【 蜘蛛ロンド 】
◆Pj7i0HYvi6




212 名前:蜘蛛ロンド1/6 ◆Pj7i0HYvi6 投稿日:2006/11/19(日) 12:16:56.71 ID:hsOqjAMW0
 かたいベッドの上で目が覚めた。
 掛け布団一枚。寒い。周りを見ると隅には蜘蛛の巣が張ってあり、壁には穴が開いている。床を見れば子供が
書いたような変な記号があって、どこ見たってこれほど汚く、サービスの悪い宿泊施設はないだろう。
 今は……午前六時くらいだろうか、僕の体内時計はそのくらいだった。もしそうだったら楠木(くすのき)を
起こしに行かなくては。
 冷えて固まった体を起こし、立ち上がる。そして服装を整え、楠木のところへ向かった。
 楠木の部屋は僕とは違って高級だ。高級ってことは清潔だし、壁に穴なんてものは開いてない。
 僕もそういうところがよかった、と一度愚痴をこぼしたんだが、あっさりとスルーされて終わった。うん、自
分の無力さに呆れるね。
 たしか楠木の部屋は十階の三号室。僕の部屋は一階なのでこのエレベーターを使うことにした(残念ながら階
段上る体力なんてない)。
 しかしエレベーターに乗り込むとボタンは九階までしかなかった。とりあえず、「九」のボタンを押して、ド
アを閉める。そして少しの間、重力が狂うような心地しながら、ゆっくりと僕は九階に到着した。
 エレベーターから出てみると、目の前にもう一つエレベーターがあって、何やらカードキーを差し込むところ
がある。ちなみにそのカードキーは僕も一枚持っている。
 この宿泊施設を借りるときに、二枚のカードキーが手渡された。一枚は楠木、もう一枚は自分。
 楠木も朝七時前には起こせという為だけにカードキーを僕に渡すなんて、ふふ、甘いな。起こし方は僕の電話
だって、従業員のモーニングコールだっていいのに。
 僕は青色のカードキーをポケットから取り出し、エレベーターの横にある機械に差し込んだ。
 すると目の前のエレベーターがゆっくりと開いた。

213 名前:蜘蛛ロンド2/6 ◆Pj7i0HYvi6 投稿日:2006/11/19(日) 12:18:54.06 ID:hsOqjAMW0
 二個目のエレベーターから降りて、右に少し歩くと三号室。
 その部屋に入ると、カーテンは閉められていて薄暗かった。
 ふかふかそうなベッドに眠っている楠木は未だに起きる気配はなく、何か悪戯したくなる衝動に駆られる。けど、ここで悪戯したら、サブミッション(関節技)を喰らうことになるだろう。こいつはサブミッションのエキスパートだからな。
「おい、楠木。起きろ」
「……」
 顔をこっちに向けて、まぶたを開く。そしてすぐに閉じた。
「いや、起きろって」
「うふふ、あと五分」
 そんな決まり文句を言って、楠木はベッドからぬくぬくと体を起こす。
 そしてまぶたをこすり、腰まで伸びている長い黒髪を手で軽く溶かしながら、洗面所に向かった。
 そんな仕草を見ると、やはりこいつは美人だなと思う。いや、可愛いというべきか。
「朝風呂か?」
 楠木は頷く。
「ならバスタオル忘れんなよ」
「あぁ、そうだった。そのトランクの中にあるから、あとでお風呂の前に置いておいて」
「それが嫌だから、今言ったんだ。というか、自分のトランクの中を見られて恥ずかしくないのか?」
「んー、別に。あ、でも中に入ってる書類とか見ちゃ駄目だからね。答えを見ようとしても無駄だから。これでもそーちゃんを信用しているんだから、裏切らないでね」
 なら、なんで僕をここで寝かせて貰えなかったのか。
 多分、それは楠木の事情もあるんだろう。
「……わかったよ。あとで置いておく。あ、それより僕も風呂に入りたい」
「それ、私と一緒に入りたいって意味? もしそうなら、その二つの足が逆方向に曲がっちゃうね」
「いや、そうじゃなく。僕の部屋にお風呂ついてないから、入ってなくて」
「うわーばっちぃ」
 今の一言傷ついたぞ。というより、お前の所為じゃないか。僕を良い床に泊まらせてくれないから。
「だったら僕を風呂付の部屋に泊まらせてくれぇって、楠木いねぇよ」
 しかもまだ、お風呂使っていいかの返事を貰ってないぞ。

