110 名前:<品評会作品>新薬失敗報告 1/5 ◆ElgkDF.wBQ 投稿日:2006/10/21(土) 00:17:54.68 ID:N4IsV78W0
俺は今、自分の名前と似た名前の『トンクス』という兵士として戦っている。俺の本当の名前は『トンスク』
という。
星が沢山見える。月は細い三日月。ここは山の中だ。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。普通の営業マンとして生活していたのに。
昨日、会社で開発されていた新薬がもうすぐ出来上がるという発表があった。この新薬が発売されれば世界中
から注目され、傾きかけたこのマリーン製薬会社も持ち直すはずだった。
本来ならば社員以外の人間を使って臨床試験を行うはずだったが、今回の新薬に関しては絶対他に知られては
いけないという事から、社員の中から誰かがその新薬を飲んでみる事になった。
どういう効き目があるかという事は秘密裏にされた。新薬を飲んだ人達の結果を見て発表という事らしい。
人体にとっては安全だという事、この実験が成功すれば薬を飲んだものに特別な報酬があるという説明が
あり、飲んでみたいものが立候補する事になった。
さすがに新薬だけあって、不安から立候補するものは少なかった。俺も含めて五人が立候補した。
前に出た五人の前に置かれたのは、小さいビンに入った緑色の液体だった。
社員全員の視線を感じる中、俺はその小さいビンを持ち上げ一気に飲み干した。
どんな味がするんだろうと思っていたが、意外なことにストロベリーの味がした。
結局、その場で薬を飲んだ五人とも何も起こらなかった。
研究は失敗なのかと囁かれる中、皆、通常の仕事に戻っていった。
俺は何か特別な待遇があると思っていたのに何も起こらなかった事に腹を立てつつ、営業の仕事に戻った。
仕事が終わり家に帰って食事をしたあと、俺は疲れてベッドに横になった。
どこかで事故でもあったかのような激しい音と衝撃がしたので飛び起きたら、俺は外にいた。
近くで耳を覆いたくなるほどの銃撃戦の音が聞こえる。俺の体は勝手に弾をよけ、敵と戦っていた。
夢の中で夢だと気づくことがあるから、これは夢の中なのかと思った。
この夢の中では、なんというか俺の意識が『トンクス』と呼ばれる兵士の中に入り込んで『トンクス』の意識
と共存しているみたいな感じだった。
自分の意思で体を動かす事ができるのかどうかも、試してみたらなんということもなくできてしまった。
俺の考えていることは、その兵士の考えとして同調しているらしい。ただ、このわけの分からない戦いの中で、
戦争慣れしていない俺の意思で動き回る事は死を早めるだろうと思ったので『トンクス』の中で俺はおとなしく
していた。
111 名前:<品評会作品>新薬失敗報告 2/5 ◆ElgkDF.wBQ 投稿日:2006/10/21(土) 00:18:45.72 ID:N4IsV78W0
『トンクス』の目を通してみる世界は、映画で見たような戦争よりも生々しくて人と人との壮絶な殺し合い
に俺はただただ驚愕した。
殺されたら終わりだから、もしかしたらそこで夢から覚める事ができるかもしれなかったが、生々しい死体
を間近で見れば見るほど殺されるなんて絶対に嫌だった。
なぜならこの夢の中では痛みも感じる事を、昨日爆撃で飛んできた破片で足や腕を切った時に嫌というほど
気づかされたからだった。俺はこの夢の世界で既に三日間過ごしていた。
木々の間から仲間の兵士のポンチョがやってきて俺に耳打ちした。
「ニョロ上官からの指令だ。合図が鳴ったら全員手榴弾を持って敵地で自爆する」
「えっ!」
なるべく自分の意思を表面に表せないようにしていた俺はつい口から驚きの声を出してしまった。
「最前線にいる俺らが敵を食い止めるしかないんだ! 分かってるだろっ」
敵に気づかれないように小声で話してはいるが、口調に怒気が込められている。
「いや、分かってる。俺だって最初からそのつもりだったさ。大丈夫だ。ただもう少し踏ん張れると思って
いたから突然で驚いたのさ」
俺は、変に誤解されないように返事した。
「ニョロ上官の命令は絶対だからな。しくじるなよ」
ポンチョはそう言って次の兵士へ伝える為に移動した。
合図がなるまでの間、俺の頭の中では、どうやって自爆から逃れられるかだけが渦巻いていた。
一時間もしないうちに合図が鳴った。
とっさの判断だった。その直前まではどうすればいいか考えはまとまっていなかった。
手榴弾を持って敵地に向かう仲間と一緒に走り出した俺は、途中で木々の間に隠れた。
ドカーン! ドカーン!
