【 酔拳 】
◆2120NW4fpU
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09 名前:時間外作品No.01 酔拳 (1/4) ◇2120NW4fpU 投稿日:06/10/16 15:28:55 ID:WyE4KZEh
中国雲南省にある少数民族ハヒ族の村は、酔拳発祥の地と言われている。
その歴史は古く、村を訪れた漢の時代の歴史学者ワン・ドゥンの書き記した手記からも、酔拳を使いこなす村人たちの存在が認められている。
現在も、村民の多くは酔拳の継承者であり、三千年の伝統を今に語り継いでいる。
険しい山々に囲まれた村は、交通の発達した現在の中国においてもなお秘境とされ、省都の昆明からもたどり着くのに五日はかかるとされる。
それ故、時折行商が訪れる以外、村に立ち寄る物好きはほとんどいない。
村娘のツァイ・スゥに声をかけてきた男などは、例外中の例外であった。

村から少し離れた川で洗濯をしていたツァイ・スゥは、後ろから声をかけてきた男を見て驚きを隠せなかった。
「ニ、ニーハオ……」
男は大柄で屈強な体に似合わず、眼鏡でパーマがかったヘアスタイルのインテリ風の容貌であった。
肩に掛けた大きなブランド物らしいバッグがパンパンに膨れ上がっている。
「はじめましてお嬢さん、僕はフランスから来ました。ハヒ族の村がこのあたりにあると聞いたのですが、道に迷ってしまって」
ツァイ・スゥは、体中から色気が漂っているかのごときこの男にしばし見とれて、言葉を失っていた。
彼女の知っている男という概念とは遥かに別のものがそこにあった。
普段接している村男たちの、なんと野暮ったいことか。
それに比べて目の前にいるこの男は、幼い頃祖父に連れられて都会に遊びに行ったときに見た映画からそのまま飛び出してきたような、そんな存在感がある。
もう一度声を掛けられて現実に引き戻されるまで、彼女の開いた口が塞がることはなかった。
「対不起、私、白人さん見るのはじめてだたアルね。川沿いをこのまままっすぐ行くよろし。すぐ村着くヨ」
赤く染まった頬をあまり長い時間見られたくないと思い、ツァイ・スゥは早口でまくし立てた。
すると、男はなにを思ったか、一歩前に足を踏み出し、慣れた仕草でツァイ・スゥの熱くなった頬にキスをした。
「……!」
「ありがとう、可愛いお嬢さん」
国が違うと、ここまでコミュニケーションの方法が違うものなのだろうか。
男が礼を言ってそのまま立ち去った後も、ツァイ・スゥはその場に立ち尽くしていた。
キスされたとき、酒の匂いがしたことを思い出す。
「酒……」
ツァイ・スゥはそう言うとどこかへ行ってしまい、しばらくして川べりに戻ってきた時には、上流から流れてきた川の水がほんのり朱に染まっていた。
「これは……アイヤー! これは血アルね、村でなにかあったか!」


