【 立入禁止 】
◆LhTv1qcm8s
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336 名前:立入禁止 ◆LhTv1qcm8s 投稿日:2006/12/04(月) 01:21:00.85 ID:nyFTzePV0
 その部屋は路地裏の小さな雑居ビルの地下にあった。
 内装は豪奢なシャンデリア、彫刻をあしらった大理石の壁、床には毛の長い赤絨毯、おまけに天蓋カーテン付きの寝台と、薄汚れた雑居ビルには全く不似合いの十八世紀の西洋の様式が再現されている。
 その部屋の中心、優雅なデザインのドールチェアーにゴシック調の黒いドレスで身を包んで腰掛けている女性と、僕は現在向かい合うように座っていた。
「文宰社の方だったわね?」
「はい、そうです」
「仕事の内容はうかがっていますか?」
「少しだけ。こちらに来て渡されたものを受け取るようにと……」
「ではこの部屋のことは?」
「立入禁止の部屋だと、それだけ言われました」
「……では、ちょっと待っていてください」
 そう言って、彼女は奥の部屋へと引っ込んでしまった。
 僕はここに入る前のことを思い出していた。
 ここは立入禁止の部屋だ。
 それにも関わらず、ドアは木製の古びたもので、鍵の掛けられるような構造ではないのも一目でわかった。そもそもドアには「立入禁止」の文字さえなかった。
 もし何も知らない誰かが間違えて入ってしまってもおかしくない。
 それなのに、どうしてここが立入禁止の部屋なのか……。
「お待たせしました」
 何の解決も出せないまま、すぐに彼女が戻ってきて僕は思考を切り替えた。彼女の手にはごく普通の封筒があった。それをテーブルに置いて、すっと僕のほうへと差し出す。
「どうぞ上司の方にお渡しください」
「これ、ですか? ただの封筒のようですが……」
「ご自分の仕事をお忘れで?」
「あ、いえ、失礼しました」
 彼女が寄越した封筒を、鞄にしまう。
 その様子を見ていた彼女が、再びドールチェアーに洗練された動きで座り、僕に向かって微笑んだ。
「ごくろうさまでした」
「え……あの、これで終わり……ですか?」
「ええ」
 その微笑みは、全く崩れない。
「…………」
 何だか拍子抜けだった。

338 名前:立入禁止 ◆LhTv1qcm8s 投稿日:2006/12/04(月) 01:21:45.80 ID:nyFTzePV0
 この仕事を僕に任せた上司の顔はとても苦く、まるで僕が生きて帰ってこれないような重々しい雰囲気で告げたのだ。それが実際に来てみたら、内装には確かに驚いたがただ封筒を受け取って帰るだけ。あの上司の渋面は一体なんだったのか。
 ……それでもとにかく仕事は終えたのだから、長居をしている理由はない。僕は立ちあがって、彼女に礼をした。
「それでは、帰ります……」
「はい。気をつけて」
 彼女に背を向けて出口のドアへと向かう。
 取っ手に指を掛け──
 そこで僕は動きを止めて、彼女のほうへと振り返った。
「あの」
「どうかしましたか?」
 仕事は終えた。このまま帰っても何も問題はない。
 しかし、どうしても気になることがあった。この古びた木製のドア、施錠も出来ないドア、何の注意書きもないドア。
「あの、この部屋は本当に立入禁止なんですか?」
 彼女は少しだけ目を丸くしたが、また柔らかく微笑んで頷いた。
「ええ」
 それだけではどうにも解せない僕は、さらに問いを重ねる。
「でも、このドアなら誰でも入れるじゃないですか。立入禁止と書いてるわけでもないし」
 ドアを手で指し示す。
 すると彼女は微笑んだまま、奇妙なことを言った。
「ドアというのは、貴方が入るためだけにあるわけじゃないのよ」
「え?」
「簡単なことだわ。貴方達はこの部屋に立ち入ることを禁止されていない。なら、誰が禁止されているのかしら?」
 彼女の言葉の意味が理解できずに、頭の中で何度も反芻する。僕達が禁止されてないなら、誰が禁止されているか……僕達が禁止されてないなら、誰が禁止されているか……。僕達以外の誰か……誰か……誰か……。
「────ッ!」
 理解した。唐突に理解した。
 彼女の言うとおり、簡単な帰結だ。そもそも前提が間違っていた。しかし、その前提を崩せば事実は見えてくる。僕達が拒まれることなくこの部屋に入れるのなら、残っているのは、一人だけ……
「どうやらわかったようね顔ね」
「禁止されているのは──」
「──そう、わたしよ。わたしが、この部屋の外に立ち入ることを禁止されているのよ」
 答えは、それしかない。それならばドアに立入禁止の張り紙さえないのも明白で、禁止されているのは、その中にいる人物だったからだ。


339 名前:立入禁止 ◆LhTv1qcm8s 投稿日:2006/12/04(月) 01:22:20.46 ID:nyFTzePV0
 僕は戦慄を覚えていた。
 上司の顔が浮かび、彼女が禁止されている理由に思い至ってしまった。
 きっと──きっと、彼女の存在そのものが、とてつもなく危険なのだ。
 恐らくは、この世界全体にとって。
「あ、あなたは一体……」
「世界はわたしの持つちょっと変わった能力を許さなかった……ただ、それだけのことよ」
 相変わらず微笑んだまま、彼女は言った。
 彼女の告白は、もはや僕の理解の範疇を超えていた。しかし同時にそれが唯一の真実であると頭の片隅で理解もしていた。
 受け取った封筒を思い出す。この何の変哲もない封筒。中身は書類なのか、あるいは別の何かなのか。いや、中身に意味があるのかどうか。この部屋にあった何かが外に漏れ出る、それ自体がすでに驚異なのではないか。
「さあ、もう行きなさい」
 そう言って、彼女は優しい目で僕に外の世界を促した。
「失礼……します……」
 固まったままの表情で礼をして、僕はゆっくりとドアを開けて外に出た。そして振り向くことなく、後ろ手でそっとドアを閉めて、僕は歩き出した。
 雑居ビルの階段をのぼりながら、彼女について考えた。
 世界に拒まれた存在。
 世界を脅かす存在。
 世界の敵。
 ……しかし彼女が最後に見せた優しい目は、どこか寂しそうでもあり、そして何かに憧れているようでもあったのだ。
 それでも彼女が外に出ることは許されない。僕が、人類が、世界が、それを拒絶する。
 雑居ビルから出て路地裏を抜けると、太陽の光が僕を照らした。
「ああ、まぶしいな……」
 呟くと、不意に涙が溢れた。
 それは恐怖から逃れた安堵なのか、それとも彼女への憐憫なのか、あるいは自分への憤りなのか。
 よくわからないまま涙を流し、僕は駅に向かって歩き出した。



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