【 夏の残響 】
◆v3rMGliNoc




7 :No.3 夏の残響(1/5) ◇v3rMGliNoc:06/12/16 10:03:24 ID:FUhKZpOX
 セミの鳴き声が遠く響く。ヒグラシだ。強くそして悲しいはずのその命のきらめきの具現音はコンクリートの壁に反射し吸収されて、
その残響のみが建物を満たす。あまりにその響きが遠すぎて、まるで僕には関係ない世界の事だ。
 世間は、夏と呼ばれる季節を迎えているのだろうという事がおぼろげながら僕にも分かるのは、セミたちの命を賭したその絶叫が
あるからではない。僕の前に座った男の格好が物語っているからである。
「もう、半年ですか」
 目の前の男、浅田と名乗る弁護士は、手に持ったハンカチでしきりに禿げ上がった額の汗を拭いた。僕には汗を拭くほどの
気温には感じられないのに。もうひとつ言うならば、僕は長袖のシャツにジャージのズボンという格好であり、対して浅田は
半そでのワイシャツにノーネクタイという、クールビズの体裁をギリギリ保ったといういでたちである。
どう見ても僕の方が汗をかきそうな格好ではないか。
「本当に暑くなりました」
「そうなんですか。僕にはあまり関係ないことなので」
素っ気無く答えると、浅田は渋い顔をした。それはそうだろう。仮にも彼は僕の国選弁護人であり、僕とコミュニケーションが
取れなくて困るのは彼と彼の名声なのだ。
「そろそろ教えていただけませんかね」
「何をです?」
「何をって…」浅田の丸い顔が少し引きつり、額からまた汗が噴出す。その汗をぬぐいながら彼は辛抱強く言い含めるかのように
言葉を搾り出した「すべてを、です」
 その問いに答えずに顔を背けてため息を突くと、僕の後ろに座って何事かをカリカリ書いていた刑務官のボールペンが止まった。
彼は、僕に向ける顔ではまるで興味ないという風を装いながら、僕と弁護士の浅田以外で僕の事件の真相を初めて知るという
栄誉を味わうチャンスを心待ちにしていたのだ。彼がカリカリ書いているものも、この接見とは全く関係ないものである事を僕は
知っている。彼なりの無関心を装う方法なのだ。浅はかな男である。真相を知るそのチャンスがやはり今日もお預けに終わるという
事を感じて、彼は明らかに落胆していた。顔を見るまでもなく、背中からすべてが伝わってくる。ややあって、つまらなそうに
ボールペンをいじくる音がまたカリカリと聞こえ始めた。

8 :No.3 夏の残響(2/5) ◇v3rMGliNoc:06/12/16 10:04:55 ID:FUhKZpOX
「まだ見つかりませんか」
「ええ」浅田が頷く。「この暑さです。大変な事になってるでしょうね、きっと」
 浅田に出会ってもう半年が過ぎた。僕に関わるようになって、彼の目は明らかに落ち窪み、そして濁った。絶望を通り越し、
諦観の念が感じられる。たったこんな事件の弁護ひとつで、人はこうも変わってしまうのか。見るたびにやつれていく彼を見て
少し噴き出しそうにすらなる。
「一件目は名古屋。二件目が山梨で三件目が東京町田。五件目が福島ですからね。四番目は宇都宮近辺じゃないかって
皆躍起になって探しています」
「良い勘してるじゃないですか。警察もまんざらバカじゃないんですね」
 本当は警察や検察も僕を引きずりまわしてでも場所を特定したいのだろうが、現場検証でないと僕を連れまわすことも出来ない
彼らは、仕方なく浅田に泣きついたのだろう。捜査情報を浅田側に教えてまで警察は僕から情報が引き出したいらしい。
「一件目から三件目、五件目はみな一人暮らしの人であるところから、四件目もその線で捜査しています。未だに四件目に関しての
情報ひとつ出てこないところからみて、一人暮らしであろうという捜査本部の見解はおそらく正しいでしょう」
僕は鎌をかけるような浅田の視線に対して、肯定とも否定とも取られないようにあいまいに微笑んだ。
「早く見つかると良いですね」
「六件目以降の事件が存在しなければ、それですむんですがね」
そう。六件目以降の事件があるかどうかはまだ誰にも言っていない。警察は今頃存在しないかもしれない事件をも視野に入れて
必死に捜索しているのだ。滑稽極まりない。
「一人暮らしを狙ったのは何故ですか」
何度も聞かれた質問だ。警察にも検察にも、もちろん浅田にも。
「何故だと思いますか?」
「それが分からないからお聞きしているんです」
浅田は声を荒げた。
「私は弁護士だ。依頼人であるあなたと信頼関係を築く必要性がある。そのためにも私を信頼して話していただけませんかね」
「僕は」何度も浅田に言ったはずの事をまた繰り返す「あなたに依頼した覚えはありません。あなたに僕の弁護を依頼したのは
国でしょ。だから国選弁護人なんだ。どうぞご勝手に国との信頼をお築きください」