214 名前:蜘蛛ロンド3/6 ◆Pj7i0HYvi6 投稿日:2006/11/19(日) 12:19:47.37 ID:hsOqjAMW0
 はぁ、もし今が夏ならベトベトして、さぞかし気持ち悪いだろう。
 寒い冬だからこそ、肌も乾燥して、いい具合にさらさら。
 汗をかかなければ、ベトベトしない。
 だから僕の好きな季節は冬。

 けれどそんな僕の好きな季節に、体を取り巻くべとべとする蜘蛛の糸のような、感じの悪い事件が起こった。

@ 
 楠木と一階の食堂で朝食をとっていると、従業員たちがやけにこちらを見ていることに気付いた。
「そーちゃん、見られてる」
「わかってる」
 適当に頷いて、よそよそしくないように自然に朝食をとる。
 従業員に見張られる理由なんて、心当たりが無い。指名手配の人に似ているとか、そういうのじゃないな。明らかにターゲットは僕だ。
「従業員さーん」
 すると突然楠木は手を上げて、従業員を呼ぶ。
「はい、何でございましょう」
「チョコパフェひとつ」
「大中小ございますが、いかがに?」
「もち、大」
「か、かしこまりました」
 女性従業員はお辞儀をして、厨房に戻っていく。そして楠木、お前は馬鹿か天才だ。
 僕は明らかにあの従業員から犯罪者扱いされていた。あの強張った表情から逃げるように去っていく行動まで。まるで、犯罪者を前にしたかのようだった。
 楠木のおかげで、事の重大さがわかったよ。楠木もそれを知るために今の行動をしたのだったら、本当に天才か。
「ってか、このスクランブルエッグおいしい。ジュクジュク半熟だよー。そーちゃんのもーらい」
 いや、天然か。
 そうして、しばらくするとチョコパフェがやってきて、それを軽くしたためてしまう。

215 名前:蜘蛛ロンド4/6 ◆Pj7i0HYvi6 投稿日:2006/11/19(日) 12:21:09.01 ID:hsOqjAMW0
 僕のほうはすでに食事を済ませてあるので、まずは席を立って従業員からの監視を逃れることにした。が、この食堂の入り口にはすでに警察が二人、佇んでいた。
「もう、逃げられないってことね、うふふ。どうするの、そーちゃん?」
「黙って話を聞くしかないじゃないか。まぁ心当たりがないからなぁ、なんともいえないが」
 楠木はそれを聞いてシニカルに笑う。
「また面白いことが起こるかもね。ほら、警察のお方が近づいてきたよ」
 一人は黒いコートにサングラスをかけた渋いおじさん。もう一人はただ付いてきたような新人婦警だった。
 婦警といって、老けてはいない。二十代前半辺りだろうか。楠木よりは確実に年をとっているだろう。
「君が聡一郎君かな。一階三号室を泊まりましたね?」
 僕は頷く。
 ここは何も言わないほうがいいのかな。無闇に話すとあげ足を取られて、そのまま御用ってことになりかねない。
「その部屋を掃除しようと入った従業員が死体を発見いたしました。死体の名前は中俣ヨシキ。見た目、毒殺」
 それはそうですかで済まないことだな。
 僕が起きたときには、死体なんてなかった。そう、あの部屋の中にあったものは、掛け布団、ベッド、小さいタンス、その上に食べ残しの夜食。状況は、がたがたの窓に穴の開いた壁、隅には蜘蛛の巣。
 それ以外は無かった。ましては死体なんて、そんな異質なものがあれば誰だって気がつくだろうよ。
「んで心当たりは?」
「ないよ」
「お隣の方は?」
「調べてあるでしょ? 私は十階に泊まっていたよ」
「えぇ、調べてあります。軽くですけどね」
 いい仕事するなぁ。僕と楠木の関係を調べたか、ここに泊まっている全ての客を調べたか。きっと前者であろう。
 僕と楠木はここ数ヶ月間、一緒に行動を共にしている。
 僕の使命は楠木のお守りで、楠木は不思議発見の旅。ということは、僕は助手になってしまうな。まぁ、助手兼お守りということで。
「死体発見時刻は午前七時。……今は八時前ですね。検死はまだ行っていないので、死亡推定時刻はわかりませんが、聡一郎君」
 渋いおじさんはサングラスを取る。

