【 卒業 】
◆4BDlDTMTLY




255 名前: ◆4BDlDTMTLY :2006/04/09(日) 17:01:19.47 ID:J6n9Q/bp0
      卒業


周りの皆は揃って馬鹿にした。
アイドルなんかに本気になっているのか、と。
いい年して追っかけなどやっているのか、と。
好きにすればいい。
僕は彼女を本気で愛している。
誰も知らないだろうが、幼稚園の頃からこの気持ちは変わらない。
そう、僕と彼女は幼なじみだ。

「大人になったら勝ちゃんのお嫁さんにしてね」
無垢な笑顔で僕に話しかける彼女の姿は、この年になっても度々夢に登場する。
あれがきっかけで僕は恋に落ちたのかもしれない。
共に過ごしたのはたったの1年間だったが、その記憶を反芻するように、僕は彼女との時を噛みしめた。

幼少の頃に受けた衝撃というのは、その人の人格形成に大きく関わってくるのだろう。
僕は、生活の全てを彼女への妄想のためにつぎ込んでいると言っても過言ではない程の暮らしをしていた。
新しいCDが出れば、この歌は僕のために歌ってくれているのかもしれないと思い、
写真集を見ては、この視線の先に僕を想い描いているかもしれない、と。
そんな妄想の時間は、僕の幸せの全てだった。
今、僕が彼女に会えるのはコンサート会場でのみだが、いつか2人きりで会って、思い出話に花を咲かせる日が来るだろう。
その時、僕はこう言うんだ。
「君にとっては思い出かもしれないけど、僕にとったら君はまだ現実なんだよ」 と。
その時に、どれだけ格好の良い言葉を使うか、僕は日々楽しく悩んでいた。

256 名前: ◆4BDlDTMTLY :2006/04/09(日) 17:02:08.16 ID:J6n9Q/bp0
夏休み、僕は東京に行くことになった。
彼女のサイン会が東京で行われるのだ。
地方に住む僕にとって、なかなか生の彼女との接点はない。
このチャンスを逃してなるものか、と、僕は必死にアルバイトをしてお金を貯め、東京までの旅費を確保した。

そしてついに当日がやって来た。
彼女にかけるセリフは何度も何度も繰り返し、本番に備えて練習を怠らなかった。
彼女は喜んでくれるだろうか?
どのファンよりも、僕が絶対に1番長く彼女を追いかけている。
その誇りを胸に、僕は東京行きの列車に乗り込んだ。

初めての東京は、少し冷たい感じがした。
それでも僕は、地図を片手に彼女との再会場所へ胸躍らせて向かう。
会場に着くともう長蛇の列ができており、僕はその1番後ろに並んだ。
少しして振り向くと、もう先が見えないくらいの人が後に続いている。
やっぱり彼女は人気があるんだな。
僕は少し得意げに胸を張った。

そして、いよいよ僕の順番が回ってきた。
長年夢に見てきた彼女との再会。
練習の成果を試す時だ。
大人になった僕を見て彼女は気付いてくれるだろうか?
彼女は幼稚園の頃のまま、可愛らしい面影は何一つ変わっていない。

257 名前: ◆4BDlDTMTLY :2006/04/09(日) 17:03:52.90 ID:J6n9Q/bp0
「こんにちは」
笑顔と共に細い腕が差し出される。
「君の思い出かもしれないけど僕は進行形で現実が・・・・・・」
しまった、少し噛んでしまった。
彼女は不思議そうな顔をしている。
慌てて取り繕うように僕は続けた。
「○○県から来て僕らは幼稚園で一緒で結婚しようって、ずっと好きでした」
これで理解してくれただろうか?
僕の心は、やり切ったという満足感だけが支配していた。
しかし、僕の気持ちとは裏腹に、彼女は不思議な顔をやめようとしない。
「もしかして勝ちゃん?」
そんな言葉を期待して待っていたのだが、出てきた言葉は
「すみません、誰か来て下さい」

僕はマネージャーと呼ばれる男に会場の隅に連れてこられてしまった。
「どうしたの?」
「幼なじみなんで挨拶をしようと思って・・・・・・」
「うーん、個人的な話は困るんだよね」
「じゃあせめて○○県から来たことを伝えて下さい」
「すみませんが、イメージがあるし、横浜育ちってことになってるから」

彼女の方に目をやると、別の男の手を取り、笑顔で会話していた。
あの笑顔は僕のものになるはずだったのに・・・・・・

「悪いけど、もう帰ってくれるかな」
追い出されるように僕は会場を後にした。
行きは冷たく感じた東京の景色が、今はなぜか心地よい。
僕は長い夢から覚めた気がした。

初めて現実を見て、ようやく彼女から卒業できそうだ。       完



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