【 剣の領域 】
◆tMhmjHSlXE




248 名前:1/6 ◆tMhmjHSlXE 投稿日:2006/12/03(日) 23:46:07.43 ID:vb+JGtBm0
 夕暮れ刻、一息つく街道沿いの茶屋。青年は渇いた喉を潤していた。
 すると、その機を待っていたかのように、一人、中年の男が彼の下へ訪れた。
「よう! そこのお侍さん、あんた良い刀差してるね? なんていう名だい?」
 卑しい笑みを浮かべ、男は馴れ馴れしく青年の隣に座る。
 その時、茶屋の店主が奥に入っていくのを青年は見逃さなかった。
「俺は天樹(てんじゅ)って言いますが?」
 天樹と名乗る青年は、苦い笑みを浮かべた。
「良い名だ。俺は鉄(くろがね)っていう名前だ、
よろしくな。だがなぁ天樹、俺はその刀の名を聞いたんだ」
 そう言って刀を指す。
「はは、ただのなまくらな刀ですよ」
 さらに笑って誤魔化すが、尚も鉄は引き下がらなかった。
「それは抜いてみないとわからんだろう。どうだい? 天樹のような若造に使われるよりも、
俺みたいな達人に使われた方がいいと思わねえか?」
「そうですね……俺もそう思いますよ」
「だろう?」
 じゃあよこせと言わんばかりに鉄は天樹の腰にある刀に手を伸ばす。
 しかし、天樹の右手がその手を遮った。
「もしよければ、あなたが達人だというところ見せて貰えませんか?」
 あそこの竹でも切ってその腕を見せて下さい。と天樹は続けたが、当の鉄はもはや聞いていない。
 腕を掴んだ上での問答、それは、喧嘩を売るに十分な一言であったらしい。
「ちょっと顔貸してもらおうか?」
「え? いやそんなつもりじゃ!」
 鉄は茶屋の後ろに茂る竹林を指し、弁明しようとする天樹を無理矢理引っ張っていった。
 竹藪の中、対峙する鉄の顔は、明らかに不快な顔して天樹を睨み付けていた。
「ここらじゃ名が知れてると思ったが……旅人かい?」
 ようするに評判が悪いと言うことだろう。茶屋の店主が奥に入っていった理由も頷けた。
「そんなところです」
「そうか……ならここで終わりを迎えるんだな」
 そう言って鉄は刀を抜き放つ。赤銅色な鈍い光を放ち、切っ先を天樹へと向ける。

249 名前:2/6 ◆tMhmjHSlXE 投稿日:2006/12/03(日) 23:46:20.83 ID:vb+JGtBm0
「抜け」
 天樹も同じく抜刀し、刃紋を返す。それは峰で戦うことを意味していた。
「てめえ舐めているのか?」
「むやみに人殺しはしないと決めているので……気に障ったとしてもこればかりは譲れません」
「フン! くだらん志担いで死ね!」
 檄を飛ばしながら鉄は間合いを詰めた。その速さは確かに常人を逸してはいたが、
天樹の刀はそれを軽くいなしてしまった。そして、当然バランスの崩す鉄に対し天樹は
有利な位置に立つ。が、天樹は一撃は与えない。その時彼は、男の刀域、間合いを見ていたのだ。
(間合いに入ったとしても、なんとか凌げるだろう)
 ようは隙だらけということだった。間合いに入っている敵を仕留められる事が出来ない、
そんな腕では未熟と言わざるを得ないだろうと、天樹は思う。
 天樹が手を出さない事に、更に憤激した鉄は、先程よりも力強く踏み出してきた。
 上段から振り下ろされる斬撃は、天樹の側に立っていた太い竹によって阻まれる。
 竹に深く突き刺さった刀は、中々抜けないようだ。
「くそが!」
 叫ぶ男に苦笑しながら、その隙を利用して天樹はその場を去っていった。
「待てっ! 戦え!」
 呼び止める男の声は虚しく、その頃天樹はとうに闇へと消えていた。
 

 美しくも悲しい、それは幻想的な夜だった。
 日が沈むまで遊び、帰った家。そこには、両親と見知らぬ男、
そして……とても美しい女が立っていた。
 幼い天樹はその美しさに見とれていた。
 いや、今そこにある事実の理解を拒んでいたのかもしれない。
 両親は血にまみれ、死んでいたのだ。そして見知らぬ男も。
「お……お……」
 天樹は声を出す事が出来ない。
「お前の両親か?」
 鈴の音のような声にびくりと身を竦ませる。天樹は女を見た。