9 :No.3 夏の残響(3/5) ◇v3rMGliNoc:06/12/16 10:05:58 ID:FUhKZpOX
「またそんな事を言う」
苛立ったような口調だが、それは浅田のフェイクである事を僕は知っている。額に浮かぶ汗は、情報が得られず困惑するときの
それだ。なんの事はない。浅田は検察や裁判所ではなく僕と戦っているのだ。彼の培ってきた虚虚実実の法廷戦術で僕から
情報を引き出そうと躍起になっているだけ。彼の法廷経験が苛立ってみせた方が相手を揺さぶれるだろうと判断すれば、
彼は造作もなく苛立ったフリができる。ただそれだけなのだ。
「じゃあひとつだけヒントをあげましょう」
正直に言えば、もはやこの浅田というおもちゃで遊ぶ事に僕は飽きはじめていた。浅田だけではない。警察にも検察にも、
僕の後ろでボールペンと無為な時間を弄んでいる馬鹿な刑務官にも飽きていた。人間だけではない。この季節感の欠如した
収容施設にも、くぐもったヒグラシの断末魔も、囚われの身であるという立場にも。そろそろ次のステップで遊んでやってもいい頃合だ。
「いいですか。ビーエヌエスケー。ええ。BNSKです。この言葉を調べてごらんなさい。あなたを情報を探りにやらせた
警察に教えてあげなさい。間抜けな警察が真実に辿り着けるのか、お手並み拝見です」
「…撹乱じゃないでしょうね」
「撹乱だと思うならお調べいただかなくても結構。僕の言葉を信じるか信じないかは、僕とあなたとの信頼関係次第って
事でしょうね」
浅田がぎりっと奥歯を噛んだ音が聞こえた。依頼人にこう言われてしまえば、弁護士はその言葉を信頼せざるを得なくなる。
日ごろ口にする「依頼人との信頼関係」という言葉を逆におちょくられる材料に使われたのだ。表には出さないが、
腸が煮えくり返っていることだろう。
 いつも浅田と接見するたびに思うことだが、今日改めて心の底から疑問がわきあがってきた。

