【 アラビアの蜘蛛 】
◆Awb6SrK3w6
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628 名前:アラビアの蜘蛛1/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/11/20(月) 00:48:05.56 ID:FC1fLVe40
 肌に何かを感じていた。何かが頬を打っている。
それは、ピリピリとした感覚を覚えさせ、長いこと椅子に腰掛けていたイブンの感情を少し不愉快にさせていた。
 小さな街の一角の、小さな家の二階にある一室で、イブンはぽつねんとタバコの煙を燻らせていた。
 窓から、その不快な感覚の原因は入り込んでいるように感じてられる。
そう思い、イブンは眩しく煌めく窓を見た。澄んだ青空が広がった窓の外から、緩やかな、しかしいつもよりは少し強い風が吹き込んでいる。
その状況を把握して初めて、イブンは不愉快の正体を理解した。
 渇いた大地の真ん中にぽつりとあるこの街の郊外から、砂粒が風に乗っていたのである。
常よりも肌を強く掠める風が、部屋の真ん中に一人陣取るイブンに、砂粒を静かに打ちつけていたのだった。
「ふう」
 肺に染み渡る煙を吐いて、イブンは窓を睨め付けた。
これ以上、砂粒が顔に当たるのは御免であったし、砂粒で部屋が汚れてしまうのも嫌である。
不愉快の原因である窓を閉めるために、イブンは立ち上がることにした。
 安い紙タバコに灯る火を机に押しつけることで消し、立ったついでに大きく背伸びをする。
ボキリと言う大きな音が体内より響いてきたことが、どれだけ長い時間イブンが座り続けていたのかを証明していた。

 かちゃりという音を立てて、小さなガラス戸は外気を遮断する。
なびいていた髪が重量に引かれるのと同時に、風の吹き込む音が止み、代わりにカタカタという軽い音が部屋に響き始めた。
 イブンはしばらく窓の外を見つめていた。
小さな部屋の小さな窓からは、街で唯一アスファルトで舗装された、大きな道を見ることができた。
黒い真っ直ぐな一本線は、イブンのすぐ足もとから、地平の先まで続いている。
 目を凝らしてイブンはその黒線を見つめていた。
 イブンは、ある男たちを待っていた。
 共に、果てしない聖戦を戦い続ける同志たちである。
この小さな一室で、タバコを相棒にして、ずっと椅子から立つこともしなかったのは、彼らの到着を待つためであった。
 空と地が区切られる一本線の向こうから、同志の乗った日本製の丈夫な軽トラがやって来るのを、イブンは待ち遠しにしていた。

629 名前:アラビアの蜘蛛2/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/11/20(月) 00:48:28.19 ID:FC1fLVe40
 中天に輝いてた太陽が、傾き橙を帯び始めた頃。
ふと、かさりという音が立つのを、イブンの耳は感じ取った。
 音源はイブンの靴のすぐ脇である。俯いた視線の先を確かめる。一匹の蜘蛛がそこにはいた。
「おまえか」
 追い払うことも、叩きつぶすこともせず、イブンはその蜘蛛を眺めていた。
八本の足を精一杯使って、イブンの足下を這うこの蜘蛛は、イブンの今いる小さな部屋の小さな家主とも言える。
 石油に目が眩んだ白人たちとの、神聖なる戦争を戦い抜くために、この部屋を拠点の一つとして使い始めた頃から、
この蜘蛛はずっと部屋にいた。
 当初こそ、この蜘蛛を追い払おうという声もあった。
見窄らしく味気ない部屋を、快適な生活環境とするために、蜘蛛の巣を撤去しようというのである。
 全く然りなこの理由は、同志たちのほぼ全員の同意を得ることとなっていた。
だが。ある者がふとした発言が、この状況をひっくり返したのである。
「蜘蛛は縁起の良いものじゃないか。預言者ムハンマドも蜘蛛に命を救われたという話があっただろ?」
 
 遙か昔の事である。
 刺客に襲われたムハンマドは、わずか二人の配下と共に、洞窟に逃げ込むという事があった。
しかし、足跡を辿り刺客たちはムハンマドの居る洞窟の前までやってきてしまうのである。
震える二人の配下と、一人泰然自若としたムハンマドを、この時救ったのが蜘蛛だった。
洞窟の入り口に張られた蜘蛛の巣と、その中心に居座る蜘蛛を見て、その洞窟の中には、人がいないと刺客たちは判断したのである。

