【 蜘蛛女 】
◆RcTkwUoras




790 名前:蜘蛛女(1/5) ◆RcTkwUoras 投稿日:2006/11/18(土) 04:26:26.39 ID:BXpSTkPa0
「きゃっ!!」
 突然の悲鳴に俺は唖然とした。
 それというのも、その声を発したのが先輩だったからだ。
 いや、ありえない。誰か別の人間の悲鳴を聞き間違えただけだ。そう思いたいのだが、今現在この生徒会室には俺と先輩の二人しかいない上、悲鳴は明らかに室内からのものだった。
「せ、先輩?」
 机に突っ伏していた顔を上げ、先輩を見る。俺は再び驚愕した。
 あの先輩が顔を恐怖に歪め、震えているのだ。
 先輩こと生徒会長の加藤雪は常に冷戦沈着かつ眉目秀麗、さらには成績優秀という完璧な女なのだ。ゆえにこんな先輩を見るのは初めてのことだった。
「くっ……」
「……く?」
「机の上にいる蜘蛛をどうにかして!!」
「……は?」
 間の抜けた声が出てしまう。
 良く見ると確かに先輩の机の上に一匹の小さな蜘蛛がいた。
 しかし、あの先輩がこんなことで動揺しているという事実がどうにも信じられない。前に蜂が迷い込んできた時には騒ぐ周囲を尻目に、一人何事もないかのように静かに書類をまとめていたくらいなのだ。
「へぇ、珍しいな。こんな場所に蜘蛛なんて」
「そんなことはどうでもいいから早くそれを何とかして!!」
 先輩が顔を背け、体を強張らせている。立ち上がって逃げればいいのに、それもできないようだ。
「はぁ、わかりました」
 俺は先輩の机の上の蜘蛛の前に手の平を置き、蜘蛛が乗ったのを確認してから窓まで移動。そのまま窓を開けて蜘蛛を放り投げた。
「先輩。処理しましたよ」
「……手を洗ってきなさい」
「わかりました」

791 名前:蜘蛛女(2/5) ◆RcTkwUoras 投稿日:2006/11/18(土) 04:26:49.25 ID:BXpSTkPa0
 石鹸を使って念入りに手を洗ってから生徒会室に戻ると、そこにはいつもの先輩がいた。
「大丈夫ですか?」
 俺はほっとしながら声をかける。俺にとって先輩は同年代の女子と違って話しやすいから、貴重な存在なのだ。その先輩があんな女の子のように振舞っていては、どう接したらいいのかわからなくなってしまう。
「ええ。見苦しいところを見せたわ」
「いえ、人間誰しも苦手なものはありますし」
 俺にとって苦手なものは、さしづめ先輩と母以外の女性だろう。
「そうね。私は蜘蛛だけは駄目なの」
「トラウマですか? あ、もしかして昔蜘蛛の毒にやられたとか?」
「毒を持った蜘蛛と出会う機会なんてありませんでした。そうではなく……とても説明しづらいのだけれど、そう、精神的な問題なの」
 こういう言いよどむ先輩というのも珍しい。それだけ複雑なのだろうか?
 しかし、精神的な問題と言われても、そりゃそうだろうとしか言えない。
「聞きたい?」
 聞きたいか、と聞くということは先輩は話したいのだろうか? 少なくとも話したくないということはないのだろう。
 俺も興味はあったから「聞きたいです」と答えた。
「私の母は、蜘蛛だったの」
 ……聞かなければ良かったかもしれない。

792 名前:蜘蛛女(3/5) ◆RcTkwUoras 投稿日:2006/11/18(土) 04:27:05.26 ID:BXpSTkPa0
「はぁ」
 俺にはそれしか言えなかった。誰だってそうだろう。こんなこと冗談としか思えない。
 しかし、先輩は冗談を言うような人ではない。つまりこれは真剣に言っているのだ。そうだとしたら何を言えばいいというのだろうか。
「ああ、ごめん。わけがわからないでしょ。順を追って説明するわね」
「……お願いします」
「そうね。あれは、私が五歳くらいのときだったかな。子供なら皆聞くと思うけど、赤ちゃんはどこから来るのか、母に聞いたの」
 好奇心旺盛な子供のほとんどは聞いてくることだ。俺にはそんな恥ずかしいことを聞いた記憶はないが、親に聞いたことがあるかもしれない。
「ああ、コウノトリが運んでくるってのが定番ですね」
 誰が最初に思いついたか知らないが、おもしろい言い訳だ。
「ええ。母も最初にそう言ったわ。コウノトリが運んでくるのよって。でもその後、こう続けたの。でもね、あなたは違うのよ。あなたは私が父さんを食べたからできたのよって」
 俺は無言になる。
 その言葉はどう捕らえればいいのだろうか。高校生になればその言葉の意味するところくらいはわかるが、子供に言うようなことではないだろう。
「もちろん五歳の私には意味がわからなかったわよ。父さんは生きていたし、どういう意味だろうなって」
 なんとなく気恥ずかしい気持ちになってきた。それは先輩も同じなのか、少し顔を赤らめている。
「中学生の頃にその意味に気づいて、怒った私は母に言ったわ。子供にあんなこと言うなんて何を考えてるのって」
 まぁ、当然のことだろう。どういう経緯でその言葉の意味に気づいたのかは知らないが、憤慨するのも無理はない。
「そしたら母は、違うって言うのよ」
「違う?」
「そう。そういう意味で言ったんじゃないって。たしかに母は非常識な人間だけど、子供にそんな事を言うような人でもなかったみたい」
「じゃあ、どういう意味だったわけ?」
「母は言ったわ。私は蜘蛛だからって」
 また意味がわからなくなってきた。