216 名前:蜘蛛ロンド5/6 ◆Pj7i0HYvi6 投稿日:2006/11/19(日) 12:23:49.32 ID:hsOqjAMW0
「ここに来てから、何をしていましたか?」
 アリバイを言えってことか。
「八時半頃にこの宿泊施設。夜九時ごろ部屋に入り、十一時頃従業員に夜食を頼んで、十二時に就寝。六時に起床し、そしてこいつ
、楠木を起こしにいった。んで、こいつの部屋で一時間。その後朝食を取りに一階へ。それは従業員さんが証明してくれるだろう」
 僕はこの宿泊施設に来てからの大まかな流れを言う。
 勿論、本当のことだ。
「それに、このカードキー。時間を記録するから、ばっちりだね」
 そう言って、僕のポケットに手を突っ込んで、カードキーを取り出す。
「あぁ、そうなんですか。なら聡一郎君が犯人、なんてありえませんねぇ」
「そう、私が最も信用するそーちゃんが殺人なんてするはずないもん」
 楠木はシニカルに笑って、僕の腕に引っ付く。
 あぁ、可愛い奴。僕を庇ってくれるなんて。でも、ちょっと気味悪いな。
「けどねぇ、何か引っかかります。
確か、ここの防犯カメラは一階から九階までのエレベーターにはついていて、階段と十階から最上階までのエレベーターにはついていないんですよ。
それに、一階の三号室。つまり聡一郎君が泊まっていたところは階段の側にあって、色々なところから死角ですし」
「それでも、このカードキーを調べれば、一発なんだな。というか、私の部屋にいたんだからそれでアリバイ成立でしょ?」
「えぇ、でもあなたたちの関係を見ると、庇うってことがありそうじゃないですか」
 それには楠木も僕も黙った。僕は元々、そんなに話してないけど。
 確かに、僕たちの関係。僕が保護者役、楠木がお金役。相即不離の関係だ。
 助け合うこともありえるだろう。


217 名前:蜘蛛ロンド6/8 ◆Pj7i0HYvi6 投稿日:2006/11/19(日) 12:27:15.57 ID:hsOqjAMW0
「あぁ、そういえば、ダイイングメッセージらしきものがありました。けれど、これは本人の書いたものじゃないでしょう。
 きっと犯人が残したものです。たった二文字。いえ、記号二文字です。
 一文字目は四角。二文字目は丸に右上から左下に二本、線を引いたもの」
 えっと、つまりは「□と○の中に/を二本」か。……意味がわからない。犯人はきっと馬鹿か天才だ。
 横目で馬鹿か天才の楠木を見ると、もうわかっている様子。
 またシニックな笑みを浮べて、僕の腰に抱きついた。(ちなみに楠木の身長は百四十センチ。だから俺のあだ名はロリコスキー)
「わかったのか?」
 小声で楠木に言う。
「うん、でも教えないよ」
 酷いな。教えてくれてもいいのに。
 一方、警察の方々は悩んだ挙句、僕の持っているカードキーを調べたい、とほぼ強制的に借りた。
 まぁ、これで僕の容疑は晴れるだろう。

 数時間後、警察は僕を犯人として見なくなった。つまり、疑いは晴れたのだろう。けれど、まだここに居てくれって言っていたな。
 なら僕は推理ごっこでもしてようか。
 まずは第一発見者を疑えってね。もしかしたら発見した従業員が犯人で、僕に罪をなすりつけようとしたんじゃないのか?
「なぁ、楠木。結局は誰が犯人だと思う? 僕は第一発見者だと思うね」
「そーちゃんでしょ? うふふ。さぁ、こっから早く立ち去るよ」
「……は?」
 だから僕の容疑は晴れたんだって、しかも庇って……何で庇ってくれたんだ?
 気味悪いなぁ。僕が犯人だと思ったからだろうか。
 楠木はそそくさと荷物をまとめて、二枚目のカードキーをへし折った。