「俺たちの拠点も、この蜘蛛が居れば大丈夫さ。決して見つかることがない」
 その一言が決め手となった。
以後、イブンたちは蜘蛛を追い払うこともせず、親愛なる同居人として受け容れていたのである。
 立派な巣を土壁の天井の四つ隅に持ち、昔話のようにその中枢で悠然と自分の存在を誇示する時もあれば、
冷たい床を這い、あちらこちらをあくせくと動き回ることもある。
 その自由な蜘蛛の振る舞いをイブンは呆けて眺めていた。

630 名前:アラビアの蜘蛛3/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/11/20(月) 00:49:03.64 ID:FC1fLVe40
 既に日が沈んでいた。
再び椅子に座り込み、半ば眠りかけていたイブンの目を覚ましたのは、階下より響く軽トラックの排気音であった。
やがて、賑やかな喋り声が鼓膜を刺激し始める。待ちわびていた者たちの帰還に、イブンは部屋のドアを開けた。
「遅かったじゃないか。日没の礼拝までには戻ると言ったと俺は覚えているが」
「まあ、そういうなよ、イブン。ヒラリ師のモスクでの説法が、思いの外長引いてな」
 立派な顎髭を蓄えたアリーが、にかっと笑ってイブンを見る。
「アメリカ兵たちを襲うよりも、楽な仕事だとは思うがね。まあ、護衛ってのも色々と大変なんだよ」
 その後ろから、小銃を担いだハキームがポツリと愚痴をこぼしてくる。
そういう彼の様子があまりにも疲れ切ったようにしているのを見て、イブンはねぎらいの言葉をかけることにした。
「部屋の隅の蜘蛛も、お疲れさんだとよ」
 あごで蜘蛛の巣を示してみせる。その中央にはいつものように、蜘蛛がその姿を見せていた。

631 名前:アラビアの蜘蛛4/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/11/20(月) 00:49:25.91 ID:FC1fLVe40
「いかがでしたでしょうか。いささか、不愉快で穏当ではない発言も途中飛び出し、皆様の気を害したかもしれません。
しかし、そのような暴言も、決してこの蜘蛛は逃すことがないのです!」
 勝ち誇るかのようにしてセールスマンは、大画面に映るひげ面のアラブ人たちを背景に、その唾を飛ばしていた。
 瀟洒なスーツを着こなしたあのぺちゃくちゃ五月蠅いセールスマンは、軍事兵器のプレゼンにふさわしくない。
そう、キャンベル大佐は思っていた。
「どのようなテロの計画も人造蜘蛛『アリアドネ』は聞き逃すことも見逃すこともありません!
内蔵された超小型のカメラはどのような小さな物体でも、その高い解像度で明らかに映し出しますし、
現代のナノテク技術を結集させたこのマイクは、いかなる音をも聞き取ります。
『アリアドネ』が敵のアジトという最前線に配備されることにより、多くの人が傷つき倒れる悲劇を未然に露見させ、防ぐことができるのです」
 聞き触りの良い言葉は、機関銃より飛び出す銃弾の如く、絶え間なく降り注ぎ、
軍の制服組も、陸軍省の文官共たちもその舌の舞に魅了されている。
 勇壮なセールスマンの言葉に、会場は万雷の拍手が響き渡ることとなっていた。
 頑固で昔気質なキャンベル大佐は、まるでナチスの宣伝のようなセールスマンの語調が実に気に食わなかった。
 老いたキャンベル大佐には、長い軍隊経験で培われたある持論を心中に抱いている。
軍人とは質実剛健であるべきなのである。その軍人が扱う兵器もまた、同じである。
 現代に生まれた騎士のような価値観を持つキャンベル大佐はそのように考えていた。
兵器は今目の前で繰り広げられているような、こそこそと隠れて、盗み聞きするような物であるべきではないのである。
「まさしく、テロとの戦いの世紀となるこの二十一世紀に相応しい兵器であると、当社は自負している次第であります!」
 セールスマンの勢い良い一声を以て、プレゼンはキャンベル大佐の渋い顔と手を叩き感嘆する軍関係者のにこやかな表情で締めくくられた。



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