250 名前:3/6 ◆tMhmjHSlXE 投稿日:2006/12/03(日) 23:46:34.34 ID:vb+JGtBm0
「お、お前が殺したのか!」
 女の目線が天樹を刺す。
「違う……お前の両親を殺したのはそこの男だ」
 見知らぬ男は、確かに血濡れた刃を持っていた。天樹はそれを呆けたように見つめた。
「だが、その男を殺したのは私だ。仇が欲しくば、私を討つことだ」
 そう言って、金属音のする袋を置き、立ち去ろうとした。
 幼いながら、天樹はその中身が金であることを察する。
「待てよ! 何のつもりだ!」
「これからお前はどう生きていく? その金は、仇を取りに来た時返してくれればいい」
 女は言い放ち、今度こそ去っていこうとした。が、再び天樹の声がそれを遮る。
「名前を教えろ!」
 振り向きもせず、女は答えた。
「紫月(しづき)だ」
 天樹はその名を脳の奥深くに刻み込んだ。


 幾度となく見てきた幼い日の夢。
 人生が大きく変わったあの夜。後悔しようと、立ち戻ることはできない。
 昨夜宿を取った天樹は、いつもより早い目覚めを迎えた。
 まだ空が白む前。二階の窓からは、霧がかりとても静かな町並みが見られる。
 心臓が急かすように鼓動を刻んでいるのに気付く。
 昨夜、宿主に美しいと評判な女剣士の情報を聞けたからかもしれない。
「近くにいる……紫月」
 再びあの夜、あの女の姿が蘇る。
 短く切り添えられた艶やかな黒髪に、血濡れた長刃の刀、そして美しい瞳――名は紫月。
 どうやら用心棒のような仕事をしながら、各地を転々としているらしい。
 武者修行をしながら紫月を追った天樹の旅は、若い頃に発ったとはいえ、相当長い物になる。
 そして、その時は呆気なく訪れることとなる。

251 名前:4/6 ◆tMhmjHSlXE 投稿日:2006/12/03(日) 23:46:54.16 ID:vb+JGtBm0
 もう一眠りしたものかと天樹が迷っていると、数人の男が彼の部屋へと押し寄せた。
 当の天樹は、その気配にいち早く気付き、手に刀を持つと同時に、窓を開け放ち退路を確保する。
 バンッと開かれた襖には、昨日適当にあしらった男が立っていた。
 次いで数名の男が部屋の中に入る。それぞれの手には、当然のように刀が握られていた。
「おはようさん。天樹とか言ったな? 昨日のお礼しに来たぜ」
「……朝から無茶苦茶しますねあなた方」
「フン! 一番人がいない時間帯だ。行動しやすいだろう?」
 天樹は窓に足をかけ、地を見て一瞬で算段する。
(飛び降りてもさほど問題はなさそうだな)
「俺は逃げさせて貰うよ」
 そう言って天樹は窓の外に躍り出た。
 空中で、受け身をとれるよう体勢を整え、地に降りる。
 しかし、天樹は見た。目の前に立っている女の姿を。
 そこにいたのは――紫月。
 反射的に降りた地を蹴り、真横に転がる。その一瞬後には、鋭い斬撃が地面を抉っていた。
 艶やかな髪は少し長くなっており、思ったよりも低めの身長に、不釣り合いに長い刀。
 それでいて童女のような顔と瞳。
 思わず天樹は生きを呑む。
「紫月……」
「おや? 儂のことを知っておるのか?」
 乾いた鈴のように穏やかな声、そして外見に似合わない物言い。間違いなかった。
「お前は俺の両親の仇だ」
 眼を細めた紫月は、フフと小さく笑いだした。
「お主はあの時の童か……頼もしく成長したようじゃのぉ?」
 心臓が跳ねる。天樹は、腰に差した刀に手を当てた。
「お前を殺すために生きてきた」
 唸り、刀を低く構え、天樹はその切っ先を紫月に向ける。刃紋は裏返っていない。
「儂はお前の仇だからな。さあ、死合おうぞ」
 紫月は構えも取らずに、刀を握った。
(無形の位か……)

252 名前:5/6 ◆tMhmjHSlXE 投稿日:2006/12/03(日) 23:47:06.19 ID:vb+JGtBm0
 天樹は、技を極めた者の境地を見る。
 この構えを実践で扱う者は、命知らずか、天の才に認められた者だけだろうと、天樹は思う。
 捨て身と言って差し支えのない構えに、天樹は隙を見いだそうと眼を凝らす。
 相手を一瞬で切り込める領域、つまりは間合い。その境界線ぎりぎりに身を置く。
 すり足で、僅か相手の間合いへ侵入し、隙を誘う。
 その瞬間、風が疾った。
(突き――)
 天樹は、僅かに首を傾ける反応しかできなかったが、それでも頬の薄皮だけで済んだのは僥倖だった。
「くっ!」
 体勢を整え、天樹は間合いをとろうとするが、その間にも激しい斬撃は嵐のように続いた。
 かろうじて、距離を取ることの出来た天樹だが、その恐ろしく速い攻撃を防ぐことで精一杯である。
 紫月の間合いは、入った者を容赦なく瞬殺する、つまりは立ち入る者に死を与える剣の結界であった。
「ほう? まだ生きているのか。お主中々やるのぉ……で、どれほど人を殺めたのじゃ?」
 剣が物語ることは多くある。天樹も自覚していたし、見破られるとも思っていた。
「……ここまで強くなる位かな?」
「でもその刀では人を殺していない。お主、何がしたいのじゃ?」
「人を殺すたびに、あの夜の夢を見てしまうから……もう人は殺さない。それだけだよ」
「そうか……済まなかったな……さて、そろそろ決着をつけようぞ」
 紫月は刀を腰の鞘に収め、居合いの構えをとった。天樹も大きく腕を上げ力強く構える。
「紫月。あなたの強さは死を恐れぬ境地にある。あなたの強さを見切った俺は負けない」
 多少眼を大きく開き、満足そうに笑う。
「いくぞ?」
 その言葉が幕を切る。天樹の切っ先が揺れ、紫月の剣閃が走った。
 天樹は、剣の結界に恐れず踏み込んだ。同じ土俵に上がったとも言える。
 そして――剣先は弾け、紫月の肩に天樹の剣が食い込んでいた。
「つっ!」
 苦悶の声が、紫月の口から零れ、血が滴る。
 紫月はその場に倒れた。
 天樹は、倒れた紫月の鼻先に切っ先を向ける。
「儂を殺せ」