 何故この男は僕の弁護を未だに引き受け続けているんだろう。

10 :No.3 夏の残響(4/5) ◇v3rMGliNoc:06/12/16 10:06:48 ID:FUhKZpOX
       ※      ※
「分かりましたよ。いろいろとね」
 セミの種類が変わった。それまで鳴いていた残響音しか残さないヒグラシから、そのものの鳴き声が僕のところまで
染み渡るツクツクボウシに。拡散してしまうヒグラシの残響のときはそう感じなかったが、なんだ、外の世界はやっぱり
案外近いんじゃないか。
「BNSK。インターネットで調べたら、ウェブページが一発で出てきました」
「ウェブサイト、ですね」
「そうそれです。最初はこれがどうしたんだってことになりましたが、被害者たちの所有しているパソコンや携帯にも
同じページにアクセスした形跡やブックマークが残っていました。他の手がかりに比べて、これはかなりはっきりした
共通点です」
 そういえば浅田が着ているワイシャツは半そでから長そでになっている。ネクタイもきちんと締め、スーツの上着も
傍らに置いている。そうか。夏は峠を越えたのだな。
「これが有力な手がかりだという証拠は他にもあります。あなたが逮捕当初から名乗っている◆v3rMGliNocというのは、
そこでのあなたのIDですね。」
「IDという言い方は正確ではありません。トリップって言うんです」
「あ、そうそう。トリップ。あなたはいつも選外ながら、そのウェブページに参加している。」
 今日は刑務官のボールペンの音が聞こえてこない。僕の事件の真相が解き明かされるのを、固唾を呑んで
聞いているのだろう。分かりやすい奴だ。
「選考会っていうんですか」
「品評会です」
「そう、品評会。被害者のパソコンや携帯に残っているデータを解析したら、その品評会を皆さん
それぞれのお題で優勝なさってました」
浅田は時々資料に目をやりながらそこまでしゃべると、僕に確認するような視線を向けた。
「よく調べましたね。まあ、そんなことちょっと検索すれば子供にでも分かることだから別に褒める事でもありませんか」
僕の嘲笑を、浅田は珍しく受け流した。

11 :No.3 夏の残響(5/5) ◇v3rMGliNoc:06/12/16 10:07:37 ID:FUhKZpOX
「四番目の被害者だけはまだお題がはっきりしていません。何せ未だに被害者が発見されていないので誰だか分からないん
ですから。しかし、警察も私も他のお題の優勝時期から見て、十二月の中旬のお題『夏』の優勝者ではないかと睨んでいます」
「ほう。面白いご意見ですね」
「そしてこれがおそらく最後の殺人ではないかと思います。つまり、六番目以降の殺人は起きていない。
当該ウェブページで、被害者以外の他の優勝者とはコンタクトが取れましたから」
「なるほど」
これだけ証拠を突きつけても相変わらず顔色を変えない僕の態度に業を煮やしたのか、浅田は歯を食いしばりながら低く呻いた。
「どうして殺したのですか。どうして彼らは殺されなければならなかったのですか」
「…優勝したかったんですよ」
「え?」
「あなた、ああいうのやったことないでしょ。人前で恥を晒しだすなんて事。僕も初めての経験でしたよ。あれははっきり言って
とんでもない。恥を晒すなんてもんじゃない。人間の尊厳から覆されることも日常茶飯事なんですよ、あそこは」
そんな所で罵詈雑言を浴びながら僕には一票も入らず、彼らには惜しみない賛辞が送られた。くやしいじゃないですか。
でもやめれない。優勝したい。優勝するにはどうすれば良いのか。簡単な事です。優秀な作家を殺してしまえばいいんだ。
捕まらなければ次の品評会は僕のものだったのに。ははは」
「優勝、たったそれだけの事で?」
「それだけとは何だ! あそこで優勝するなんて事は、普通の方法を取る限り僕には一生無理だ。あなたにとってはたかが優勝でしょう。
でも僕にとっては何より欲しい称号なんだ。絶対的な権威なんだ。僕が欲しいものを欲して何が悪い」
「そんなことして手に入れて、本当に嬉しいんですか、◆v3rMGliNocさん」
 ああ欲しいね。俺はどんな事をしてでも品評会のトップに立ってやる。
 哀れみ以外のなにものも宿さない浅田の落ち窪んだ目が僕を冷ややかに射ていた。もう彼には事件の真相なぞ
どうでもいいようだ。口調が一気に事務的になる。
「ところで◆v3rMGliNocさん、いいかげんそろそろあなたの本名くらい教えていただけませんか。」
 ああ、セミの鳴き声が遠く響く…。                                                  <了>



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