【 夏嫌い 】
◆7CpdS9YYiY




3 :No.2 夏嫌い(1/4) ◇7CpdS9YYiY :06/12/16 09:43:06 ID:FUhKZpOX
 えー、さて皆様クリスマスの準備はお済でしょうか。準備ってそりゃもちろん恋人の準備に決まってます。
 メリークリスマスがメリー苦しみますなんて洒落にもなりません、私がこんなこと師匠に言おうものなら破門されます。
 準備がまだお済みでないかた、今からでも遅くないから合コンでもなんでもして探してきたらいかがでしょう。
 はいそこの「話下手だから合コンなんて無理」などと思ってるお客様、話なんて簡単です、時節天候の話題を振ればまず間違いありません。
 ジジくさいババくさいとか言わないように。そこはそれ、ちょっとしたコツがあれば問題ないんです。ありませんっ。
 例えますれば二者択一。「夏が好き? 冬が好き?」と聞けば必ず答が返ってきます。夏が好きなら海の話、冬が好きなら雪の話、
そしたら後は芋づる式であります。適当に相槌打ってれば、あれよあれよと気が付けば、そこはもうベッドの中と相成ります。
 ま、それがいつもの一人きりなのか、はたまた二人でなのか、いやいや三人四人なのかはお客様の顔次第、私にゃ責任持ちかねます。
 深川で大工やってる熊八っぁんなんぞは「夏? 冬?」と聞けば「冬」と答える性根っからの江戸っ子でして、それがなぜ江戸っ子なのかと言いますと、
そりゃあなた、「冬は服ありったけ着込みゃ凌げるが、夏はありったけ服脱いでもまだ暑い、まだるっこしくていけねぇや」
と、まあこんな具合でして、この短気横着、江戸っ子以外の何者でもございません。
 口から先に生まれて三歳の時分には富岡八幡宮に悪態を付いた熊八っぁん、
「夏なんかいらねえや、夏が来て喜ぶのは鰻屋と氷屋とTUBEだけでい」などと豪語しておりまして、
どうでもいいですがさっきから時代考証が滅茶苦茶ですな、こりゃいけません。
今日び熊八なんて馬鹿みたいな名前付ける親なぞおりませんが、そしたらクリスマスだの合コンだの
南蛮渡来の横文字はいったいなんのつもりなのか、まあどうでもよろしいでしょうから話を先に進めましょう。
 で、その熊八っぁん、仕舞いには「あの暑っ苦しい夏が金輪際なくなるなら悪魔にだって魂を売ってやらあ」などと言い出す始末、
それを耳にした悪魔が「ほうほう、それなら一つ買ってやろうかな」とイビルハートに火をつけたところが話の発端でございます。
 あ、EVILとイビるを掛けてますのでここ笑ってもいいとこですよ。はい、ありがとうございます。

 ある冬の夜も更けた頃、長屋の寝床で深川鍋を一人で突いていた熊八っぁん、コンコンと戸を叩く音を耳にします、
「おーう、誰だい」戸の向こうから答えますに「悪魔です」「あーん? どちら様ですか?」「悪魔です、デビル」
「あのー、お間違えじゃありませんか、デリヘルなんぞ呼んでませんが」「だ、誰がデリヘルかっ。いいから開けろーっ」
開けろ開けろと喚きながらの千本ノック、ご近所迷惑はさておきこの安普請が耐えられそうもない、
熊八っぁん、ついに根負けして戸を引き開けました。ぴゅう、と風が吹いて怖気を感じ、それに続いて目を見張ります。
「こんばんは。いやー外は寒い寒い。……ちょっと、なにジロジロ見てんのよう。悪魔がそんなに珍しい?」

