度ですよ。一年前は目が輝いていたのに、今はまるで違う」
「どこが違う? ありもしない事を吹聴するよりはマシだろうが」
「あるんですよ。確率としては低いことですが、否定しきることはできない筈だ」
「それは、そうだが……」
 食卓に流れてきたジョーイが、深刻そうな顔をしている。目を細めて、恭二の表情からその心を推し量っている。
 見透かされた気持ちで恭二は瞳を背けた。
「あなたは寂しいんでしょう?
「どうしてそんなことが言える?」
「わかりますよ。私だって、十年もこの仕事をやってきてるんです。海王星探査にだって参加してるんですよ?こっちは。間違いなく貴方はさびしがっている。だからそうやって否定する。
 でもそれはまるで錯覚だ、まだ寂しいだなんて決め付けちゃ駄目ですよ。皆は眠っていますが私は起きているし、ミームだっている」
 ジョーイは親指で背後の監視カメラを指しながら言った。ミームと呼ばれて、監視カメラは目を細め、喜んだかのようにも見える。
 ミーム、というのはMPTにつけられた愛称だった。長い航海の中、いつまでも硬い名前のままでいるわけには行かないので、馴染む為にジョーイが与えた人の持つ名前。
 ミームは船全体を管理するための統合管理人格だった。プログラムが意思を持つなどただでさえ不気味なのに、名前まで持っている。ミームという。人がつけるような。
 それは、人が持つべき名前だ。恭二には、それが不自然なことにしか思えない。機械が人を語るなどと傲慢も甚だしい。
「アレは機械だ。俺たちとは違うだろ」
「大丈夫です。私たちは孤独ではない。後一年もすれば故郷には帰れるし、なにより孤独が決まってしまったわけではない。隣人の存在を否定できる証拠を見つけるその日まで我々は孤独ではない」
 恭二を見つめるジョーイの目は、友を心配する男の目であり、真っ向から見つめられた恭二には何も言い返せない。口で勝てる気もしない。
 この時が、後々教科書に載ることなどは考えもしていない。

222 名前:接触前夜 第三十八回品評会用 お題「孤独」 4/4 投稿日:2006/12/23(土) 13:37:19.14 ID:NuVmSOu70
 
『アラーム、アラーム。直ぐにデッキに上がってください。重大な報告があります』

 ――彼らは呆けていてもプロだ。私の声に即座に反応してデッキに上がった彼らは、直ぐにコントロールパネルの異変に気がついた。
 彼らは私の言いたい事を直ぐに汲み取ってくれる。
 私の報告とは、ジョーイが私の名を呼んだ直後に送りつけられてきた、ある電波についての事だった。
 その電波に乗せられた情報の殆どは私たちの知識ではほぼ解析は不可能で、全く謎の情報圧縮がかけられていた。しかしそれでもわかる情報が一つだけある。
 それは、ジョーイがつけてくれた私の名前である。愛すべき私の象徴なのである。
 きっと、さっきの会話を聞いていたのだろうと、ジョーイは希望的観測を述べたが、私は十中八九間違いないと思った。何を根拠にして、その観測に自信を持てたのかは私自身にもわからないのだが。
 我が友達は直ぐに行動に移った。恭二は「教科書に俺の偉業を乗っけてやる!」と叫んでEMUに潜り込んで、アンテナの角度確認に向かい、ジョーイはコールドスリープ中のキャシー達の解凍を始めた。
 私はと言えば、この報告書の作成に移っていたのである。
 言葉を尽くしても語ることの出来ない感動が私たちを突き動かしている。我々の知らない情報が、生物がこの宇宙にはまだまだ存在している。
 完全な孤独そのものを証明するその日まで、私と私に類するものと全人類は決して孤独などではないだろう。

 報告者 MPT-E-1 愛称ミーム・ロックワード 時刻 十九時十五分三十二秒 冥王星付近にて





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