人の叫び声もかき消されるくらいの爆発音がいくつも続き、その後パチパチという木が燃える音が残る
だけになった。
112 名前:<品評会作品>新薬失敗報告 3/5 ◆ElgkDF.wBQ 投稿日:2006/10/21(土) 00:19:29.55 ID:N4IsV78W0
俺はそっとあたりを窺った。敵地だと言われていたあたりには味方の兵士の体の一部などが転がっていた。
仲間を裏切って自分ひとりだけ生き残ってしまったけど、俺からしたら三日間だけのあまり知らない仲間
でしかなかったので怖いという思いしかなかった。味方の兵士との会話なんてほとんどしていないし、敵が
どういう相手なのかもよく分からなかった。
少し離れたところで物音がしたので慌てて隠れて、木々の陰から様子を窺ってみた。
ニョロ上官じゃないか! そのまま様子を窺っていると誰かと話している。
味方の兵士ではない事が確かだった。だとしたら敵の兵士?
遠目に見てもニョロ上官が笑っているのが見えた。あいつはスパイだったのか。
パキッ
後ろで小枝が折れた音がして振り返ったら敵の兵士だった。敵兵が辺りにいる仲間に合図した。
近づいてくるニョロ上官が俺だと気づいて少し驚いた顔をした。
「どうせ死ぬのに」
ニョロ上官はそういうと俺に向けて拳銃を構えた。
バキューンッ!
俺は逃げようとした体勢のまま頭をぶち抜かれた――
――ハッ 俺は飛び起きた。
セットした目覚まし時計が鳴り出す十分前だった。夢の中では何日も経っていたようだったのに、目覚まし
よりも早く目覚めたのか……
俺はリアルな夢見の悪さの中、会社に向かう準備をはじめた。
なんとなくこんな夢を見たのは昨日の新薬を飲んだ為じゃないかという感じがした。
会社に着くと昨日新薬を飲んだ五人は別々の部屋に呼ばれた。
「昨日見た夢の話を教えてくれ」
俺の部屋の担当の研究者の第一声はやはりそうだった。
「やっぱりあの薬のせいなんですか。ひどい夢を見ましたよ本当に」
そういうと俺は昨日の夢の話を話した。
「うーむ」
話を聞いた研究者は難しい顔をした。
113 名前:<品評会作品>新薬失敗報告 4/5 ◆ElgkDF.wBQ 投稿日:2006/10/21(土) 00:20:38.16 ID:N4IsV78W0
「実はこの新薬は前世の記憶を呼び起こすものなんだよ。だけど死ぬ前の記憶を呼び起こすとなると困るなぁ。
他の四人が見た前世の記憶の方も確認しないといけないかもしれないが、前世の決まった時期、決まった期間
を指定できるように研究しなおす必要があるかもしれん」
そういうと今回の報酬として五千ドルの小切手を俺の方によこし、続けて言った。
「また、この新薬の手伝いをしてほしい。その時にまた報酬を払おう」
俺は五千ドルの小切手を手に「もちろんです」と答えた。
その部屋を後にする時に、隣の部屋からも人が出てきた。昨日新薬の実験に関わったうちの一人だという
ことは部屋の並びから分かったが、俺はそいつの顔を見て驚いた。
夢の中で見た味方の兵士のポンチョそっくりだったのだ。部署が違うから実験に立候補した時に、よく
見ようとも思わなかったから気がつかなかった。
そいつも俺の方を見て何か気がつくかと思ったが、そうでもなかったようで笑いながら話しかけてきた。
「前世の記憶だか何だか分からないが、子供として遊んでいた夢を見ただけでこんなに報酬がもらえるなんて
思わなかったな。ラッキーだぜ」
「お前は前世の記憶の夢が子供の頃だったのか?」
「そうだよ。普通に泥遊びしたり虫取りをしていた夢だった。お前は違うのか?」
「俺は……大人になってから普通に働いていた夢だった」
戦争の夢だったとは言わない方がいいような気がした俺は少し嘘をついた。
「へぇ、人によって違うんだな。まぁそれにしてもラッキーだったぜ。俺はサンチョ、よろしく」
「俺はトンスク。サンチョっていうのか……」
俺は奇妙な繋がりに驚いた。顔がポンチョにそっくりで、名前まで一文字違い……となるとこいつはあの
ポンチョの生まれ変わりかもしれないのか?