793 名前:蜘蛛女(4/5) ◆RcTkwUoras 投稿日:2006/11/18(土) 04:27:25.60 ID:BXpSTkPa0
 そういえば、蜘蛛に対するトラウマを聞くためにこんな話をしていたのだった。先輩の子供時代の話など初めて聞いたから、すっかり本題を忘れていたようだ。
「蜘蛛?」
「そう。その時はまだ早いとか言って教えてくれなかったのだけれど、高校に入った頃にもう一度聞いたら教えてくれたわ。それまでの間私はずっとそれが気になって仕方が無かった」
「それで?」
「母が傲慢だってことは知っていたけれど、ここまでとは思わなかったわ」
「え?」
 話がつながっていない。先輩は自分の言動のおかしさに気づいていないのだろうか。
「大したことじゃなかったのよ。別に蜘蛛人間ってわけでも蜘蛛が人間に変身したってわけでもなかったの」
 先輩……中学の頃にそんなことを考えていたのか……。まぁ、想像力豊かな子供に、母が自分は蜘蛛だなんて言ってきて何の説明もなければそういう想像をしてもおかしくはないか。
「あ、別に私がそんなことを考えていたわけではないのよ? 今のはわかりやすい例というか……」
 先輩も自分が言ったことに気づいたようで、慌てたようにそう言って来るが、その言葉が言い訳であることは明白だった。
「わかってます。それで実際はどういうことだったんですか?」
 もちろん俺は先輩の名誉を守ってやり、話を進める。
「本当に大したことじゃなかったわ。蜘蛛みたいに蜘蛛の巣を張って待っていたんですって。とても高い位置に。そこに引っかかったのが父で。父を食べたっていうのは、糸を使って虜にしたって意味だったらしいわ」
「……もう少し詳しくわかりやすくよろしく」
 俺の頭では今の言葉の意味がわからない。
「はぁ、仕方ないわね。母は結婚相手を見つけたかった。でも母は自分で探すなんてことしたくなかったから、ただ網を張って待ったそうよ。手段は聞いていないけれど、どうせろくな事じゃないわ。父はそんな母の罠に嵌まってしまったってこと」
「それで、蜘蛛?」
「そう。結末を聞いてしまえばおもしろくもなんともない話でしょ?」
「いや、納得した」
 なんというべきか。この子にしてこの親あり、とでも言うべきだろうか。もちろん先輩にそんなことは言えないが、普段の先輩の異常ぶりは母親の遺伝だと納得できた。

794 名前:蜘蛛女(5/5) ◆RcTkwUoras 投稿日:2006/11/18(土) 04:27:42.72 ID:BXpSTkPa0
「でも、それでなぜ蜘蛛が苦手に?」
 今の内容だと、蜘蛛そのものが苦手になる理由にしては弱い気がする。いや、それがトラウマだと言われればそれまでなのだが。
「え? ああ、ごめんなさい。蜘蛛が苦手な理由はただ気持ち悪いからってだけ」
「へ?」
 間の抜けた声が出てしまうが、誰が俺を攻めれよう。
「だって、気持ち悪いでしょ? あんな生き物」
「えっと、あの、さっきまでの話は?」
 今の話は、全く関係なかったということなのか?
「ああ、蜘蛛を見るたびこのことを思い出すんだけど、誰にも話したことなかったから一度他人の反応を見てみたくて話しただけよ」
 先輩に遊ばれていた、ということなのだろう。
「…………」
「怒った?」
「ひどいですよ。先輩」
 声に少々の怒気が含まれるのも仕方ないというものだ。
「ごめんなさい。でもこの話は全部本当のことだし、君にしか言ってないのよ。それで許して」
 そう言われてしまうと、全てがどうでも良くなってしまう。全く、先輩はずるい。
「……先輩のご命令でしたら」
 少し気障っぽく言って、先輩に笑いかける。先輩も笑顔を返してくれた。
 俺は思う。先輩も蜘蛛だ、と。
 なぜなら、俺は今、先輩に食われたからだ。



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