4 :No.2 夏嫌い(2/4) ◇7CpdS9YYiY :06/12/16 09:43:53 ID:FUhKZpOX
 珍しいもなにも、熊八っぁん、これまで悪魔を見たこともなければこんな美少女にお目にかかったこともございません。
黒のゴスロリファッションを華麗に着こなすその姿、闇夜に舞い降りた天使のよう、ただし羽ではなくシッポが生えており、
口の端をいっぱいに吊り上げて、にやけた笑みも実に艶やか、とてもこの世の者には見えません。
 まあ考えてみればそれも当然の話、悪魔のような性根の持ち主なんぞそこらに幾らでもおりまして、
これで顔まで悪いってんじゃウチの母ちゃんと変わりなく、それじゃ悪魔の沽券に関わります。
 それはともかくこの悪魔、勝手にズカズカ上がりこんであまつさえ深川鍋に手をつけて、
「ハフッ、ハフハフッ」「おい」「ん……んー、五臓六腑に染み渡るぅ」「おい、悪魔」「あ、ねえねえ熱燗付けて?」
人生に必要な袋は三つあり、一つはお袋、一つは銭袋、そして堪忍袋と申しますが、
熊八っぁんには最後のが欠けており、しかし同時に頭のネジも欠けてまして、つまりどうしかたってえ言いますと、
そこで追い出しゃいいものを、棚から箸を椀を持ち出して、悪魔に負けじと鍋をかき込んだのでございます。
「おいコラそのネギは俺が狙ってたんでえ」「しふぁないふぉ」「汚ねえな、口にモノ入れたまま喋るんじゃねえよ」
「はぐ、んむ、んー、み水」「ったくよお、育ちが知れるぜ。で、なんの用なんだい」
 熊八っぁんがそう訊きますと、悪魔は「?」と小首をかしげ、それから遅れて「あ、思い出した」

「兄さん、夏、いらないっすよね? あたしと賭けしません?」

「事は簡単、兄さんが『夏なんか嫌いだ』ってところをあたしに見せてくれればいいの。
あたしが夏の誘惑をするから、今晩一晩それに耐え切れば兄さんの勝ち。北風と太陽みてーなもんよ。
兄さんが勝ったらあたしが兄さんを夏のない国に連れて行ってあげる」
お客さんもお気をつけなすってください、暗い夜道と悪魔の賭け。ポーも「悪魔と賭けをするな」と言ってます、これホント。
 ところが熊八っぁん、生来からの博打好きなもんで五秒と考えずに「おう、やってやろうじゃねえか」と二つ返事。
いいね、実にいい。なにがいいって話がさくさく進む。ここまで世話のないやつも珍しいもんですよ。結婚詐欺に真っ先に引っ掛かるタイプですな。
 それを聞いた悪魔は喜色満面、悪魔じゃなかったら天使と見紛うばかりの笑顔で、
「よーし、じゃ、スタートぉ」などとシッポ振りふりポーズを決めればあら不思議、部屋の中に風雪が吹き荒れました。
「うお、こいつは冷えるな」「当たり前よう。南極直送の新鮮ピチピチ本場モンよ」「へえ、そいつはいいや。本場物かい」
初物本場物に目がないのが江戸っ子、それにしても実に寒い、箪笥から羽織にどてら、一切合切取り出して着込みます。
「どーよ兄さん、夏が恋しくなった?」「べらぼうめ、これしきの寒さで弱音を吐いたら江戸っ子の名が廃らあ」「ふーん、あっそ」