それから何日かして、うちの会社にニョロ上官そっくりの新しい研究員が入社した。
名前はヒヨーロというらしい。この偶然は何なのだろう。
前世の夢ではニョロ上官は敵側のスパイだった。その上、俺はそいつに殺されている。
ヒヨーロ研究員、あいつはスパイなんだろうか。現実世界でどういう関連があるかは、まだ分からない。
ただ、前世の記憶に絡んでいるとすれば、俺は現世でもまた殺される可能性があるという事だ。
前世の復習でもいいじゃないか。俺は自分に言い訳をしてヒヨーロ研究員を殺すことに決めた――
114 名前:<品評会作品>新薬失敗報告 5/5 ◆ElgkDF.wBQ 投稿日:2006/10/21(土) 00:21:42.40 ID:N4IsV78W0
――「実験は成功ですな」
体中にいくつもの線を繋がれたまま診察台に横たわっているトンスクを横目にヒヨーロ研究員は言った。
トンスクが薬を飲んだ後、本当のところトンスクはすぐその場で倒れて研究室に運ばれていたのだった。
他に薬を飲もうとした社員は、それを見て飲むのをやめていた。
トンスクが見ている夢は全て検査結果として診察台の横のプリンタから打ち出されている。
その打ち出されている紙を読みながらサンチョ研究員は言った。
「犯罪が多発している世の中、危険な芽は早いうちに摘んでおかないといけませんからね。この薬のおかげで
犯罪を起こす可能性があるものを隔離することができます。政府の要望どおりの薬ができましたよ」
「それにしても前世の死亡時の記憶を蘇らせて、犯罪を行う可能性があるか調べるという薬が本当にできるとは
自分で研究してても出来るとは思いませんでした」
ヒヨーロはそういいながらサンチョの後ろ側から出力され続けている紙切れを覗き込んだ。
「この前世の記憶の夢が本当だとすると、ヒヨーロ研究員はスパイという事になっちゃいますよね。前世の記憶
が見えているのではなく、これはただ単にトンスクが勝手に作り上げた夢なんじゃないですかねぇ」
サンチョはそういいながらヒヨーロを振り返った。
プシュッ
サンチョは驚いた顔をしたまま、その場に崩れ落ちた。その体の下から血が溢れてきた。
「勝手に作り上げた夢じゃなく本当に前世の記憶だったのかもしれないな」
ヒヨーロは銃を片手に動かなくなったサンチョを軽く蹴った。
「俺がスパイだとばれちゃ困るんだよ。こういう薬ができると困る組織は山ほどあるんだ。この研究結果は
失敗という事で報告するとするよ。犯人はトンスク、トンスクが薬の副作用でおかしくなってサンチョを撃ち
俺まで撃たれそうになった為、やむなくトンスクを射殺したという筋書きにさせてもらおうかな」
そういうとヒヨーロは、自分がサンチョを撃った銃をトンスクに握らせて、非常時用の銃を取り出しトンスク
を撃ち殺した。
「こういうのを輪廻転生っていうのかな」
ヒヨーロは一人呟くと非常用のベルのボタンを押した。
完