【 思い出す薬忘れない薬 】
◆qygXFPFdvk




22 名前:No.06 思い出す薬忘れない薬 (1/2) ◇qygXFPFdvk 投稿日:06/10/23 01:06:25 ID:UU24Fyn7
 一人の研究者がいた。この男、大学を主席で卒業し、学術賞を総なめ。ノーベル賞受賞
も間違いなしと噂された。若くして大学の教授職に就き、研究に勤しんだ。だが、男は五
十歳になったとき、突然姿を消す。その後十年間、男の名前が学界で聞かれることは無か
った。
 男はどこへ行き、何をしていたのか? もちろん研究をしていた。

 五十歳を迎えるころ、男は物忘れを経験した。それも立て続けに何度も。会議の時間を
忘れ、書類を忘れた。試薬の名前を忘れ、実験器具の場所を忘れた。男は恐怖した。
 男は自分の才能に自信を持っていた。それ故、老いによって才能が失われることを酷く
恐れた。自分の頭の中で生まれた素晴らしい発想が、物忘れによって消えてしまうことが
怖かったのである。男は、嫌なことがあると酒を飲んで忘れる癖があったが、記憶に悪い
と聞いてからは極力避けるようにした。
 男は時間をフルに使うため、すぐに大学を辞め、物忘れを防ぐ薬の研究に取り掛かった。
物忘れを防ぐための、忘れない薬を。忘れてしまったことを思い出すための、思い出す薬
を。男は長い時間をかけた。幾度も失敗を繰り返した。構造式を何度も書いては捨て、知
識、経験、実験結果を積み重ねた。

23 名前:No.06 思い出す薬忘れない薬 (2/2完) ◇qygXFPFdvk 投稿日:06/10/23 01:06:37 ID:UU24Fyn7
 そして、ついに完成した。男は出来上がった薬の構造式を書き上げる。その構造式は惚
れ惚れとする程、美しい形だった。薬は“忘れ内服薬”と名づけられた。
「随分と長い時間がかかってしまった。だが、この成果はきっと認められる」
 そのとき、男は既に還暦を迎えていた。この十年は男にとっても、感慨深いものだった。

「この構造式ならば、効果は間違いない。だがここは一つ、自分でも飲んでみよう」
 小瓶を開け、口に含んでみる。舌が痺れるほどの苦味だったが意を決して飲み下した。
 すると、みるみるうちに記憶が蘇ってくる。学生時代にフラれた彼女の事を。友人に貸
した一万円の事を。昨日の夕食、一昨日の朝食の事を。忘れたかったこと、忘れてしまっ
て当然なことまでもが、次々と思い出された。
「これは素晴らしい。まるで若い頃のように全てが思い出せる!」男は満足した。目を瞑
り集中すると、記憶がさらに蘇って来る。脳内を光が駆け巡るようだった。
 だが、その時。男は急に目を見開いた。冷や汗が噴出す。急いで机に戻ると勢い良く引
き出しを開ける。

――男は項垂れた。
引き出しの中には、何本もの“忘れ内服薬”。一緒に、先ほど書き上げた構造式と全く同
じものが何十枚も見つかった。
 沈み込んだ男はブランデーをあおり、泣き始めた。
「あぁ。忘れることはこんなにも簡単なのに……」

 男は十年間、この失敗を忘れては思い出すことを繰り返し続けている。
 未だに、忘れない薬が完成する気配は無い。
                                                   <了>



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