【 ふり上げた手が掴む明日 】
◆D7Aqr.apsM




5 :NO.02 ふり上げた手が掴む明日 (1/7) ◇D7Aqr.apsM:06/11/05 14:36:19 ID:NrvaQBzG
 ニーナは久しぶりに履いたブーツが石畳を噛む感触に戸惑っていた。
 ――こんなに硬いものだったっけ。
 履き慣れた靴の方が良かったのかもしれない。少しだけ後悔した。
しかし、いつも履いている茶色のローファーは、今日にはふさわしくない、
という気がしたのだ。ポニーテールにまとめた金髪をさらりと振って整える。
濃紺のワンピースと白い丸襟のついたボレロを着て、ゆっくりと歩く。
両手には、リボンをかけた箱を持っていた。
 大通り沿いに、狭い間隔で植えられたプラタナスの木。子供の頃、
ニーナはこの道を歩くのが好きだった。あのころは、この国もまだ平和で、
全てのものはきれいで、楽しくて、毎日がわくわくすることで一杯だった。
 木の幹に釘で打ち付けられた看板を、ニーナはにらみつけた。黄色く
塗られた上に、赤い文字で「平和を!全てを許し、受け入れよう!」と
大きく書かれている。いたずらではない。この国の政府が打ち出している
方針だ。数年前、隣国は突如、この国を属国として扱う事を世界に対して
宣言した。歴史的な見地、地政学的な見地から、それが妥当だ、という
一方的な宣言と共に。驚いたことに、一部の政治家はそれを容認し、
反対する議員に向かって、「反対するならば戦争になる。あなた方は
戦争をしたいのか?」という議論を展開した。
 ほどなくして、ニーナの国は存在しなくなった。政府は解散されこそ
しなかったものの、隣国の操り人形となっていった。学校の授業の大半
は、隣国を敬愛し、尊敬するべきである、という思想を教え込まれる
ものに切り替えられ、その授業は隣国からきた「特別講師」と呼ばれる
教師から受けることになった。

 そして、当然のように隣国に反抗する人間達が出てきた。
 彼らは、反政府組織のレッテルをはられながらも、それぞれの組織



6 :NO.02 ふり上げた手が掴む明日 (1/7) ◇D7Aqr.apsM:06/11/05 14:36:30 ID:NrvaQBzG
単位で活動していた。大学を基本としたもの、いくつかの会社の中で
作られたもの、ヤクザもの達の組織などもあった。そして、組織は色々な
手段――直接的な銃器も含めた――を用いて戦っていた。
 ニーナは今日、その組織へ身を投じるために歩いていた。

  ニーナのような学生の間でも、組織の話題は良くでていた。男子達の
一部は進んで参加したがっていたし、コンタクトの仕方を躍起になって
さがしているようだった。ニーナが組織とコンタクトを取れたのは全くの
偶然だった。コンタクトが取れるかもしれない、と噂されてい た映画館で、
構成員と名乗る人間と出会うことができたのだ。場所を変えて何度か
コンタクトを取り、しばらくすると簡単な連絡員のような役割が与えられた。
そして。ニーナは全てを捨てる決意をした。手伝いではなく、正式な
構成員として組織へ参加するために。家族や友人を捨てて。

 通りを渡った向こうに、オープンカフェが見えてきた。そこが迎えの
人間と落ち合う予定の場所だ。ニーナはウェイターに案内された席に座り、
大切に運んできた、リボンのかかった箱を隣の椅子に置いた。
 ――あとは待つだけ。
 少し痛み始めた足を気にしながら、ニーナはその時を待った。
 
 タルト生地が見えないくらい山盛りにもられたイチゴタルトと、ダージリン
の入ったポットが背後からテーブルに置かれた。と、置いたその手が
いちごを一つつまんで持ち去っていく。ニーナは思わす出しそうになる声
を押しとどめて、視線で追った。
「お待たせしました。どうぞ。――なんてね」
 いちごを形の良い唇に加えたまま、その女性はニーナの前の席へ