253 名前:6/6 ◆tMhmjHSlXE 投稿日:2006/12/03(日) 23:48:14.67 ID:vb+JGtBm0
 意外に穏やかな声に、天樹は笑った。
「殺しませんよ。紫月……今なら解る、あなたは俺を助けてくれた。
生きる目標を与えてくれた。俺なりのけじめに巻き込んでごめん、そしてありがとう」
 今死合ったのは、自分の我が儘であると天樹は思っていた。
 本当は、紫月を憎んでなどいない。
(でもこれで、目標が無くなっちゃったけど)
 天樹は乾いた眼で苦笑する。
「儂は――」
 紫月が言葉を紡ぐ前に身体を動かした。けが人とは思えない迅速な動きに、
天樹も呆気にとられる。
「な!」
 天樹は地に倒れ、紫月には刀が突き刺さっていた。
「邪魔をするな紫月!」
「紫月!」
 何故か解らなかったが、天樹は心配の意を込めて叫んでいた。
 どうやら鉄は、天樹を殺す好機を狙って隠れていたらしい。
 天樹は、気付けば鉄を一瞬で叩き伏せていた。無意識のうちであるが、
峰を使っており、鉄は一命を取り留めている。
 その鉄と一緒に来ていた男達は、天樹が睨みを効かせると、鉄を担いで消えていった。
「大丈夫か紫月!」
「少し痛いが大丈夫だ」
「そんな筈ないだろう? くそ!」
 止血しようと、自分の着物を巻き付けるが、上手くいかない。
「このまま死ぬのとて一興……お前は儂を見て何も気付かないのか?」
 昔と全く変わらぬ姿……そう、全く変わっていないことに、天樹はようやく気付いた。
 少なくとも十年という月日が、彼らの間には流れていた筈である。
「儂のもう一つの名……八百比丘尼。人魚の肉を食べた不老不死。儂は死に場所を探しておった」
 血で滑る彼女を支え、天樹は黙って次の言葉を待つ。
「儂より強い者に殺して貰えるのが本望だったのだが――気が変わった」
 紫月はニコッと笑った。

254 名前:7/6 ◆tMhmjHSlXE 投稿日:2006/12/03(日) 23:48:26.36 ID:vb+JGtBm0
 何やら楽しそうに笑う紫月を見ると、本当にけが人なのかと、天樹は混乱しそうになる。
 思わず眼を剥く天樹の腕の中で、紫月はケラケラ笑った。
「今度は、儂を楽に死なす方法を探すことが、お主の当面の目標じゃ」
 儂はお主についていくぞ」
 自分の中で消沈した生きる目標。紫月はその事にも気付いていたのかもしれないと、天樹は思った。
「わかった。一緒に旅でもして探そうか」
「意外に物分かりがよいのぉ?」
 天樹はもう傷が塞がりかけていることに気付く。
「紫月の言ってることが本当みたいだしさ、今度は俺が紫月の生き甲斐に付き合うよ」
「何を言っておる、お前の為じゃ」
「はいはい」
 何やら思った以上に人なつっこい紫月に違和感を感じながらも、
心地の良い気分に包まれている天樹は、昇る朝日に希望を感じた。
 これからは孤独でないと。
「じゃが、いくら儂が可愛いからといって、儂を襲うでないぞ?」
 唐突すぎる発言に、女事に慣れていない天樹は耳を赤くする。
「そんなことしない!」
「でもキスくらいならよいぞ?」
「え?」
 不意に唇を近づける紫月に、思わず天樹は眼を瞑る。
「う・そ・じゃ。まだ儂へは立ち入り禁止じゃよ?」
「何言ってるんだ! もいいさ」
 そう言って立ち上がる天樹を、傷が完全に塞がった紫月は、嬉しそうに追いかけた。


終わり



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