5 :No.2 夏嫌い(3/4) ◇7CpdS9YYiY :06/12/16 09:44:40 ID:FUhKZpOX
 すると悪魔またもお尻を振ってポーズを決めます、すると寒さはそのまま、辺りは一瞬にしてハワイのビーチになりました。
さんさんと降り注ぐ太陽、そこら辺馬鹿面ぶら下げて歩いてる日本人、どうみてもワイキキビーチです。
驚いた熊八っぁん、襟の元を手繰り寄せながら腰を浮かせます、「おっ、こりゃいってえどうしたことだ。能でもあるめえしいつの間に」
こんなに暑そうなのに空気だけは息も凍らんばかりというのは実に具合が悪い。熊八っぁん、狐につままれた面持ちでぶるるっ、と身震い、
「兄さん兄さん」振り向くと、悪魔が白スク水に着替えて手招きしてるじゃありませんか。薄い胸元のハイビスカスのコサージュが真っ赤に映える出で立ちです。
 世に紺スク黒スクは掃いて捨てるほどありますが、白スクはなかなかお目にかかれるものじゃございません。
白蛇ホワイトタイガーと並んでもっとも縁起のいいもので、それをこの悪魔、実に小粋に着てるもんだから只者じゃありませんな。
「どう、泳がない? カキ氷もスイカ割りも焦げたソース焼きそばもあるよ」
ハワイにゃソース焼きそばはねえだろうとは思いますが、私ハワイに行ったことないのでその辺定かでございませんな。売ってるのやも分かりません。
お客様の中で知ってるかた、そっと私に教えてくださいな。
 さて、悪魔の囁きにうっかり同意しかけた熊八っぁん、「おう、いっちょ泳ぐか」などとどてらを脱ぎかけて、はっと我に返ります、
「いけねえっ、この寒さを忘れてた」「あ、なによう。こんな可愛い子が誘ってるのに」「馬鹿野郎、その手に乗るかってんだ」「ぶー」
「大体なあ、俺ぁ夏が嫌いなんだ。夏はいけねえ。だらだら汗を流すばかりで気持ちがよくねえ。それに引き換え冬はいいや。
頭は冴えてお目めぱっちり、せいせいすらあ、へっくしょん」
 最後のくしゃみはいただけませんが、それにしても聞きしに勝る強情っ張り、四十五度の熱湯に耐える痩せ我慢根性は伊達じゃありません。
面白くないのは悪魔のほう、膨れっ面で熊八っぁんを睨んでおりましたが、やがてどこから取り出したのか大きなホウロウビンの蓋を開けました。
「それそれそれー」中身の水が床にぶちまけられると白い煙がもうもうとたち、恐ろしいことに辺りかまわず凍っていくじゃありませんか。
「な、なんでえなんでえ。床まで凍るたあ只事じゃねえぞ。いってえなんでえ、その水は」「えきたいちっそー」「液体窒素だってえ?」「マイナス196度」
悪魔が科学の力に頼るようじゃ世も末ですが、そっちのほうが悪魔にゃ都合がいいのかも知れませんな。
 そっから先はこの世の地獄、一気に冷え込んだ部屋の中、寒いというより痛いというよりむしろ熱い。
 鼻水は唇に張り付く、吐く息はぱらぱらと凍って床に舞い降り、がちがち歯の根が噛み合いません。
目の前のハワイはさらに強くなって、ナイスバディの姉ちゃんが通り過ぎ、どこからか陽気な音楽が流れ出し、
「ええい、やめろやめろやめろ。俺に夏をみせるんじゃねえ。夏なんかいらねえんだ、俺は冬が好きなんだ」
 意地になった熊八っぁん、こうなったらなにがなんでも夏のない国に行ってやるぞと耳を塞ぎます、
「ねえねえビーチバレーしようよ」「するかっ」「サーフィンは」「しないっ」「寒い?」「寒くないっ」
ここまで来るとなにがなにやら分かりません。まぶたが凍って固目が塞がる、フラダンスの一列縦隊が前方通過、
肺が霜に焼け息が詰まる、カメハメハ大王が熊八っぁんの肩を叩く、ええいくそ俺は夏のない国に行くんだ、
ひいひいふうふうひいふうふう、むくむく昇る入道雲、夏なんか嫌いだ、鮫に食われる観光客、夏冬夏冬夏夏夏冬冬冬冬夏冬冬冬夏夏夏夏夏夏夏。

6 :No.2 夏嫌い(4/4) ◇7CpdS9YYiY :06/12/16 09:45:53 ID:FUhKZpOX

 ふと気が付くと、吹雪が止んでいるじゃありませんか。いつの間にやら悪魔の姿もありません。
 不思議に思った熊八っぁん、辺りを見回して肝をつぶします、そこは長屋ではなく見知らぬ土地。
 冷涼な空気が頬を掠めて、「はて、ここが夏のない国なのか。すると俺は悪魔の賭けに勝ったのか」
 なるほど言われてみれば、いかにも気持ちのいい涼しさは格別なもの、怪談話でもこうはいきません。
「へっくしょい」とにかくもまだ手足は冷える、すると遠くから近寄ってくる人影を見つけた熊八っぁん、喜び勇んで駆け寄ります。
「おーい、おーい、ここが夏のない国なのかあ」
 呼ばれた赤鬼、首をかしげてこう答えました。
「なに言ってんでえお前さん、ここは地獄だよ。お前さんはこれから釜茹でにされるんだ」
 すると熊八っぁん、指を鳴らして喜びました。
「ありがてぇっ、ちょうどひとっ風呂浴びてえと思ってたんだ」


 お後がよろしいようで。



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