110 名前:時間外作品No.01 酔拳 (2/4) ◇2120NW4fpU 投稿日:06/10/16 15:29:05 ID:WyE4KZEh
「他愛もない……酔拳発祥の地とやらもこの程度ですか」
村の男たちは、ある者は川に投げ込まれ、ある者は吐瀉物を吐き続けていた。
突然やってきたフランス人を名乗るその男に、村の屈強な男達があっという間に敗れ去った。
「さあ長老、残るはあなた一人です。クックックック、どこに隠れているのですか?」
男は、バッグからグラスを取り出し、そこにワインを注ぐと、グラスを回して香りを味わい、音を立てずに飲む、作法どおりの動きでワインを嗜んだ。
すると、村の酒蔵から、肩幅の二倍はあるであろう巨大な平たい杯を両手に持った老人が、しゃっくりを連発して千鳥足で現れた。
「ヒィック、おめえか、わしの可愛い……ヒック、可愛い弟子達を、倒したとかいう……ヒック」
老人はすっかり出来あがっていた。この男こそ、ハヒ族の村の長老である。
「クックック、現れましたね。私の名はジャン・ブルーノ・マリエール。以後、お見知りおきを。と言っても、今日で会うのは最後になるでしょうが」
「ヒィック……おんめえ、わしんとこの村になにしにきたぁ」
ジャンはワイングラスを天高くかざした。太陽光が反射して、ワインの水面が赤い海のようにゆらめく。
「美しい……そう、ロマネコンティほど美しいワインはありません」
「んー、そうかねぇ、ヒック」
「それに比べて、あなたたちの飲む酒のなんと汚らしいこと! ああ醜いみすぼらしい、豚の餌以下の酒だ。だから私は本当の酔拳を編み出したのですよ」
長老は二杯目の杯に酒をついで、ジャンの話を聞いているのかいないのか、グビグビと一気飲みをはじめた。
「最高の拳法には、最高のワインがふさわしい。そう、このロマネコンティ酔拳が!」
「ヒィック、ロマネコンティ酔拳ねえ。たしかに、そのワインはいい香りがすんなあ……」
二杯目を飲み干した長老は、杯を手から離した。杯が地面に落ちると同時に、けたたましい轟音とともに猛烈な砂煙が吹き上げた。
「ういーっ、いい感じに酔いが回ってきたなぁ」
「……あなた、その杯、ただの杯ではないですね……!」
「ヒィック、その通りよ、こりゃただの杯じゃあねえんだなあ、ヒック、五十貫くらいはあるかなあ」
長老は、今にも倒れそうな勢いで、前に後ろにふらついている。赤ん坊のように首も据わっていない。
ジャンも負けじとワイングラスにロマネコンティを注いでは飲むを繰り返し、だいぶ顔も火照ってきていた。
「クックック、さあそろそろはじめましょうか、どちらの酔拳が優れているのかを決める戦いを」
「ヒィック、おう、じゃあいっちょやるか」
「手加減しませんよ!」
ジャンは長老に向かって千鳥足で駆け出し、飛び上がって足技を繰り出そうとした。
一方長老はと言うと、目をつぶって右手を耳にあて、なにかをボソボソとつぶやいている。
ジャンの左足が長老の頭に食らいつくその瞬間、長老は目をカッと見開き、二人の声が重なった。
「「はいぃぃぃぃぃ!」」



111 名前:時間外作品No.01 酔拳 (3/4) ◇2120NW4fpU 投稿日:06/10/16 15:29:19 ID:WyE4KZEh
――眩い閃光。
舞い上がる砂煙の中、男が血が吹き出た自らの左足を抱えてうずくまっている。
ジャンである。
「ぐわああぁぁぁ」
傷口自体は小さいものだったが、それはジャンの左足を完全に貫通していた。
「おかしい、おかしいぞ、あなたは一切動かなかった、わたしに触れさえもしなかった……なのにどうして、わたしにこんな傷を負わせることができたというのだ?」
「ヒィック……おめえさんはなんにも分かっちゃいねえんだなあ。酒飲んで、千鳥足で歩いて、それでただ戦えばいいってもんじゃねえんだなぁ。
ヒック……酔拳ってもんはな、酔っ払って理性吹っ飛ばして、自然と自分自身を一体化させること、それが大事なんじゃねぇのかねぇ」
ジャンは、まともに動かなくなった左足を引きずり、四つん這いでジリジリと長老に近づこうとするが、やがてほとんど動かなくなってしまった。
激痛のあまり歯を食いしばっているのか、口からは血の筋が一本垂れている。
「おめえ、もうやめとけ。ヒィック……そんな見苦しいもんは、もう酔拳じゃねえよ」
「うう……ちくしょう、ちくしょう!」
ジャンは悔しさのあまり拳を振り上げ、地面に思いっきり叩きつけた。
けたたましい轟音とともに猛烈な砂煙が吹き上げた。
「……え?」
「あああ、ま、まあ気にすんな。まあ大事なのは酒の銘柄じゃねえ、人の気持ちなんだ。な? そういうこった。さあさあ、あっちの川に流されればあっという間に都会に帰れるぞ、さあ帰った帰った」
長老は動けないジャンを引きずって川まで連れて行くと、そのまま彼を放り投げた。



112 名前:時間外作品No.01 酔拳 (4/4完) ◇2120NW4fpU 投稿日:06/10/16 15:29:33 ID:WyE4KZEh
『こちらユネスコ国際宇宙ステーション。長老、お疲れ様です』
長老の耳に取り付けられた超小型マイクから声が発せられる。
「いやぁこちらこそどうも。超音波レーザーのタイミング、完璧でしたよ」
『ツァイ・スゥさんの、こちらへのすばやい通報のおかげで、対応も早めに行うことができました』
「そうですか、それはそれは。ところで、地面に仕込んだ振動で轟音と砂煙の出る装置、あれ、振動受けるたびに何度も起動してしまうみたいなんですが、どうにかなりませんかねえ」


2070年、ハヒ族の酔拳はユネスコの世界無形文化遺産に登録された。
宇宙に点在するユネスコ国際宇宙ステーションでは、各地の世界遺産を日々監視し、それを保護することに全力で取り組んでいる。

<終>



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