7 :NO.02 ふり上げた手が掴む明日 (3/7) ◇D7Aqr.apsM:06/11/05 14:36:43 ID:NrvaQBzG
腰を下ろす。ショートボブに切られた栗毛と、同じく明るい茶色の瞳。
オリーブ色のモッズコートをざっくりと羽織っている。
「モリーさん!私がイチゴ好きなのを知った上での仕打ちですか?」
「まあまあ。毒味だよ。旬は外してるけど、結構いける」
 まったく――。という言葉をニーナは飲み込んだ。
 モリーはこの地域を統括する組織の幹部だった。直々のお出迎えだ。
以前何度かこの店で会ったとき、小さい組織だからね、と彼女は苦笑しながら
告白した。人手がないから採用は幹部が直々に行うのだと。
「いきますか?」
 ニーナが腰を浮かしかけると、モリーが手でそれを制した。
「まあまあ。落ち着いて。ケーキ、ちゃんと楽しんで食べなよ。――もう、
 二度とその味を味わうことは無いかもしれないから」
「二度と、ですか?」
「――甘く、心地よい日常の味。今日これからの日々には存在しない味」
「そういうものですか」
 モリーは小さくうなずいた。ふと視線をそらし、遠くを見る。
「ぶっちゃけ、今なら戻って、連絡員としてやってもらえるけど?」
 にやりと笑う。モリーの鳶色の瞳が、細められる。
 ニーナは、フォークをおいた。モリーに向かってにっこりと笑いかけると、
タルトの生地を直接手でつかみ、そのまま口へ運んだ。
 白いフロスティングが指と口の周りを汚すのもかまわずほおばった。
ざく、ざく、と軽い音をたてて、あっという間に食べ終わる。
「わかった。わかったってば」モリーがナプキンを差し出す。
 勢いよく口と指をぬぐい、ニーナは立ち上がった。
「いきましょう。ただ、一カ所だけ。よりたい所があるんです」
「よりたいところ?」


8 :NO.02 ふり上げた手が掴む明日 (4/7) ◇D7Aqr.apsM:06/11/05 14:36:59 ID:NrvaQBzG
「はい。さっきのように言うなら、そうですね、日常にお別れをしに」
そう言って、ニーナは、脇に置いた箱を手に取った。

 ニーナはモリーの乗ってきた赤いスクーターに横座りに乗った。
膝に大事そうに箱を抱えている。お椀型のヘルメットと、ゴーグルを身に
つけたモリーは、黙ってスクーターを走らせた。途中「排気量はどのくらい
ですか?」とニーナが尋ねると、「二百」とだけ短く答える。
オフィス街を抜け、大きな公園の前で、モリーはスクーターを止めた。
通りを隔てて、向こう側に教会が見える。スカートの裾を引っかけないように、ニーナはスクーターからそうっとおりた。
「プレゼント? ――きれいなリボンだね」
 スタンドを立てたスクーターにもたれかかったモリーは煙草に火を
つけながら言った。ニーナが持っている箱にかけられたリボンは、濃紺の
高級そうな生地のものだった。
「ありがとうございます」答えるニーナの表情は硬い。
 芝生の緑がまぶしい教会の前には、笑顔の人が溢れていた。結婚式だ。
入口のあたりに人が集まっている様子をみると、ライスシャワーが始まりそう
だという事がわかった。
 ひときわ高い歓声があがる。
 入口に、ドレスを着た花嫁と、黒いフロックコート姿の花婿が見えた。
「行ってきます」
 ニーナはつぶやくように言うと、足早に通りを渡り教会へ近づいていった。
――まさかね。
 モリーは独りごちた。
 ニーナの背中は、モリーにあるものを思い出させていた。それはまるで、
危険な作戦へ赴く戦友のような――。