218 名前:蜘蛛ロンド7/8 ◆Pj7i0HYvi6 投稿日:2006/11/19(日) 12:30:05.01 ID:hsOqjAMW0
「私がお風呂に入っている間、この私が持っている二枚目のカードキーを使って、九階まで降りて、一階まで階段で移動。
 そして、ベッドの下に隠しておいた死体を引きずり出して、同じ方法で私の部屋まで戻って、アリバイを成立させる。
ちなみに、死体を殺したのは夜九時から十一時の間ね」
 あぁ、確かにその方法なら、防犯カメラにも映らず、僕の持っていたカードキーにも時間が記録されない。
 警察も二枚目のカードキーを見落とすなんて、所詮は人間だな。
 というか――。
「僕は断じて人を殺していない。嘘じゃない」
「まぁまぁ聞いて。何で九時から十一時って限定したと思う?
 それはそーちゃんが九時に部屋に入り、十一時に従業員が夜食を持ってきているからだよ。
十一時に従業員はそーちゃんの部屋を見ている。
 そこに死体が無ければ、極論だけどそーちゃんは人を殺してないことになるね。
 というかそーちゃんはこの宿泊施設にやってきて三十分間、つまりは八時半から九時前まで、従業員の前に居たもんね。人を殺す時間なんて無い」
「つまり、僕は九時から十一時の間、中俣ヨシキを殺し、死体をベットの下に隠し、従業員を呼んで、部屋の中を見せる。
そして朝になって、楠木の部屋へ行き、こいつが風呂に入っている間、アリバイを作るために一階まで降りて、死体をベッドから引きずり出し、
またこいつの部屋に戻ってくるということか――! って、僕、人殺してないって」
「もういい。頭の天辺についた蜘蛛、ずっと気になってたのよ。いくぜ!」
 何?!
 楠木は側にあった朝刊を丸めて、頭の天辺を叩く。
 ばしん、ぶち、んあ。蜘蛛は足を丸めて床に転がった。
「あっ――」
「それはすごい蜘蛛だよ。こんな不思議なことがあるんだね。人間の中で超能力を使える人っているじゃん? 
蜘蛛も同じ。その蜘蛛は超能力を使える蜘蛛なんだ。記憶を操作してしまう蜘蛛。うふふ、不思議発見だね。スーパーひとし君だよ」
 ……あぁ、記憶蘇った。
 俺が感慨に耽っているときに、楠木愛海は勝ち誇った顔をしている。
「それに、あの記号。レベルが低いね。あれさ、左上から右下に線を引いて、右下部分だけ見るとさ」
 くも、になるんだよね、と愛海はシニカルに笑った。

219 名前:蜘蛛ロンド8/8 ◆Pj7i0HYvi6 投稿日:2006/11/19(日) 12:32:04.56 ID:hsOqjAMW0
「わかっちゃうかなー。俺、暗号作るの苦手だわ。本当に、お前にはいつも負ける」
「うふふ、まぁ今回は変な蜘蛛に操られちゃったからいいとして、次は私の番ね。あぁ、その前に、さっさとここから離れよう。
 長話しちゃったね。今回の事件で、きっと私たち、指名手配。二枚目のカードキーのことがばれたら警察が追いかけてくるね。
 ま、このカードキーは絶対見つからないところに捨てるとして」
 愛海はへし折ったカードキーをトランクの中に入れる。
「というか、警察はここに居てくれって言ってたから、結局は追っかけてくるさ」

 俺と愛海は人を殺してはそこに暗号を残し、解けるかどうかゲームをする。
 暗号を書くだけでいいじゃないか、と思うだろうが、最初はそうだったんだ。
 でも俺たちは馬鹿か天才だから。でも、
「蜘蛛が頭に憑いたときって何時くらいだと思う?」
「朝の七時頃でしょ。そうじゃないと、死体を引きずり出すの、どうやるのよ」
「いや、記憶を操作できるんなら、もしかしたら、人間の行動も操作できたり、なんて」
「んーまぁ、そこのところはわからないね、私でも。あぁ、そういえば、蜘蛛に書き換えられた記憶って今も持っているの?」
「少しだけね。俺とお前は保護者と資金役の関係だとか。お前は不思議発見の旅しているとか。その助手が俺みたいなもの、だとか。
 本当の関係は殺人仲間。確か、この前のゲームで負けて、あんな汚い部屋に泊まったんだ」
 あやふやだけど、勝手に俺のあだ名をコドモスキーだかロリコフスキーだかそんな感じにしやがったような。
 それに、愛海のことが可愛いとか思っていたような気もするが。
「……蜘蛛も間違えたのかな。こいつは女じゃない。男だ」
「え? ふーん。もしかしたら蜘蛛は私を女と認識したのかな。本当の私は社会的に抹殺された立場だからね。
 警察に足がつかないように、だからこうやって女装して、情報を偽造して、陰に生きていかないといけない」
 いや女装する必要ないか、とやはり彼、楠木愛海はシニカルに笑った。
  了



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