9 :NO.02 ふり上げた手が掴む明日 (5/7) ◇D7Aqr.apsM:06/11/05 14:37:10 ID:NrvaQBzG
 「ニーナ!」思わず声を上げる。
 通りを渡り終え、芝生の上を新郎新婦へ近づくニーナがリボンをほどき、
投げ捨てるのが見えた。箱の中に手を入れている。
――あれは違う。プレゼントなんかじゃあない。
 モリーは走り始めた。ニーナは人混みの中へ分け入っていく。
 組織は、キレイな仕事ばかりをしているわけではない。犯罪歴を持っている
者もいる。しかし、それが望ましい訳では決してない。むしろ、経歴は
クリーンである方が良いのだ。
「ニーナ! よせ!」もう一度モリーは叫んだ。
 人混みの中から金髪のポニーテールが振り向く。目が合った。少し困った
ような顔をした後、ニーナはにっこりと笑った。モリーの頭の中を考えが
巡る。拳銃は考えられない。入手ルートは無いはずだ。これだけ近くへ寄る
となれば――ナイフか。
 モリーは人をかき分け、ニーナに近づこうとする。
 しかしその時、既にニーナは新郎新婦の前に立っていた。新郎は驚いた顔を
している。モリーが手を伸ばす。届かない。
「ニーナ!」
 その時。ニーナの手が箱から引き抜かれた。周囲にいた人々が逃げまどう。
悲鳴と怒号。流れに逆らうモリーはもみくちゃにされ、転倒してしまう。
前が見えない。
「甘い生活を存分に味わってくださいね。兄様!」
 乾いた声が響いた。
 モリーはやっと立ち上がる。
 そして、高々と掲げられたニーナの手が、勢いよく新郎に向かって振り
下ろされるのを見た。


10 :NO.02 ふり上げた手が掴む明日 (6/7) ◇D7Aqr.apsM:06/11/05 14:38:28 ID:NrvaQBzG
 ばしゃっ、ともべちゃっ、ともつかない音があたりに響くと、悲鳴と
歓声があがった。
「私のお手製です。――お好きだったでしょう?」
 新郎の顔に思い切りたたきつけられたクリームパイは、顔とタキシード
にべったりと張り付いていた。あたりにも派手に飛び散っている。
「私は……私は、苦い現実を選びます」
 ニーナは小さく言い添えると、きびすを返し、通りの方へ走り始めた。
「お、お幸せに」
 新郎と新婦にそれだけを言い添えると、モリーはニーナの後を追う。
周囲では突然の余興に大騒ぎだった。そのままガーデンパーティーの
予定だったらしい、気の早い客がシャンパンを開ける音が聞こえる。
 
 スクーター脇で立つニーナに、やっとモリーは追い付いた。
 小さなハンカチでニーナは自分の服にも付いてしまったクリームを
ぬぐっていた。
「大丈夫?」
「はい、ご心配をおかけしました」
 モリーはミラーにかけておいたヘルメットを被ると、スクーターに跨った。
ニーナもそれに倣う。軽い音を立てて、スクーターはその場を後にした。

「兄だったんです」
 ぽつり、とニーナが口を開いた。道は街を抜け、小さな港へと向かう
幹線道路だった。休日の今日はほとんど車がいない。左手に海が見える。
「みたいだね」
 ニーナの感触を背中に感じながら走っていた。
「あ……そうではなくて。組織の事を教えてくれたのが、兄だったんです」


11 :NO.02 ふり上げた手が掴む明日 (7/7完) ◇D7Aqr.apsM:06/11/05 14:40:23 ID:NrvaQBzG
 モリーの腰に回された手に力が入る。
「一緒に行こうって。この国を変えようって。そうして、やっと組織と
コンタクトが取れたのに、行かないって。生活があるからって。わたしも、
止められて……」
「そう」
 左手のクラッチを握り込み、そのままグリップを回すと、ギアが変わる。
モリーはゆっくりと、静かにスクーターを走らせた。
「さよならは、言えた?」
 えぐっ、という声にならない声が、背中を通してモリーに伝わる。
ひとしきり嗚咽が続いた。
「モリーさん、本当ですね」
ニーナが背中から顔を離す。
「なにが?」
「さっきのクリーム、甘いはずなのに。全然甘く無かったです」
「そう。また、――甘くなるよ。きっと。いつか」
 こくり、とニーナがと頷くのが感じられる。モリーはアクセルを開けた。
 二人を乗せたスクーターはゆっくりと、加速していった。



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